2000–2009
主の強さの内に
脚注
テーマ

主の強さの内に

主の強さの内にあれば,すべてを行い,堪え忍び,克服することができるのです。

兄弟姉妹の皆さん,今わたしは胸がいっぱいです。様々な思いが脳裏を駆け巡っています。ひざは震え,皆さんに伝えたい感情と思いを言葉で表そうとすると,どの言葉も物足りない気がします。この安息日の朝に,簡潔に話すに当たり,わたしと皆さんに御霊みたまがとどまるよう祈ります。

ヒンクレー大管長にこの新しい召しを告げられてから今に至るまで,これまでにないほどの目的意識をもって「すべての聖文を自分たちに当てはめ」るようにというニーファイの言葉に心を向けています(1ニーファイ19:23)。

わたしはパウロの次の教えを思い巡らしています。「……神は,知者をはずかしめるために,この世の愚かな者を選び,強い者をはずかしめるために,この世の弱い者を選〔ばれた。〕」(1コリント1:27)今朝,自分がまさにこの世の弱い者だと承知していることに,大きな慰めを感じます。

モルモン書のヤコブの言葉についても深く考えています。

「それゆえ,わたしたちは預言者の書を調べている。また,わたしたちには多くの啓示があり,また預言の霊がある。このように証あかしするものが数々あるので,わたしたちは希望を抱いており,わたしたちの信仰は揺るぎないものになっている。実際にイエスの名によって命じれば,木々も山々も海の波も従うほどである。

にもかかわらず,主なる神はわたしたちの弱点を示される。それは,このようなことを行う力がわたしたちにあるのは,神の恵みと人の子らに対する神の大いなるへりくだりによるということを,わたしたちに分からせるためである。」(モルモン書ヤコブ4:6-7)

兄弟姉妹の皆さん,今読んだ節に出てくる「恵み」という言葉に特に注目してください。英語の『聖書辞典』(Bible Dictionary)によると,聖文の中で頻繁に用いられている「恵み」という言葉には,基本的に「人を強める力,能力を授ける力」という意味があります。

「恵みとは,イエス・キリストの憐れみと愛によって人に授けられる,様々な形の天からの助けと能力を意味する。

……主の恵みを通して,人はイエス・キリストの贖罪しょくざいに対する信仰を持ち自らの罪を悔い改めるなら,自分の力だけでは達成不可能な善行でさえ達成することができる。このような恵みを通して,男性も女性も,全力を尽くした後に永遠の命と昇栄を獲得することができるのである。」(697)

つまりわたしたちは,人に能力を授け,強める贖あがないの力を通して,死すべき人間としての限られた能力では到達することも達成することもできない方法で,理解し,行動することができ,さらに善良になることができるのです。救い主の贖いには,実際に人に能力を授ける力があることを証します。人を強める贖いの力がなかったならば,わたしは今朝,皆さんの前に立つことはできなかったことでしょう。

次のアンモンの証の中に,キリストの恵みと人を強める力を感じることができるでしょうか。「まことに,わたしは自分が何の価値もない者であることを知っている。わたしは力の弱い者である。だから,わたしは自分のことを誇るつもりはない。しかし,わたしは神のことを誇ろう。わたしは神の力によって何事でもすることができるからである。まことに見よ,わたしたちはこの地で多くの偉大な奇跡を行ってきた。だから,とこしえに神の御名をほめたたえよう。」(アルマ26:12)兄弟姉妹の皆さん,まさに,主の強さの内にあれば,すべてを行い,堪え忍び,克服することができるのです。

金曜日の午後,ヒンクレー大管長との面接を終え,教会執務ビルから出て来たとき,エノクの言葉を思い出しました。「エノクはこれらの御言葉みことばを聞いたとき,主の前で地に伏し,主の前に語って言った。『わたしがあなたの目にかなったのはなぜでしょうか。わたしは若者にすぎず,すべての人はわたしを憎みます。わたしは口の重い者だからです。どうしてわたしはあなたの僕しもべなのでしょうか。』

主はエノクに言われた。『行って,わたしがあなたに命じたように行いなさい。そうすれば,あなたを刺し貫く者はだれもいないであろう。あなたの口を開きなさい。そうすれば,それは満たされるであろう。わたしはあなたに語る力を与えよう。すべての肉なるものはわたしの手の内にあるからである。そして,わたしは自分がよいと思うままに行おう。』」(モーセ6:31-32)

主がエノクに与えられた約束は,新しい召しや責任を受けて準備不足や至らなさを感じ,圧倒されているすべての人に当てはまります。エノクの時代にその約束が真実だったのですから,今でも真実なのです。

2000年6月20日の夜,数人の同僚とともにアイダホ州レックスバーグのリックスカレッジ(当時)の役員室で,夜遅くまで仕事をしていました。思いがけず翌朝大学で開かれることになった歴史的な集会と,ヒンクレー大管長から発表される事柄の最終確認をしていたのです。その発表とはリックスカレッジが学士号を取得できる大学に生まれ変わり,ブリガム・ヤング大学アイダホ校と改名されるというものでした。わたしは大学管理役員であった同僚とともに,自分たちに課せられた責任とチャレンジの歴史的意味を感じ始めていました。

その晩,建物を出たときにある同僚が言いました。「学長,恐いですか。」記憶に間違いがなければ,わたしはだいたい次のように答えました。「この変更の実施に伴う一連の事柄が,完全に自分たち自身の経験と判断にゆだねられていたとしたら,非常に恐れたことでしょう。しかし,わたしたちには天の助けがあります。どなたが見守っておられるか知っており,頼れる御方がいらっしゃるので,恐れる必要はありません。」BYUアイダホ校で働いている者は,声をそろえて次のように証することができます。これまで確かに天の助けを受け,奇跡が起き,啓示が与えられ,門戸は開かれて,個人としても大学としても豊かに祝福されてきました。

ここで,心の内にある感謝を述べさせてください。わたしは自分の先祖に感謝しています。忠実で確固とした男女です。わたしが尊敬し,たたえる人たちであり,すべてを与えてくれた人たちです。わたしの両親と妻の両親を愛し,感謝しています。彼らの愛と支え,そして教えと力強さに感謝しています。

妻のスーザンは徳高い女性であり,義にかなった母親です。その表情を見れば,妻が清く,善良な女性であることを皆さんもすぐに分かるでしょう。言葉では表現できないほど,彼女を愛し,感謝しています。妻というすばらしい女性に感謝しています。妻が教えてくれた事柄に,お互いへの愛に感謝しています。

スーザンとわたしは3人の信仰深く雄々しい息子に恵まれました。彼らを愛し,感謝しています。家族は少しずつ増え続け,現在,2人の息子には義にかなった伴侶はんりょがいて,賢く,麗しく,かわいらしい孫娘が3人います。すばらしいことに,皆が集まる度に,永遠に家族が結ばれることの意味が少しだけ分かってきました。

愛する兄弟姉妹の皆さん,皆さんに感謝します。カンファレンスセンターに集う皆さんを実際に見て,世界中の集会所に集う皆さんの姿を思い描くとき,救い主に対する皆さんの忠誠心と献身に喜びを感じます。皆さんは土曜日に手を直角に挙げて支持を表してくれました。そのとき,支持を受けることがどれほど自分に影響を与えるかを身にしみて感じました。わたしのことを知っている人はほとんどいません。しかし,どなたによって召されたかを知っているという理由で,皆さんは進んで支持してくれました。皆さんに感謝し,心と勢力を尽くしてこの聖なる業に献身することを約束します。

主と主の教会の指導者が言う所ならどこへでも行きます。彼らがしてほしいと望むことなら何でも行います。彼らが教えてほしいと望むことなら何でも教えます。なるべき人物に,そして,ならなければならない人物になります。主の強さと恵みの内にあるなら,皆さんもわたしもすべてのことを成し遂げられると知っています。

最も弱い者の一人として,神が生きておられることを証します。イエスはキリストであられ,わたしたちの贖い主,救い主です。主は生きておられます。預言者ジョセフ・スミスを通して,イエス・キリストの完全な福音と真実の教会がこの末日にあって地上に回復されました。神権の鍵かぎと権能と救いの儀式は,現在,再びこの地上にあります。神権の力により,家族はまことに永遠になることができます。モルモン書は神の御言葉みことばであり,わたしたちの宗教のかなめ石です。兄弟姉妹の皆さん,天は閉じてはいません。神はわたしたち一人一人と,そして末日の地上の王国を指導する者たちと話されます。ゴードン・B・ヒンクレー大管長は,今日こんにちの地上における主の預言者です。これらのことをイエス・キリストの聖なる御名みなにより証します。アーメン。