2021
キリストのもとに行きましょう。しかし自分一人だけで行かないでください
2021年11月


キリストのもとに行きましょう。しかし自分一人だけで行かないでください

世界をより良い場所にするための最善の方法は,すべての人を主に従うように招き,世をキリストに備えることです。

先日,助言を求めるある若い女性から,次のような手紙をもらいました。「行き詰まっています。……自分が何者か分からないですが,何か崇高な目的のためにここにいる気がします。」

皆さんも,そのような思いを抱き,天の御父は自分のことを御存じだろうか,自分は御父に必要とされているのだろうかと,思ったことはないでしょうか。愛する青少年とすべての方へ,答えは「そのとおり」だと証します。主はあなたのために計画をお持ちです。この時代の,今このときのために,主の力ある業において善を行う力となり,強さとなるよう,皆さんを備えてこられました。わたしたちには皆さんが必要です!皆さんなくしては,この業がこれほど崇高なものにはなりません。

かつて神聖な状況の中で,愛する預言者ラッセル・M・ネルソン大管長は,二つの簡潔な,崇高で栄えある,皆さんの業の土台となる真理を思い起こさせてくれました。

夫とソファに座ると,預言者が自分の椅子を,ひざとひざがぶつかりそうなくらいわたしたちの前に移動させ,心を見通すような青い目でわたしを見詰めました。中央若い女性の会長として奉仕するよう召されたとき,わたしは心臓が破裂しそうか,完全に止まったのか分かりませんでした。預言者は,今でもわたしが何度も反すうする次のような質問をしました。「ボニー,〔青少年〕が知っておくべき最も重要なことは何でしょうか。」

わたしはしばし考えた後こう答えました。「青少年は自分が何者であるかを知る必要があります。」

預言者は「そのとおりです!」と言いました。「そして,自らの目的を知る必要もあります。」

わたしたちの神聖な特質

皆さんは天のお父様の大切な,愛する子供です。天の御父は皆さんを心から愛しておられるため,皆さんやわたしを贖うために,御子イエス・キリストを遣わしてくださいました。1救い主のわたしたちへの愛は,尽きることがありません―たとえわたしたちが失敗したとしてもです!何物も,神の愛からわたしたちを引き離すことはできないのです。2主の愛を覚えておけば,皆さんの神聖な特質への確信を弱めようとしたり,自らの可能性を見えなくさせたりする世の混乱を押しやることができます。

あるFSYカンファレンスで,悩みを抱えた二人の若い女性に出会いました。どちらの若い女性も,主の愛と個人的な導きを再び見いだすために,祝福師の祝福に目を向けたと話してくれました。皆さんも自分の祝福文を探し,必要であればほこりを払い,頻繁に研究してください。まだ祝福師の祝福を受けていなければ,すぐに受けましょう。皆さんが何者であるかについて,主が今何を伝えたいと思っておられるか知るのを引き延ばさないでください。

わたしたちの永遠の目的

ネルソン大管長が述べた二つ目の真理は,わたしたちの目的を知ることです。これはわたしたちの崇高で高潔な責任です。

何年も前,息子のタナーが5歳くらいのとき,初めてサッカーの試合に出ました。タナーは大興奮でした!

わたしたちが試合会場に到着すると,タナーのチームが,ポップアップ式の小さなゴールではなく,5歳児には大きすぎるような大きなネットの,規定サイズのサッカーゴールを使っているのに気づきました。

タナーがゴールキーパーの位置に就いたのを見た途端,試合がとても重要なものに感じられました。わたしはとても驚きました。タナーは自分がゴールネットを守るという目的をほんとうに理解しているのでしょうか。

ホイッスルが鳴ると,わたしたちは試合に夢中になり,タナーのことはすっかり忘れていました。突然,相手チームがボールを奪い,素早くドリブルしながらタナーの方に向かって行きました。わたしは,タナーがちゃんと自分の持ち場でゴールを守る準備ができているか確かめようと,彼の方を見ました。するとそこには思ってもみない光景が広がっていたのです。

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ゴールネットで遊ぶ少年

試合のある時点で気を散らしてしまったタナーは,左腕をネットの幾つかの穴にくねくねと通し始めました。右腕も同じように通すと,次に左足,とうとう右足も通してしまい,完全にネットに絡まってしまいました。自分の目的や責任を忘れてしまったのです。

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ゴールネットに絡まっている少年

タナーのサッカーは長続きしませんでしたが,あの日の教訓は決して色あせることはありません。だれもが自分が地上にいる理由から気を散らして,力を注ぐ矛先をそらしてしまうことがあります。サタンの最も強力な武器の一つは,困難の時に,わたしたちが地上に来た最大の目的を隠し,そこから引き離すための良いことやより良いことに心を向けさせて,最も良いことからわたしたちの気をそらすことです。3

わたしたちの永遠の目的は,キリストのもとに行き,主の偉大な業に積極的に携わることです。それは,ネルソン大管長が教えたことを行うように簡潔です。「だれかが聖約を交わし,それを守れるよう助けるために何かを行うときはいつでも……,イスラエルの集合を助けているのです。」4そして主とともに業に励むとき,主をより深く知り愛するようになります。

さらにわたしたちは,信仰,大切な悔い改め,戒めを守ることを通して,主に近づく努力をし続けます。聖約と儀式を通して自分自身を主に結びつけるとき,生活に自信5が増し,守り6と,深く永続する喜び7で満たされます。

キリストのもとへ行くとき,わたしたちは主の目を通してほかの人々を見ます。8キリストのもとに行きましょう。今,行くのです。しかし自分一人だけで行かないでください9

イエス・キリストの福音はすばらしいだけでなく,すべての人に不可欠です。「〔わたしたち〕が救われるのはただキリストにより,キリストを通じてだけであり,決してほかの方法や手段はない〔のです〕。」10わたしたちにはイエス・キリストが必要です!世の人々にもイエス・キリストが必要です。11

覚えていてください。世界をより良い場所にするための最善の方法は,すべての人を主に従うように招き,世をキリストに備えることです。

モルモン書では,復活された救い主がニーファイ人とともに時間を過ごされたときの話が力強く語られています。皆さんは,その情景を想像できるでしょうか。

キリストは,御父のもとに戻らなければならないと告げると,「もう一度群衆を見回〔されました〕。」12人々の目に浮かぶ涙を御覧になったキリストは,人々がもうしばらくとどまってほしいと願っているのに気づかれ,

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ニーファイ人を癒されるように招く救い主

こう尋ねられました。「あなたがたの中に病気の者がいるか。彼らをここに連れて来なさい。足の不自由な者,目の見えない者,……耳の聞こえない者,あるいはどんなことでも苦しんでいる者がいるか。彼らをここに連れて来なさい。癒してあげよう。」13

深い憐れみをもって,主は分け隔てなく「どんなことでも苦しんでいる者」皆に呼びかけられました。わたしが気に入っているのは,イエス・キリストにとって,癒すのに重すぎるものも小さすぎるものもないという点です。

主はわたしたちの苦しみや悩みをも御存じであり,不安な人や落胆した人,疲れ果てた人,高慢な人や誤解された人,孤独な人,あるいは「どんなことでも苦しんでいる者」を連れて来るよう呼びかけておられます。

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救い主の癒し

すると皆「前に進み出〔て,〕イエスは,……ことごとく癒され〔,〕

……癒された者も健康な者も,イエスの足もとにひれ伏して,イエスを拝し〔まし〕た。」14

この話を読む度に,わたしは心に問いかけます。「わたしはだれをキリストのもとに連れて行くだろうか。」皆さんは,だれを連れて行きますか。

わたしたちもイエスがなされたように,一人も見落とさずもう一度目を向け,主を知るようすべての人を招くことができるでしょうか。

これがいかに簡単か,例を紹介しましょう。わたしの友人である15歳のペイトンは,毎日朝食のときに聖句を5節読むという目標を立てていましたが,一人で読んでいたわけではありません。ペイトンはもう一度目を向けると,親や5歳の弟も含めたきょうだいたちに一緒に読むよう誘ったのです。この一見ささいに思える行為こそ,キリストが「彼らをここに連れて来なさい」と招かれたときに教えられたことです。

主は同じように今も招いておられます。若い女性と若い男性の皆さん,今,自分の家庭から始めましょう。天の御父に祈り,皆さんの親が,引き続きキリストのもとに行けるように,自分はどのような力になれるか尋ねてくださいますか。皆さんが親を必要とするように,親も皆さんを必要としています。

そして,きょうだいや友人,隣人にも,もう一度目を向けてください。だれをキリストのもとに連れて行きますか。

救い主はこう宣言しておられます。「見よ,わたしは光である。わたしはあなたがたのために模範を示した。」15わたしたちが救い主とともに主の家族を救うとき,主の愛と平安を感じることができます。主は,「わたしに従って来る者は,やみのうちを歩くことがなく,命の光をもつであろう」16と約束しておられるからです。

キリストの大義に携わることのできる何と栄えある時代でしょう。

そうです,皆さんは崇高な目的のためにここにいます。ネルソン大管長の言葉のとおり,「主は世界を変えるために皆さんを必要としておられます。皆さんに対する主の御心を受け入れるなら,不可能と思えることを成し遂げている自分に気づくことでしょう。」17

わたしは心から証します。主は皆さんが何者であるかを御存じであり,皆さんを愛しておられます。キリスト御自身がこの地上に戻り,「ここに」来なさいと一人一人を呼ばれるあの大いなる日まで,わたしたちは力を合わせて主の目的を推し進めます。わたしたちは自分一人でキリストのもとに行くわけではなく,人々とともに,喜びをもって集うことになるのです。イエス・キリストの御名により,アーメン。