2010–2019
主に信頼を寄せる
2013年10月


主に信頼を寄せる

イエス・キリストの福音の回復というすばらしいメッセージを伝えるために,自分ができることをしてください。

最近,バラード姉妹とわたしはヨーロッパ5か国を訪問するという割り当てを果たし戻って来ました。旅行中,多くの宣教師と会う特権を頂きました。皆さんの息子さんや娘さんにも会ったかもしれません。モンソン大管長が若い男性と女性の伝道に出ることができる年齢を引き下げると発表して以来,それに応じた宣教師のうち3,000人以上に会う機会がありました。彼らはキリストの光で顔を輝かせ,意欲的にこの業を進めようとしています。求道者を見つけ,教え,バプテスマを施し,活発化に取り組み,神の王国を強め,築こうとしているのです。しかし,彼らに会うとすぐ,宣教師だけでこの業はできないということに気づきます。今日,わたしはすべての教会員に向けてお話をしたいと思います。なぜなら,わたしたち一人一人が福音を伝える活動に携わることが急務となっているからです。

幾度も引用されている通り,預言者ジョセフ・スミスは「結局のところ,最も偉大で最も重要な義務は福音を宣べ伝えることです」と断言しています(『歴代大管長の教え―ジョセフ・スミス』330)。

1974年,スペンサー・W・キンボール大管長は次のように言いました。「伝道を行う最大の理由は,世の人々に福音を受け入れる機会を提供することだと思います。聖典には,福音を教えよとの戒めやそれに伴う約束,その召しや報いについてたくさん書かれています。ここで戒めという言葉を意図的に使いましたが,それは,このことがわたしたち個人としても全体としても逃れることのできない重要な指示だと思われるからです。」(「この世が改宗するとき」『聖徒の道』1984年9月号,1)

同じ年の7月,バラード姉妹とわたしは子供たちを連れてカナダ・トロント伝道部を管理するために出発しました。キンボール大管長の言葉,特に次の言葉が,まだ耳に強く残っていました。「兄弟姉妹の皆さん,わたしたちは自分にできるすべてのことをしようとしているでしょうか。福音を人々に教える取り組みに自己満足していないでしょうか。教会はこれまで144年にわたり伝道活動を行ってきました。歩みを速める用意はできたでしょうか。わたしたちの視野を広げる用意はどうでしょうか。」(『聖徒の道』1984年9月号,3)

キンボール大管長はまた,歩みを速め,教会と神の王国の建設のために一致して働くように勧告しました。

今年の6月,トーマス・S・モンソン大管長は教会員に向けて,次のような言葉で同じ呼びかけをしました。「人々を主のもとへ導くために,会員と宣教師が団結し,力を合わせて,主のぶどう園で働く時が今来ています。様々な方法で福音を分かち合うための手段を主は用意しておられます。わたしたちが主の業を成し遂げるために信仰をもって行動するならば,主はわたしたちの働きに力を貸してくださいます。」(「救いの業に寄せる信仰」〔2013年6月23日の特別放送における説教〕,lds.org/broadcasts

兄弟姉妹の皆さん,ジョセフ・スミスの時代から現在までの預言者の教えを思い起こしてみるとよいでしょう。彼らは,天の御父の世界中の子供たちすべてに回復された福音のメッセージを伝える業に熱心に携わるよう教会の指導者と会員に勧め,呼びかけてきました。

今日のわたしのメッセージは,主が確かに御業を速めておられるということです。この時代においてそれは,教会員一人一人が愛をもって手を差し伸べ,イエス・キリストの回復された福音の真理を伝えるときにのみ達成できるのです。わたしたちは現在奉仕している8万人の宣教師とともに力を合わせて働かなければなりません。この大いなる業についての詳細,とりわけステークおよびワード評議会構成員の割り当てについては, LDS.orgの「救いの業を速める」というウェブサイトで分かりやすく説明されています。

わたしたちの調査では,教会の活発会員のほとんどが,愛する人々はもちろん,まったく見ず知らずの人々の生活にも福音の祝福があるよう望んでいることが明らかになっています。同時に,多くの会員が伝道活動に携わって福音を伝えるのをためらうのには二つの基本的な理由があることも分かりました。

  • 第1の理由は恐れです。教会員の多くは福音を伝える機会が与えられるよう祈ることすらしません。それは,自分にはできないと思っていることをするよう天から促しが与えられるかもしれないと恐れているからです。

  • 第2の理由は,伝道活動に対する誤解です。

だれかが聖餐会のお話で,「今日は伝道活動について話します」と言ったり,バラード長老が総大会で同じことを言ったりすると,聴いている皆さんの中には「またか。もう聞き飽きた」と思う人がいることを,わたしたちは知っています。

さて,後ろめたさを感じたい人はいないでしょう。もしかしたら皆さんは,とうていできそうもないことを友人や隣人にするよう求められるのではないかと思っているのかもしれません。主の助けをお借りして,皆さんや専任宣教師が福音を伝えることに対して抱いている恐れを取り除いて差し上げましょう。

イエス・キリストがわたしたちに求めておられることを行う決意をしてください。救い主はこう言われました。

「求めよ,そうすれば,与えられるであろう。捜せ,そうすれば,見いだすであろう。門をたたけ,そうすれば,あけてもらえるであろう。

すべて求める者は得,捜す者は見いだし,門をたたく者はあけてもらえるからである。

あなたがたのうちで,自分の子がパンを求めるのに,石を与える者があろうか。

魚を求めるのに,へびを与える者があろうか。

このように,あなたがたは,……自分の子供には,良い贈り物をすることを知っているとすれば,天にいますあなたがたの父はなおさら,求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。」(マタイ7:7-11 )

兄弟姉妹の皆さん,会員と専任宣教師がひざまずいて祈り,伝道の機会に恵まれるよう主に願い求めるとき,信仰と自信が恐れに取って代わります。そうしたら,その信仰を表し,イエス・キリストの福音を天の御父の子供たちに紹介する機会が来るのに注意を払っていなければなりません。機会は必ず訪れます。そのような機会に,わざとらしい不自然な対応が必要になることは決してありません。わたしたちの胸にある兄弟姉妹への愛がごく自然に現れ,会話が進んでいくはずです。ただ前向きでいてください。そうすれば相手は皆さんの愛を感じることができます。たとえ,その人にとって福音を受け入れる時期でなかったとしても,そのとき感じた気持ちを決して忘れることはないでしょう。将来その人の状況が変わるとき,受け入れる気持ちになるかもしれません。

主の用向きを受けて最善を尽くしているときに失敗はあり得ません。結果は相手の選択の自由にかかっていますが,分かち合う責任はわたしたちにあるのです。

主を信頼してください。主は良い羊飼いです。主は御自身の羊を御存じで,主の羊はその声を知っています。今日,良い羊飼いの声は,皆さんの声であり,わたしの声です。そして,わたしたちがこの業に携わらなければ,回復のメッセージを聞くはずだった多くの人々がその機会を失ってしまいます。端的に言うと,わたしたちにとって,これは信仰と実践の問題なのです。原則はとても簡単です。伝道の機会が与えられるよう,個人と家族で祈ってください。教義と聖約の中で主が言っておられるように,「見いだす場所を知らないということだけで」真理を得られずにいる人が大勢いるからです(教義と聖約123:12)。

外交的な性格も,雄弁さも必要ありません。また説得力のある教師である必要もありません。自分の中に揺るぎない愛と希望があれば,主がこう約束しておられるからです。「この民に向かって声を上げなさい。わたしがあなたがたの心の中に入れる思いを語りなさい。そうすれば,あなたがたは人々の前で辱められることはないであろう。

あなたがたの言うべきことは……その瞬間にあなたがたに授けられるからである。」(教義と聖約100:5-6

『わたしの福音を宣べ伝えなさい』ではこう教えられています。「伝道活動というものは,教える人を見つけるまでは何も起こりません。毎日できるだけ多くの人々に話しかけてください。人々に話しかけることに多少の不安を覚えることは自然です。けれども回復された福音を宣言するため,もっと大胆にあなたの口を開く信仰と力を祈り求めることができます。」(157ページ)専任宣教師の皆さん,もっと多くの人を教えたいと思うなら,毎日もっと多くの人に話しかけなければなりません。これまでもずっと,主はそうするために宣教師を送り出してこられたのです。

主はわたしたちを御存じです。様々な問題を抱えていることも御存じです。わたしも,皆さんの中に重荷を負っていると感じている人がいることを知っています。しかし,普通に,感じよく福音を伝えることを重荷と感じる人が一人もいないように祈ります。むしろ,これは特権なのです! 人生において,主の奉仕の業に熱心に携わること以上に大きな喜びはありません。

最も大切なのは,皆さんが神の霊感を受けることであり,主の指示を仰ぎ,それから御霊に促されるままに行って行うことです。会員が救いの業を責任であるとしか見ることができなければ,おじけづいてしまうかもしれません。しかしそれを,主に従うように招かれていることととらえ,専任の長老や姉妹宣教師の教えを受けられるように人々を主のみもとに導くのだと考えると,感動的で,楽しい,心高まるものとなります。

皆さん一人一人に何もかもしてくださいとお願いしているのではありません。ただすべての会員に祈るようお願いしているのです。それは,若い人も年配の人も,会員一人一人が,今からクリスマスまでの間にたった「一人」の人に手を差し伸べるなら,何百万もの人々が主イエス・キリストの愛を感じることができると知っているからです。救い主へのすばらしい贈り物になることでしょう。

6週間前,会員伝道で大きな成功を経験しているフロリダのマンズ家族から手紙を受け取りました。こう書いてありました。

「親愛なるバラード長老,救いの業を速めることについての放送が終わって30分後,家族で伝道評議会を開きました。10代の孫たちも参加を希望していると知り,感激しました。ここに報告できることをうれしく思います。この評議会以来,家族が宣教師に紹介しようと思う人のリストは3倍に増えました。

孫たちが友人を連れて教会に出席しました。あまり教会に来ていない友人数人と聖餐会を楽しむことができたほか,新しく知り合った何人かが宣教師から福音のレッスンを受ける決意をしてくれました。あまり教会に来ていなかった姉妹の一人は,活発に教会に集うようになっただけでなく,新しい求道者を数人,連れて来てくれました。

これまで,宣教師のレッスンを断った人は一人もいません。この時期に教会員であることは,なんとすばらしいことでしょうか。」(2013年8月15日付の個人書簡)

御霊のささやきに従ってください。熱烈な祈りをもって主に嘆願してください。イエス・キリストの福音の回復というすばらしいメッセージを伝えるために,自分ができることをしてください。

もう一人,会員伝道に成功しているクレートン・クリステンセンの言葉を引用します。「比喩的にですが,だれかの手を取ってイエス・キリストに紹介する度に,わたしとわたしが手を取っているその人に対する救い主の深い愛を感じることができます。」(The Power of Everyday Missionaries: The What and How of Sharing the Gospel〔2013年〕,裏表紙)

兄弟姉妹の皆さん,皆さんに神の祝福があり,信仰によって奇跡を体験することで得られる大いなる喜びを見いだすことができますように。モロナイ書第7章にはこうあります。

「キリストは言われた。『あなたがたはわたしを信じるならば,わたしの心にかなうことを何事でも行う力を持つであろう』と。……

……奇跡が行われるのは信仰によるからである。天使が人に現れて教え導くのも,信仰による。したがって,もしこれらのことがなくなっているとすれば,それは不信仰のためであり,すべてはむなしいので,人の子らは災いである。」(モロナイ7:33,37

わたしは自分の経験から,主が皆さんの祈りを聞いてくださり,皆さんが今後何年にもわたって天の御父の大切な子供たちにイエス・キリストの福音を紹介する機会に恵まれると証できます。モンソン大管長,わたしたちは聞きました。わたしたち全員がこれからその一人を探します。わたしたちが皆,伝道の奉仕によって得られる大きな喜びを体験することができますように。イエス・キリストの聖なる御名により,アーメン。