2010–2019
強く,また雄々しくあれ
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強く,また雄々しくあれ

わたしたち皆が世間に迎合しない勇気,原則を守る勇気を持ちましょう。

愛する兄弟の皆さん,皆さんと共にこの場に集えるのは何とすばらしいことでしょう。皆さんに話をするこの機会に天の助けがあるように祈ります。

何千もの神権者がこのカンファレンスセンターだけでなく,世界各地の礼拝堂やそのほかの場所に集まっています。わたしたちには互いに共通するものがあります。それは,神の神権を持つようにゆだねられているということです。

わたしたちは,歴史上注目に値する時代にこの地球に住んでいます。わたしたちはほぼ無限の機会に恵まれていますが,多くの課題にも直面しています。そのいくつかはこの時代に特有なものです。

現代の世の中では,道徳的な価値がほとんどないがしろにされ,罪が目に余るほどあらわになり,わたしたちは,細くて狭い道からそれさせようとする誘惑に囲まれています。道徳にかなったものを打ち壊す,この世の浅はかな理論と慣習にすり替えようとする圧力と狡猾な影響力に,わたしたちはたえず直面しています。

このような多くの課題があるので,わたしたちは,自らの行く末を左右する可能性のある決断を絶えず行う必要に迫られています。正しい決断をするためには勇気が必要です。断るべきときに「いいえ」と言う勇気,そうすることが適切なときに「はい」と言う勇気,正しいと分かっていたら,それを行う勇気が必要です。

今日の社会は,主が与えられた価値と原則から急速に離れる傾向にあるため,わたしたちはほぼ間違いなく,自分が信じていることを擁護するように求められるでしょう。わたしたちには,そうする勇気があるでしょうか。

大管長会の一員として長い間奉仕したJ・ルーベン・クラーク・ジュニア管長は次のように言っています。「信仰があると思っている人が,自分の信仰をすべて表明することによって信仰心のない同僚にあざ笑われるかも知れないと思い,信仰を曲げたり弱めたり,信仰の価値を損ねたり,ひいては信仰を否定するふりさえすることがあります。そのような人は偽善者なのです。」1誰もそのようなレッテルを貼られることを望んではいませんが,場合によっては,自分の信仰を表明することにためらいを感じることはないでしょうか。

もしわたしたちが正しい場所にいて,思いが善へ向かうような影響を受け,主の御霊が共におられるような活動に参加するなら,正しいことを行う望みを持つよう自分自身を支えることができます。

少し前に,進学のために家を離れる息子に父親が与えた次の勧告について読んだことを思い出します。「自分がいるべきではない場所にいると感じたら,そこから出なさい!」皆さん一人一人に同じ助言をします。「自分がいるべきではない場所にいると感じたら,そこから出てください!」

わたしたちは皆,絶えず勇気を持つ必要があります。日々の生活には勇気が必要です。非常に重要なときだけではなく,わたしたちを取り巻く状況に対して決断したり対応したりするときに,より頻繁に勇気が必要となります。スコットランドの詩人であり小説家であったロバート・ルイス・スティーブンソンは言っています。「日常の勇気は,ほとんど人の目に留まることはないが,人からの励ましや称賛の言葉を受けなくても,その勇気は高貴なものである。」2

勇気は様々な形で現れます。キリスト教作家のチャールズ・スウィンドルはこう記しています。「勇気は戦場でだけ発揮されるものでもなければ,単に家に押し入った泥棒を勇敢に取り押さえることだけでもない。勇気の本当の試金石は,もっと目立たないところにあるのだ。それは,誰も見ていなくても忠実さを保つ,……理解されなくても信念を貫くといった,内なる心の試しなのだ。」3この言葉にわたしはさらにこう付け加えたいと思います。このような内なる勇気とは,恐れを感じるときでも正しいことを行い,人からあざけられるとわかっていても信仰を擁護し,友人や社会的な地位を失う恐れがあるときでさえ信念を貫くことです。確固として正しいことを擁護するには,時として人から拒絶されたり,嫌われることも覚悟しなければなりません。

第二次世界大戦中,アメリカ合衆国の海軍に従事していたとき,勇敢な行い,勇猛の実例,勇気の模範を見ました。18歳の水兵の静かな勇気を決してわすれることができません。彼は末日聖徒ではありませんでしたが,祈ることを恐れず,250人の部隊の中でただ一人,ベッドの横にひざまずいて毎日祈りをささげていました。ときには,信仰心のない隊員からあざけられることもありましたが,頭を垂れて神に祈りました。彼は決してたじろぎませんでした。勇気を持っていたのです。

つい先ごろ,このような心の勇気が明らかに欠けていると思われる例を耳にしました。友人の一人が,夫と共に自分のワードの霊的な聖餐会に出席し,信仰を高められたことについて話してくれました。アロン神権の祭司の職を持つ若い男性が,福音が真実であること,戒めを守ることの喜びについて話をしたとき,出席していた全員が心を打たれました。彼は白いシャツにネクタイを締めて,清潔できちんとした身なりで壇上に立ち,心を込めて感動的な証を述べました。

その日,しばらく経ってから,この夫婦が近所から離れた場所を車で走らせていると,つい数時間前に非常に霊的な話をしたこの同じ若い男性の姿を見ました。しかし,そのときの姿は,先ほどとは全く異なっていました。うす汚れた服装で歩道を歩き,たばこを吸っていたのです。この夫婦は,非常に落胆し,悲しくなっただけでなく,聖餐会で非常に強い確信を持って証をした人が,その直後に,どうして全くの別人になるのか,理解することができませんでした。

兄弟の皆さん,皆さんはどこにいても,何をしていても,同じ人物ですか。天の御父がこうあって欲しいと望んでおられる人物ですか。こうあるべきだと自分が思っている人物ですか。

末日聖徒であり,有名なアメリカNCAAのバスケットボール選手であるジャバリ・パーカーは,アメリカ全国版の雑誌のインタビューで,父親から受けた最高の助言は何かという質問についてこう答えました。「〔父は〕明るいところにいても,暗いところにいても,全く同じ人物でありなさいと言いました。」4兄弟の皆さん,これはわたしたちすべてにとって大切な助言です。

聖文は,わたしたち一人一人が今日必要とする勇気の模範に満ちています。預言者ダニエルは,祈ったら殺すと脅されたときでさえ,祈る勇気を示し,正しいと知っていることを擁護するために非常に大きな勇気を示しました。5

アビナダイも勇気ある人でした。彼は,真理を否定するよりもむしろ喜んで自分の命を差し出しました。6

ヒラマンに従った二千人の青年たちの模範には誰もが鼓舞されるでしょう。彼らは,純潔で聖くあるように教えた親の教えに従うために必要な勇気について教え,その模範を示しました。7

おそらく,これらの聖文の話は,モロナイの模範で締めくくることができるでしょう。モロナイも最後まで義を守る勇気を持っていました。8

預言者ジョセフ・スミスは,生涯を通じて,勇気の模範を数多く示しました。預言者ジョセフとほかの兄弟たちがお互いに鎖につながれて―想像してください,お互いが鎖につながれているのです―,ミズーリ州リッチモンドの裁判所の隣にある粗末な小屋に拘束されていたとき,最も劇的な出来事の一つが起こりました。一緒に拘束されたパーリー・P・プラットは,ある夜のことについてこう記しています。「わたしたちは真夜中過ぎまで,寝たふりをして横になっていた。何時間もの間,番兵が口にする卑猥な冗談や聞くに耐えない汚い言葉 ,恐ろしい瀆神の言葉 ,下品な話に耳も心も苦痛にさいなまれた。」

プラット長老はこう続けています。

「聞いているうちに,強い不快感と,憤りと,嫌悪感を覚えた。義憤がこみ上げてきて,立ち上がって 番兵どもを叱責せずにはいられなくなった。すぐ隣にはジョセフがいて,彼が目を覚ましているのを知っていたが,わたしはジョセフにも,ほかのだれにも,何も言わなかった。突然,ジョセフが立ち上がり,雷鳴のとどろきか,ライオン雄叫びのような声で,わたしの覚えているかぎり次のように言った。

『黙れ 。……イエ ス・キリストの御名によっておまえたちを叱責し,口をつぐむよう に命じる。もう一 刻たりともそのような言葉を聞いてはいられない。そのような話をやめよ。さもなければおまえたちかわたしのどちらかが,今すぐ死ぬことになるぞ。』」

プラット長老が記しているように,ジョセフはものすごい威厳をもって,立ちました。彼は鎖につながれ,武器も持ってはいませんでしたが,冷静で威厳にあふれていました。部屋の隅に後ずさりし縮こまったり,ジョセフの足元にうずくまり怯える番兵を,ジョセフは見下ろしました。このどう見ても手に負えない男たちが許しを請い,おとなしくしました。9

勇気ある行いが常にこのような劇的な結果をもたらすわけではありませんが,心の平安と権利と真理を守ることができたという思いは常に得られるのです。

大衆受けする考え方という変わりやすい不安定な砂地に根を下ろすなら,信念を確固として保つことは不可能です。正しいと知っていることを強くしっかりと守りとおすには,ダニエル,アビナダイ,モロナイ,そしてジョセフ・スミスのような勇気が必要です。彼らは,簡単なことではなく,正しいことを行う勇気をもっていました。

わたしたちは皆,恐れを感じ,あざけられ,反対に遭うことがあるでしょう。わたしたち皆が世間に迎合しない勇気,原則を守る勇気を持ちましょう。妥協せずに勇気を示す人に,神はほほえんでくださいます。勇気とは,雄々しく命を差し出すことだけではなく,確固として高潔に生きることでもあると理解されるとき,勇気は力強い,魅力ある徳となるのです。わたしたちが正しい生活を送るために努力して前進するとき,あるべき姿で生きる努力をするなら,間違いなく主からの助けを受け,主の言葉に慰めを見いだすでしょう。わたしは,ヨシュア記に記されている主の約束が大好きです。

「わたしはあなたを見放すことも,見捨てることもしない。……

……強く,また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも,あなたの神,主が共におられるゆえ,恐れてはならない。おののいてはならない。」10

愛する兄弟の皆さん,確固とした勇気をもって,使徒パウロと共に宣言しましょう。「わたしは〔キリストの〕福音を恥としない。」11そして,その同じ勇気をもって,パウロの勧告に従いましょう。「言葉にも,行状にも,愛にも,信仰にも,純潔にも,信者の模範になりなさい。」12

激しい紛争は起きてはまたやみますが,人の魂を勝ち取る戦いには終わりはないのです。主の御言葉はラッパの響きのように,皆さんに,わたしに,そして至る所にいる神権者に響きわたります。「それゆえ,今や人は皆,自分の義務を学び,任命されている職務をまったく勤勉に遂行するようにしなさい。」13そうすれば,わたしたちは,使徒ペテロが述べたように,まさに「王国の神権者」14となり,目的において一つに結ばれ,高いところから力を授けられるのです。15

今晩一人一人が決意をしてこの部会を後にし,いにしえのヨブと共に,勇気を持って次のように言うことができますように。「わたしの息がわたしのうちにあ〔る〕…間,……わたしは……潔白を主張してやめない。」16そのとおりになりますようにへりくだって祈ります。イエス・キリストの御名により,アーメン。

  1. J・ルーベン・クラーク・ジュニア, “The Charted Course of the Church in Education”改訂版(1994年),7

  2. ロバート・ルイス・スティーブンソン,in Hal Urban, Choices That Changes Lives (2006年),122

  3. チャールズ・スウィンドル,in Urban, Choices That Changes Lives, 122

  4. ジャバリ・パーカー,“10 Questions,” Time,2014年3月17日, 76.

  5. ダニエル6章 参照。

  6. モーサヤ11:2017:20参照

  7. アルマ53:20-2156参照

  8. モロナイ1-10章参照

  9. Autobiography of Parley P. Pratt,パーリー・P・プラット・ジュニア編 (1938年), 210–211

  10. ヨシュア1:5,9

  11. ローマ1:16

  12. 1テモテ4:12

  13. 教義と聖約107:99

  14. 1ペテロ2:9参照

  15. 教義と聖約 105:11参照

  16. ヨブ27:3,5