2010–2019
イエス・キリストの贖罪から得られる個人の強さ
脚注

Hide Footnotes

テーマ

イエス・キリストの贖罪から得られる個人の強さ

イエス・キリストの贖罪により,わたしたちは皆清くなることができ,背きの重荷は軽くされます。

最近,アイダホ州から来た実に印象的な青少年のグループと会う機会に恵まれました。その中の一人の高潔な若い女性から,「わたしたちが生活の中で,今この時期に実践しなければならない最も大切なことは何だと思われますか」と尋ねられました。わたしは,生活の中でイエス・キリストの贖罪の力を認識するようになることを提案しました。今日,わたしはその力の持つ一つの側面,すなわち,イエス・キリストの贖罪を通して受けられる個人の強さについて説明します。 

モルモン書の中には,アンモンとその同僚たちが「野蛮でかたくなで残忍な民」1のもとへ行ってイエス・キリストの福音を教えた,という記録があります。民の多くが改宗し,自分たちの罪深い行いを捨て去ることを選びます。その改心が完璧だったために,彼らは武器を地中に埋め,二度と使わないという聖約を主と交わします。2

その後,改宗しなかった同胞の多くが攻撃を仕掛け,彼らを殺し始めます。ところが,今や忠実な民となっていた彼らは,武器を取って自分の霊の命を危険にさらすよりも剣の前に屈することを選びます。彼らの義にかなった模範のおかげで,彼らよりも多くの人々が改宗し,背きに使う武器を投げ捨てたのです。3

アンモンを通じて,主はこの民を導き,ニーファイ人の中に避難させられます。そして,この民はアンモンの民という名前で知られるようになります。4長年にわたりニーファイ人は彼らを守ってきましたが,やがてニーファイ人の軍隊が弱くなり始めたために,援兵がどうしても必要になります。5

アンモンの民は,自分たちの霊の命にとって重大な岐路に立たされます。彼らはそれまでずっと聖約に忠実であり,決して武器を取ることはありませんでした。しかし,父親には家族を守る責任があるということも理解していました。6その責務は,彼らの交わした聖約を破ることを考えるに値するほど,大きなもののように思われました。7

思慮深い神権指導者であったヒラマンは,主と交わした聖約を破ることは決して正当化されないと知っていました。そこで,ヒラマンは霊感に満ちた選択肢を提案します。アンモンの民の息子たちは父親と同じ罪を犯しておらず罪ありとされたことがないので,同じ誓いを立てる必要がないことを思い起こさせました。8息子たちは非常に若かったのですが,肉体的には屈強であり,さらに大切なことは,徳高く,汚れがないという点でした。また,母親の信仰によって強められてもいました。9こうして彼らの預言者であり指導者であるヒラマンの指揮下に入ったこの青年たちは,父親に代わって自分たちの家族と家庭を守ったのです。10

この重要な決断にかかわる一連の出来事は,イエス・キリストの贖罪が神の子供たちの生活にどのように個人の強さをもたらすかを示しています。父親たちの気持ちを考えてみましょう。自分たちの過去の背きのために,危急の時に妻や子供を守れないと知って,どのような思いになったでしょうか。今や息子たちが直面しなければならなくなった過酷な状況をじかに知っていたため,きっとひそかに涙を流したでしょう。本来,子供ではなく父親が家族を守るはずだからです。11父親たちの悲しみの深さがうかがえます。

霊感を受けた神権指導者が,再び武器を取ることを考え始めた父親たちに対して「彼らが……滅びることになりはしないかと」懸念したのはなぜだったのでしょうか。12主はこう宣言されています。「見よ,自分の罪を悔い改めた者は赦され,主なるわたしはもうそれを思い起こさない。」13 この忠実な父親たちは,罪を悔い改めてから長い時間が経過していて,イエス・キリストの贖罪によりすでに清められていました。それなのに,なぜ自分の家族を守らないように勧告されたのでしょうか。

イエス・キリストの贖罪によって人が清められるというのは,根本的な真理です。わたしたちは清く汚れのない者となることができます。しかしながら,愚かな選択をしたときには,長期間にわたってその結果を受けなければならないこともあります。悔い改めを完遂するうえで不可欠な段階の一つは,過去の罪がもたらすそうした短期および長期の結果に耐えることにあります。自分たちが行った選択のために,アンモンの民の父親たちは過去に肉欲にさらされた経験があります。そしてその肉欲は再び彼らの弱点となる恐れがあり,サタンはそこに付け入ろうとするでしょう。

サタンは,かつて罪を犯したというわたしたちの記憶を利用して,自らの影響下に引き戻そうとします。その誘惑を避けるために,わたしたちは絶えず警戒していなければなりません。忠実なアンモンの民の父親たちも似た状況にありました。忠実な生活を何年も続けていたとしても,過去の罪の記憶に引き込もうとする力から自分を霊的に何としても守る必要があったのです。

数多くの戦いの合間に,司令官モロナイは最も弱い町を幾つか選んで防備を固めるよう指示を出しました。「またテアンクムは,彼らに堀の内土手の上に木材で胸壁を築かせ,さらにその胸壁に堀から上げた土を盛らせた。このように……町を木材と土から成る非常に高い丈夫な防壁で囲んだ。」14司令官モロナイは,強さを生み出すためには弱い部分の防備を固めなければならないことを理解していたのです。15

アンモンの民の父親たちの状況もおおむね同じでした。自分たちの忠実な生活と過去の不義な行動との間に,より高く,より幅の広いとりでを築く必要があったのです。その息子たちは,義にかなった習慣に伴う祝福を受けていて,同じ誘惑に対してもろくはありませんでした。こうして,自分たちの霊的な幸福を危険にさらすことなく,忠実に家族を守ることができたのです。

過去の愚かな選択の結果から解放されたいと願う人にとって,喜ばしい知らせとは,主が弱さと背きをまったく異なった見方で見ておられるということです。主は悔い改めていない背きに対しては罰を与えると警告される一方で,16弱さについては,常に憐れみをもって語っておられます。17

アンモンの民の父親たちについては,自分の親から誤った伝統を教えられていたことをある程度考慮に入れるべきでしょう。しかし,天の御父の子供は皆,キリストの光とともにこの死すべき世にやって来ます。動機が何であれ罪深い行為は人を霊的に弱めることになり,そこにサタンが付け入ろうとするのです。

幸いにも,彼らは福音を教えられて悔い改め,イエス・キリストの贖罪によって,サタンの誘惑に屈しない,霊的にはるかに強い存在になりました。彼らは過去の残忍な性質に戻りたいという誘惑は感じていなかったようですが,それでも,預言者に従うことで,「人々をだまし,巧みに地獄に誘い落とす」18機会をサタンに与えませんでした。救い主は贖罪によって彼らを罪から清めただけでなく,彼らが神権指導者の勧告に従順であったので,彼らを弱さから守り,強めることができたのです。罪を捨てるという,謙遜で,生涯変わることのなかった彼らの決意は,家族を守るために戦場で成し得るどのようなことよりもはるかに大きな影響をもたらしました。彼らの服従はいかなる祝福も彼らから奪い去りませんでした。服従は彼らを強め,祝福し,数多くの将来の世代をも祝福したのです。

この物語の結末は,主の憐れみによっていかに「弱さを強さに変え」19ていただけるかを示しています。この忠実な父親たちは息子たちをヒラマンに託して戦場に送り出しました。息子たちは激しい戦場で戦い,皆何らかの傷を負いますが,一人として命を失った者はいませんでした。20この若者たちは,疲れ切ったニーファイ軍にとって,またとない援軍となりました。戦地から帰還した彼らは,忠実で,霊的に強くなっていました。家族は祝福され,守られ,強められたのです。21現在でも,モルモン書を研究する無数の人が,この汚れのない,義にかなった息子たちの模範によって教化されています。

だれもが,人生のどこかで愚かな選択をしたことがあります。だれであろうと,イエス・キリストの贖罪による贖いの力がどうしても必要なのです。わたしたちは皆,いかなる背きをも悔い改める必要があります。「主なるわたしは,ほんのわずかでも罪を見過ごしにすることはないからである。」22見過ごしにされないのは,主のような者となるためには何が必要かということを,主が御存じだからです。

わたしたちの多くが,自分の人格の中で改善しなければならない弱さを見過ごしにしています。わたしたちはアンモンの民のように,サタンが付け入ろうとしている過去の過ちとわたしたち自身との間に,イエス・キリストの贖罪によって霊的なとりでを築くことができます。アンモンの民の父親たちは,自分の周囲に霊的な守りとなるとりでを築いたがゆえに,自身にも,家族にも,祖国にも,将来の世代にも,祝福と強さをもたらすことができました。わたしたちも同じです。

それでは,こうした永遠のとりでを築くにはどうしたよいのでしょうか。第1の段階は,真心から,徹底的に,完全な悔い改めをすることです。イエス・キリストの贖罪により,わたしたちは皆清くなることができ,背きの重荷は軽くされます。忘れないでください。悔い改めは罰ではないのです。より栄光に満ちた将来に向かって進む,希望に満ちた道なのです。

天の御父は,わたしたちが自分の弱さと忠実さとの間にとりでを築けるよう,道具を備えてくださいました。次の提案について考えてみてください。

  • 自分自身のために聖約を交わし,儀式を受けてください。次に,自分の先祖の身代わりとして神殿で儀式を施せるよう,確実に一貫して取り組んでください。

  • 教会員でない人やあまり活発ではない家族や友人と福音を分かち合ってください。真理を分かち合うことによって,自分の生活に新たな熱意が生じます。

  • どんな教会の召しであっても忠実に奉仕をしてください。特にホームティーチングや家庭訪問の責任ではそうです。毎月15分だけのホームティーチャーや訪問教師にならないでください。そうではなく,家族の一人一人に助けの手を差し伸べてください。相手を個人的に知るように努めてください。ほんとうの意味で友人となってください。愛ある行いにより,彼ら一人一人にどれほど深い関心を寄せているかを示してください。

  • 最も大切なことは,自分自身の家族に仕えることです。伴侶や子供の霊的な成長を最優先してください。家族一人一人を助けるためにどんなことができるか,心を配ってください。時間と関心を惜しみなくささげてください。

これら一つ一つの提案には,共通するテーマがあります。人生を人に対する奉仕で満たす,ということです。天の御父の子供たちへの奉仕のために自分の命を失うことで,23サタンの誘惑は皆さんの人生の中でその力を失うことでしょう。

天の御父が皆さんを深く愛しておられるので,イエス・キリストの贖罪はその効力を及ぼせるのです。これはすばらしいことではないでしょうか。皆さんの中には,愚かな選択の重荷を感じたことのある人が大勢いることでしょう。しかし,皆さん一人一人が,主の赦しと憐れみと強さからもたらされる,高める力を感じることができます。わたしが実感してきたように,皆さん一人一人もそう実感できることを証します。イエス・キリストの御名により,アーメン。