2010–2019
小さな,簡単なこと
2013年10月


小さな,簡単なこと

信仰と愛をもって人々に手を差し伸べましょう。

愛する兄弟姉妹,ほんの2,3週間前,わたしは宣教師にメッセージを伝えるためメキシコシティーの宣教師訓練センターにいました。妻とわたしは,ある目的のために数時間早く到着しました。訓練センターの美しい庭やよく手入れされた通りを見て回っていると,数百人いる長老と姉妹たちの顔が幸せに輝いていることにすぐ気づきました。それぞれが新しい言葉を習得し,宣教師としての目的をさらに理解することに集中していました。

わたしはこのすばらしい光景をもっとよく見ようと足を止めながら,アルマが息子ヒラマンに命じた言葉に思いをはせました。アルマは,自分に託されていた記録の一部となる民の歴史を記録し,神聖に保つようにとヒラマンに命じたのです。いつの日か,あらゆる国民,部族,国語の民,民族にこれらの記録がもたらされるようにするためです。

アルマは言いました。

「記録を保存するのはわたしが愚かだからであると,あなたは思うかもしれない。しかし見よ,わたしはあなたに言う。小さな,簡単なことによって大いなることが成し遂げられるのである。そして,小さな手段が度々知者を辱める。

主なる神は偉大な永遠の目的を達するために,様々な手段によって事を行われる。また,ごく小さな手段によって,主は知者を辱め,また多くの人を救われる。」(アルマ37:6-7

純真で若い宣教師を見ると,主の方法がよく分かります。つまり,それは,謙遜な者が「人々にキリストの〔み〕もとへ来るように勧める〔という方法〕です。そのために……イエス・キリストとキリストの贖いを信じる信仰,悔い改め,バプテスマ,聖霊の賜物を受けること,最後まで堪え忍ぶことを通して,彼らが回復された福音を受け入れられるよう助けるのです。」(『わたしの福音を宣べ伝えなさい―伝道活動のガイド』1)

教会員としてわたしたちは,自身の小さな,簡単なことを通して,「多くの人に彼らの行いが誤っていることを納得させ,神について知らせて彼らが救われるように」助けることができます(アルマ37:8)。

ステーク会長とビショップとともに,一人の教会に来ていない会員を訪問したときのことです。わたしたちは彼に,非常に簡単な方法で安息日の祝福について教え,わたしたちの心からの愛を伝えました。彼は答えました。「わたしに必要だったのはただ,だれかに来て,『アブラーソウ』,つまり抱き締めてもらうことだったのです。」わたしはすぐに立ち上がり,彼を抱き締めました。次の日は日曜日でした。その兄弟は家族全員で聖餐会に来てくれました。

わたしたちのワードの会員,マーサは,家庭訪問中にわたしの妻と同僚にもう来ないように言いました。教会に来るのをやめる決心をしていたのです。訪問教師の一人がマーサに,これが最後となるので賛美歌を一緒に歌ってもよいかと聞き,彼女は同意しました。3人で歌っているときに特別なことが起きました。少しずつ,御霊が部屋を満たし始めたのです。全員がそれを感じました。マーサの心は和らぎ始めました。涙を目にいっぱいため,彼女は訪問教師に心の奥底の思いを伝えました。そのとき,自分が,福音が真実であることを知っていると気づいたのです。すると今度は,訪問教師に感謝し,また来てほしいと言いました。その日以来,彼女は訪問教師を喜んで迎えています。

やがてマーサは,下の娘と教会に集うようになりました。それ以降長年にわたって毎週出席し,いつかは夫が教会員になる選択をするという希望を決して失いませんでした。そして,とうとうその日が来たのです。主が彼の心に触れ,彼は二人とともに出席し始めました。その後間もなく,もう一人の娘も来るようになりました。この家族は,家庭に福音の祝福があることでもたらされる真の喜びを感じるようになったのです。その後マーサは,わたしたちのワードの扶助協会会長として忠実に奉仕し,夫もステークの幾つかの召しでよく奉仕しました。これはすべて,賛美歌を歌ったことがきっかけでした。マーサの心の琴線に触れたのは,賛美歌を歌うという小さな,簡単なことだったのです。

スリヤ王の軍勢の長ナアマンは,有力で,武勇に秀でた人でしたが,重い皮膚病を患っていました。(列王下5:1 参照)イスラエル王から治療を受けようとしてもうまくいかなかったので,ナアマンは預言者エリシャの家に行きました。エリシャは使者を遣わして言いました。

「『ヨルダンへ行って七たび身を洗いなさい。そうすれば,あなたの肉はもとにかえって清くなるでしょう。

しかしナアマンは怒って去り,そして言った,『わたしは,彼がきっとわたしのもとに出てきて立ち,その神,主の名を呼んで,その箇所の上に手を動かして,重い皮膚病をいやすのだろうと思った。』

その時,しもべたちは彼に近よって言った,『わが父よ,預言者があなたに,何か大きな事をせよと命じても,あなたはそれをなさらなかったでしょうか。まして彼はあなたに「身を洗って清くなれ」と言うだけではありませんか。』

そこでナアマンは下って行って,神の人の言葉のように七たびヨルダンに身を浸すと,その肉がもとにかえって幼な子の肉のようになり,清くなった。」(列王下5:10-11,13-14 )

わたしたちの預言者トーマス・S・モンソン大管長は,わたしたちに,出て行って,兄弟姉妹を救い出すよう勧めました。「この世は皆さんの助けを必要としています。足もとを支え,手をしっかり握り,精神を励まし,心に霊感を与え,人を救わなければなりません。永遠の祝福が待っています。」(「救助に向かう」『リアホナ』2001年7月号,57 )

助けを必要としている大勢の人たちがわたしたちを待っていることを証します。彼らは,信仰深い兄弟姉妹が手を差し伸べ,小さな,簡単な方法で救い出してくれるのを待っているのです。わたしは多くの時間をかけて,教会に来ていない会員たちを訪問してきましたが,彼らの心はすでに主によって和らげられ,わたしたちの証と心からの愛を受け入れる用意ができていました。わたしたちが手を差し伸べて招くならば,彼らはためらうことなく教会に戻って来ることでしょう。

信仰と愛をもって人々に手を差し伸べましょう。主の約束を忘れないようにしましょう。

「あなたがたはこの民に悔い改めを叫ぶことに生涯力を尽くし,一人でもわたしのもとに導くならば,わたしの父の王国で彼とともに受けるあなたがたの喜びはいかに大きいことか。

さて,あなたがたがわたしのもとに導いてわたしの父の王国に入れるようにした,一人の人とともに受けるあなたがたの喜びが大きいならば,もし多くの人をわたしのもとに導くとすればその喜びはいかに大きいことか。」(教義と聖約18:15-16

主がすべての神の子供たちを愛しておられることを証します。主が生きておられ,わたしたちの贖い主であられることを知っています。イエス・キリストの御名により,アーメン。