2000–2009
西アフリカのための神殿
2000年4月


西アフリカのための神殿

主の力が働き、必然的な勝利へ導かれる様子をの当たりにしているので、とても勇気づけられています。西アフリカに神殿は建ちます。

何年も前のことですが、我が家の幼い子どもたちを何人か連れてブリガム・ヤング大学のフットボールの試合を見に行きました。その日ブリガム・ヤング大学は試合に負けてしまいました。ほんとうに嫌なことです。バウンティフルの我が家に車で帰る途中、ラジオ番組でコーチが試合を振り返りコメントしていました。コーチのコメントが終わると、子どもたちは、今度はわたしが試合についてコメントするのを嫌でも聞くしかありません。試合で何がまずかったのか、わたしなりの最終分析を語り終えると、7歳の娘が尋ねました。「お父さん、神殿を見るとうれしくなる?」わたしは「一体どうしてそういう話になるのだろう」と不思議に思いました。娘のその質問がフットボールの試合とどう関係あるのか解明しようとしつつ、娘の方をちらっと見ました。すると娘は窓からソルトレーク神殿を眺めていたのでした。どういうわけか、もう試合のことはどうでもよくなっていました。

神殿にまつわる経験により、わたしのこれまでの人生は豊かなものとなってきました。両親は定期的にわたしたちをソルトレーク・シティーのテンプルスクウェアに連れて行ってくれました。両親は神殿を指さし、自分たちがそこで結婚したこと、そしてそのおかげで家族としていつも一緒にいられることを話してくれました。両親が死んでしまうことがいちばんの恐怖であった少年にとって、それは何と慰めになったことでしょう。そして両親を亡くした大人にとっても、それはどれほどの慰めになっていることでしょうか。

ソルトレーク神殿の近くに住んでいた10歳のとき、ジョセフ・スミスの話を初めて読み、回復が真理であるという力強い証を得ました。

今でも感謝していますが、伝道に出る前に、両親と神殿に行きエンダウメントを受けたことを覚えています。その3年後に妻とわたしはソルトレーク神殿で結婚しました。それ以来、6人の子どもの神殿結婚を執行する特権に恵まれました。

神殿の近くで育つという、わたしが得てきたぜいたくを味わったことのない教会員が多くいることを承知しています。そのことをよく承知しているので、1997年10月の大会でヒンクレー大管長がこのように述べたときは、とてもうれしく思いました。「わたしたちは神殿を皆さんのもとに近づけ、神殿での礼拝から得られる貴重な祝福をぜひ味わっていただけるように全力を尽くす覚悟です。」(「神殿、改宗者の定着、伝道活動について」聖徒の道』1998年1月号、58)

そのとき以来、数多くの神殿の発表を聞き、その後にオープンハウスや奉献式についての記事を読み、喜び、驚嘆してきました。現代の奇跡と預言の成就を目まの当たりにしているのです。何とすばらしい時代に生きているのでしょう!

神殿の建設については、喜ぶ人ばかりではありません。特に敵対者は自分の権威を脅かされるのを知り、腹を立てています。

わたしはこの2年間、西アフリカで敵対者の憤る様さまを見てきました。その地域で神殿建設を阻止しようと躍起になっています。2年前、ヒンクレー大管長は西アフリカ初の神殿がガーナのアクラに建設されると発表しました。以来敵は容赦なく、その阻止に力を傾けています。どうしてルシフェルはそこまでこだわるのでしょうか。

西アフリカには8万5,000人の会員がいます。そして、教会は急速に発展しています。聖餐会の出席率は50パーセントを超えていますが、現在エンダウメントを受けている会員数はわずか400人にすぎません。それはロンドンやヨハネスバーグの神殿までの距離が何万キロにも及び、旅行に莫大ばくだいな費用を要するからです。700人以上のアフリカ人専任宣教師が伝道していますが、そのうちエンダウメントを受けている人はごくわずかなのです。

西アフリカの人々は何百年も完全な福音を待ちわび、多くの苦しみを経験してきました。そして今日、神の子らが享受できる祝福をすべて受けられるのです。ふさわしい会員は神殿でエンダウメントを受けることができ、家族と永遠に結び固められるのです。

神殿の聖約に忠実であれば、霊的な成長が速められます。ジョン・A・ウイッツォー長老はこのように説明しています。「彼らは主の御前にある自分の場所により速くたどり着くでしょう。また神の力すべてが、より速く増し加えられるでしょう。さらに神に近づき、より完全に自分の神聖な行く末を理解することでしょう。」(Evidences and Reconciliations 〔1960年〕300)

それゆえにサタンは執拗しつようにこだわるのです。さらに幕の向こう側で福音を受け入れ、身代わりのバプテスマ、エンダウメント、さらに家族の結び固めを心待ちにしているアフリカ人の数が非常に多いことにも気づいています。神殿が奉献されると、霊界のダムが決壊し、子孫による家族歴史の探求で、かつてアフリカ大陸の地で生を受けた人々が洪水のように主の神殿に押し寄せるのです。ルシフェルがあらゆる手段を使い、彼らから神殿を遠ざけようとすることに、何の不思議もありません。

何百年も苦しんできたにもかかわらず、たいていの人は恨みを抱いたりしていません。彼らは謙遜で、喜んで教えを受け入れ、神を畏れる人々です。彼らは聖文を知り、羊飼いの声を聞き分けます。

わたしは彼らの信仰が真の信仰であると信じています。救い主はアフリカの人々を愛しておられます。そこで、教義と聖約121章33節を次のように言い換えたいと思います。「全能者が〔アフリカの末日聖徒のために神殿を建てるのを〕人が妨げようとするのは、人がそのか弱い腕を伸べて、定められた水路を流れる〔コンゴ〕川をとどめようとするようなもの、あるいは逆流させようとするようなものである。」

救い主はこのように語られました。「わたしは〔敵〕がわたしの業を損なうのを許さない。まことに、わたしの知恵が悪魔の狡猜さに勝っていることを彼らに示そう。」(教義と聖約10:43)

主の力が働き、必然的な勝利へ導かれる様子を目の当たりにしているので、とても勇気づけられています。西アフリカに神殿は建ちます。

先週、わたしたちは再び車でプロボからバウンティフルまで移動しました。プロボを出発すると、丘の上に神殿が見えてきました。その神殿が視界から消えないうちに、マウントティンパノガス神殿が見えてきました。そしてジョーダンリバー神殿が見えてきたと思えば、ソルトレーク神殿も見えてきます。そしてあっという間にバウンティフル神殿がまるで町の上に輝く宝石のようにそびえているのが見えるのです。

かつての娘の質問を思い出しました。「お父さん、神殿を見るとうれしくなる?」その答えが心に強く響きました。「そうだよ、神殿を見るととってもうれしくなるよ。」しかし神殿を一度も見たことのない西アフリカの兄弟姉妹のことを思うと、わたしの心は痛みます。

わたしたちが神殿の祝福を決して当然として受け止めないよう、わたしは願い、祈っています。またわたしは西アフリカや神殿の祝福にあずかることのできない地域の入々のために祈っています。

この業が神の業であることを証します。イエスはキリストであられます。イエスはこの教会の頭であり、地上にイエスの王国を築く指揮を執っておられます。わたしたちは奇跡を目の当たりにしているので、奇跡が今も存在することを証できます。イエス・キリストの御名によって、アーメン。