2010–2019
ダマスコに行く途中でとどまる
戻る 次へ

ダマスコに行く途中でとどまる

キリストについて知りたいと熱心に求める者は結局それを見いだします。

信仰は少しずつ育つ

聞き,心に留める

奉仕する

分かち合う

ダマスコへのわたしたちの道

世界の歴史の中で最も注目に値する出来事の一つがダマスコに行く途中で起こりました。「家々に押し入って・・・〔聖徒たちを〕獄に渡して,教会を荒らし回った」1 若者,サウロの話は皆さんもよく御存じです。サウロは容赦なくこれを行っていたため,多くの初期の教会員は,サウロの怒りを避けようとして,エルサレムから逃げました。

サウロは教会員を追いました。しかし,「ダマスコの近くに来たとき,突然,天から光がさして,彼をめぐり照てらした。

彼は地に倒れたが,その時『サウロ,サウロ,なぜわたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた。」2

この一瞬の出来事がサウロを永遠に変えました。それはまさに,世界を変えました。

このような現れが起こることをわたしたちは知っています。実際わたしたちは,同じように神聖な出来事が1820年にジョセフ・スミスという少年に起こったことを証しています。天が再び開き,神が預言者や使徒に語られるというはっきりとした証あかしが確かにわたしたちにはあります。神はその子供たちの祈りを聞き,それにこたえてくださいます。

しかし,サウロやジョセフ・スミスのような経験をしなければ信じられないという人もいます。そのような人はバプテスマの水の所まで来ても,入りません。もう少しで証が得られるのに,真理を認めることができないでいます。主の弟子となる道まであとほんの少しの信仰を働かせればいいのに,何か劇的なことが起こって信じざるを得なくなることを期待しているのです。

つまり,ダマスコに行く途中でとどまっているのです。

ある愛すべき姉妹はずっと忠実な教会員でしたが,個人的な悲しみを抱えていました。何年も前に娘が病気になり,短い闘病生活の後に亡くなったのです。彼女はこの悲劇が残した心の傷にずっと苦しんでいました。そのような出来事に伴う深い疑問のために彼女は苦しみました。以前のような証が持てなくなったことを率直に認めました。自分に対して天が開かないかぎり二度と信じることはできないと感じるまでになってしまいました。

彼女は行き詰まってしまいました。

理由は違うかもしれませんが,ダマスコに行く途中でとどまっている人はほかにもたくさんいます。弟子としての道をひたすら歩む決心を先延ばしにしているのです。神権を受けたいと思っても,その特権に見合った生活をすることをためらいます。神殿に入りたいと望んでも,ふさわしい信仰を持つという最後の詰めを遅らせます。カール・ブロックの荘厳な絵のようにキリストが自分のもとに遣わされて,疑いや恐れを一度に取り去ってくださるのを待っているのです。

実際は,キリストについて知りたいと熱心に求める者は結局それを見いだします。たいていはパズルのように一度に一つずつしか与えられませんが,個人的に神聖な現れを受けて主を理解するようになるのです。個々のピースは分かりにくく,全体のどこなのかはっきりしないかもしれません。どのピースも全体をもう少しはっきり見るための助けになっています。そしてある程度ピースが集まると,きちんとした全体像が見えてきます。それまでの経験を振り返ると,救い主が確かに一緒におられたことが分かるのです。一度に全部ではなく,ほんの少しずつ,知らず知らずのうちに分かるようになります。

信仰をもって前進し,ダマスコに行く途中で長くとどまりすぎないようにするならば,わたしたちもこれを体験することができます。

天の御父がその子供たちを愛しておられることを皆さんに証します。御父はわたしたちを愛しておられます。御父は皆さんを愛しておられます。打ち砕かれた心と悔いる霊をもって神の平安を求めてください。主は必要であればあなたを抱きかかえて障害を乗り越えてくださいます。主はしばしば,心でしか聞くことのできない方法で語られます。主の声がよく聞こえるよう,生活の中にあるこの世の雑音のボリュームを下げるのが賢明です。理由はともあれ御霊のささやきを無視したり拒んだりすると,それがだんだん感じられなくなり,ついにはまったく聞こえなくなってしまいます。御霊のささやきに耳を傾け,それを心に留めるようにしましょう。

愛する預言者トーマス・S・モンソンは,この点についてわたしたちの模範です。モンソン大管長が御霊みたまのささやきに注意を払った話は数え切れません。その一つをジェフリー・R・ホランド長老が語っています。

割り当てを受けてルイジアナ州にいたときのことです。モンソン大管長は,クリスタルという名前の10歳の末期癌がんの少女に会う時間があるかとステーク会長に聞かれました。クリスタルの家族はモンソン大管長が来てくれるよう祈っていました。しかし,この家族の家は遠く,スケジュールがいっぱいで時間がありません。そこでモンソン大管長は代わりに,ステーク大会で祈る人に,クリスタルの名前を入れて祈るよう頼みました。もちろん主もクリスタルの家族も理解してくれるでしょう。

ところが,ステーク大会の土曜日の部会でモンソン大管長が立ち上がって話そうとすると,御霊がこうささやきました。「幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である。」3

「モンソン大管長の目には涙があふれ, 原稿がかすんでしまいました。会のテーマに添って進めようとするのですが, 〔その幼い少女〕の名前と姿がどうしても頭の中から消えないのです。」4

モンソン大管長は御霊の声に耳を傾け,スケジュールを変更しました。翌朝早く,99匹の羊を残して一人の少女の枕まくらもとに行くために,何キロも移動したのです。

到着すると,大管長は「病のために立ち上がることもできず,弱り果てて話すこともできない一人の子供を見詰めていました。彼女はすでに目も見えなくなっていました。彼女が置かれている状況と主の強い御霊に心動かされたモンソン兄弟は, ひざまずくと子供の弱った手を取りました。そしてそっとこう呼びかけたのです。『クリスタル,わたしはここにいるよ。』

すると彼女が精いっばいの力を振り絞り,弱々しく答えました。『モンソン兄弟,きっと来てくれると思っていたわ。』」5

愛する兄弟姉妹の皆さん,主から信頼を寄せていただける者の中に数えられて,主のささやきを聞き,サウロがダマスコに行く途中で言ったように「主よ,わたしが何をすることをお望みですか」と言えるようになろうではありませんか。6

わたしたちが生活の中で主の声に気づかないことがあるもう一つの理由は,御霊による啓示が祈りの答えとして直接本人に下されるとは限らないからです。

天の御父は,人生の疑問や悩みに対する答えが欲しいときにはまず心の中でよく思い計り,それから導きを祈り求めるよう望んでおられます。天の御父は必ず祈りにこたえてくださるとわたしたちに約束しておられます。答えは信頼できる友達や家族の言葉や教えを通して与えられることもあれば,聖文や預言者の言葉の中から見つかることもあります。

わたしのこれまでの経験では,自分のためだけでなくほかの人のためになる場合の方が強い導きを受けることが多かったです。自分のことばかり考えていると,非常に力強い霊的な経験や深遠な啓示を生活の中で受ける機会を逃してしまうかもしれません。

スペンサー・W・キンボール大管長はこれを次のように教えました。「神はわたしたちを心にかけ,わたしたちを見守っておられます。しかし,神がわたしたちの必要にこたえられるのは,普通の場合,人を通してです。それだからこそ,わたしたちが互いに奉仕し合うことが大切なのです。」7 兄弟姉妹の皆さん,わたしたちには聖約を交わした者として,ほかの人が何を必要としているかを敏感に察知して救い主のように奉仕する責任があります。愛の手を差し伸べ,周りの人たちを祝福し,元気づけてください。

祈りの答えは祈っているときではなく,主のため,周りの人たちのために働いているときに与えられることが多いものです。無私の奉仕や献身的な行いはわたしたちの霊を清め,霊の目からうろこを取り除いて天の窓を開きます。ほかの人の祈りの答えとして働くときに自分の祈りの答えを見いだすことがよくあります。

主がわたしたちだけのために何かを啓示されることはあります。しかし,たいていは,証を人に分かち合う人に,主は真理の証を託されます。アダムの時代からどの預言者に対してもそうしてこられました。さらに主は,主の教会の会員であるわたしたちに,「いつも口を開き,喜びの声を上げてわたしの福音を告げ知らせ〔る〕」よう望んでおられます。8

これは必ずしも簡単なことではありません。信仰と宗教の話題を友達や職場の同僚に持ち出すくらいなら,手車を引いて平原を歩いた方がましだと思う人もいるでしょう。自分がどう思われるか,相手との関係に支障を来きたさないかが気になるのです。そんな心配は要りません。わたしたちが伝えようとしているのは良きおとずれであり,わたしたちには喜びのメッセージがあるのですから。

昔,わたしたち家族は教会員がほとんどいない地域に住んでいたことがあります。「週末はどう過ごしましたか」と聞かれると,スポーツの大会や映画や天気などのありふれた話題には触れずに,家族で教会に行った話をしようと心がけていました。例えばある青少年が『若人の強さのために』の標準について話したことや,伝道に出るためにこれから故郷を離れる若者の言葉に胸を打たれたこと,福音や教会のおかげで自分たち家族が問題を乗り越えられたことなどを話題にしました。説教じみた言い方や高圧的な言い方を避けるようにしました。妻のハリエットは人を鼓舞すること,元気づけること,おもしろいことを見つけて人に伝えることが上手でした。そんな会話が深い話し合いに発展することもたくさんありました。興味深いことに,日々の試練にどう対処しているかを話していると,「君なら簡単さ。教会があるんだから」と友人からよく言われました。

多くのソーシャルメディア(訳注─ツイッターやフェイスブックなど)と,便利な機器が手に入る現在,わたしたちは福音の良きおとずれを,かつてないほど簡単に伝えることができ,その影響力は広範囲に及びます。実際,この話を聞いている人の中に「もう10分も話しているのに飛行機のたとえが全然出てこない」などといったメールをすでに送った人もいるのかもしれません。愛する若い友人の皆さん,「口を開〔きなさい〕」9 という今日こんにちのわたしたちへの主の呼びかけには,「手を使って」メールやブログで福音を全世界に伝えることもおそらく含まれるでしょう。でも,忘れないでください。もちろん,すべてのことは時間と場所をわきまえて行わなければなりません。

兄弟姉妹の皆さん,現代の科学技術のおかげで,わたしたちは神の子供たちのための偉大な計画に対する感謝と喜びの気持ちを,職場の周りだけでなく世界中に表現することができます。たった一言ひとことの証が,だれかの生活を永遠に変えるような出来事を引き起こすかもしれないのです。

福音を宣のべ伝えるいちばん良い方法は模範です。信じていることに従って生活するならば,人は気づきます。イエス・キリストの面影がわたしたちの生活の中で輝きを放つならば,10 わたしたちが喜びに満ちていて,平安に暮らしているならば,人はその理由を知りたくなります。伝道活動についてこれまでに語られた説教の中で最も偉大なものの中に,アッシジの聖フランシスコが言ったとされる次の言葉があります。「すべての行いを通して福音を宣べ伝えなさい。必要であれば言葉を使いなさい。」11 そのようにする機会は,わたしたちの周囲に満ちています。ダマスコへ行く途中で長くとどまって,そのような機会を逃すことがありませんように。

主は今日,預言者と使徒に対して語っておられることを証します。誠心誠意で主のみもとに来る人に対しても主は語られます。12

疑ってはいけません。「見ないで信じる者は,さいわいである」ことを忘れないでください。13 神は皆さんを愛し,皆さんの祈りを聞いておられます。神はその子供たちに語りかけられ,神の道を歩むことによって神を求め,神を敬う人に慰めと平安を与え,理解の目を開いてくださいます。末日聖徒イエス・キリスト教会は主の道を歩んでいることを証します。わたしたちには生ける預言者がいます。この教会は救い主イエス・キリストに導かれており,わたしたちは主の御名みなを受けています。

兄弟姉妹,愛する友人の皆さん,わたしたちがダマスコに行く途中で長くとどまりすぎないようにしましょう。反対に,信仰と希望と慈愛を持ち,勇気を出して前進しましょう。そうすれば祝福されて真の弟子として歩む道の途中で,わたしたちすべてが求める光を得られるでしょう。わたしはイエス・キリストの聖なる御名によりこのことを祈り,わたしの祝福を皆さんに残します,アーメン。

  1. .使徒8:3

  2. .使徒9:3-4

  3. .マルコ10:14

  4. .ジェフリー・R・ホランド「トーマス・S・モンソン第二副管長─常に『主の用向きを持てる者』となって」『聖徒の道』1986年11月号,6参照

  5. .ジェフリー・R・ホランド『聖徒の道』1986年11月号,6

  6. .使徒9:6

  7. .『歴代大管長の教え─スペンサー・W・キンボール』82

  8. .教義と聖約28:16

  9. .教義と聖約60:2

  10. .アルマ5:14 参照

  11. .ウィリアム・フェイとリンダ・エバンズ・シェパード, Share Jesus without Fear(1999年),22で引用

  12. .モロナイ10:3-5 参照

  13. .ヨハネ20:29