2010–2019
望み
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望 み

永遠の行く末を手に入れるには,永遠の命を持つ者に必要な特質を望み,永遠にふさわしい者になるために努力しなければなりません。

わたしは望みの大切さについて話すことにしました。わたしたち一人一人が自分の心を探り,ほんとうの望みは何か,最も大切な望みの順位をどのように付けるかを知ることができるようにと願っています。

望みは優先順位を決め,優先順位は選択を方向づけ,選択は行動を左右します。どのような望みに基づいて行動するかで,どのように変化し,何を達成し,何になるかが決まるのです。

最初に,共通の望みについて話します。死すべき存在であるわたしたちには,生理上の基本的な欲求があります。これらの必要を満たしたいという望みによって,ある種の選択はやむを得ず,ある種の行動は決まってきます。わたしたちは,ある望みを,もっと大切だと考える別の望みのために抑制することがあります。3つの実例を通して,それがどのような形で起こるか示しましょう。

第1は食物です。わたしたちには食物に対する基本的な欲求があります。しかし断食したいというより強い望みのために,この欲求をしばらく抑制することがあります。

第2は雨露をしのげる場所です。12歳のころ,わたしは住まいに対する欲求を抑えたことがあります。一晩を森で過ごすボーイスカウトの条件を満たしたいという,より大きな望みがあったからです。何人かの仲間と一緒に,居心地のよいテントを離れ,自分たちで見つけた自然の材料を使って雨よけを作り,原始的なベッドを作りました。

第3は睡眠です。この基本的な欲求さえ,より大切な望みのために一時的に抑制することがあります。この点に関し,わたしは若いころユタ州軍の隊員だったとき,戦闘を経験したある将校から一つの教訓を学びました。

朝鮮戦争が始まって間もなく,リッチフィールドのユタ州軍砲兵隊は戦地に動員されました。この隊は,レイ・コックス大尉の指揮の下, 40人のモルモンの男性から成っていました。彼らは追加の訓練を受け,他の地域からの援兵により強化された後,朝鮮に派遣され,そこですさまじい戦闘を何度も経験しました。ある戦闘では,何百人もの敵の歩兵隊の突撃を受けました。敵はそのような攻撃で,すでに幾つもの砲兵隊を全滅させていました。

これが睡眠欲を克服することとどのような関係があるのでしょうか。ある夜,敵の歩兵隊が前線を突破し,砲兵隊が陣取っていた後方にまでなだれ込んで来ました。大尉は自分のテントに電話線を引き,周辺を防御している大勢の隊員一人一人に,一晩中1時間おきに自分に電話をするよう命じました。そうすることで隊員は目を覚ましていることができました。しかしそのため,コックス大尉は何度も眠りを中断されることになりました。わたしは彼に「どうしてそのような命令を出せたのですか」と尋ねました。それに対する彼の答えは,より大切な望みの持つ力を示していました。彼はこう言いました。

「帰還したら,故郷の小さな町の通りで,部下たちの親に会うことになるだろう。指揮官としてなすべきことをしなかったために,部下のうちの一人でも帰還できないようなことがあれば,親に合わせる顔がないと思ったのだよ。」1

この例は,より重要な望みが優先順位や行動に大きな影響力を持つことを見事に示しています! 人々の福利に責任を持つ親,教会の指導者,教師,わたしたちすべてにとって,なんとすばらしい模範でしょう! 

その話の結論ですが,ほとんど眠れない夜が明けた早朝,コックス大尉は部下たちを率いて敵の歩兵隊に反撃しました。800人以上の捕虜を取り,たった二人の負傷者しか出しませんでした。コックス大尉は,その勇敢な行為に対して勲章を受け,彼の中隊はその並はずれた英雄的行為に対して大統領部隊表彰を受けました。また,ヒラマンの若い兵士(アルマ57:25-26参照)のように,全員が帰還しました。2

モルモン書には望みの大切さに関する教えが数多く含まれています。

エノスは主に何時間も懇願した後で,自分の罪は赦ゆるされたと言われました。それから同胞はらからの幸いを「願う気持ちがわいて」きました(エノス1:9)。次のように記されています。「そして,わたしが祈り,力の限り努力した後に,主はわたしに,『あなたの信仰のゆえに,わたしはあなたの願いを望みどおりに聞き届けよう』と言われた。」(12節)約束された祝福に先立つ3つの要点を心に留めてください。願い,努力,そして信仰です。

アルマは信仰についての説教の中で,「望みを育てて」ゆくならば,まずは「信じようとする望みを持つだけでもよい」と教えています(アルマ32:27)。

また,宣教師アロンはレーマン人の王に対して,望み,特に,わたしたちが持つべき究極の望みについて偉大な教えを説いています。アロンの教えに引き込まれた王はこう尋ねました。「神から生まれ・・・この永遠の命を得るには,わたしは何をすればよいのか。」(アルマ22:15)アロンはこう答えます。「あなたがこのことを願い,・・・あなたの罪をすべて悔い改め,神の御前みまえにひれ伏して,与えられると信じて信仰をもって神の御名みなを呼ぶならば,そのときあなたは,今願っているものを得るでしょう。」(16節)。

王はそのとおりにし,熱烈に祈りながら,こう宣言します。「わたしはあなたを知り,・・・終わりの日に救われるように,自分の罪をすべて捨てます。」(18節)そのように決意し,自分の究極の望みを確認したことにより,王の祈りは奇跡的にこたえられます。

預言者アルマはすべての民に悔い改めを叫ぶという大きな望みを持っていましたが,その望みをかなえる強制力を望んではならないということを理解しました。なぜなら「公正な神〔は〕・・・人が死ぬことを望もうと生きることを望もうと,・・・彼らの望むままにされる」からです(アルマ29:4)。同様に,近代の啓示で主はこう宣言しておられます。「主なるわたしは,すべての人をその行いに応じて,またその心の望みに応じて裁く・・・。」(教義と聖約137:9)

永遠の裁き主は,何をほんとうに望むかをこれほどまでに重要視して裁かれるのです。わたしたちはそれに備えているでしょうか。

多くの聖句は,「望む」と同じ意味で「求める」という言葉を使っています。「わたしを早く求める者は,わたしを見いだし,見捨てられないであろう。」(教義と聖約88:83)「欺かれないために熱心に最善の賜物たまものを求め〔なさい〕。」(教義と聖約46:8)「熱心に求める人は見いだすであろう。」(1ニーファイ10:19)「わたしに近づきなさい。そうすれば,わたしはあなたがたに近づこう。熱心にわたしを求めなさい。そうすれば、あなたがたはわたしを見いだすであろう。求めなさい。そうすれば,与えられるであろう。たたきなさい。そうすれば,開かれるであろう。」(教義と聖約88:63)

永遠の事柄を最優先するために,自分の望みを見直すのは容易ではありません。わたしたちは皆,財産,名声,高慢,権力という4つのこの世的なものを望むように誘惑されます。これらのものを望んだとしても,最優先するべきではありません。

最大の望みが財産を得ることだという人は,物質主義のわなに陥っています。そのような人は,次の警告を聞き損なっています。「富やこの世のむなしいものを求めてはならない。」(アルマ39:14。モルモン書ヤコブ2:18も参照)

名声あるいは権力を望む人は勇敢な司令官モロナイの模範に従うべきです。モロナイが尽力したのは「権力を求め〔る〕」ためでも「世の誉れを求め〔る〕」ためでもありませんでした(アルマ60:36)。

望みはどのように成就させればよいのでしょうか。アロン・ラルストン3を奮い立たせたような危機に陥る人はほとんどいないでしょうが,彼の経験は望みを成就させることについて大切な教訓を与えてくれます。ラルストンはユタ州南部の人里離れた峡谷を歩いていました。そのとき突然,重さ360キロの岩が動いて,右腕を挟まれてしまいました。5日間,たった独りで必死に抜け出そうとしました。ついにあきらめて死を覚悟したとき,幻の中で,自分に向かって走って来た3歳の男の子を左腕でさっと抱き上げたのです。それが将来の息子であり,自分の生き残る保証であると理解したラルストンは,力尽きる前に,勇気を振り絞り,生き残るために必要な大胆な行動に出ました。挟まった腕の骨2本を折り,左手に持ったナイフで右腕を切断したのです。それから,力を振り絞り,助けを求めて8キロの道のりを歩きました。4 圧倒されんばかりの望みの力の実例です。自分はどのような人物になれるかについてのビジョンを持ったとき,わたしたちの望みと行動力は驚くほど増します。

このような極端な危機に直面する人はほとんどいないでしょう。しかしだれもが,永遠の行く末に向かって進歩することを阻むわなに直面します。義にかなった望みが十分に強ければ,永遠の進歩を阻む依存症などの邪悪な圧力,誤った優先順位から自らを断ち切ることができるでしょう。

義にかなった望みは,表面的なものでも,衝動的なものでも,一時的なものでもないということを覚えておくべきです。それは誠実で,確固としていて,永続するものです。ですから,預言者ジョセフ・スミスが語った「人生の様々な悪に打ち勝ち,罪に対する望みを一切持たなくなる」5という状態を目指しましょう。それはきわめて個人的な決心です。ニール・A・マックスウェル長老はこう語っています。

「『二度と悪を行いたいとは思わなかった』人々は,まさに彼ら自身が,神を知るために進んで『自分の罪をすべて捨て』,悪い望みをなくそうと決意をしたのです。

したがって,わたしたちが望み続ける事柄は,やがては実現し,永遠にわたってわたしたちが受け継ぐものとなるでしょう。」6

二度と悪を行いたいと思わないことは大切ですが,永遠の命にはさらに多くが求められます。永遠の行く末を手に入れるには,永遠の命を持つ者に必要な特質を望み,永遠にふさわしい者になるために努力しなければなりません。例えば,永遠の命を持つ者は,自分を不当に扱ったすべての人を赦します。自分よりも周りの福利を優先します。また,神のすべての子供たちを愛します。それが難しすぎるようであれば―もちろん,だれにとってもたやすいことではありませんが―そのような特質を得たいと望むことから始め,愛にあふれる天の御父に自分の感情について助けを求める必要があります。モルモン書はわたしたちに何をなすべきか教えています。「御父が御子イエス・キリストに真に従う者すべてに授けられたこの愛で〔わたしたちが〕満たされるように,・・・熱意を込めて御父に祈りなさい。」(モロナイ7:48)

最後に,すべての人々,現在結婚している人と独身の人にとって最も重要な望みに関する例を話します。すべての人は永遠の結婚を望み,真剣に取り組むべきです。すでに神殿結婚している人は,結婚関係を維持するために最善を尽くすべきです。独身の人は神殿結婚を望み,その実現のために行動することを優先するべきです。結婚し子供を持つことの大切さを軽視する考え方は,たとえこの世が支持しても永遠の見地から見れば誤っています。青少年や若い独身の人たちは,そのような考え方に抵抗するべきです。7

独身男性の皆さん,次の手紙に述べられている試練についてどうぞ考えてください。これを書いた独身の姉妹は「ふさわしい伴侶はんりょを真剣に探し求めている義にかなった神の娘たち」を代表して懇願しています。「彼女たちの努力にもかかわらず,男性は盲目で,迷っているように見えます。天の御父のすばらしいえり抜きの娘を探して交際し,主の宮で神聖な聖約を進んで交わし守ることが,自分の責任なのかどうか分からないのです。」彼女は最後にこう書いています。「末日聖徒の独身男性の中には,喜んで遊びに出かけ,デートして気ままに過ごすだけで,一人の女性と何らかの真剣な約束をしたいとはまったく望まない人が大勢います。」8

熱心に伴侶を探している若い男性もいて,補足してほしいと思っていることでしょう。ふさわしい結婚をして子供を持つことよりも,仕事で成功したり世の中で抜きんでることをはるかに優先している若い女性もいるということです。男性も女性も,永遠の命へと導いてくれる義にかなった望みが必要です。

望みは優先順位を決め,優先順位は選択を方向づけ,選択は行動を左右するということを忘れないようにしましょう。また,自らの行動と望みがひととなりを決め,真の友にも,優れた教師にも,永遠の命にふさわしい者にもなれるということを忘れないようにしましょう。

わたしはイエス・キリストの愛と教え,贖あがないがすべてを可能にすると証あかしします。わたしたちが,いつの日か主のみもとへ帰って主の満ち満ちる喜びを得るために,主のようになることを,ほかの何よりも望むように祈ります。イエス・キリストの御名みなによって,アーメン。

  1. .レイ・コックス,著者によるインタビュー,1985年8月1日,ユタ州マウント・プレザント。1953年ごろにユタ州プロボにおいてわたしに語った言葉を確認した。

  2. .リチャード・C・ロバーツ, Legacy, The History of the Utah National Guard, (2003年)307−314;“Self-Propelled Task Force,”The National Guardsman, 1971年5月,〔裏表紙〕;Miracle at Kapyong: The Story of the 213th (映画,Southern Utah University 制作,2002年)参照

  3. .アロン・ラルストン,Between a Rock and a Hard Place (2004年)参照

  4. .ラルストン,Between a Rock and a Hard Place,248

  5. .『歴代大管長の教え─ジョセフ・スミス』(2007年),210参照

  6. .ニール・A・マックスウェル「わたしたちの『心の望みに応じて』」『聖徒の道』1997年1月号,22,24

  7. .ジュリー・B・ベック「家族の教義を教える」『リアホナ』2011年3月号,32-37参照

  8. .2006年9月14日付けの手紙