2000–2009
ともに堪え忍ぶ

ともに堪え忍ぶ

ワードはきわめて大きな試練や悲しい出来事に直面している人々の必要を満たすために組織されています。

何年か前,地元誌で,ユーモアに富んだ記事を書くことで知られるコラムニストが,深く考えさせられるまじめなテーマを採り上げていました。その記事を紹介したいと思います。「ユタに住んでいて毎週教会に行くモルモンは,ワードの会員同士が非常に親しく生活しています。5分前の町の出来事を知らない人がワードにいないほどです。」

そしてこう続けています。「このように顔を突き合わせて生活することによって,ついつい他人の生活に干渉したりすることもありますが,……大きな力ともなっています。」

筆者は続いてこのように記しています。「火曜日に,わたしは職場で正午のニュースを見ていました。交通事故で大破した1台のバンが映し出されていました。若い母親と二人の小さな子供がヘリコプターと救急車で病院の集中治療室に向けて搬送されていました。……数時間後,そのバンはヘリマンにある我が家の向かいに住む若夫婦エリック・キグリーとジーナのものであることを知りました。

キグリー家族とは教会でいつも会っているだけでなく,……事故のあった前日の晩に近所の人たちと集まってディナーパーティーを開いたばかりでした。わたしの孫たちはキグリー家の娘ビアンカとミランダの遊び友達でした。……

1歳2か月のミランダは頭部に受けた重傷により,3日後に初等協会小児病院で亡くなりました。.

こんなときに,親しく生活をしていることが功を奏します。家から数マイルも離れた場所で事故が起きたにもかかわらず,通りがかったワードの会員は,急いで車を止めると,大破した車の中を捜索し始めました。そして,警察や救急隊が到着する前に,ワードの会員たちに事故の一報が行き渡っていました。

会員たちは搬送先の3つの病院に向かい,職場にいたエリックに連絡し,作業班を組織しました。すぐに駆けつけられなかった人たちは,何か手伝うことはないか懸命に探しました。

48時間以内にキグリー家では芝刈りと掃除,洗濯が終わり,冷蔵庫に食べ物が蓄えられ,見舞いに訪れた親しん戚せきに食事が用意され,地元の銀行に支援金の口座が設けられました。もしキグリー家が犬を飼っていたら,シャンプーまでしていたことでしょう。」

筆者は味わいのある言葉で結んでいます。「一人一人の生活をつぶさに知っているわたしたちのワードには良い面があります。……一人に起きたことは全員に起きたことなのです。」(“Well-Being of Others Is Our Business,”Salt Lake Tribune, 2005年7月30日付,C1)

この悲惨な事故に際してワードの会員たちが示した哀れみと奉仕は,この出来事だけに限った特別なものではありません。モルモン書の預言者アルマはキリストに従おうとしていた人々にこう説明しました。「あなたがたは神の羊の群れに入って,神の民と呼ばれたいと願っており,重荷が軽くなるように,互いに重荷を負い合うことを望み,また,悲しむ者とともに悲しみ,慰めの要る者を慰めることを……望んでいる。」アルマが説明しているように,彼らはバプテスマを受ける準備ができていました(モーサヤ18:8-9参照)。この聖文は,最も哀れみに満ちた方法で教え導き,世話をするうえでよりどころとなっています。

ワードはきわめて大きな試練や悲しい出来事に直面している人々の必要を満たすために組織されています。ビショップは,しばしばワードの「父」と見なされ,助言と援助を与えてくれます。さらに,メルキゼデク神権とアロン神権の指導者,扶助協会会長会,ホームティーチャー,訪問教師,ワードの会員たちが待機しています。ワードの会員たちはいつでも身近にいます。必要なときに慰めを与え,哀れみを示すために全員がそこにいるのです。

わたしの身近にもこれまでに幾つもの痛ましい悲劇が起きました。1998年10月に,我が家から東に3軒目の家に住む19歳のザック・ニュートンが交通事故で亡くなりました。

それから2年もたたない2000年7月にニュートン家の真向かいに住む19歳のアンドレア・リチャーズが交通事故で亡くなりました。

2006年7月のある土曜日の午後に,我が家から通りを隔てて北に2軒目の家に住む,帰還宣教師で28歳のトラビス・バースティアンと15歳の妹デジリーが,自動車事故で亡くなりました。

1か月後の2006年8月,我が家の隣に住んでいた32歳のエリック・ゴールドが若くして世を去りました。この近隣にはほかにも,自身と神以外にだれも知らないつらい目に遭って,ひっそりと堪え忍んでいる人たちがいます。

狭い地域の中で5人もの若い人たちが亡くなったことについて,試練の数が多すぎると思う人がいるかもしれません。火急の必要があるときにすべきことを知っている会員が集う,気心の知れた面倒見のいいワードだからこそ,試練の数が多いように感じるのではないかと,わたしは考えます。それは,アルマや救い主の訓戒に従っている会員たちのいるワードです。彼らは,愛と関心を持ち,互いの重荷を負い,悲しむ者とともに悲しみ,慰めの要る者を慰め,ともに堪え忍ぶことを望んでいます。

これらの出来事の度に,わたしたちは愛と奉仕と哀れみが注がれる様子を見てきました。皆にとって心を鼓舞される経験でした。ビショップが到着し,ホームティーチャーと訪問教師が行動を起こし,メルキゼデク神権とアロン神権定員会,扶助協会が物心両面の必要を満たすために編成されました。冷蔵庫に食品を補充し,家を掃除し,芝を刈り,庭木を剪せん定ていし,フェンスにペンキを塗り,祝福が施され,傷ついた心に慰めが与えられました。あらゆるところに会員たちがいました。

いずれの場合も,愛する人を失った家族は,信仰を強め,救い主への愛を深め,贖あがないにいっそう感謝し,精神的,霊的に大きな助けを必要とする自分たちにこたえてくれた組織に対して心からの感謝を表しました。これらの家族は逆境を通して主を知ったと語ります。つらい経験から得たすばらしい経験について語り,悲痛からもたらされ得る祝福について証するのです。彼らは主をたたえ,口をそろえてヨブの言葉を語ります。「主が与え,主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな。」(ヨブ1:21

ワードの会員として互いに重荷を負った経験から,わたしたちは幾つかの教訓を学んできました。

  1. 精神面や霊性面で緊急の支援を必要としている人々を知り,助けるうえで,主の組織は十分に対応できます。

  2. 逆境によって,祈りと贖いについての理解を深め,さらに神に近づくことができます。贖いは,苦痛と苦悩を,それに伴う様々な霊的な顕あらわれを通して,癒いやしてくれます。

  3. 悲劇に直接さいなまれた会員たちは,愛と哀れみ,思いやりが増し加えられるのを経験します。ほかの人々を慰め,哀れみを示すうえで,かつて悲劇を経験した人たちは,まっ先に駆けつける人,最後まで気をかけてあげられる人となれます。そして往々にして最も効果的な働きかけができる人となれるのです。

  4. ともに堪え忍ぶときに,家族と同様,ワードも一つになります。一人に起きたことは全員に起きたことなのです。

  5. 恐らく最も大切なことは,わたしたちがいっそうの哀れみと思いやりを持てるようになることでしょう。なぜなら,わたしたちが各自の試練と経験を通して成長する機会を得るからです。このようにして,わたしたちは,ともに堪え忍ぶことができるのです。

わたしはそのような愛と思いやりにあふれた組織にいることを喜びとしています。互いの重荷を負い,悲しむ者とともに悲しみ,慰めの要る者を慰める方法をこれほどよく知っている人たちはほかにいません。わたしはこれが「ともに堪え忍ぶこと」だと考えています。一人に起きたことは全員に起きたことなのです。

わたしたちがほかの人の重荷を軽くする助けとなれますよう,イエス・キリストの御み名なによって祈ります。アーメン。