2010–2019
あなたがたはもはや異国人ではない
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あなたがたはもはや異国人ではない

この教会には,異国人も部外者もいません。兄弟姉妹がいるだけです。

わたしたちの多くは一度ならず,新しい状況に置かれたために,不慣れや不安を感じたことがあるでしょう。約5年前にトーマス・S・モンソン大管長がわたしを教会幹部として奉仕するように召したとき,そのような状況がわたしの家族に起こりました。この召しを果たすためには,20年以上家族が慣れ親しんだ美しい場所から引っ越すことが必要でした。妻とわたしは,この変化を知った直後の子供たちの反応を今でも覚えています。16歳の息子は声高に言いました。「まったく問題ないよ。みんなは行きな。ぼくは残るから!」

その後息子は,程なくしてわたしたちと一緒に行く決心をし,人生の新しい機会を忠実に受け入れました。新しい環境で過去数年間過ごしたことは,わたしの家族にとって楽しい学びの機会となりました。それは特に,末日聖徒の温かい歓迎と善意があったからです。わたしたちは様々な国で生活してきたので,この地上の神の民の一致が現実的で確実なものであることを理解するようになりました。

わたしはこの召しを通して,多くの国々を訪れ,多くの集会を管理する特権に恵まれてきました。数々の集会に出席することにより,多くの国や言語,または文化を代表する会員の皆さんに会うことがよくあります。この福音の神権時代ですばらしいのは,地理的な区域や国境に制限を受けないことです。教会は世界中に広がっています。教会は「地の四方からその子らを」1集めることにより,神の御子の栄えある再臨に備えています。1

教会の会員は多様性を増していますが,わたしたちの神聖な受け継ぎは,その違いを越えて浸透しています。教会の会員として,わたしたちはイスラエルの家に迎えられています。兄弟姉妹となり,同じ霊的な血統の同等の相続人となります。神はアブラハムに「この福音を受け入れるすべての者は〔彼〕の名によって呼ばれ,〔彼〕の子孫と見なされ,立ち上がって〔彼〕を〔彼らの〕父としてたたえるであろう」2と約束しておられます。

教会の会員となるすべての人に対する約束があります。「そこであなたがたは,もはや異国人でも宿り人でもなく,聖徒たちと同じ国籍の者であり,神の家族なのである。」3

この「異国人」を表すstrangerという言葉は,ラテン語のextraneusから来ていて,「外側」または「外部から」を意味します。この言葉は通常,出身,文化,見解,宗教などの様々な理由で「部外者」である人を指します。この世にあってこの世の者にならないように努力しているイエス・キリストの弟子として,わたしたちは自分が部外者であるかのように感じるときがあります。異なっていると思われている人に,ある種の機会が与えられないことが数多くあるのを知っています。

時代を通じて神の民は,異国人や異なっているように見えるすべての人の世話をするように戒めを受けてきました。旧約の時代では,異国人は寡婦や孤児と同様の親切なもてなしから恩恵を受けました。寡婦や孤児と同じように,異国人は非常に弱い立場にあり,その生存は地元の住人から受ける保護にかかっていました。イスラエルの民はこの問題に関して次のような明確な指示を受けました。「あなたがたと共にいる寄留の他国人を,あなたがたと同じ国に生れた者のようにし,あなた自身のようにこれを愛さなければならない。あなたがたもかつてエジプトの国で他国人であったからである。」4

イエスは地上で教え導かれた間,親切と寛容の基本的な義務をはるかに越えた模範を示されました。主は,社会から疎外された人々や,自分は義人であると信じる人から拒まれ,汚れていると見なされていた人々を,哀れみ尊重されました。これらの人々も同じように主から教えと導きを受けたのです。

例えば,救い主は,その時代に確立していた習慣を気に留めず,サマリヤの女に話しかけて水をお求めになりました。主は取税人とともに席に着いて食事をされました。重い皮膚病を患う人に近づき,その人に触れて癒すことをためらわれませんでした。ローマの百卒長の信仰をたたえ,主は群衆に向かってこのように言われました。「よく聞きなさい。イスラエル人の中にも,これほどの信仰を見たことがない。」5

イエスは,普遍的で無条件の賜物である完全な愛の律法を守るようにわたしたちに求め,次のように言われました。

「あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて,なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。

兄弟だけにあいさつをしたからとて,なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。

それだから,あなたがたの天の父が完全であられるように,あなたがたも完全な者となりなさい。」6

この教会には,異国人も部外者もいません。兄弟姉妹がいるだけです。永遠の御父についてわたしたちが持っている知識は,兄弟姉妹の間の愛に対してもっと敏感になるように助けてくれます。この兄弟姉妹の間の愛は,地上のすべての男性と女性の間に存在するべきなのです。

小説『レ・ミゼラブル』の一節が,外来者と目される人に神権者はどう接したらよいかを説明しています。ジャン・ヴァルジャンは,ちょうど囚人の状態から放免されたところでした。長い旅と死ぬほどの飢えと渇きでくたくたになって,小さな町にたどり着き,食事ができる所と一晩の宿を探していました。彼が町に来たといううわさが広まると,すべての住人は一人また一人と,皆彼に対して扉を閉ざしました。ホテルも,小さな宿屋も,監獄さえも中に入れてはくれませんでした。拒絶され,追い出され,追放されたのです。最後に力尽きて,その町の司教の家の玄関で崩れるように倒れました。

この善良な聖職者は,ヴァルジャンの過去にすっかり気づいていました。しかし,彼はこの浮浪者を家に招き入れて,次のような憐れみ深い言葉をかけました。

「『ここは私の家ではなくて,イエス・キリストのお家です。この家の戸ははいって来る人に向かって,その名前を尋ねはしません。ただ心に悲しみのあるなしを尋ねます。あなたが苦しんでいられ,飢えと渇きを感じていられるならば,あなたは歓待せられます。……何であなたの名前を知る必要がありますか。それにまた,あなたが(名前)を言われない前から私はあなたの一つの名前を知っています。』

〔ヴァルジャンは〕驚いた目を見開いた。

『本当ですか。あなたは私が何という名前か知っていられたのですか。』

『そうです。』と司教は答えた。『あなたの名前は私の兄弟というのです。』」7

この教会では,ワードや定員会はわたしたちに所属しているのではありません。イエス・キリストに所属しているのです。教会の集会所に入る人はだれでもくつろぎを感じるべきです。あらゆる人を歓迎する責任はかつてないほど大切です。わたしたちが住むこの世界は,大きな変動の時期を経験しています。交通手段や通信速度の向上と経済のグローバル化により,地球は一つの大きな村になりつつあります。そこで人々や国々がかつてないほどの頻度で会い,つながり,交わっています。

これらの広大で全世界に及ぶ変化は,全能の神の計画によるものです。地の四方から主の選民を集めることは,遠くの国々に宣教師を派遣するだけで起こるのではなく,わたしたちの住む都市や近所に人々がほかの地域から移って来ることによっても起こるのです。多くの人が,知らないうちに,主に導かれて福音に耳を傾け,主の群れに入ることができる場所に導かれているのです。

これから皆さんのワードで福音に改宗する人は,皆さんの友達や知人ではないというのは非常によくあることです。そのことは,その人の外見,言語,服装,肌の色で分かるでしょう。その人は,異なった背景や生活様式を持った別の宗教の中で育った人かもしれません。

フェローシッピングは大切な神権の責任です。アロン神権定員会とメルキゼデク神権定員会は,ビショップの指示の下で姉妹たちと一致して働き,確実に各人が愛と親切をもって歓迎されるようにします。ホームティーチャーと訪問教師は,忘れ去られたり,無視されたりする人がだれもいないように見守るでしょう。

わたしたちは皆,ワードや支部の中で霊的な一致を築くためにともに働く必要があります。完全な一致の模範は,キリストがアメリカ大陸を訪れられた後に神の民の間にありました。モルモン書にはこのように記されています。「レーマン人とか何々人とか言われる者もなく,彼らは一つであり,キリストの子であり,神の王国を受け継ぐ者であった。」8

異なっている,あるいは弱く見える会員を無視したり,孤立させたり,わたしたちに似た人とだけ関係を持ったりしていては,一致を達成することはできません。そうではなく,一致は新しい人や特別なニーズを持った人々を歓迎し,彼らに仕えることによって得られるのです。こうした会員は,教会にとって祝福となり,隣人に仕える機会をわたしたちに提供し,その結果として,わたしたちの心が清められるのです。

そのようなわけで兄弟の皆さん,教会の建物の入口に来る人がだれであっても手を差し伸べることが皆さんの責任なのです。感謝の心で偏見を捨てて,歓迎してください。もし,知らない人が集会に入って来たら,温かくあいさつをして,一緒に座るように招き入れてください。彼らが皆さんのところに来るのを待つのではなく,むしろ歓迎され愛されていると感じられるように皆さんから先に行動を起こしてください。

初めに歓迎した後,その人に仕え続けることができる方法を考えてください。あるワードで二人の聴覚障がいのある姉妹のバプテスマの後に,二人のすばらしい扶助協会の姉妹が,この新しい改宗者と上手に話ができるように,手話を学ぶ決意をしたと以前に聞いたことがあります。福音における同胞の兄弟姉妹に対する何とすばらしい愛の模範でしょうか。

天父にとって,異国人は一人もいないことを証します。天父にとって,大切でない人は一人もいないのです。ペテロとともに次のように証します。「神は人をかたよりみないかたで,神を敬い義を行う者はどの国民でも受けいれてくださる……。」9

主が御自分の羊を終わりの日に集められるとき,わたしたち一人一人に「わたしが……旅人であったときに〔あなたは〕宿を貸し〔てくれた〕」と声をかけてくださるように祈ります。

そうすると,わたしたちは主にこのように言うでしょう。「いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸しましたか。」

すると,主は答えられるでしょう。「あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは,すなわち,わたしにしたのである。」10

イエス・キリストの御名により,アーメン。