2000–2009
進み続ける
脚注
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進み続ける

困難や悲しみの度合いにかかわらず,主がわたしたちに期待しておられることがあります。それは進み続けることです。

だいぶ長く生きてきたので,人生の様々な困難を経験してきました。また厳しい試練を堪え忍んできた非常に優れた人や,少なくとも表面的には平穏な人生を送ってきたように思える人を見てきました。

逆境に苦しむ人はしばしばこう尋ねます。「なぜこのようなことが起きたのだろう。」そしてこれほどの孤独,憂うつ,落胆,圧迫,あるいは失意を感じるのはなぜだろうかと思いながら,眠れぬ夜を過ごします。

「なぜ自分に」という問いは答えるのが難しく,挫折ざせつ感や絶望につながることが多くあります。自問するのにもっと良いのは,「この経験から何を学べるだろうか」という質問です。

その質問にどう答えるかで,地上だけでなく,来るべき永遠における人生の質も決まってくる可能性があります。人が受ける試練は様々ですが,困難や悲しみの度合いにかかわらず,主がわたしたちに期待しておられることがあります。それは進み続けることです。

最後まで堪え忍ぶという教義

イエス・キリストの福音には,基礎的な教義の一つとして最後まで堪え忍ぶことがあります。イエスは教えられました。「最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」1「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら,あなたがたは,ほんとうにわたしの弟子なのである。」2最後まで堪え忍ぶことを,単に問題を何とか切り抜けることだと考えている人がいます。しかし実際は,はるかにそれ以上のことです。それはキリストのみもとに来て,キリストによって完全になる過程なのです。

モルモン書の預言者ニーファイはこう教えています。「したがって,あなたがたはこれからもキリストを確固として信じ,完全な希望の輝きを持ち,神とすべての人を愛して力強く進まなければならない。そして,キリストの言葉をよく味わいながら力強く進み,最後まで堪え忍ぶならば,見よ,御父は,『あなたがたは永遠の命を受ける』と言われる。」3

最後まで堪え忍ぶとは,信仰,悔い改め,バプテスマ,および聖霊を受けることによって永遠の命に至る道に入った人が,その道を歩み続けるという教義です。最後まで堪え忍ぶには心を尽くすことが求められます。あるいはモルモン書の預言者アマレカイが教えているように,「キリストのもとに来て,自分自身をキリストへのささげ物としてささげ,断食と祈りを続け,最後まで堪え忍」ばなければなりません。「そうすれば,主が生きておられるように確かに,〔わたしたち〕は救われる」でしょう。4

最後まで堪え忍ぶとは,人生を福音の土壌にしっかりと植え付け,承認された教会の教義を守り,謙遜けんそんに同胞はらからに仕え,キリストのような生活を送り,聖約を守ることを意味します。堪え忍ぶ人はバランスが取れていて,堅実で,謙遜であり,絶えず改善していて,偽りがありません。彼らの証はこの世的な根拠に基づくものではなく,真理,知識,経験,御霊みたまに基づいています。

種まきのたとえ

主イエス・キリストは最後まで堪え忍ぶという教義を分かりやすく教えるために,種まきのたとえを用いておられます。

「種まきは御言みことばをまくのである。

道ばたに御言がまかれたとは,こういう人たちのことである。すなわち,御言を聞くと,すぐにサタンがきて,彼らの中にまかれた御言を,奪って行くのである。

同じように,石地にまかれたものとは,こういう人たちのことである。御言を聞くと,すぐに喜んで受けるが,

自分の中に根がないので,しばらく続くだけである。そののち,御言のために困難や迫害が起こってくると,すぐつまずいてしまう。

また,いばらの中にまかれたものとは,こういう人たちのことである。御言を聞くが,

世の心づかいと,富の惑わしと,その他いろいろな欲とがはいってきて,御言をふさぐので,実を結ばなくなる。

また,良い地にまかれたものとは,こういう人たちのことである。御言を聞いて受けいれ,三十倍,六十倍,百倍の実を結ぶのである。」5

このたとえでは,真理の種がまかれて養われる,幾つかの土壌が描かれています。土壌の種類は,それぞれわたしたちの堪え忍ぶ決意と能力の程度を表しています。

最初の土壌,すなわち「道ばた」は,福音を聞いても決して真理が根付かない人を表しています。

第2の土壌である「石地」は,犠牲や試練の兆候が見えた時点で気分を害して逃げ出し,進んで代価を払おうとしない教会員を表しています。

第3の土壌である「いばらの中にまかれたもの」は,世の関心事,富や欲に気を取られて成長しない一部の教会員を表しています。

最後に,「良い地」にまかれたものは,主の弟子であることが生活に表れていて,福音の土壌に深く根ざし,その結果豊かな実を結ぶ教会員を意味します。

種まきのたとえの中で,救い主は堪え忍ぶのを妨げる3つの障害を明らかにしておられます。人の心を腐敗させて永遠の進歩を止めるものです。

堪え忍ぶのを妨げる第1の障害は「世の心づかい」であり,基本的には高慢です。6高慢は,実に様々な形でその姿を現し,どれも有害です。例えば,知性を誇る高慢は今日こんにち非常に蔓延まんえんしています。ある人たちは知識や学問的な業績を理由に,自分を神や神の油注がれた僕しもべよりも高くしています。決して知性を霊よりも優先してはいけません。知性は霊を養い,霊は知性を養いますが,もし知性を霊よりも優先するならば,つまずき,人を非難し,証あかしさえ失うでしょう。

知識は非常に重要であり,次の世に携えて行くことになる数少ないものの一つです。7わたしたちは常に学ぶべきです。しかし,その過程で信仰をなおざりにすることのないようにしなければなりません。信仰は実際に学ぶ能力を高めてくれるからです。

堪え忍ぶのを妨げる第2の障害は「富の惑わし」です。わたしたちは富への執着をやめなければなりません。富は目的を果たすための手段にすぎず,その目的は最終的には神の王国を確立することであるべきです。あまりに多くの人が,運転する車の種類や,身に着ける高価な衣服,あるいは他人と比較した自分の家の大きさに関心を寄せていて,より大切な事柄を見失っているように感じます。8日々の生活の中で,この世の事柄を霊的な事柄よりも優先することのないように注意しなければなりません。

堪え忍ぶのを妨げるものとして救い主が語っておられる第3の障害は「その他いろいろな欲」です。ポルノグラフィーの疫病はかつてないほど周囲で渦巻いています。ポルノグラフィーは不道徳,家庭や人生の崩壊というひどい結果を招きます。また堪え忍ぶための霊的な強さを衰えさせます。ポルノグラフィーは流砂によく似ています。足を踏み入れた途端にあまりに容易に捕らえられ力を奪われてしまうので,恐ろしい危険に気づかないのです。ポルノグラフィーの流砂から逃れるにはほとんど例外なく援助が必要となります。しかし足を踏み入れない方がどれほどよいでしょうか。注意深く,慎重であってください。

最後まで堪え忍ぶことはすべての人の原則である

ヒーバー・J・グラント大管長が亡くなる数週間前,中央幹部の一人が大管長の家に見舞いに行きました。帰る前に,グラント大管長は祈りました。「神よ,わたしが証を失うことなく最後まで忠実でいられるように祝福してください!」9回復の偉大な預言者の一人であり,約27年にわたって教会の大管長を務めたグラント大管長が,最後まで忠実でいられるように祈っているところを想像できるでしょうか。

サタンの勢力と誘惑に無縁な人などだれもいません。自分には敵の勢力は届かないなどという高慢な思いを抱かないでください。サタンの惑わしのえじきにならないように注意してください。毎日の聖文研究と祈りによって,主に近くあってください。救われるのが当然であるかのようにゆったりくつろぐ余裕はありません。生涯にわたって熱心に取り組まなければならないのです。10次のブリガム・ヤング大管長の言葉は,堪え忍ぶための戦いを決してやめてはいけないことを思い起こさせ,奮い立たせてくれます。「日の栄えの王国で座する場所を確保したいと願う男女は,〔この神聖な目標のために〕毎日を戦い抜かなければならないことに気づくでしょう。」11

堪え忍ぶ力

心痛,孤独,痛み,挫折に苦しんでいる人が大勢いることを知っています。人間にとって必要な経験です。しかし救い主に対して,そして主の皆さんへの愛に対して,希望を失わないでください。主の愛は不変であり,主はわたしたちを捨てて孤児とはしないと約束しておられます。12

人生の中で問題に直面するとき,わたしたちは教義と聖約第58章にある主の御言葉みことばから慰めを得ます。

「あなたがたは,この後に起こることに関するあなたがたの神の計画と,多くの艱難かんなんの後に来る栄光を,今は肉体の目で見ることができない。

多くの艱難の後に祝福は来る。それゆえ,あなたがたが大いなる栄光を冠として与えられる日が来る。その時はまだ来ていないが,もう近い。」13

ですから兄弟姉妹,何があろうとも進み続け,最終的にはその過程でさらに主に似た者とならなければなりません。わたしたちは皆,人生の中で大きな試練に直面し,忠実に堪え忍んできた人々のことを知っています。そのすばらしい例として,19世紀の初期の聖徒であったウォーレン・M・ジョンソンがいます。アリゾナ州北部の砂漠で,コロラド川を渡る重要地点だったリーの船着き場を運営するよう教会指導者から割り当てを受けた人です。ジョンソン兄弟は大きな試練を堪え忍び,生涯忠実であり続けました。ウィルフォード・ウッドラフ大管長にあてた手紙の中で,ジョンソン兄弟が家族に襲いかかった悲劇を説明しているのを聞いてください。

「1891年5月,ある家族が……ユタ州リッチフィールドからここ〔リーの船着き場〕に,……友人たちのもとで冬を過ごしに来ました。彼らはパンギッチで子供を一人埋葬しましたが,……荷車や自分たちを〔消毒〕せずにやって来ました。そしてわたしたちの家に来ると一晩滞在し,幼い子供たちと接したのです。

……わたしたちはその病気〔ジフテリア〕の性質については何も知りませんでしたが,神を信じる信仰がありました。非常に困難な使命のためにここに来ていたからです。そして自分たちなりに最善を尽くして熱心に〔戒めを〕守ろうと努力し,……子供たちの命が助かるよう願いました。しかし4日半の後,……わたしの腕の中で〔長男が死にました〕。さらに二人が病気に感染し,賢明だと思う範囲でできるかぎり断食をして祈りました。この地で行うべき義務がたくさんあったからです。24時間皆で断食をして,わたしは1度40時間断食をしましたが,無駄に終わりました。二人の幼い娘も死んでしまったのです。その死から約1週間後,15歳の娘メリンダ〔もまた〕病気に襲われ,できることをすべて行いましたが,〔間もなく〕ほかの子供たちの後を追いました。……3人の愛する娘と1人の息子が取り去られたわけですが,まだ終わりではありませんでした。19歳の長女が現在病の床に伏しており,今日きょうは彼女のために断食をして祈っています。……わたしたちのために信仰と祈りをお願いします。わたしたちが何をしたので主はお離れになり,どうすればもう一度主の好意を得ることができるのでしょうか。」

しばらくして,ジョンソン兄弟は地元の指導者である友人に手紙を書き,進み続ける信仰を表しました。

「これは人生で最もつらい試練ですが,わたしは救いに向かって歩み始めており,……天の御父の助けによって,どのような苦難が〔やって来よう〕ともしっかり鉄の棒につかまって〔いよう〕……と決意しています。わたしは怠惰になることなく義務を遂行しており,兄弟たちの信仰と祈りを得られるように,そして生きて祝福を受けられるように願い,また信じています。」14

ジョンソン兄弟が受けた厳しい試練は,わたしたちが自分の問題に立ち向かううえで助けとなりますが,現代において堪え忍ぶ力を増し加えるための3つの特質を提案しましょう。

第1に,証です。証はだれもが必ず直面する試練または困難の先にあるものを見るのに必要な永遠の観点を与えてくれます。ヒーバー・C・キンボールの次の預言を思い出しましょう。

「借りものの光ではだれも耐えられない時がやがて来ます。すべての人が内なる光によって導きを得なければならなくなります。……

……その光がなければ耐えることはできないのです。ですから,イエスの証を求め,しっかりとつながっていなさい。試練が来たときに,つまずき,倒れないようにするためです。」15

第2に,謙遜さです。謙遜さとは,人生を最後までしっかりと歩むには主の助けに頼る必要があることを認めることです。人は自分の力だけで最後まで堪え忍ぶことはできません。主なしには何もできないのです。16

第3に,悔い改めです。栄えある悔い改めの賜物たまものは,新たな心で道に戻ることを可能にし,永遠の命に至る道で堪え忍ぶ力を与えてくれます。ですから聖餐せいさんは生涯を堪え忍ぶための重要な要素となります。聖餐は週に1度バプテスマの聖約を新たにし,悔い改め,昇栄に向かう進歩を評価する貴重な機会を与えてくれます。

わたしたちは永遠の神の息子や娘であり,キリストと共同の相続人となる可能性を持っています。17自分が何者であるかを知っているのですから,永遠の目的地に到達するという目標を決して放棄してはいけません。

わたしは証します。永遠において,この地上で生活したわずかな期間を振り返るとき,わたしたちは困難に直面したにもかかわらず,堪え忍んで進み続けるための知恵と,信仰と,勇気を持っていたことを,声を上げて喜ぶことでしょう。

今日きょうそして永遠にそうでありますように,イエス・キリストの御名みなによって祈ります。アーメン。