2010–2019
聖約を守ることから生じる力と喜びと愛
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聖約を守ることから生じる力と喜びと愛

わたしたち各自は,自分がどれほど救い主を愛しているか,自己評価をしてみるとよいでしょう。その際に,どれほど大きな喜びをもって聖約を守っているかを評価の手がかりにしてください。

最初に,わたしが感動した話を紹介しましょう。

ある日の夕方,夜になる前に羊を家畜小屋へ入れようとして,ある人が5匹の羊を呼びました。ただ一言「おいで」と呼ぶと,家族は興味津々で見守りました。すると,すぐに5匹とも頭を上げて,彼の方を向きました。4匹は彼の方へ走って来て,優しい愛にあふれた手で1匹ずつ頭をなでてもらいました。羊は飼い主の声を知っており,彼が大好きでした。

ところが,5匹目の羊は走って来ませんでした。2,3 週間前に元の飼い主が置いて行った大きな雌羊でした。元の飼い主の話では,その雌羊は粗暴で,言うことを聞かず,いつもほかの羊を迷子にさせていました。新しい飼い主は雌羊を受け取り,逃げ出さないように,2,3日の間牧場の杭につないでおきました。そして,飼い主とほかの羊を好きになるように根気強く教えたのです。雌羊は首に短いロープを結んだままでしたが,ようやく杭から解かれました。

その夕方,家族が見ていると,飼い主は牧場の端にいた雌羊に近づいて行きました。そして再び優しく言いました。「おいで。もうつながれてはいない。自由なのだよ。」優しく手を伸ばし頭をなでると,雌羊はほかの羊と一緒に小屋へ向かって歩き始めたのです。1

この話を踏まえたうえで,聖約を守ることについて,今晩皆さんとともに学ぶために聖霊の助けがあるよう祈ります。聖約を交わして守るということは,自分を天の御父とイエス・キリストに結びつけることを選ぶという意味です。つまり,救い主に従うという決意を固めることです。主を信頼し,贖罪という無窮の賜物を通してわたしたちを罪から解き放すために払ってくださった犠牲に感謝を表したいと願うことです。

ジェフリー・R・ホランド長老はこのように説明しています。「聖約とは拘束力のある霊的な契約です。わたしたちがある特定の方法,つまり,御子である主イエス・キリストの方法で生活し,考え,行動することを御父である神に立てた厳粛な約束です。それに対し,御父と御子,そして聖霊はわたしたちに,永遠の命という完全な栄光を約束しておられます。」2その拘束力のある契約の中で,主が条件をお定めになり,わたしたちはそれを守ることに同意します。聖約を交わして守ることは,救い主のようになるという決意を表すことです。3 理想としては,親しまれている賛美歌の歌詞に,最もよく表現されている態度を身に付ける努力をすることです。「主よ,み旨のまま行かん……主よ,み旨のまま言わん み旨に添いまさん。」4

なぜ聖約を交わし,守るのでしょうか。

1. 聖約を守ることは強さと力と守りを与えます。

ニーファイは示現の中で,聖約を守る民に主がお授けになる大きな祝福を目にしました。「そしてわたしニーファイは,神の小羊の力が,……主の聖約の民のうえに下るのを見た。彼らは義と神の力とをもって,大いなる栄光のうちに武装していた。」5

わたしは最近,愛する新しい友人に出会いました。その姉妹は,神殿でエンダウメントを受けた後,それまで悩まされてきた誘惑に打ち勝つ力を得て強くなったと証していました。

わたしたちは聖約を守るとき,互いに重荷を負い合うための支えとなる勇気と強さも授かります。ある姉妹は,息子が生命を脅かされるような困難な状況に陥ったために悲嘆に暮れていました。扶助協会の姉妹たちは聖約を守る人々であるという信仰心から,彼女は勇気を奮い起こして,息子のために断食して祈るよう姉妹たちに頼みました。別の姉妹は,自分も同様の祈りを姉妹たちに頼めたらどんなによかったかと言いました。数年前,彼女の息子も苦しんでいたのです。家族でその重荷に耐えるために助けを求めていれば,どんなによかったことでしょう。救い主はこう言われました。「互に愛し合うならば,それによって,あなたがたがわたしの弟子であることを,すべての者が認めるであろう。」6

姉妹の皆さん,わたしたちは皆,耐えるべき重荷と分かち合うべき重荷を背負っています。互いの重荷を負い合うようにという勧めは,聖約を守るようにという勧めです。初期の扶助協会の姉妹たちに向けたルーシー・マック・スミスの次の勧告は,現在,かつてないほど重要な意義を持っています。「わたしたちは慈しみ合い,見守り合い,慰め合い,導きを得て,わたしたちすべてがともに天で座に着けるようにしなければなりません。」7これは聖約を守ることと家庭訪問の最も理想的な姿です。

モルモン書は,預言者アルマでさえ反抗的な息子を持つという重荷を背負わなければならなかったことを思い起こさせてくれます。しかしアルマは福音の中で聖約を守る兄弟姉妹に恵まれていました。主に深く帰依し,互いの重荷を負い合うことがどんな意味かを知っていた人たちです。モーサヤ書にあるよく知られた聖句は,息子のために祈りをささげたアルマの深い信仰を語っています。しかし,そこには次のように記されています。「主は……御自分の民の祈りと,御自分の僕……であるアルマの祈りを聞かれた。」8

わたしたちは「人が悔い改めるとき」9主がいつも喜ばれることを知っています。しかし,何よりも願っているのは,子供たちがヘンリー・B・アイリング管長の勧告に従うことです。聖約を交わし,守ることを「早くから始め,絶えず積み重ねる」ようにという勧告です。10 先日,神権指導者と補助組織指導者の評議会で,次のような率直な質問が出て,考えさせられました。「わたしたちはほんとうに,8歳の子供に聖約を守るように期待しているでしょうか。」話し合いの中で,このような提案がありました。神聖なバプテスマの聖約を交わして守るように子供を備える一つの方法として,簡単な約束をして,それを守れるように助けるという提案でした。

忠実な親には,子供の必要を満たすために教える最善の方法を知る資格があります。個人の啓示を求め,それに基づいて行動し,ともに相談し,福音の分かりやすい原則を教えて導くとき,家族を強め,守る力を持てるようになります。家族の中に助けてくれる人もいます。わたしが敬慕する祖父は,簡単な歌を通して約束を守ることの大切さを教えてくれました。歌詞はこのようなものでした。「約束する前に,約束の大切さをよく考えよう。約束したら,心に刻み込んで,忘れないようにしよう。」祖父はその短い歌を愛と確信と力を込めて教えてくれました。祖父自身が,約束したら心に刻み込んでいたからです。

わたしはある賢明な母親を知っています。彼女は自分が交わした聖約を守ろうと努力するときに,意図的に子供たちとともに取り組むようにしています。隣人や友人,ワードの会員たちの重荷を喜んで負い,慰めを必要としている人たちを慰めます。先日,彼女の若い娘が助けを求めて彼女のもとに来たのは意外なことではありませんでした。父親を亡くしたばかりの友人を慰める最善の方法を知りたいと思ったのです。友達を慰める願いは,バプテスマの聖約を守る一つの方法であることを教えるまたとない機会でした。子供が交わす最初の聖約,すなわちバプテスマの聖約を守ることを子供に期待しないとしたら,神殿の聖約を交わして守ることをどうして期待できるでしょうか。

リチャード・G・スコット長老はこう述べています。「わたしたちがこの世に与えることのできる最大の祝福は,福音を教え,聖約を守り,愛に満ちた家庭,すなわち,キリスト中心の家庭が持つ力です。」11 子供が神殿の聖約を交わして守るよう備えるためにそうした家庭を築くには,どのような方法があるでしょうか。

  • 神殿推薦状を受けるのにふさわしくなるとはどういう意味か,ともに答えを見いだす。

  • 聖霊に耳を傾けるにはどうしたらよいか,ともに答えを見いだす。神殿のエンダウメントは啓示によって受けるため,耳を傾けるという非常に大切な技能を身に付ける必要があります。

  • まずバプテスマや聖餐という神聖な象徴から始めて,象徴の効用から学ぶにはどうしたらよいか,ともに考える。

  • 肉体が神聖なものであるのはなぜか,肉体は宮であると言われることがあるのはなぜか,慎み深い服装や身なりは,神殿衣の神聖さにどのように関連しているか,ともに答えを見いだす。

  • 聖文を読んで,幸福の計画がどのようなものかともに見いだす。聖文に書かれている天の御父の計画と贖いについて知れば知るほど,神殿での礼拝がさらに意義深いものとなります。

  • 先祖に関する話をともに学び,家族歴史を探求し,索引作成をして,亡くなった家族や親類のために身代わりの儀式を行う。

  • エンダウメント,儀式,結び固め,神権,鍵など,神殿での礼拝にかかわる言葉がどのような意味か,ともに答えを見いだす。

  • 神殿に行くのは天の御父と聖約を交わすためであり,家に帰って来た後にも聖約を守ることを教える。12

教えるときに,「良いこと,より良いこと,最も良いこと」13という考え方を忘れないようにしましょう。神殿について子供に教えるのは良いことです。子供を備えさせ,聖約を交わして守るよう期待するのは,より良いことです。親が自分のバプテスマと神殿の聖約を喜んで固く守ることを模範によって示すことは,最も良いことです。姉妹の皆さん,わたしたちは子供を養い,教え,聖約の道に沿って成長するよう備えさせるときに,救いの業の中で自分が担う非常に重要な役割に気づいているでしょうか。親が聖約を尊び,守るときに,そのように行う力を持てることでしょう。

2. 聖約を守ることは真の幸福を得るために不可欠です。

トーマス・S・モンソン大管長はこのように教えています。「わたしたちは末日聖徒イエス・キリスト教会の会員として,神聖な聖約を尊ばなければなりません。聖約を忠実に守ることは,幸福になるための条件です。」14 ニーファイ第二書には次のように記されています。「そして,わたしたちは幸福に暮らした。」15 同じ章に前述されていますが,ニーファイとその民は神殿を建てたばかりでした。確かに喜びに満ちあふれた聖約の民にほかなりませんでした。また,アルマ書にはこう書かれています。「しかし見よ,ニーファイの時代からこのかた,ニーファイの民にとって,モロナイの時代……以上に幸せな時はかつて一度もなかった。」16なぜでしょうか。その前の節を読むと,彼らは「主の命令を忠実に守っていた」17ことが分かります。聖約を守る民は戒めを守る民なのです。

わたしの大好きな聖句にはこう書かれています。「人々はこの言葉 〔つまりバプテスマの聖約を述べた言葉〕 を聞くと手をたたいて喜び,『それこそわたしたちが心から望んでいることです』と叫んだ。」18わたしは彼らの心からの望みが大好きです。彼らは聖約を交わし,守りたいと喜んで望んだのです。

ある日曜日のことです。若い姉妹がうれしそうに大きな声で言いました。「今日は聖餐を取ることができるのね!」わたしたちが聖餐にあずかる特権を喜んだのは,今からどれくらい前のことでしょうか。また,特権を喜んでいることをどのように示しているでしょうか。それを示す方法は,常に救い主を覚え,安息日を聖く保つなどの主の戒めを守ることです。また,常に個人と家族の祈りをささげ,毎日聖文を勉強し,毎週家庭の夕べを行って,常に主を覚えることです。そして,このような大切な事柄について不注意になったり,いいかげんになったりしたときは,悔い改めて,もう一度やり直します。

聖約を交わし,喜んで聖約を守るなら,「〔天の御父〕 が持っておられるすべて」19を得るために受ける必要のある非常に神聖な救いの儀式が,効力と意味のあるものになります。ヘンリー・B・アイリング管長は次の教えの中で,儀式と聖約は人生における「霊的に重要な節目」であると述べています。「末日聖徒は聖約の民です。バプテスマを受けた日から,人生における霊的に重要な節目を迎える度に,わたしたちは神に約束し,神もわたしたちと約束されます。神は正しい権能を持つ僕たちを通して与えられた約束を必ず守ってくださいます。しかし,神と約束を交わしてそれを守るかどうかはわたしたちの人生における試しであり,重要な意味を持っています。」20

3. 聖約を守ることは,救い主と天の御父に対するわたしたちの愛を身をもって示すことです。

わたしたちはさらに励んで聖約を守らなければなりませんが,その理由の中で何よりも人の心を強く動かすのは愛です。愛の原則について考えるとき,心を打たれる聖句が旧約聖書にあります。聖書に書かれたヤコブとラケルの愛の物語に感動しない人がいるでしょうか。「こうして,ヤコブは七年の間ラケルのために働いたが,彼女を愛したので,ただ数日のように思われた。」21 姉妹の皆さん,わたしたちはこのような深く献身的な愛をもって聖約を守っているでしょうか。

救い主は御父と交わした聖約を進んで守り,世の罪を贖うために神聖な使命を果たされましたが,それはなぜでしょうか。それは御父への愛とわたしたちへの愛のためです。独り子である完全な御子が,世の罪と苦悩,病,弱さ,および現世のあらゆる不正を背負うために,筆舌に尽くし難い苦痛に耐えられるままにしておくのを,御父が快く良しとされたのはなぜでしょうか。その答えは次の聖句にあります。「神はそのひとり子を賜わったほどに,この世を愛して下さった。」22

「わたしたちのためになされた贖いによって多くの祝福がもたらされたことを十分に理解していれば,主が何をお求めになろうと,わたしたちは精魂を込め,喜んで果たそうと思うようになるに違いありません。」23 ジョセフ・フィールディング・スミス大管長のこの言葉によると,聖約を守ることはわたしたちの救い主,贖い主の人知を超えた無窮の贖罪に対する崇敬の念と,天の御父に対する心からの愛を表す一つの方法なのです。

ホランド長老は感情を込めて言いました。「裁きの日にわたしたちがどのような経験をするのか,わたしには分かりません。しかし,その日,神とのやり取りのどこかで『わたしを愛するか』24とキリストがペテロにお尋ねになったのとまったく同じ質問を,神がお聞きにならないとすれば,わたしはとても驚くことでしょう。」今晩わたしたち各自は,自分がどれほど救い主を愛しているか,自己評価をしてみるとよいでしょう。その際に,どれほど大きな喜びをもって聖約を守っているかを評価の手がかりにしてください。救い主はこう言われました。「わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は,わたしを愛する者である。わたしを愛する者は,わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し,その人にわたし自身をあらわすであろう。」25わたしたちは皆,日々の生活の中で何度も救い主に御自身を現していただく必要が大いにあると言えるでしょう。

忘れないようにしましょう。過去において道を外れた人でも,あるいは現在,悩み苦しんでいる人でも,良い羊飼いの手を頭の上に感じ,その御声がこう言うのが聞こえます。「さあおいで。あなたはもうつながれてはいない。自由なのです。」救い主は言われました。「わたしはよい羊飼である。よい羊飼は,羊のために命を捨てる。」26主がそう言えるのは愛の心で聖約をお守りになったからです。わたしたちもそうしていこうとしているでしょうか。信仰と喜びに満ちた心で,聖約を守る者になりたいという大きな望みをもって前進できますように。これは,天の御父と救い主に対する愛を身をもって示す方法です。御二方について深い愛をもって証します。イエス・キリストの御名により,アーメン。