愛―福音の真髄
    脚注

    愛―福音の真髄

    この現世の旅を共にしている同胞を愛さないならば,本当に神を愛することはできません。

    愛する兄弟姉妹の皆さん,救い主は人々の中で教え導いておられたとき,律法学者から次のような質問をお受けになりました。「先生,律法の中で,どのいましめがいちばん大切なのですか。」

    マタイの記録によれば,イエスはこうお答えになりました。

    「『心をつくし,精神をつくし,思いをつくして,主なるあなたの神を愛せよ。』

    これがいちばん大切な,第一のいましめである。

    第二もこれと同様である,『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。』」1

    マルコはこの話を,救い主の次の御言葉で結んでいます。「これより大事ないましめは,ほかにない。」2

    この現世の旅を共にしている同胞を愛さないならば,本当に神を愛することはできません。同様に,わたしたち全員の御父であられる神を愛さないならば,完全に同胞を愛することはできません。使徒ヨハネは次のように言っています。「神を愛する者は,兄弟をも愛すべきである。この戒めを,わたしたちは神から授かっている。」3わたしたちは皆,天の御父の霊の子供であり,したがって兄弟姉妹です。この真理を心に留めておくと,神の全ての子供たちを愛するのが容易になります。

    実際,愛はまさに福音の真髄であって,イエス・キリストはわたしたちの模範であられます。主の生涯は愛の遺産です。主は病める者を癒やし,虐げられた者を抱き上げ,罪人を救われました。最後には,怒った群衆が主の命を取りました。それでもなお,ゴルゴタの丘から次の御言葉が聞こえてきます。「父よ,彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか,わからずにいるのです。」4この御言葉には現世における究極の哀れみと愛が表れています。

    愛の表れである特質はたくさんあります。優しさ,忍耐,無私の心,思いやり,赦し。あらゆる人との交わりの中で,わたしたちはこれらの特質やその他の特質によって,心に抱いている愛をはっきりと示すことができます。

    通常,わたしたちの愛は互いに日々交わる中で示されます。何よりも大切なのは,誰かの必要に気づいて応じる能力でしょう。次の短い詩の中で表現されている気持ちを,わたしはいつも大切にしてきました。

    人の必要に気づかずに,

    枕を涙でぬらした夜は

    数知れない。

    だが,ほんの少し人に尽くしすぎたからといって

    悔やんだことは

    一度もない。5

    最近,愛にあふれた優しさの一例である感動的な話について知りました。その結末は予期せぬものでした。1933年,世界大恐慌のために就職先を見つけるのが困難だった時期のことで,合衆国東部での話です。アーリーン・ビーセカーは,高校を卒業したばかりでした。長く続いた職探しの後,ついに縫製工場で衣服を縫う仕事を得ました。工場で働く人たちは,毎日自分が縫ってきちんと仕上げた数だけ支払いを受けました。たくさん仕上げればそれだけ賃金が増えるのです。

    工場で働き始めて間もないある日,アーリーンはある手順のところで行き詰まり,困惑といらだちを覚えました。ミシンの前に座り,縫い物を完成させるために,失敗した箇所をほどこうと試みました。助けてくれる人は誰もいないように思われました。他の縫製員は皆,できる限り多くの衣服を仕上げようと急いでいたからです。アーリーンは自分の無力さを感じ,絶望的になりました。そして静かに泣きだしました。

    アーリーンの真向かいに座っていたのがバーニス・ロックでした。バーニスは年上で,縫製員としても先輩でした。アーリーンが困り果てているのに気づき,バーニスは自分の作業をやめてアーリーンの傍らに行き,優しく方法を教え,手伝ってあげました。そしてアーリーンが自信を得て,無事に仕上げられるまでついていてあげたのです。その後,バーニスは自分のミシンに戻りました。ただ,手伝っていなければ仕上げることができていたであろう,たくさんの衣服を仕上げる機会を逃してしまいました。

    この一つの愛にあふれた優しさの行いによって,バーニスとアーリーンは生涯の友となりました。やがてそれぞれ結婚し,子供ができました。1950年代のあるとき,教会員だったバーニスはアーリーンとその家族にモルモン書を1冊贈りました。そして1960年,アーリーンと彼女の夫と子供たちはバプテスマを受けて教会員になりました。後に,神の聖なる神殿で結び固められました。

    きっかけはバーニスの思いやりでした。相手のことはよく知りませんでしたが,困り果てて助けを必要としていた人を,自分のことは後回しにして助けに行きました。こうして思いやりを示した結果として,今では生者も死者も含めて無数の人たちが福音の救いの儀式を享受しているのです。

    日々の生活の中で,わたしたちには周りの人に愛と優しさを示す機会があります。スペンサー・W・キンボール大管長は次のように述べています。「駐車場,オフィス,エレベーターなど,様々な所で会う人は皆,神がわたしたちに愛し仕えるようにと望んでおられる人々であることを忘れないでください。もし周囲にいる人たちを自分の兄弟姉妹として見ることができないとしたら,人類は皆兄弟であるなどと言っても,何の益にもなりません。」6

    愛を示す機会は思いがけないときに訪れることがよくあります。そのような機会の例が,1981年10月の新聞記事で紹介されました。その中で述べられていた愛と思いやりに深く胸を打たれたので,わたしは記事を切り抜いて30年以上ファイルに保存してきました。

    記事によれば,乗客150人を乗せてアラスカ州アンカレジからワシントン州シアトルへ向かっていたアラスカ航空の直行便が,重傷を負った子供を運ぶために迂回してアラスカの辺境の町に向かいました。2歳の男の子が,自宅近くで遊んでいたときに転び,ガラスの破片で腕の動脈を切ってしまったのです。町はアンカレジの南方450マイル(725キロ)にあり,もちろん飛行経路からは外れていました。しかし,現場で治療に当たった医師たちが必死に協力を要請した結果,男の子が病院で治療を受けられるように,この飛行機が迂回して男の子を乗せ,シアトルへ連れて行くことになりました。

    その辺境の町の近くに飛行機が着陸したとき,医師たちはパイロットに,男の子は出血がひどく,シアトルまで飛んでいては命が持たないことを告げました。そこで,病院がある最寄りの都市アラスカ州ジュノーまで,さらに飛行経路から外れて200マイル(320キロ)飛ぶことになりました。

    男の子をジュノーに運んだ後,飛行機は予定より数時間遅れてシアトルに向かいました。乗客のほとんどが約束や乗り継ぎの飛行機に間に合いそうにありませんでしたが,不平を言う人は誰もいませんでした。それどころか,時が刻々と過ぎていく中で,彼らは寄付金を集め,男の子とその家族のために相当な額を集めました。

    飛行機がシアトルに着陸しようというとき,乗客は大きな歓声を上げました。男の子は助かるとの無線連絡を受けたと,パイロットがアナウンスをしたのです。7

    わたしは次の聖句の言葉を思い浮かべました。「この慈愛はキリストの純粋な愛であって,……終わりの日にこの慈愛を持っていると認められる人は,幸いである。‎」8

    兄弟姉妹の皆さん,愛を示す最も重要な機会の幾つかは,わたしたち自身の家庭の中で訪れます。愛は家族生活のまさしく中心にあるべきものですが,そうなっていないことがしばしばあります。あまりに多くのいらだちや言い争い,けんか,そして涙が見られることがあります。ゴードン・B・ヒンクレー大管長は次のように嘆いています。「自分の〔最も〕愛する〔人たち〕に,荒々しい言葉を頻繁にぶつけるのはなぜでしょうか。……ナイフのように人を深く傷つける言葉をときどき口にするのはなぜでしょうか。」9これらの問いに対する答えは人によって異なるかもしれませんが,肝心なことは,理由は重要ではないという点です。もし互いに愛し合いなさいという戒めを守ろうとするのであれば,互いに優しさと敬意をもって接しなければなりません。

    もちろん,厳しい態度を執る必要があるときもあるでしょう。しかし,教義と聖約に記されている勧告を覚えておきましょう。すなわち,人を責める必要があるときには,その後,一層の愛を示すということです。10

    わたしたちが周りの人の考えや気持ち,状況にいつも心を配り,敏感であろうと努めるようにと願っています。人の名誉を傷つけたり,人をけなしたりしないようにしましょう。その代わりに,思いやり深くあって,人を元気づけましょう。不用意な言葉や行いによって他の人の自信を打ち砕くことのないように気をつけなければなりません。

    赦しは愛と切り離して考えることができません。家族の中で,また友人との間で,心が傷つき,仲たがいすることがあります。この場合もやはり,たとえ最初はどんなに小さな問題であったとしても,それが心をむしばみ,腐敗させ,最終的には破壊してしまうのを放置することなどできませんし,そうすべきではありません。相手を非難しても傷はふさがりません。赦しによってのみ癒やされるのです。

    もう亡くなった愛らしいご婦人が,ある日わたしとの会話の中で不意に悲しい話をしてくれました。何年も前に近所の農夫との間で起こった出来事です。かつては仲の良い友人でしたが,その女性とご主人は,時折その人と言い争うことがありました。ある日,その農夫から,自分の土地まで近道をするためにお宅の敷地を通ってもよいかと尋ねられたそうです。ここまで話したところで女性は一瞬沈黙し,声を震わせながらこう言いました。「モンソン兄弟,わたしはそのときもその後も,その人を通してあげずに,彼の敷地まで遠回りさせてしまったのです。わたしは間違っていました。後悔しています。その人はもう亡くなりましたが,『本当にごめんなさい』と言えたらどんなにいいでしょう。優しくするチャンスがもう一度あったなら,と心から思います。」

    彼女の話を聞きながら,ジョン・グリーンリーフ・ホイッティアの深い悲しみの言葉が心に浮かびました。「舌が語り,ペンがつづる悲しい言葉の中で,最も悲しい言葉はこうだ。『しようと思えばできていたのに! 』11兄弟姉妹の皆さん,互いに愛と優しい心遣いをもって接するとき,わたしたちはそのような後悔を避けることができるでしょう。

    愛は目に見える様々な方法で表現されます。ほほえむこと,手を振ること,優しい一言を口にすること,褒めること。次のような方法で,よりさりげなく表現されることもあります。相手がしていることに関心を示すこと,優しく忍耐強く原則を教えること,病気の人を見舞い,家から出られない人を訪問すること。ここに挙げたものや,他にも様々な言葉や行いを通して,愛を伝えることができます。

    著名なアメリカの著述家であり講演家であるデール・カーネギーは,人はそれぞれ「孤独な人や落胆している人に心からの称賛の言葉を少しばかりかけることによって」世界の幸福度を高める力を秘めている,と確信していました。彼はこう言っています。「恐らく皆さんは今日かけた優しい言葉を明日には忘れてしまうことでしょう。でも,かけてもらった人はその言葉を一生大切にするかもしれません。」12

    わたしたちが今から,まさに今日から,家族であろうと友人であろうと,あるいは単なる知り合いやまったく知らない人であろうと,神の全ての子供たちに愛を示し始めますように。毎朝起きるときに,どのようなことが起ころうとも愛と優しさをもって応じると決意しましょう。

    兄弟姉妹の皆さん,わたしたちに対する神の愛は人の理解を超えるものです。この愛のゆえに,神はその御子を遣わしてくださり,御子はわたしたちが永遠の命を得られるように御自分の命をささげるほどに,わたしたちを愛してくださいました。この比類のない賜物について理解するにつれて,わたしたちの心は永遠の御父と,救い主と,全ての人に対する愛で満たされることでしょう。そうなることを,イエス・キリストの聖なる御名によって切に祈ります,アーメン。

    1. マタイ22:36-39

    2. マルコ12:31

    3. 1ヨハネ4:21

    4. ルカ23:34

    5. 作者不詳,リチャード・L・エバンズ“The Quality of Kindness,” ImprovementEra, 1960年5月号,340で引用

    6. The Teachings of Spencer W. Kimball,エドワード・L・キンボール編(1982年),483

    7. “Injured Boy Flown to Safety,” Sitka Daily Sentinel (Alaska),1981年10月22日付参照

    8. モロナイ7:47

    9. ゴードン・B・ヒンクレー「愛を生活の道しるべに」『聖徒の道』1989年7月号,69参照

    10. 教義と聖約121:43参照

    11. “Maud Muller,” The Complete Poetical Works of John Greenleaf Whittier(1878年),206に収録,強調付加

    12. デール・カーネギーの言葉,ラリー・チャン, Wisdom for the Soul(2006年),54などで引用