2010–2019
幼子のようになる
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幼子のようになる

学ぶ心と子供たちの模範に従う意志を持つならば,彼らの神聖な特質はわたしたち自身の霊的な成長を促す鍵となるでしょう。

偉大な知恵と愛を持つ天の御父は,霊の息子娘を子供の姿で地上へ送られます。彼らは神聖な特質と行く末を持つ,貴い贈り物として家族のもとに来ます。天の御父は,わたしたちが御自身のようになるのを助けるうえで子供が鍵となることを御存じです。わたしたちは子供からとても多くのことを学べます。

何年も前,この大切な真理は,ある七十人が香港ほんこんに赴いたときにも示されました。この七十人は,会員の必要を満たせず多くのことに苦闘するとても貧しいワードを訪問しました。ビショップが現状を説明していると,その中央幹部は会員に什分じゅうぶんの一を納めてもらうべきだという印象を受けました。会員の困窮した状況を知っていたビショップは,勧告をどのように実行したらよいか悩みました。思案の末,彼はワードで特に信仰の強い会員に話し,什分の一を納めるよう勧めることにしました。次の日曜日,ビショップは初等協会に行きました。主の什分の一の律法について子供たちに教え,自分たちが得た収入の什分の一を納めるように勧めました。子供たちは承諾し,什分の一を納めました。

ビショップは後にワードの成人会員たちのところへ行き,過去6か月間ワードの忠実な子供たちが什分の一を納めてきたことを伝えました。そして,子供たちの模範に倣ならって,彼らも進んで什分の一を納めるように勧めました。人々は子供たちが喜んで犠牲を払ったことに深い感銘を受けて,什分の一を納めるために必要なことをしました。すると,天の窓が開かれました。忠実な子供たちの模範のおかげで,ワードの会員の従順さと証あかしが増したのです。

イエス・キリスト御自身,子供たちを模範として仰ぐように教えられました。新約聖書には,天国で最も偉いのはだれかと使徒たちが議論しているときに主が何とお答えになったかが記されています。イエスはちょっとした,しかしとても有効な具体例を挙げて教えられました。幼い子供を呼び寄せ,彼らの真ん中に立ち,このようにおっしゃいました。

「心をいれかえて幼な子のようにならなければ,天国にはいることはできないであろう。

この幼な子のように自分を低くする者が,天国でいちばん偉いのである。」(マタイ18:3-4)

わたしたちが子供から学ぶべきことは何でしょうか。子供が持つどのような属性が,またどのような模範が,わたしたちの霊的な成長を助けるのでしょうか。

これらの貴い神の子供たちは信じる心を持ってわたしたちのもとに来ます。彼らは信仰にあふれ,御霊みたまへの感受性が強いのです。子供は謙遜みたま,従順,愛の模範です。多くの場合,彼らは学ぶに早く赦ゆるすに早いのです。

キリストのような特質を示す,子供の純真で力強い模範がわたしたちの生活にどのような祝福をもたらすか,幾つかの経験を紹介します。

わずか2歳のトッドという男の子は,最近母親と一緒に,救い主が描かれた特別展覧会の美しい絵を見に,美術館へ出かけました。母親は主の神聖な御姿みすがたを見て回りながら,息子が敬虔けいけんな様子で「イエスさま」と口にするのを聞きました。トッドに目を向けると,彼は絵を見ながら,腕を組み,頭を下げていました。わたしたちはトッドから,主への謙遜さ,敬虔さ,愛の姿勢について何か学べるのではないでしょうか。

昨年の秋,わたしはアルメニアで10歳の少年の模範を見ました。聖餐せいさん会の開会を待っていると,少年は,支部で最年長の会員が到着したのに気づきました。彼は即座にその姉妹の傍らに行き,しっかり歩けるように腕を差し出しました。彼女が話を聞けるように,礼拝堂の最前列の席に案内しました。彼のささいな親切から,主の王国でいちばん偉い人は,ほかの人に仕える機会を探す人々であることが分かるのではないでしょうか。

初等協会に集うケーティーから,家族に与える影響力について学ぶことができます。ケーティーは初等協会に出席して,福音の教えに心を引かれました。ケーティーは強まる信仰と証をもって,両親の枕まくらもとに手紙を置きました。ケーティーは福音の真理が自分の心に根付いていること,また,天の御父に近づき,主の戒めを守りたいこと,そして神殿で家族の結び固めを受けたいと強く望んでいることをつづりました。かわいい娘の簡潔な証は,両親の心を強く動かしました。ケーティーと家族は,家族を永遠に結ぶ神聖な神殿の儀式を受けました。ケーティーの信じる心と信仰の模範は,家族に永遠の祝福をもたらす助けとなりました。彼女の心からの証と主に従いたいという望みは,わたしたちが最も大切なものをはっきりと見据えられるよう助けを与えてくれるのではないでしょうか。

わたしたち家族は,親戚しんせきで6歳のリアムから様々なことを学んでいます。この1年,彼は悪性の脳腫瘍と闘ってきました。難しい手術を2回受けた後,放射線治療も必要だということになりました。放射線治療の間,リアムは独りきりで,じっと横たわっていなければなりませんでした。鎮静剤を打つと気分が悪くなるので,リアムは鎮静ちんせい剤を断りました。インターホン越しに父親の声が聞こえれば,鎮静剤がなくてもじっとしていられると心に決めていました。

不安の中,父親は愛と励ましの言葉で語りかけました。「リアム,父さんが見えなくてもここにいるからね。君ならできるさ。愛しているよ。」 リアムはまったく動かずに33回の必要な放射線治療を受けました。鎮静剤を打たなければ,幼い彼には不可能なことだと医師は思っていました。何か月にもわたる苦しく困難な時期に,リアムの楽観的な態度は,希望とさらには幸福をもって逆境に向き合う力強い模範となりました。彼の勇気によって医師や看護師,そのほかの大勢の人々が感銘を受けました。

わたしたちは皆リアムから大切なことを学んでいます。それは信仰を選び,主を信頼することです。天の御父を見ることはできませんが,リアムのように,御父の声を聞き,人生のチャレンジに堪え忍ぶために必要な強さを得られます。

リアムの模範から,子供のように従順で,柔和で,謙遜で,忍耐強く,愛にあふれた者となるというベニヤミン王の言葉をよりよく理解することができるのではないでしょうか(モーサヤ3:19参照)。

子供たちは,わたしたちが天の王国に入るために身に付ける,または再発見する必要のある幼子のような特質の模範を示しています。子供は世に染まっていない,輝く霊であり,教えを受け入れやすく,信仰にあふれています。救い主が幼い子供たちに特別な愛と価値を見いだしておられることに何の不思議もありません。

救い主がアメリカ大陸を訪れたときの驚くべき出来事の中でも,子供たちを優しくお教えになった場面は特に際立っています。主は胸を打つような方法で一人一人の子供に手を差し伸べられました。

「イエスは幼い子供たちを一人一人抱いて祝福し,彼らのために御父に祈られた。

そして,イエスはこれを終えると,・・・涙を流された。

また,イエスは群集に語って,『あなたがたの幼い子供たちを見なさい』と言われた。」(3ニーファイ17:21-24)

M・ラッセル・バラード長老は,「あなたがたの幼い子供たちを見なさい」という救い主の戒めの大切さについて,次のように教えています。「このときに主が『少しだけ見なさい』とか『気の向いたときに見なさい』とか,あるいは『彼らの全体的な動きを時々ちょっとだけ見なさい』などと言われなかった点に注意してください。主は『子供たちを見なさい』と仰せになったのです。わたしにとってこれは,目と心をもって子供たちを見なければならないという意味であり,彼らを神聖な特質を備えた天の御父の霊の子供としてありのままに見つめ,理解しなければならないという意味です。」(「汝なんじらの子供たちを見よ」『聖徒の道』1994年10月号,40。強調付加)

「子供たちを見る」のに,家庭以上に最適な場所はありません。家庭は皆がともに学び,成長できるところです。初等協会の美しい歌の一つは,この真理を教えています。

「主の御心みこころに

かなう人になるため

主が下さった

すてきな家族」

(「神様からの家族」『フレンド』2008年10月号,F12-F13)

わたしたちが神の霊の子供としての神聖な属性をいっそう身近に見て,理解できるのは,愛あふれる環境,すなわち家庭の中です。わたしたちの心が和らげられ,幼子のようになろうと謙遜に望めるのは,家庭の中です。このプロセスによりキリストのようになることができます。

人生の経験から,かつて持っていた信じる心や幼子のような信仰をなくしてしまっていないでしょうか。そうであるなら,あなたの周りの子供たちについて考えてみてください。そして再度注意を向けてください。あなたの家族,近所,あるいはワードの初等協会の子供たちが思い浮かんだことでしょう。学ぶ心と子供たちの模範に従う意志を持つならば,彼らの神聖な特質はわたしたち自身の霊的な成長を促す鍵となるでしょう。

わたし自身の子供たちの祝福にいつも感謝しています。一人一人がわたしに必要なことを教えてくれました。わたしは子供たちの助けにより,より善い人へと変わりました。

イエスがキリストであられることを慎んで,また確かに証します。主は完全な御子であられ,従順で,柔和で,謙遜で,忍耐強く,大きな愛に満ちておられます。わたしたちが主の模範に従い,幼い子供のようになり,天の家へ戻ることができますように,イエス・キリストの御名みなによりお祈りします,アーメン。