2000–2009
全世界に証する声
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全世界に証あかしする声

この壮大なホールから全世界に向けて、人類のい主を証する預言者たちの声が発せられることでしょう。

心から愛する兄弟姉妹の皆さん、これほど大勢の末日生徒がこの新しく立派なホールに集まれておられる光景は実に感動的です。

オルガンはまだ完成していませんし、細部にわたる工事が進行中の箇所も幾つかあります。しかし、今回の大会で使用するには申し分ないほど工事は進んでいます。1年ほど前、わたしはこの建物について触れ、「最初は座席を全部埋めることができないかもしれません」と申し上けました。タバナクルの3.5倍もの座席を備えているからです。けれどもすでに困った状態が起きています。全席が埋まってしまったのです。

4つの一般部会と神権部会で、延べ10万人を収容することになっていました。けれどもわたしたちのもとに寄せられた入場券の申請は37万枚にもなってしまったのです。入場券を手に入れられなかった方々のためにタバナクルとアッセンブリーホールを使用することになっています。しかし、これらすべてをもってしても、非常に大勢の方をがっかりさせることになるでしょう。おわびいたします。どうかお許しください。わたしたちにはどうすることもできません。大勢の方々が新しいホールでの最初の大会に出席することを希望しておられましたが、ご希望に添うことはできませんでした。わたしの所属するワードの愛する会員たちも、こんなに近くに住んでいながら、だれ一人として入場券を入手できなかったという事実を聞いて、わたしはいささか驚きました。

しかし同時に、この新しい集会施設に対して末日聖徒がこれほどまでに熱意を寄せてくださっていることを心から感謝しています。この熱意がいつまでも薄れることなく、大会が開かれる度に満席となるよう願っています。

このホールは、わたしたちがこの地区でこれまでに建ててきた一連の集会施設の中で最新のものです。末日聖徒がこの盆地に到着して最初に建てたのは、屋根だけのあずまやでした。それは、日よけとはなりましたが、吹きさらしのきわめて居心地の悪い集会所でした。次に彼らは旧タバナクルを建てました。それに続いて、130年余りにわたって十二分に利用された現在のタバナクルを建てました。

そして今、この歴史的な時期に、すなわち新世紀、新たな千年紀を迎えようとするときに、わたしたちはこの新しくすばらしいカンファレンスセンターを建てたのです。

過去の建設事業はその一つ一つが大胆な試みでした。とりわけタバナクルはそうでした。デザイン的にもユニークでした。かつてそのような建物を建てた人はいませんでした。タバナクルは現在でもユニークな建物です。これまでそうであったようにこれからもすばらしいホールであり続けることでしょう。そして、これからも存続することでしょう。なぜなら、わたしはあの建物か、それ自体に命があると信じているからです。タバナクルはこれから未来にわたって長い聞、使用され続けることでしょう。

この建物を建設することはほんとうに大胆な計画でした。わたしたちは悩みました。そして祈りました。このことについて御霊みたまのささやきに耳を傾けました。そして、主の確認の声を感じて初めて、建設計画を推し進めることを決定したのです。

1996年4月の総大会でわたしはこう述べました。「残念ながら、今朝このタバナクルに入りたいと思いながら、それができない方々がたくさんいらっしゃいます。タバナクルの周囲の構内には非常に多くの方がいらっしゃいます。主を礼拝するために先祖の開拓者は、この独特なすばらしい建物に約6、000の快適な座席をしつらえました。2時間にわたってこの固い座席に座っておられる皆さんの中には、『快適』という言葉に異議を唱える方がいらっしゃるかもしれません。

わたしは心の中で、このタバナクルに入りたいと思いながら、それができないでいる方々のことを考えています。1年ほど前にわたしは中央幹部の皆さんに、次のような提案をしました。すなわちもう一つ、この建物の3、4倍の収容力を持つ、より大きな規模の礼拝施設を建設できるかどうか検討すべき時がやって来たかもしれない、ということです。」(「栄えあるイースターの朝に」『聖徒の道』1996年7月号、74)

新しいホールに関するビジョンははっきりと心の中にありました。様々な設計案を検討しました。そしてその一つが最終的に選ばれたのです。2万1、000の座席に加え、劇場用にさらにもう1、000人分の収容力を持つ大規模な建造物にすることが、この構想の中に含まれていました。また、出席するすべての人が話者を見ることができるように内部の柱は作らないことにしました。さらに、屋上には樹木を植え、小川のような水の流れを作ることにしました。

開拓者がこの盆地へ入植してから150周年に当たる1997年7月24日に鍬くわ入れ式をしました。それは歴史的な出来事でした。

そのときは知らなかったのですが、何と1853年にブリガム・ヤングは神殿について語った際、こう述べていたのです。「屋上に……森と、魚の泳ぐ池のあるものを建てる時……が来るでしょう。」(Deseret News Weekly、1853年4月30日付、46)

また、1924年に十二使徒評議会のジェームズ・E・タルメージ長老は、こう記しています。「わたしは長年、タバナクルの北側に大規模なパビリオンが建設される日のことを思い描いてきた。恐らく2万人かあるいは、その2倍にも及ぶ人数分の座席を備え、タバナクルの説教壇から語られる説教をすべての人が聞くことのできるアンプシステムが設備されたものである。さらにそれは、幾つもの礼拝堂やロッキー山間地方全域の集会所に集まっている聴衆とも放送システムでつながっているのである。」(1924年8月29日付けの原稿、Special Collections and Manuscripts、プリガム・ヤング大学ハロルド・B・リー記念図書館、ユタ州プロボ)

1940年、大管長会と十二使徒定員会は、建築家に1万9、000の座席を持つ建物の設計図を描かせ、この建物が建っている場所に建設しようとしました。60年前のことです。彼らはそれについて考え、話し合いましたが、結局、その構想を白紙に戻してしまいました。

これらの言葉や行動は、見事なまでに将来を暗示するものでした。しかし、わたしたちはそれらについてまったく知らなかったので丸これらのすべては、今回の建設に着手した後に、知らされたのです。

わたしたちは、屋上に樹木や魚の泳ぐ池のある神殿を建てることはありませんでした。しかしこの建物の屋上には、確かに多くの樹木が植えられ、水が流れています。ブリガム・ヤングは、神殿のすぐそばにあるこの建物を予見したのかもしれません。今わたしたちは、タルメージ長老が思い描いたもの、いやそれをはるかにしのぐ建物を頂いています。大会の模様は、カンファレンスセンターに着席している人々だけでなく、ラジオやテレビ、ケーブル放送によって、また、衛星放送によって、ヨーロッパやメキシコ、南アメリカの各地に中継されています。タルメージ長老の語ったロッキー山間地方をはるかに越えた地域に届けられています。合衆国とカナダという枠を越えて、実質的には世界中に放送されているのです。

これは実に立派な建物です。わたしは礼拝用のホールとして建てられたもののうち、これほど大きく、また多くの座席が備わった建物をほかに知りません。デザインの面でも、装飾の面でも、そして卓越した設備の面でもほんとうに見事です。この地域で要求されている最高の耐震基準を満たす強化コンクリートで建てられています。またコンクリートの表面は、神殿の石と同じ採石場から運んだかこう岩で覆われています。つまり、二つの建物は同じかこう岩の模様を呈しているわけです。

内装も美しく、感動的です。巨大な建築物でありながら、話者の視界を遮るものを一切取り除く方式が取られています。カーペット、大理石の床、装飾の施された壁、形の整った金属部、すばらしい木製部分、`これらすべては優雅さをたたえながらも実用性を備えています。

この建物は、この都市に新しい彩りを添えてくれるでしょう。総大会や教会のそのほかの集会がここで開かれるだけでなく、最高水準の芸術を発表するための文化センターとしても使用されます。教会の会員でない方もここに集い、この美しい場所の雰囲気を味わい、この建物の恩恵に浴していただきたいと思います。

この段階まで建物を仕上げるために、熱心に働いてこられたすべての方々に感謝いたします。多くの会議にともに臨んでくださった建築家や、協力して工事を進められた3つの建設業者、下請け業者、そしてここで働かれた大勢の職人の皆さん、現場監督や、市の建築検査官、そのほかこのプロジェクトに携わられたすべての方々に感謝いたします。彼ら全員がこの非常な難事業に取り組んでくださったおかげでわたしたちは今朝、ここに集うことができるのです。彼らの多くが今この集会に参加してくださっていることを申し添えておきます。

そして今、愛する兄弟姉妹の皆さん、このすばらしい建物に関するもう一つの逸話を紹介したいと思います。もしわたしが私情を差し挟んでいたり、あるいは多少なりとも感傷的であったりしているとしたら、どうかお許しください。

わたしは木が大好きです。少年時代に、わたしたちの家族は、夏の間だけ、農場に住んでいました。果樹園です。毎年この時期になると、木を植えました。結婚して以来、留守にしていて植えられなかった2、3年を除けば、木を植えなかった年はないと思います。少なくとも、毎年1、2本の果物の木、日よけを目的とした木、装飾用の木、そしてとうひやもみ、松の木のような針葉樹を植えてきたのです。わたしは木が大好きです。

36年ほど前、わたしは黒くるみの木を植えました。木の密集した場所であったため、それは日光に当たろうとしてまっすぐ高く生長しました。しかし1年ほど前、何かの理由でその木は枯れてしまいました。けれども、くるみの木は貴重な家具用木材となります。わたしは、専任の召しを受けて教会で働くようになるまでは材木業を営んでいた七十人のべン・バンクス兄弟に電話しました。彼は、今は材木業者をしている二人の息子さん――――― 一人は監督で、もう一人は解任されたばかりの元監督です―――を連れてその枯れた木を見るためにやって来ました。彼らは異口同音に、堅く良質で、美しい木だと言いました。彼らのうちの一人が、このホールの説教壇に使ったらどうか、と提案してくれました。この提案には胸が躍りました。こうして黒くるみの木は切り倒され、2本のがっしりした丸太になりました。そして長い乾燥期間に入りました。最初は自然乾燥、次に人工乾燥という手順を踏みました。そしてこれらの丸太はユタ州セイラムの製材所で加工されて板になりました。続いてその板がフェッツァー木工所に運ばれました。そこで熟練した職人が設計し、この美しい説教壇を作ってくださったのです。

この説教壇はとても美しく仕上がっています。皆さん全員に間近で見ていただけたらと思うほどです。職人の優れた技量がよく表れています。そして今、我が家の裏庭でわたしが育てた木の説教壇から、皆さんに語りかけているのです。その裏庭で、わたしの子どもたちも遊び回り、育ちました。

これはわたしにとって感概深いことです。わたしはこのほかにも黒くるみの木を1本か2本植えました。それらの木が生長するにはわたしがこの世を去ってからもかなりの歳月が必要でしょう。時がたってこの美しい説教壇が古くなったとき、恐らくそのうちの1本が、新しい説教壇を作るのに用いられるかもしれません。バンクス長老とそのご子息のべンとブラッドリーに、そしてこれを設計し製作してくださった優秀な方々に心から感謝を申し上げます。彼らのおかげで、この壮大なホールに、わたしもほんの少し貢献することができました。このホールから全世界に向けて、人類の贖あがないを証する預言者たちの声が発せられることでしょう。

この神聖な建物の建築を可能にしてくださったすべての方々に、そしてこの歴史的な瞬間に集まってくださったすべての方々に、感謝と愛をお伝えします。今日きょうというこの日に対して、この聖なる麗しい礼拝の家に対して、愛と感謝を、イエス・キリストの御名みなにより申し上げます。アーメン。