2010–2019
あなたの伴侶としての聖霊
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あなたの伴侶としての聖霊

ふさわしく生活すれば,御霊を伴侶とする祝福を,ときどきではなく,常に受けられるのです。

愛する兄弟姉妹の皆さん,この安息日に主の教会の総大会で皆さんとご一緒できることを感謝します。皆さんと同じようにわたしも,この大会で語られ歌われた真理の言葉を御霊すなわち聖霊が証するのを感じています。

わたしの今日の目的は,バプテスマの後で約束されたあの賜物の効力を求めることを,皆さんがもっと強く望み,もっと強く決意していただくことです。確認の儀式で「聖霊を受けなさい」1 という言葉を聞いた時から,人生は永遠に変わったのです。

ふさわしく生活すれば,御霊を伴侶とする祝福を,ときどきではなく,わたしたちが今日すばらしい経験をしたように,常に受けられるのです。その約束がどのように実現されるかは,聖餐の祈りの言葉から知ることができます。「永遠の父なる神よ,わたしたちは御子イエス・キリストの御名によってあなたに願い求めます。このパンを頂くすべての人々が,御子の体の記念にこれを頂けるように,また,進んで御子の御名を受け,いつも御子を覚え,御子が与えてくださった戒めを守ることを,永遠の父なる神よ,あなたに証明して……」

ここで,そのすばらしい約束が来ます。「 いつも 御子の御霊を受けられるように,このパンを祝福し,聖めてください。」( 教義と聖約20:77 ,強調付加)

いつも御霊を受けるとは,日々の生活の中で聖霊の導きを受けるということです。例えば,御霊の警告を受けることにより,悪いことを行う誘惑を退けることができます。

それだけでも,わたしたちが聖餐会でもっと熱心に神を礼拝するように主の僕たちが導こうとしている理由がよく分かります。信仰をもって聖餐を受けるなら,ますます強く,ますます頻繁にやって来る誘惑から,聖霊はわたしたちと,わたしたちの愛する人々を守ることがおできになるのです。

聖霊を伴侶とすると,良いことにもっと引かれるようになり,誘惑にそれほど魅力を感じなくなります。それだけでも,いつも御霊を受けると決意する十分な理由になるでしょう。

聖霊は悪への抵抗力を増してくださるうえに,真実と誤りを識別する能力も与えてくださいます。最も大切な真理について確証を与えるのは,神の啓示だけです。人間の論理や五官に頼るだけでは不十分です。わたしたちが生きている現代は,聡明な人ですら巧妙なうそと真理を識別するのに苦労する時代なのです。

使徒トマスは救い主の傷跡に触れることによって,復活の物理的な証拠を得たいと望みました。しかし主は彼に啓示の方がもっと確実な証拠であると教えられました。「イエスは〔トマス〕に言われた,『あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は,さいわいである。』」(ヨハネ20:29

神のみもとへ行く道を示す数々の真理について確証を与えてくださるのは聖霊です。森に入って,御父と御子が若きジョセフ・スミスに語るのを見ることはできません。どのような物的証拠や論理も,生ける預言者トーマス・S・モンソンが現在保持し行使している神権の鍵を授けるために,約束どおりにエリヤが来たことを証明することはできません。

聖霊を受ける権利を行使する神の息子や娘たちは,真理について確証を得ることができます。誤りや偽りに出くわす可能性は常にあるので,疑念に惑わされないようにするためには,常に真理の御霊の影響を受ける必要があります。

ジョージ・Q・キャノンは,十二使徒定員会の一員であったとき,常に御霊とともにあるようにと勧告しました。そうすれば,真理の「知識に不足することがなく」,「疑うことも,闇にとどまることもなくなり」,「信仰が強められ,〔わたしたちの〕喜びは満ちる」と約束したのです。2 わたしもそう約束します。

聖霊を伴侶として常に助けを受けることが必要なのには,もう一つの理由があります。愛する人が突然亡くなることがあります。愛する人の死に際して,希望と慰めとなるのは,愛に満ちた天の御父と復活された救い主が生きておられるという,聖霊からの証です。死に直面したとき,それは生ける証でなければなりません。

つまり,多くの理由で,聖霊を常に伴侶とする必要があるのです。たとえ望んだとしても,その状態を保つことが容易でないことは,経験から誰もが承知しています。わたしたちは,普段の思いや言葉や行いによって御霊を傷つけています。慈愛で心を満たし,絶えず徳で思いを飾るときに,聖霊は常に伴侶となってくださると,主は教えられました( 教義と聖約121:45 参照)。

御霊を伴侶とするという賜物にふさわしくなるために,高い標準を満たそうと格闘している人々に,この励ましの言葉を贈ります。皆さんは聖霊の影響を感じたことがあります。あなたにとって,それは今日だったかもしれません。

そのような霊的な瞬間を,アルマが語った信仰の種だと考えて,一粒ずつ植えてみてください( アルマ32:28 参照)。促しに従うことが,種を植えることです。最も大切なのは,神が自分に何をするよう望んでおられるかを教える霊感です。それが什分の一でも,悲しむ友人を訪れることでも,従うのです。何であれ促しに従ってください。従う意思を示すなら,御霊は神の御心を教える霊感をもっと送ってくださるようになるでしょう。

促しに従うにつれ,もっと頻繁に御霊の促しを受けるようになり,常に伴侶である状態に少しずつ近づいていきます。正しいことを選択する力が増すのです。

主のために行動する促しが自分の願望ではなく御霊から来ているかどうか,自分で知ることができます。促しが救い主や主の預言者の言葉と一致しているときには,自信をもって従うことを選択してください。そうするならば,主は皆さんを助けるために御霊を遣わしてくださいます。

例えば,特に難しいと感じるときに,安息日を守るようにという促しを受けた場合,神は御霊を遣わして助けてくださいます。

昔,父がオーストラリアに出張したときに,そのような助けを受けました。日曜日に一人だった父は聖餐を受けたいと思いました。末日聖徒の集会の情報が見つからなかったので,外を歩いてみることにしました。交差点に来るたびに,どちらに進むべきか祈りました。歩き続けて1時間後,また立ち止まって祈ったときに,こちらに行くべきだという印象を受けました。間もなく,近くのアパートの1階から歌声が聞こえてきました。窓をのぞくと,テーブルのそばに数人が座っているのが見えました。白い布で覆われたテーブルの上には聖餐のトレーが置かれていました。

ささいな出来事に思えるかもしれませんが,父にとってはすばらしい経験でした。父は聖餐の約束が成就したことを知っていました。「いつも御子を覚え,御子が与えてくださった戒めを守る〔なら〕,いつも御子の御霊を受けられる」という約束です( 教義と聖約20:77 )。

これは,父が祈ったときに御霊が神の御心を教えてくださった経験の一つにすぎません。皆さんとわたしがしたいと願っていることを,父は長年続けていました。父は決して自分の霊性を語りませんでした。主のために行うようにと促された小さな事柄を行い続けただけです。

末日聖徒のグループから話をするよう頼まれれば,父は必ず応じていました。集まった人が10人でも,50人でも,自分がどれほど疲れていても,構いませんでした。御霊の促しを感じたときはいつも,御父と御子と聖霊と預言者について証しました。

父が教会で受けた最も高い召しは,ユタ州ボネビルステークの高等評議員で,ステーク農場の雑草を取ることが父の担当でした。日曜学校も教えました。長年にわたり,聖霊は父が必要なときにそばにいてくださいました。

わたしは病室で父の横にいました。 ベッドには,わたしの母,父の41年来の妻が横たわっていました。二人で何時間も母を見守りました。母の顔から苦悶の表情が消えていきました。固く握られていた手の指が緩み,腕が体の両側にそっと落ちました。

数十年のがんの苦しみが終わりに近づいていました。平安な表情でした。短い呼吸が数回続き,ハッと息をのむと,動かなくなりました。わたしたちは,呼吸が戻るかどうか待ちました。

ついに,父がささやきました。「故郷に帰ったんだね。」

父は泣きませんでした。それはずっと以前に,聖霊が父に,母が何者で,どこから来て,どのような者になったか,そしてこれからどこへ行くことになるのか,明確に示しておられたからです。愛に満ちた天の御父と,死の力を破られた救い主について,また,父を母と家族に結び固めている神殿の儀式が真実であることについて,御霊は何度も父に証をしてくださいました。

御霊はずっと以前に,その善良さと信仰のゆえに,母には天の家に戻る資格があるということと,そこで母はすばらしい約束の子として迎えられ,敬意をもって歓迎されるということを,父に教えてくださいました。

聖霊の助けがあったので,父にとって,それは単なる希望ではなく,現実でした。

そんな父の言葉や脳裏に描かれた天の家の情景は単なる感傷に過ぎず,妻を亡くしたばかりで判断力が鈍っていたせいだと言う人がいるかもしれません。しかし父は永遠の真理を,唯一可能な方法を通して知ったのです。

父は,科学者として自然科学の真理の探究に,成人してからの全生涯をささげました。世界中の研究者から尊敬を集めるほど,科学的な方法に通じていました。化学における彼の業績の多くは,分子の動き回る様子を心の目で見て,研究室での実験を通して確認することによって得られたものでした。

しかし,彼やわたしたちにとって最も大切な真理を見るためには,別の方式に従いました。人や出来事を,神が御覧になるように見るには,聖霊によって見るしかないのです。

その賜物は,母の死後,病院の中で続きました。家に持ち帰るために母の荷物をまとめました。車へ行く途中,父は看護師と医師に会うたびに立ち止まって感謝しました。わたしは,早く帰って家族だけで母の死を悼むべきだと感じ,少しいらだちを覚えました。

今思えば,父には聖霊を通してしか見えない事柄が見えていたのです。父には彼らが,最愛の妻を世話するために神から遣わされた天使に見えていたのです。本人たちは医療従事者だと思っていたでしょうが,父は救い主に代わって彼らの奉仕に感謝していたのです。

聖霊の影響は,わたしたちが父の家に帰ってきた後も続きました。わたしたちは居間で少しの間話をしました。父は一人になるために,座を外して,すぐそばの自分の寝室に行きました。

数分すると,父が居間に戻ってきました。ほほえみを浮かべながらわたしたちのところに来ると,静かに言いました。「ミルドレッドが独りで霊界に着いたら,大勢の中で迷うんじゃないかと心配になってね。」

そして,明るく言ったのです。「今,祈ってきたんだ。ミルドレッドは大丈夫だ。おばあさんが出迎えてくれたから。」

それを聞いてわたしは,祖母が大勢の人をかき分けて,短い脚で走って,母を出迎えて,抱き締めている様子を想像し,ほほえんだことを覚えています。

さて,父が慰めを求めて,それを受けたのは,一つには,子供のときからいつも,信仰をもって祈る習慣があったからです。慰めや導きとなる答えが,心にもたらされることに慣れていました。祈る習慣だけでなく,聖文と生ける預言者の言葉をよく知っていました。ですから,慣れ親しんだ御霊のささやきを認識できたのです。皆さんは今日そのささやきを感じたかもしれません。

御霊を伴侶とすることは,父を慰め,導いただけではありません。それはイエス・キリストの贖罪を通して父を変えました。御霊が常にともにあるという約束を受け入れるとき,救い主は,神のあらゆる賜物の中で最も偉大な永遠の命を受けるのに必要な清めを与えてくださるのです( 教義と聖約14:7 参照)。

皆さんは,救い主の言葉を覚えているでしょう。「さて,戒め​は​次​の​とおり​で​ある。地​の​果てに​至る​すべて​の​者​よ,​悔い改めて,わたし​の​もと​に​来て,わたし​の​名​に​よって​​バプテスマを​受け​なさい。そう​すれ​ば,あなたがた​は​聖霊​を​受けて​​聖められ,終わり​の​日​に​わたし​の​前​に​​染みの​ない​状態​で​立てる​で​あろう。」( 3ニーファイ27:20

これらの戒めには,次の約束が伴っています。

「さて,まことに,まことに,わたし​は​あなた​に​言う。善​を​行う​よう​に​導く,すなわち,公正​に​行動​し,​へりくだって​​歩み,義​に​かなって​​裁く​よう​に​導く​​御霊​を​​信頼​しなさい。これ​は​わたし​の​御霊​で​ある。

まことに,まことに,あなた​に​言う。わたし​は​あなた​に​わたし​の​御霊​を​授けよう。わたし​の​御霊​は​あなた​の​​思い​を​​照らし,あなた​の​霊​に​​喜び​を​満たす​で​あろう。」( 教義と聖約11:12‐13

父なる神が生きておられ,復活されたイエス・キリストが御自身の教会を導いておられ,トーマス・S・モンソン大管長が神権の全ての鍵を持ち,聖霊による啓示が末日聖徒イエス・キリスト教会とその謙遜な会員を導き,支えていることを証します。

わたしは,さらに皆さんに証します。主イエス・キリストの証人として,また,十二使徒定員会の会員として今日わたしたちに話してくれた,このすばらしい人たちは,神から召されています。彼らを召すようモンソン大管長を御霊が導かれたことを知っています。そして皆さんが彼らの話と証を聞いたとき,今わたしが皆さんに語ったことを聖霊が皆さんに確認してくださいました。彼らは神から召されました。わたしは彼らを支持し愛しています。そして,主が彼らを愛し彼らをその奉仕において支えてくださることを知っています。これらをイエス・キリストの御名により証します,アーメン。

  1. 『手引き 第2部―教会の管理運営』(2010年),20. 3.10

  2. ジョージ・Q・キャノンの言葉。“Minutes of a Conference” , Millennial Star ,1863年5月2日付,275‐276参照