2010–2019
知恵に不足しているならば
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知恵に不足しているならば

聖文にあるように,神は真理を探し求める人々にそれを明らかにしてくださいます。

先日,10歳の息子がインターネットで人間の脳について勉強していました。将来外科医になりたいのだそうです。息子がわたしよりずっと頭が良いと考えるのは難しいことではありません。

わたしたちはインターネットが好きです。自宅ではソーシャルメディアや電子メールなどを使って家族や友人と連絡を取ります。わたしの子供は学校の勉強の多くをインターネットを通して行っています。

どんな質問でも,もっと情報が必要なら,わたしたちはインターネットで検索します。数秒のうちに多くの資料が得られます。これは驚くべきことです。

インターネットは多くの学習の機会を提供してくれます。しかし,サタンはわたしたちを惨めにしようと,物事の本来の目的をゆがめてしまいます。サタンはこのすばらしい道具を使って疑いと恐れを広め,信仰と希望を打ち砕こうとします。

これだけ多くの情報がインターネット上にあると,どこに自分の努力を注ぐべきかを慎重に考えなければなりません。サタンは,わたしたちをそのほとんどがまったく価値のない情報を取捨選択することに忙殺させ,気をそらさせ,清くない状態にする力を持っています。

価値のないものに時間を費やすべきではありません。

聖文にあるこの教えに耳を傾けてください。「善悪をわきまえることができるように,すべての人にキリストの御霊が与えられている……。さて,その判断の方法をあなたがたに教えよう。善を行うように誘い,またキリストを信じるように勧めるものはすべて,キリストの力と賜物によって送り出されているのである。したがってあなたがたは,それが神から出ていることを……わきまえることができる。」1

本当の意味で,わたしたちは少年時代のジョセフ・スミスが経験したと同じジレンマに直面します。わたしたちも,知恵に不足していることがよくあります。

神の王国では,真理の探究は喜ばれ,勧められており,決して抑制されたり,恐れられたりすることはありません。教会員は知識を求めるよう主御自身から強く勧告されています。2主は言われました。「あなたがたは……熱心に求め〔なさい〕。まことに,最良の書物から知恵の言葉を探し求め,研究によって,また信仰によって学問を求めなさい。」3しかし,このように神に関する事柄をますます表立って攻撃してくる世にあって,どうしたら真理を見分けることができるのでしょうか。

聖文がその方法を教えています。

まず,その実を観察することによって真理を知ることができます。

山上の垂訓で主はこう言われました。

「そのように,すべて良い木は良い実を結び,悪い木は悪い実を結ぶ。……

このように,あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。」4

預言者モルモンは,これと同じ原則を教えて言いました。「『あなたがたはその行いによって彼らを見分けるのである』……。彼らの行いが善ければ,彼らも善い。」5

この教会の実と業を研究するように,全ての人にお勧めします。

真理について関心を持つ人は,教会と教会員が地域社会で貢献していることを見て取ることができます。また,教会の教えに従う人々の生活が改善していることにも気がつくでしょう。こうした実を吟味する人は,末日聖徒イエス・キリスト教会の実が喜びをもたらす良いものであることが分かるでしょう。

第2に,自分自身で御言葉を試すことによって真理を見いだすことができます。

預言者アルマはこう教えています。

「御言葉を一つの種にたとえてみよう。……もしあなたがたが心の中に場所を設けて,種をそこに植えるようにするならば,見よ,それがほんとうの種……であり,また……不信仰によってそれを捨てるようなことがなければ,見よ,その種はあなたがたの心の中でふくらみ始めるであろう。そして,あなたがたは……心の中で次のように思うであろう。『これは良い種……に違いない。これはわたしの心を広げ,わたしの理解力に光を注ぎ,まことに,それはわたしに良い気持ちを与え始めている。』……

……さて見よ,これはあなたがたの信仰を強めないであろうか。まことに,それはあなたがたの信仰を強めるであろう。……

……種はその種独自の形を生じるからである。」6

これは主の預言者からのすばらしい招きです。これを科学の実験と比較することができます。わたしたちは御言葉を試してみるよう招かれ,そのパラメーター(測定可能要因)が与えられて,指示に従えば得られる実験の結果を教えられているのです。

このように,聖文は,わたしたちに実を観察したり,心の中に場所を設けて御言葉を種のように養い育てたりして個人的に試すことにより,真理を知ることができると教えています。

しかしながら,まだ真理を知るための3つ目の方法があります。それは個人の啓示です。

教義と聖約第8章は,啓示は知識,すなわち,「与えられると信じながら,信仰をもって,正直な心で求めるものは何であろうと……知識〔である〕」と教えています。7

また,主は啓示を受ける方法も教えておられます。主は「あなたに降ってあなたの心の中にとどまる聖霊によって,わたしはあなたの思いとあなたの心に告げよう」と言っておられます。8

このように,啓示は,信仰をもって,正直な心で,それを受けると信じて求めることによって与えられると教えられています。

主はそれを非常に明確に示し,警告されたことを心に留めてください。「信仰がなければ何も行えないことを覚えておきなさい。それゆえ,信仰をもって求めなさい。」9信仰には,まず心の中でよく考え,それからそれが正しいか祈って主に尋ねるといった行いが必要です。

主は言われました。

「もしそれが正しければ,わたしはあなたの胸を内から燃やそう。それゆえ,あなたはそれが正しいと感じるであろう。

しかし,もしそれが正しくなければ,あなたはこのような感じを少しも受けず,思いが鈍くなり,それによって誤っている事柄を忘れるようになる。」10

行いの伴わない信仰は,死んだものです。11ですから,「疑わないで,信仰をもって願い求めなさい。」12

わたしには教会員でない友人がいます。彼は,自分は霊的な人間ではないと言っています。神の言葉が分からないし,神が存在するか確信が持てないという理由で,聖文を研究することも祈ることもしません。アルマが説明しているように,このような態度は,彼に霊性を欠かせ,啓示とは逆の方向に向かわせることになります。アルマはこう話しています。「したがって,心をかたくなにする者はわずかな御言葉しか受けない……。」

アルマは続けて記しています。「心をかたくなにしない者は,さらに多くの御言葉を与えられて,ついに神の奥義が十分に分かるようになるまで,奥義を知ることが許される。」13

アルマとモーサヤの息子たちは,信仰には行いが伴わなければならないという原則の模範です。モルモン書にはこう記されています。

「彼らは……神の言葉を知るために聖文を熱心に調べてきた……。

そればかりではない。彼らはしばしば祈り,また断食もしたので,預言の霊と啓示の霊を受けていた。」14

正直な心で願い求めることは,この過程において同様に大切なことです。心から真理を探し求めているならば,それを見つけるために全力を尽くすはずです。それには聖文を読む,教会に集う,そして神の戒めを守るために最善を尽くすなどが含まれるでしょう。それはまた,神の御心を知ったなら,進んでそれを行うということも意味します。

ジョセフ・スミスが知恵を求めるために取った行動こそ,正直な心を示す完全な模範です。ジョセフは「自分が加わるべき教派を知るために」,どの教派が真実か知りたかったと言っています。15祈り始める前から,彼には受けた答えに従って行動する用意ができていたのです。

わたしたちは信仰を持ち,正直な心で願い求めなければなりません。しかし,それだけではありません。わたしたちは啓示を受けると信じなければなりません。主を信頼し,主の約束に希望を抱かなければならないのです。この聖句を忘れないでください。「あなたがたのうち,知恵に不足している者があれば,その人は,とがめもせずに惜しみなくすべての人に与えられる神に,願い求めるがよい。そうすれば,与えられるであろう。」16何とすばらしい約束でしょう。

わたしは全ての人に,これらの方法のどれかを,特に個人の啓示を通して真理を探求するようお勧めします。聖文にあるように,神は真理を探し求める人々にそれを明らかにしてくださいます。インターネットを検索するより努力が必要ですが,それだけの価値があります。

これはイエス・キリストの真の教会であると証します。わたしはその実を,地域社会や,自分の家族を含む何千人もの人々の生活の中に見てきたので,それが真実だと知っています。また,わたしは何年も自分の生活で御言葉を試し,その影響を魂に感じてきたので,それが真実だと知っています。しかし何よりも,聖霊の力を通して受けた啓示によって,自分自身でそれが真実であると学んだので,それが真実だと知っているのです。皆さんもそうするようにお勧めします。イエス・キリストの御名により,アーメン。