2000–2009
パットン夫人――その物語の続き

パットン夫人――

天の御父は彼女の必要を心にかけ,慰めとなる福音の真理を聞いてほしいと思われたのだと,わたしは確信しています。

わたしの同僚であったジェームズ・E・ファウスト管長が今日きょうここにいないことを寂しく思います。そして,ファウスト管長の愛する奥さんとご家族にわたしの愛をお伝えします。ファウスト管長はきっと今,霊界にあって主に仕えていることでしょう。また,新たに支持された中央幹部の兄弟たち,アイリング管長とクック長老,ゴンサレス長老を歓迎するとともに,今後わたしが3人を全面的に支援することを約束します。

38年前,テンプルスクウェアのタバナクルで開かれた総大会において,わたしは,若くして亡くなった幼友達,アーサー・パットンについて話しました。「パットン夫人,アーサーは生きています」1という題名で,アーサーの母親であるパットン夫人に向けて話しました。彼女は教会員ではなかったので,実際にパットン夫人がわたしの話を耳にする望みはほとんどありませんでしたが,希望と愛をもたらす栄えある福音のメッセージを,わたしの声が届くかぎり多くの人と分かち合いたいと思ったのです。最近わたしは,再びアーサーについて話して,わたしの最初のメッセージの後にあった出来事を皆さんに伝えなければならない,という気持ちを強く感じました。

まず,アーサーについて話しましょう。金髪の巻き毛をした彼は,いつも満面に笑みをたたえていました。1940年当時,第二次世界大戦を引き起こした大きな争いがヨーロッパのほぼ全域を襲っていました。クラスでいちばん背が高かった彼は,徴兵官に年を偽って,15歳の若さで海軍に入りました。アーサーをはじめ,ほとんどの少年にとって戦争は大冒険でした。海軍の制服に身を包んだアーサーがどんなに格好良かったかを,今もよく覚えています。わたしたちはもう少し年が上だったら,せめてもう少し背が高かったら入隊できたのに,と思ったものでした。

青年期は,人生でとても特別な時期です。ロングフェローはこう書いています。

美しき若者,その輝きその幻想と願いと夢

人生という書物の中で,青年期は序章であり,

終わりなどないかのようである。この書物の中では,

すべてのおとめはヒロインで,すべての男は友である。2

アーサーの母親は,リビングの窓に飾った青い星をとても誇りにしていました。通りかかる人すべてに,息子が祖国の制服を身に着け,祖国のために熱心に働いていることを示していたからです。パットン夫人は,わたしが通る度にドアを開けて招き入れ,アーサーから届いたばかりの手紙を読んで聞かせてくれました。涙で読めなくなると,わたしに読むようにと頼むのでした。夫のいない彼女にとって,アーサーがすべてでした。

わたしは今でも,手紙を丁寧に封筒にしまうパットン夫人のささくれだった手を鮮明に覚えています。働き者の手でした。パットン夫人は,町のオフィスビルの清掃をして生計を立てていました。日曜日以外は毎日,バケツとブラシを手に歩道を歩く彼女の姿が見えました。白い髪を後ろで一つにまとめた彼女の肩には,重労働の疲れが漂い,年齢のせいで腰は曲がっていました。

1944年3月,戦争が激しさを増す中,アーサーは駆逐艦U.S.S.ドロシーから,空母U.S.S.ホワイトプレーンズに移されました。南太平洋のサイパンで彼の空母が攻撃され,アーサーは多くの戦友とともに海で戦死しました。

パットン家の通りに面した窓に飾られていた青い星は,その神聖な場所から姿を消しました。そして,青い星が表していた人が戦死したことを伝える,金の星がそれに取って代わりました。パットン夫人の人生を照らしていた光が消え,彼女は完全な暗くら闇やみと深い絶望の中をさまよいました。

一介の少年がどんな慰めの言葉をかけられるだろうという思いと祈りを胸に,わたしは通い慣れた道をパットン家に向かいました。

ドアが開き,パットン夫人は自分の息子にするように,わたしを抱き締めました。家は礼拝堂となり,悲しみに打ちひしがれた母親と,頼りない少年がともにひざまずいて祈りをささげました。

パットン夫人は立ち上がると,わたしの目をじっと見詰めてこう言いました。「トミー,わたしはどこの教会の会員でもないけれど,あなたは違う。教えて。アーサーは生き返るかしら。」わたしは力のかぎり,アーサーは確かに生き返ることを彼女に証あかししました。

何十年も前の総大会でこの話をしたとき,「パットン夫人との連絡は途絶えてしまいましたが,『アーサーは生き返るかしら』という彼女の問いかけに再び答えたいのです」と話しました。

わたしは世の救い主について話しました。主は,現在わたしたちが厳粛な思いで聖地と呼ぶ村々の,ほこりっぽい道を歩まれ,盲目の人の目を開き,耳の聞こえない人の耳を開き,足の不自由な人を歩けるようにし,死者をよみがえらせられました。そして優しい愛に満ちた言葉でこう言われました。「わたしは道であり,真理であり,命である。」3

わたしは人生の計画について説明し,その永遠の道が天地の主であるイエス・キリストによってわたしたちに開かれていることを話しました。死の意味を理解するには,人生の目的を十分に理解しなければなりません。

この神権時代に,主が次のように告げられたことを話しました。「さて,まことに,わたしはあなたがたに言う。わたしは初めに父とともにいた。わたしは長子である。」4「人もまた初めに神とともにいた。」5

預言者エレミヤはこう記録しています。

「主の言葉がわたしに臨んで言う,

『わたしはあなたを……つくらないさきに,あなたを知り,あなたがまだ生うまれないさきに,あなたを聖別し,あなたを立てて万国の預言者とした。」6

荘厳な霊の世界から来たわたしたちは,神から命じられたすべてのことに従順であることを証明するために,この人生という壮大な舞台に立っています。現世において,何もできない赤ん坊から,知りたがりやの子供となり,やがて思慮深い大人へと成長します。喜びや悲しみ,達成感や失意,成功や失敗を経験し,人生の甘さと苦さの両方を味わいます。これが,現世です。

そしてだれにも,死という経験が訪れます。免れる人はいません。すべての人が死の門をくぐらなければならないのです。

ほとんどの人にとっては,死と呼ばれる招かれざる客は,不吉でなぞめいています。恐らく,未知なるものへの恐れから,多くの人は死の訪れにおびえるのでしょう。

多くの人は死の訪れにおびえるのでしょう。アーサー・パットンは若くして世を去りましたが,長く生き長らえる人もいます。神が啓示された御み言こと葉ばを通して,わたしたちは「すべての人の霊は,この死すべき体を離れるやいなや,……彼らに命を与えられた神のみもとへ連れ戻される」ことを知っています。7

わたしはパットン夫人とすべての聴衆に,神は決してわたしたちをお見捨てにはならないこと,そして神はその独り子を世に遣わされたこと,また御子はわたしたちがいかに生きるべきかを模範によって教えてくださったことを伝えました。御子は全人類を贖あがなうために十字架上で亡くなられました。嘆き悲しむマルタと弟子たちにかけられた主の御言葉は,今こん日にちのわたしたちにも慰めを与えてくれます。

「わたしはよみがえりであり,命である。わたしを信じる者は,たとい死んでも生きる。:

また,生きていて,わたしを信じる者は,いつまでも死なない。」8

「わたしの父の家には,すまいがたくさんある。もしなかったならば,わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために,場所を用意しに行くのだから。

……またきて,あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」9

わたしは啓示者ヨハネと使徒パウロの証を告げました。ヨハネは書いています。

「死んでいた者が,大いなる者も小さき者も共に,御み座ざの前に立っているのが見えた。

……海はその中にいる死人を出し……た。」10

パウロはこう宣言しました。「アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように,キリストにあってすべての人が生かされるのである。」11

わたしたちは復活の朝までは信仰によって歩むことを,パットン夫人に話しました。「わたしたちは,今は,鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には,顔と顔とを合わせて,見るであろう。」12

わたしはパットン夫人に,イエスが彼女とすべての人を招いておられることを確信をもって伝えました。

「すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。

わたしは柔和で心のへりくだった者であるから,わたしのくびきを負うて,わたしに学びなさい。そうすれば,あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。」13

わたしは,メッセージの中でパットン夫人に向けて,このようなことを知っていれば,心痛に耐えることができ,信仰を持たない悲劇の人に決してならずに済む,と説明しました。そのような人たちは,息子のなきがらを入れたひつぎが母なる大地に埋められるのを見詰めながら「さようなら,わたしの坊や。永遠にさようなら」と,口にすることでしょう。しかし,頭を高く上げ,勇気と揺るぎない信仰を持てば,穏やかに波打つ青い太平洋のかなたを見上げ,「さようなら,愛しい息子,アーサー。さようなら,また会う日まで」とささやくことができる,と話しました。

わたしは,あたかも息子が彼女に語りかけるかのように,テニソンの詩を引用しました。

「夕陽が沈み,空には宵の明みょう星じょうが輝き,

私を呼ぶ澄みきった声が聞こえる!

私が船出をする時,この砂さ州すからは,悲しみの声が漂ってこないことを,

私は切に願う。

黄たそ昏がれの色濃く,夕べの鐘が鳴り響いている,

まもなく,漆黒の夜がやってこよう!

私が遠い船出の旅に出る時,

誰もその別れを悲しまないでほしいのだ。

なぜなら,――たとえ,人間の時間と空間の境界から

さらに遠いところへ,この潮路が私を運んでゆくにしても,

私がこの砂州を無事に渡り終えた時,神と相あい見まみえることを,

私は望んでいるからだ。」14

何十年も前,そのメッセージを終えるに当たり,わたしは特別な証人として,自らの証をパットン夫人に伝えました。父なる神が彼女を心にかけておられ,心からの祈りを通して神と交わることができること,神もまた,主イエス・キリストという御子を亡くされたこと,イエスが御父に対するわたしたちの弁護者,平和の君,救い主,聖なる贖い主であられること,そしてわたしたちはいつの日か,顔と顔を合わせて主にまみえることを証しました。

わたしは,パットン夫人へのこのメッセージが,愛する人を失った人たちのもとにも届き,その心に触れるように,と願いました。

兄弟姉妹の皆さん,これから話すのは,この物語の続きです。1969年4月6日に総大会で話したとき,先ほども話したように,パットン夫人が実際その話を耳にする可能性はほとんどありませんでした。教会員でない彼女が総大会の説教を聞くなど,考えられないことでした。しかしその後,奇跡とも言えるような出来事があったことを知ったのです。テレシー・パットンの引っ越し先であるカリフォルニアで,隣人の末日聖徒が,彼女に総大会の一つの部会の放送を一緒に聞かないか,と誘ったのです。その隣人は,だれがどんなテーマで話すかをまったく知りませんでした。彼女はその誘いに応じました。こうして彼女は,わたしが彼女に向けて個人的にした,まさにあの部会での話を聞いてくれていたのです。

1969年5月の最初の週に届いた手紙を読み,わたしは驚嘆と喜びの声を上げました。それは1969年4月29日のカリフォルニア州パモナの消印が入った,テレシー・パットンからの手紙でした。その一部を読みます。

「親愛なるトミー

トミーと呼ぶことを許してください。わたしの心の中では,あなたはいつもトミーなのです。あなたが語ってくれた,慰めに満ちたお話に対して,どのように感謝を伝えたらよいか分かりません。

アーサーは海軍に入隊したとき15歳でした。そして,19歳の誕生日を迎える1か月前の1944年7月5日に亡くなりました。

あなたがわたしたちのことを思い出してくれたことは,わたしにとって特別なことでした。アーサーが亡くなったときと今回のお話の中で,あなたがわたしにかけてくれた慰めの言葉に,どう感謝していいか分かりません。長年多くの疑問を抱いてきましたが,あなたが答えをくれました。アーサーについて考えるとき,今は平安を感じています。……神の祝福と守りが,いつもあなたとともにありますように。

愛を込めて,

テレシー・パットン」15

兄弟姉妹,わたしが1969年4月の総大会で,特にそのメッセージを伝えようという思いを感じたのは偶然ではなかった,とわたしは信じています。また,パットン夫人が近所の人から総大会の特にあの部会を聞くように誘われたのも,偶然ではなかったと信じています。天の御父は彼女の必要を心にかけ,慰めとなる福音の真理を聞いてほしいと思われたのだと,わたしは確信しています。

パットン夫人が亡くなって久しいですが,天の御父がどのように,夫と息子に先立たれた彼女の必要を満たし,祝福してくださったかを皆さんに伝えるべきだという強い思いを感じました。天の御父がわたしたち一人一人を愛しておられることを,わたしは全身全霊を込めて証します。パットン夫人に対してされたように,天の御父は謙けん遜そんな人々の祈りや,助けを求める叫びを聞いてくださいます。救い主であり贖い主である神の御子は,今日もわたしたち一人一人に呼びかけておられます。「見よ,わたしは戸の外に立って,たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら,わたしはその中にはい〔るであろう〕。」16

わたしたちは戸をたたく音に耳を傾けるでしょうか。その御み声こえを聞こうとするでしょうか。その扉を開けて主に近づき,主がすぐにも与えてくださる助けを受けようとするでしょうか。わたしたちがそうできるように,イエス・キリストの聖なる御み名なによって祈ります,アーメン。