2021
生まれてこのかた主の恵みを受け
2021年11月


生まれてこのかた主の恵みを受け

苦難にどう対応していますか。問題よりも祝福にいっそうの焦点を当て,感謝を感じているでしょうか。

新型コロナウイルス感染症のパンデミックは,世界の歴史の中でも,神の子供たちが立ち向かう数多くの試練や困難の一つとなりました。今年の初め,愛する家族とわたしは気落ちする日々を送っていました。パンデミックやそのほかの出来事により,心から愛する人々がこの世を去り,わたしたち家族は死と苦痛を経験しました。治療を受け,断食と祈りがあったにもかかわらず,5週間の間にわたしの兄,妹,義理の兄が幕の向こう側へ旅立ったのです。

救い主にはラザロを死から蘇らせる力があり,間もなくその力をお使いになって友であるラザロを死から救われるにもかかわらず,救い主が兄弟ラザロの死を嘆き悲しむマリヤを目にしたときになぜ涙を流されたのだろうと,不思議に思うことがありました。1マリヤに対する救い主のあわれみと共感には驚くばかりです。主は,兄弟ラザロの死に際してマリヤが抱いていた耐え難い苦痛を理解されたのです。

わたしたちも愛する人々との一時的な別れを経験するとき,マリヤ同様,胸が張り裂けそうな痛みを感じます。救い主はわたしたちに対して完全なあわれみをお持ちです。主は,わたしたちが目先の事しか考えないことや,永遠の旅路を心に思い描くことに限りがあることをとがめられません。むしろ,わたしたちの悲しみや苦しみに対してあわれみを抱いておられるのです。

天の御父と御子イエス・キリストは,わたしたちに喜びがあるよう望んでおられます。2ラッセル・M・ネルソン大管長は次のように教えています。「わたしたちが感じる幸せは,生活の状況ではなく,生活の中で何に目を向けるかにかかっているのです。生活の中心を神の救いの計画……に向けるなら,人生で何が起こっても―起こらなかったとしても―喜びを感じることができます。」3

わたしが若い宣教師だったころ,尊敬していたすばらしい宣教師に衝撃的な知らせが入ったのを覚えています。彼の母親と弟が痛ましい事故に遭い亡くなったのです。伝道部会長は,葬儀のために一時帰宅してもよいとこの長老に伝えました。しかしこの宣教師は,電話で父親と話した後,留まって伝道を最後まで続けることにしたのです。

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病院にいる宣教師を訪問する

その後まもなく,彼と同じゾーンで奉仕していたとき,同僚とわたしは一本の緊急の電話を受けました。この宣教師が所有していた自転車が泥棒に盗まれ,ナイフで怪我を負ったと言うのです。彼と同僚は最寄りの病院まで歩き,わたしたちはそこで合流しました。病院へ向かいながら,この宣教師のことを思うと深い悲しみを感じました。彼は気落ちし,このような深く傷つく経験の後では帰還したいと思うのが当然だろうと思いました。

病院に到着すると,ベッドに横たわり手術を受けるのを待っているのが目に入りましたが,なんと彼は微笑んでいました。こんな状況でどうして笑っていられるんだろうと思いました。病院で回復を待っている間,この長老は医者,看護師,入院患者に熱心にパンフレットやモルモン書を配りました。このような試練があってもなお,帰還したいとは思わず,むしろ,伝道の最後の日まで,信仰,精力,力,熱意を持って仕えたのです。

モルモン書の冒頭でニーファイはこのように言っています。「わたしはこれまでの人生で多くの苦難に遭ったが,生まれてこのかた主の厚い恵みを受け〔た〕。」4

ニーファイが受けた多くの試練について考えました。その多くについては,ニーファイ自身が書き残しています。これらの試練から,だれにでも気落ちする日々が訪れることが分かります。試練の一つは,ラバンの所有する真鍮の版を手に入れるためにエルサレムへ戻るよう命じられたときにやって来ました。ニーファイには信仰がほとんどない兄弟がいて,ニーファイを棒で打ったほどでした。ニーファイが経験した別の試練は,弓を折ってしまい,家族のために食糧が得られなくなったときに訪れました。後に,一隻の船を造るよう命じられたときに兄たちは,ニーファイをあざけり,手伝うのを拒みました。人生の過程でこのような多くの試練に見舞われたにもかかわらず,ニーファイは常に神の慈しみを認識していました。

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船の上で縛られたニーファイ

約束の地へ向かうため海を渡っていたときも,ニーファイの家族の中には浮かれ,下品な話をし,自分たちを守ってきたのは主の力であることを忘れ始めた者もいました。ニーファイが彼らを叱責すると,彼らは腹を立て,ニーファイが動けなくなるように縄で縛りました。モルモン書には兄たちが「情け容赦なく〔ニーファイを〕扱い」,両方の手首と足首は「大きくはれて,その痛みは激しかった」と記されています。5ニーファイは兄たちの心がかたくなであったことを深く悲しみ,時にはその悲しみにに打ちのめされることもありました。6「それでも」ニーファイはこう言い切ります。「わたしは神に頼り,一日中神を賛美し,わたしの遭った苦難のことで主に対してつぶやくことはしなかった。」7

愛する兄弟姉妹の皆さん,苦難にどう対応していますか。苦難を理由に主の前でつぶやきますか。それともニーファイやわたしの友人の宣教師のように,問題よりも祝福にいっそうの焦点を当て,言葉にも,思いにも,行いにも感謝を感じているでしょうか。

救い主イエス・キリストは,地上での務めを果たされる間,模範を示されました。困難や試練のときに,同胞に仕えること以上に大いなる平安や充実感をもたらすものはほとんどありません。マタイによる福音書には,ヘロデ王がヘロデヤの娘を喜ばせるために,御自身のいとこであるバプテスマのヨハネの首が切られたことを知った救い主がどうされたかについて詳しく述べられています。

「それから,ヨハネの弟子たちがきて,死体を引き取って葬った。そして,イエスのところに行って報告した。

イエスはこのことを聞くと,舟に乗ってそこを去り,自分ひとりで寂しい所へ行かれた。しかし,群衆はそれと聞いて,町々から徒歩であとを追ってきた。

イエスは舟から上がって,大ぜいの群衆をごらんになり,彼らを深くあわれんで,そのうちの病人たちをおいやしになった。

夕方になったので,弟子たちがイエスのもとにきて言った,『ここは寂しい所でもあり,もう時もおそくなりました。群衆を解散させ,めいめいで食物を買いに,村々へ行かせてください』。

するとイエスは言われた,『彼らが出かけて行くには及ばない。あなたがたの手で食物をやりなさい。』」8

イエス・キリストは,試練や逆境の時であっても人々の困難に気づけることをわたしたちに示されました。思いやりの気持ちに動かされ,人々に手を差し伸べ,高めることができるのです。そうするときに,キリストのような奉仕によってわたしたち自身も高められます。ゴードン・B・ヒンクレー大管長はこう述べています。「わたしが知っている,心配に効く最良の解毒剤は労働です。絶望に一番よく効く薬は奉仕です。疲れを癒す最善の方法は,自分よりもさらに疲れている人を助けようとすることです。」9

イエス・キリストの教会において,同胞にミニスタリングし仕える機会が数多くあります。天の御父が重荷を軽くしてくださっていると感じるのは,確かにそのような奉仕の時です。ラッセル・M・ネルソン大管長は地上における神の預言者であり,難しい試練の時に人々にどのようにミニスタリングすればよいのかすばらしい模範を示しています。多くの聖徒の皆さんの証にわたしの証を加えます。神はわたしたちの愛する天の御父であられます。わたしは気落ちする日々に神の限りない愛を感じてきました。救い主イエス・キリストはわたしたちの痛みや苦難を理解しておられます。わたしたちの重荷を軽くし,慰めたいと思っておられます。わたしたちは主の模範に倣い,わたしたちよりも大きな重荷を負っている人に仕え,ミニスタリングしなければなりません。イエス・キリストの御名により,アーメン。