2010–2019
あなたの道に踏みとどまりなさい
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あなたの道に踏みとどまりなさい

どのような試練のときも, 神を第一とし, 神を愛しキリストへの信仰を持ち, 自分自身を神に委ねましょう。

2011年3月11日,わたしは神戸伝道部を訪問するため, 東京・品川駅のホームで新幹線を待っていました。午後2時46分頃,突然の大きな音とともにマグニチュード9.0の大地震が襲ってきました。激しい揺れに立っていることができず,階段の手すりにしがみつきました。近くの天井からは照明器具が落下してきました。このとき, 東京は大混乱に陥りました。

幸いわたしは無事でした。また,4時間後に,家族全員が無事であることを知り,安堵しました。

しかし,テレビでは恐ろしくも衝撃的な映像が流れていました。仙台伝道部の地域に巨大津波が押し寄せ, 車, 家, 工場, 田畑など全てを押し流していたのです。その光景を目にしたとき,わたしはその悲惨さに驚愕し,涙しました。そして,全てのこの地域に住む,愛する人々のうえに,天父の守りと助けがあるように,心から祈りました。

後日,全ての宣教師と教会員の安全が確認されました。しかし会員の多くが被災しており,中には家族や親戚を失ったり,住まいや家財を失ったりした会員もいました。およそ2万人が亡くなり,多くの町が破壊されました。さらに,原子力発電所の事故によりたくさんの人々が家を追われました。

このような災害は,世界各地で今日も猛威をふるい,たくさんの人々の命が犠牲になっています。また今後も,こうした災害や戦争, または, さまざまな困難が起こることが警告されています。

このような試練が,突然,自分の身に降りかかるとき,誰もが,「どうしてこのようなことがわたしに起こるのか?」,「なぜ,わたしが苦しまなければならないのか?」といった疑問を抱くことがあります。

わたしも福音に改宗して以来,知識として「救いの計画の中で,試しを受ける」ことは知っていました。しかし, 長い間, 「なぜ,わたしに試練が来るのか?……」という疑問への明確な答えを持っていませんでした。しかし, 現実には,この疑問を包み込めるほどの確信を持っていなかったのです。そんなあるとき,わたしも人生の中で大きな試練に直面しました。

わたしが30歳の頃,仕事で名古屋伝道部を訪問したときのことです。会議の後,伝道部会長のご厚意で,アシスタントの長老たちがわたしを車で空港へ送ってくれることになりました。ところが,長い坂道を下りきって交差点で止まったとき,大型トラックが後ろからものすごい勢いで暴走してきて, 追突し,わたしたちの車を20メートル以上も突き飛ばしたのです。恐ろしいことにトラックは無人でした。わたしたちの車は後部がぺちゃんこにつぶされ,半分のサイズになっていました。幸いなことに,長老たちもわたしも九死に一生を得ました。

しかし翌日から,わたしは,首と肩が痛み,激しい頭痛に苦しむことになりました。その日から不眠症になり,肉体的にも精神的にも苦しい生活を強いられることになりました。痛みと苦痛を癒やしてくださるように神に祈っていましたが,この症状はその後,約10年間にわたって続きました。

このとき,わたしにも,「なぜわたしが,こんな苦痛を受けなければならないのか?」という疑問が湧いてきました。しかし,自分の望むような癒やしが得られなくても,神の戒めに忠実であるように, 自分に言い聞かせていました。そして,この試練に対する疑問が解決できるように祈り続けました。

そんな中でわたしは,幾つかの別の新しい個人的な問題を抱え,この試練にどう対処したらよいか分からずに悩み,答えを求めて祈っていました。しかし,その答えはすぐには与えられませんでした。そこで,信頼する神権指導者に相談しました。

すると彼は,愛をもって次のように言ったのです。「青柳兄弟,あなたがこの地上にいる目的は,その試練を経験するためではありませんか?この地上であなたが受ける全ての試練を,ありのままに受け入れ,後は,主にお任せすることがいいのではないでしょうか。わたしたちが復活するときに,この問題は解決していると思いませんか?」

わたしは,これらの言葉を聞いたとき,非常に強い主の御霊を感じました。今まで,この教えは何回も聞いてきましたが,このときほど理解の目が開かれたことはありません。そしてこれが,今まで祈り求めていた主の答えであると,はっきり分かりました。また,天の御父の救いの計画が鮮明に理解できたのです。そして改めて,次のような重要な原則を理解しました。

アブラハム書の中で,主なる神は次のように述べておられます。「そして,わたしたちはこれによって彼らを試し,何であろうと,主なる彼らの神が命じられるすべてのことを彼らがなすかどうかを見よう。」1

すなわち,天地を創造された神は,地球の全ての構造を御存じであり,天と地の全てを支配され,救いの計画を成し遂げるために,この地上でわたしたちに試練をも含めてあらゆる経験を与えておられるということ,これが原則です。

また,主はジョセフ・スミスに次のように勧告されました。

「息子よ,あなたはこのことを知りなさい。すなわち,これらのことはすべて,あなたに経験を与え,あなたの益となるであろう。……

それゆえ, あなたの道に踏みとどまりなさい。 ……とこしえにいつまでも,神はあなたとともにいるからである。」2  

この地上での試練は,病や,死を含め,救いの計画の一部であり,だれしもが,避けて通れない経験です。わたしたちは,直面する試練を受け入れ,信仰をもって「わたしたちの道」に踏みとどまる必要があります。

しかし,わたしたちの人生の目的は,ただ試練を堪え忍ぶことだけではありません。天父は,わたしたちがこの地上で受ける試練を乗り越えることができるように,すなわち,わたしたちの弱さを強さに変え,3 罪を贖い,不死不滅と永遠の命を得ることができるように,愛する御子イエス・キリストを,救い主,贖い主としてわたしたちに遣わしてくださったのです。

ヘンリー・B・アイリング管長はまた,次のように勧告しています。「愛にあふれる神が与えておられる試練は,苦難に耐えられるかどうかを試すものではなく,苦難に耐えながらも,義にかなった生活をするかどうかを試すものなのです。わたしたちは神を覚え,神から与えられた戒めを守ると証明することによって試しを乗り越えるのです。」4

試練の中にあって鍵となるのは,「あなたの道」にとどまるという選択です。すなわち,試練のときこそ,神に心を向けること。へりくだって神の戒めを守ること。自分の思いを神の御心と一致させる信仰を示すことなどです。

この理解をもって,あの日,私が名古屋で遭遇した追突事故を考えてみましょう。わたしはこの事故で死んでも不思議ではありませんでした。それにもかかわらず,神の深い御心によって,奇跡的に生かされたのです。むち打ち症の苦しみ も,わたしの学びと成長のために与えられたものでした。わたしは神から訓練を受けたのです。5 忍耐力を鍛え,苦しむ人に寄り添う優しさを育むようにと,この試練により,神が導いてくださったのです。それに気づいたとき,神への感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。

どのような試練のときも,神を第一とし,神を愛し,キリストへの信仰を持ち,自分自身を神に委ねましょう。そのような人々に,モロナイはこう約束しています。「もしあなたがたが神の御心に添わないものをすべて拒み,勢力と思いと力を尽くして神を愛するならば,神の恵みはあなたがたに十分であり,あなたがたは神の恵みにより,キリストによって完全になることができる。……」6

わたしは,父なる神と御子イエス・キリストが生きておられ,試練の中にあっても, 「彼らの道」に踏みとどまり,神を愛する者に対して,神の約束が果たされることを,イエス・キリストの御名によって心から証します,アーメン。