2010–2019
ブリストルの船のように―順風でも逆風でも,神殿にふさわしく
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ブリストルの船のように―順風でも逆風でも,神殿にふさわしく

神聖な福音の原則を忠実に守ることで,わたしたちは神殿にふさわしくあり,現世で幸福を見いだし,導きを受けて天の家に戻ることができるのです。

預言者リーハイはこう宣言しています。「もし義がなければ,幸福はない。」1

サタンは,多くの人々に大きな作り話をうまく信じ込ませています。サタンとその僕たちは,わたしたちに与えられている実際の選択は,この 現世における幸福と快楽来世における幸福 かの二つしかないと言い放ちます(さらにサタンは来世の存在など怪しいものだと主張します)。 サタンが主張する選択肢は間違っていますが,実に魅力的です。2

神の幸福の計画が持つ究極的かつ気高い目的とは,義にかなった弟子と聖約を交わした家族が,この世においては,愛と調和,平安によって結ばれ,3 永遠の世においては,日の栄えの栄光を勝ち得て,創造主である父なる神,そして救い主である愛する御子イエス・キリストとともに住むことです。4

若い宣教師としてイギリス伝道部に召されたときの最初の任地は,当時,ブリストル地区と呼ばれていた所でした。ある地元の教会指導者は,その地域で奉仕する宣教師は「ブリストルの船のようにきちんと」していなければならないと強調しました。

最初は,この指導者の言っている意味が理解できませんでしたが,程なくして「ブリストルの船のようにきちんと」という海に関係した言葉の歴史と意味が分かりました。ブリストルは,かつてイギリスで2番目に多くの船が行き交う港でした。この港は,干満の差が非常に大きく,その差は世界第2位で,43フィート(13メートル)もありました。干潮時には潮が引き,古い船は船底が海底に当たって横倒しとなり,船の構造が不完全だと,損壊することもありました。加えて,何でも,安全な場所にしまったり,くくりつけたりしておかないと,ばらばらに放り出され,壊れてしまいました。5 この言葉の意味が理解できると,先ほどの指導者が言っていた意味も分かりました。宣教師たる者,義にかない,規律を守り,困難な状況に備えていなければならないということだったのです。

同じチャレンジがわたしたち一人一人にも当てはまります。「ブリストルの船のようにきちんと」という言葉を,順風でも逆風でも,「神殿にふさわしく」という言葉に置き換えたいと思います。

ブリストル海峡の干満の差は,ある程度は予測でき,備えることができますが,現世で経験する嵐や誘惑は,ほとんどの場合,予測が不可能です。しかし,これだけは言えます。それは避けられません。わたしたちの誰もが必ず直面するチャレンジや誘惑を克服するには,義にかなった備えと神から授かる守りが必要です。わたしたちには何が起こっても神殿にふさわしくあろうという決意が必要です。備えていれば恐れることはありません。6

現世と来世における幸福は,正義に基づいて相互につながっています。死と復活の間においてすら,「 義人 の霊はパラダイスと呼ばれる幸福な状態,すなわち安息の状態,平安な状態に迎え入れられ〔るのです〕。」7

地上における教導の業をイスラエルで,またその後,ニーファイ人の間で始めたとき,救い主は現世と永遠の世における幸福という問題について語られました。主は儀式を強調されましたが,同時に,道徳的な行いも大いに重視されました。例えば,弟子たちに,義に飢え渇き,憐れみ深くあり,心を清くし,平和を作り出し,その他の道徳的な原則に従うならば祝福を受けると言われました。明らかに,基本的な教義に関わるメッセージとして,主イエスは日々の生活における義にかなった態度と行いを強調されたのです。主の教えは,モーセの律法を構成する要素8 に取って代わり,それを凌駕したのみならず,人間の誤った哲学を払拭しました。

何世紀にもわたって,イエス・キリストの福音は,信仰を鼓舞し,何が義にかない,望ましく,道徳的か,また何が幸福と無上の喜びをもたらすのかに関する行動の基準を確立してきました。ただ,救い主が教えられた原則と基本的な道徳的規範は,今日の世界において,激しい攻撃を受けています。キリスト教が攻撃を受けているのです。道徳的なものが根本から変わってしまったと考える人が大勢います。9

わたしたちは困難な時代に生きています。「悪を善と呼び,善を悪と呼〔ぶ〕」傾向はひどくなる一方です。10 自己強化と世俗主義を強調する世界が大きな心配の原因です。 わたしたちとは異なる信仰のある著名人が,次のように述べています。「新たな時代において,実際的に,人々はより幸福になっているだろうか,その子供たちを取り巻く環境は良くなっただろうか,あるいは社会的正義という大義は十分に果たされているだろうか,あるいはまた,減少し続ける婚姻率や小規模化する家族……は,大多数の人々が感じるより深い孤独,そして全体的な停滞以外の何かを約束してくれるだろうか。残念ながら,わたしはその証拠をほとんど見いだすことができない。」11

救い主の弟子として,わたしたちは計画し,備えるよう期待されています。幸福の計画において,道徳的な選択の自由は中心を成す原則であり,善悪のいずれかを選ぶのかが重要になってきます。12 救い主は,その教導の業を通じて,このことを強調されました。その中には,愚かなおとめやタレントのたとえも含まれます。13 そのいずれにおいても,主は備えと行動を称賛し,引き延ばしと怠慢を非難されました。

神の神聖な計画に圧倒されんばかりの幸福が見いだされるにもかかわらず,そのような幸福は現状からは程遠く,関係ないものと感じられることがあるのをわたしは理解しています。悪戦苦闘する弟子として,手の届かないものと感じられることがあります。わたしたちの限られた物の見方では,目の前の誘惑や娯楽は,魅力的に見えるかもしれません。その反面,誘惑に立ち向かったことで得られる報いは,高嶺の花で自分のものにできないと感じられるかもしれません。しかし,御父の計画を真に理解すれば,義にかなった生活による報いは,今すぐにでも手に入れることができるのです。不道徳な行為などの罪悪が幸福をもたらすことは決してありません。アルマは息子のコリアントンにこう明言しています。「悪事は決して幸福を生じたことがない。」14

わたしたちの教義について,アミュレクは アルマ書第34章32節 で明確に述べています。 「見よ,現世は人が神にお会いする用意をする時期である。まことに,現世の生涯は,人が各自の務めを果たす時期である。」

では,このような困難な時代に,どのように備えればいいでしょうか。神殿にふさわしくなることに加えて,義にかなった生活を送るのに役立つ原則がたくさんあります。次のことを強調したいと思います。

1.義にかなった自制心と行動

わたしたちは自分自身の小さな子供たちが学び,成長する姿を見守るときに喜びを感じます。その同じ喜びをもって,愛にあふれる天の御父は,わたしたちを眺めておられると思います。わたしたちは皆,転んだり,倒れたりしながら,経験を積んでいきます。

わたしはディーター・F・ウークトドルフ管長が2010年に行った大会説教を聞いて,すばらしいと思いました。15  1960年代にスタンフォード大学で行われた有名なマシュマロの実験に関する話です。4歳の子供たちに,マシュマロを1個あげたときのことを思い出すでしょう。15分から20分,食べずに我慢できたら,二つ食べることができるというのです。マシュマロを食べないために多くの子供たちが行った動作を示すビデオも作成されました。中には食べてしまった子もいます。16

昨年,この最初の実験を行った教授,ウォルター・ミッシェル博士は,1冊の本を書きました。彼は,その中で,この研究の発端となったのは,一つに,自らの自制心と喫煙依存症に関する懸念だったと語っています。同教授は,合衆国公衆衛生局長官が肺がんの原因は喫煙であると結論づけた1964年の報告後,特に,不安を抱いたのです。17 何年もの研究に基づき,彼の教授仲間の一人が,次のように報告しています。「自制心は筋肉のようなものである。それは使えば使うほど丈夫になる。 何らかの誘惑を一度避けることで,将来直面する他の誘惑に抵抗する能力を伸ばすことができる。」18

永遠の進歩に関する一つの原則は,自制心を働かせ,義にかなった生活を送ることで,誘惑に立ち向かう能力は高まるということです。この原則は霊的な事柄にも,肉体的な事柄にも当てはまります。

教会の宣教師が,そのすばらしい模範です。彼らはキリストのような特質を伸ばし,従順と霊性を重んじます。厳しいスケジュールを守り,毎日,周囲の人々に奉仕します。見た目も控えめで,目立ちません。最近の流行を追った普段着のようなだらしない服装はしていません。その行動と外観は,道徳的で,真剣なメッセージを人々に伝えます。19

現在,宣教師として奉仕している若人,あるいは過去5年間に,伝道の奉仕から帰還した若人は,およそ23万人います。彼らは,すばらしい霊性と自制心を身につけています。こうした特質は,これからも働かせ続ける必要があります。さもなければ,使わない筋肉のように退化していくからです。わたしたちは誰もが,キリストに真に従う者であることを宣言する行動と外観を身につけ,実践しなければなりません。義にかなった行動あるいは健全で,控えめな外観を顧みない人は,喜びも幸福ももたらさない生き方に自らをさらすことになります。

回復された福音は,幸福の計画の詳しい内容を教えるとともに,それを理解し,自制心を働かせ,誘惑を避けるきっかけを与えてくれます。また,罪を犯したとき,どのように悔い改めればよいかを教えてくれます。

2.安息日を尊ぶことで,より義にかなった生活を送れるようになり,家族を守ることができる

初期のキリスト教会は,主の復活を記念するために,安息日の遵守を土曜日から日曜日に変更しました。それ以外,安息日の基本的かつ神聖な目的に関する変更は加えられませんでした。ユダヤ人とキリスト教徒にとって安息日は大いなる神の業を象徴するものです。20

妻とわたしは,二人の同僚とそれぞれの伴侶とともに,最近,ユダヤ人の安息日,シャバットに参加しました。親しい友人のロバート・アブラムズとダイアン夫人のニューヨークにある自宅に招待されたのです。21 それはユダヤ人の安息日の初めの日に当たる,金曜日の夕方に始まりました。 焦点は,創造主である神を尊ぶことに当てられていました。家族の祝福と安息日の賛美歌で始まりました。22 わたしたちは,お祝いの雰囲気に包まれた中,儀式として行う手洗い,パンの祝福,祈り,律法にのっとった食事,聖文の暗唱,安息日の歌に参加しました。 わたしたちは英語の翻訳を目で追いながらヘブライ語の言葉を聞きました。最も心温まる聖文は,旧約聖書から読み上げられた安息日を喜びの日と宣言する,わたしたちにとっても親しみのあるイザヤ書からの引用と23 エゼキエル書からの次の引用でした。安息日は「わたしとあなたがたとの間のしるしとなって,主なるわたしがあなたがたの神であることを,あなたがたに知らせるためである。」24

このすばらしい夜に受けた圧倒されんばかりの印象は,家族愛,献身,神への責任を忠実に果たそうとする態度から来るものでした。この集会について考えているとき,わたしはユダヤ人が何世紀にもわたって受けた極端なまでの迫害に思いをはせました。確かに,安息日を尊ぶことは「永遠の契約」であり,聖文に記された約束の成就として,ユダヤ人に守りと祝福を与えてきました。25 また,この戒めは,多くのユダヤ人の生活を見れば明らかですが,彼らのすばらしい家庭生活や幸福に貢献してきました。26

末日聖徒イエス・キリスト教会の会員にとって,安息日を尊ぶことは,義にかなった生活の一形態であり,家族を強め,祝福し,創造主とのつながりをもたらし,幸福を増し加えてくれます。安息日は,取るに足りない,不適切な,あるいは不道徳的なものとの関係を断つのに役立ちます。この戒めにより,わたしたちは世の中にあっても,世のものとならずに済むのです。

これまでの6か月間に,最も特筆すべき変化が教会で起こりました。このような変化が起こったのは,大管長会と十二使徒定員会が安息日を改めて重視し,ラッセル・M・ネルソン長老が安息日を喜びとするようチャレンジしたからです。27 安息日を心から聖く守ることは,この世の嵐を経験するときに守りとなることを多くの会員は理解しています。 またそうすることは,天の御父に対するわたしたちの献身のしるしであり,聖餐会の神聖さに関する理解が深まったことを意味します。まだ,なすべきことは多いですが,良いスタートを切りました。皆さんが,続けて勧告に従い,安息日の礼拝をより良いものとするようお勧めします。

3.神の守りは,わたしたちが義にかなった生活を送るときに与えられる

神の神聖な計画の一環として,わたしたちは聖霊の賜物を授かります。この賜物は「ふさわしいときにはいつでも,聖霊がともにおられるという権利です。」28 神会の一員であるこの御方は,福音を最優先する人の霊を清める役割を果たされます。 この御方は,罪悪に対する警告の声,危険に対する防御の声を発してくださいます。人生の海原を航海するとき,聖霊が与えてくださる印象に従うことは,実に大切なことです。御霊は誘惑や危険を避けられるようわたしたちを助け,試練を乗り越えられるよう慰め,導いてくださいます。「御霊の実は,愛,喜び,平和,寛容,慈愛,善意,忠実で〔ある〕。」29

神聖な福音の原則を忠実に守ることで,わたしたちは神殿にふさわしくあり,現世で幸福を見いだし,導きを受けて天の家に戻ることができるのです。

愛する兄弟姉妹,人生は生易しいものではありませんし,そのように意図されてもいません。人生は試練や苦難を経験する時期なのです。ブリストル港に浮かぶ古い船のように,潮が引き,自分たちをいつも浮かばせてくれるはずのものが全て消えてなくなるように思われることもあるでしょう。船底が海底に着いてしまったり,横倒しになったりすることすらあるかもしれません。そのような試練の中にあっても,わたしは皆さんに約束します,神殿にふさわしい生活を送り,そのような生活を送り続けるならば,本当に大切なものは全て保たれます。心地よい平安,幸福,そして喜びの祝福が,天の御父と御子イエス・キリストとともに住むことのできる永遠の命と日の栄えの祝福に加えて,実現されるでしょう。イエス・キリストの御名により,アーメン。

  1. 2ニーファイ2:13 。この聖句は,モルモン書の中に見られる対句法の一つである。興味深いことだが,モルモン書に収められている文書や説教を記した預言者の多くがこの文学的なアプローチを用いて,重要な教義的概念を強調している。例えば, 2ニーファイ9:25 (ヤコブ); 2ニーファイ11:7 (ニーファイ)参照

  2. 2ニーファイ28章 参照

  3. 4ニーファイ1:15-17 参照

  4. 教義と聖約59:23 参照

  5. ウィクショナリー,“shipshape and Bristol fashion”wiktionary.org参照

  6. 教義と聖約38:30 参照

  7. アルマ40:12 ,強調付加

  8. 末日聖徒版聖書(英語)マタイ5章 の章の要約文参照

  9. カール・シダーストロム,“The Dangers of Happiness”, New York Times ,2015年7月19日付,Sunday Reviewの項,8参照

  10. 2ニーファイ15:20

  11. ロス・ダウサット,“Gay Conservatism and Straight Liberation”, New York Times ,2015年6月28日付,Sunday Reviewの項,11

  12. 2ニーファイ2章 参照

  13. マタイ25:1-30 参照

  14. アルマ41:10

  15. ディーター・F・ウークトドルフ「忍耐し続ける」

  16. ウォルター・ミッシェル, The Marshmallow Test:Mastering Self-Control (2014年)参照。ジャコバ・リスト,“What the Marshmallow Test Really Teaches about Self-Control”, Atlantic ,2014年9月24日,theatlantic.comも参照

  17. ミッシェル, The Marshmallow Test ,136-138参照

  18. マリア・コニコバ,“The Struggles of a Psychologist Studying Self-Control,” New Yorker ,2014年10月9日付,newyorker.com参照。フロリダ州立大学の心理学教授で,意志の力と自制心について研究しているロイ・バウマイスターに言及

  19. マリア・ウォラン,“How to Proselytize”, New York Times Magazine ,2015年7月19日,21。ブラジル宣教師訓練センターのマリオ・ディオスに言及

  20. 『聖句ガイド』 「安息日」 の項参照

  21. 2015年5月8日,ボン・G・キーチ長老とバーニス夫人,そしてジョン・テーラーとジャン夫人は,わたしたちに加わり,ロバート・アブラムズとダイアン夫人とともに,すばらしいシャバット(安息日)を過ごした。アブラムズ氏はニューヨーク州検事総長を4期にわたって務めた人物で,何年にもわたる教会の友人でもある。アブラムズ氏は,二人のユダヤ人同僚およびその夫人も招待した。

  22. 安息日の食卓で,賛美歌「シャローム・アレイヘム」(「汝に平安あれ」)が歌われた

  23. イザヤ58:13-14 参照

  24. エゼキエル20:20

  25. 出エジプト31:16-17 参照

  26. ジョー・リバーマン, The Gift of Rest:Rediscovering the Beauty of the Sabbath (2011年) 参照。リバーマン議員のすばらしい本は,ユダヤ人の安息日について説明し,霊感あふれる洞察を提供している。

  27. イザヤ58:13-14 参照。ラッセル・M・ネルソン「安息日は喜びの日」『リアホナ』2015年5月号,129-132も参照

  28. 『聖句ガイド』 「聖霊」  の項参照

  29. ガラテヤ5:22