2000–2009
熱心に携わる
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熱心に携わる

定員会の会員がいます。また,定員会の会員になるべき人たちがいて,彼らはわたしたちの助けを求めています。

愛する兄弟たち,今晩わたしは,皆さんの前に立ち,わたしたちに与えられている神の神権という神聖な特権について教え,証あかしするように言われました。その要請にこたえるのは,厳粛で,また,幾分おそれ多いことです。皆さんが信仰を持ち,わたしのために祈ってくださるよう祈っています。今晩,この美しいカンファレンスセンターや世界中の会場でこの会に参加しているアロン神権者とメルキゼデク神権者のほかに,様々な理由で義務を放棄して違う道を歩むことを選択した神権者が非常に大勢います。

主はわたしたちに,そのような人たちに手を差し伸べて救助し,家族とともに彼らを主の食卓に連れて来なさいと,大変簡潔に述べておられます。「それゆえ,今や人は皆,自分の義務を学び,任命されている職務をまったく勤勉に遂行するようにしなさい」1 と宣言された主の神聖な教えに,わたしたちは耳を傾ける必要があります。主はまた,さらに付け加えて言われました。

「見よ,わたしがすべてのことを命じるのは適切ではない。すべてのことを強いられて行う者は怠惰であって,賢い僕しもべではない。したがって,彼は報いを受けない。

まことに,わたしは言う。人は熱心に善いことに携わり,多くのことをその自由意志によって行い,義にかなう多くのことを成し遂げなければならない。

人は自らの内に力があり,それによって自ら選択し行動する者だからである。そして,人は善を行うならば,決してその報いを失うことはない。」2

神聖な聖文は次の聖句で,皆さんやわたしに,従うべき規範を与えてくれています。「イエスはますます知恵が加わり,背たけも伸び,そして神と人から愛され〔ました。〕」3 また,「イエスは,神が共におられるので,よい働きをしながら,……巡回されました。」4

主の生涯を研究していて気づいたのですが,主のいつまでも残る教えと驚くべき奇跡は,いつも主が御父の業に携わっておられたときに起こっています。主はエマオに行く途中,骨肉の体をもって御姿みすがたを現されました。そして食物を食べ,御自分の神性を証されました。これはすべて主が墓を出られてから起こったことです。

それより前,主が目の見えない人を見えるようになさったのは,エリコに行く途中でした。

救い主はいつも人を教え,証し,救うことに熱心であられました。それが現在,神権定員会の会員であるわたしたち個人の義務です。

1980年4月6日,大管長会と十二使徒定員会は,証と真理について次のような宣言を出しました。

「わたしたちは,末日聖徒イエス・キリスト教会が回復された教会であり,神の御子がこの地上でその業を行っておられたときに設立された教会が,そのまま回復されたものであることを厳粛に断言するものであります。この教会は聖なるイエス・キリストの御名みなを冠し,イエスを隅のかしら石として使徒と預言者のうえに建てられています。また,アロン神権とメルキゼデク神権の位をもって構成される神権が,古代においてそれを所有した人々の手を通して回復されました。アロン神権はバプテスマのヨハネを,メルキゼデク神権はペテロ,ヤコブ,ヨハネを通して回復されたのです。」5

1889年10月6日には,ジョージ・Q・キャノン副管長が次のように嘆願しています。

「わたしは,神権の力が強められるのを見たいのです。……この強さと力が,教会の大管長から最も若くて謙遜な執事に至るまで,神権者全体に満ち渡るのを見たいのです。すべての男性は,神の啓示を求め,享受すべきです。その天からの光は,わたしたちの心と霊を輝かせ,各自の義務,つまり,神の業の中で神権者に与えられている責任に関して知識を与えるものなのです。」6

今夜,わたしはこれまでの人生で経験したことを二つ話します。一つはわたしの子供時代の話で,もう一つは,夫であり,子供を持つ父親だった友人に関するものです。

わたしがアロン神権の教師に聖任されて間もなく,定員会の会長に召されました。

アドバイザーのハロルドはわたしたちに関心を持ってくれていて,わたしたちもそれを知っていました。ある日,彼が言いました。

「トム,君は,ハトを飼っているんだって。」

わたしは愛想よく「ええ」と答えました。

すると彼は「純血種のバーミンガム・ローラーのつがいを,君にプレゼントさせてもらえないだろうか」と言ったのです。

今度は「はい,ぜひお願いします!」と答えました。実は,わたしが飼っていたのは,グラント小学校の屋根の上にわなを仕掛けて捕まえたどこにでもいるハトだったのです。

翌日の夕方,彼の家へ招かれました。幼いころのわたしには,その日は最も長く感じられる一日でした。わたしはアドバイザーの帰宅を1時間ほど待ちました。仕事から帰って来た彼は,わたしを裏庭の小さな納屋にあるハト小屋へ連れて行ってくれました。そこにはそれまでに見たこともなかったほど美しいハトがいました。「どれか雄を1羽選びなさい。それから世界中どこを探してもいないような変わった雌バトを上げよう。」わたしは雄バトを1羽選びました。すると彼はわたしの手に小さな雌バトを乗せてくれました。この雌バトのどこがそんなに変わっているのかと尋ねると,彼は「注意してよく見てごらん。目が片方しかないから」と言うのです。確かにそのとおりで,この雌バトには片目がありませんでした。ネコの仕業でした。「家へ連れて行って,君のハト小屋の中に入れておきなさい。そして10日ほど小屋の中で飼ったら,外に出してみて君の小屋に戻って来るかどうか試してみるといい」と彼は言葉を添えました。

わたしは言われたとおりにしました。雄バトを離すと,小屋の屋根の上を偉そうに歩き回り,それからえさを食べに小屋に戻って来ました。ところが,片目の雌バトの方は,すぐにどこかに飛んで行ってしまったのです。わたしはハロルドに電話をして尋ねました。「あの片目のハトがあなたの小屋に戻っていませんか。」

「来てごらん,一緒に調べてみよう」と彼は答えました。

台所の戸を開けてハト小屋まで歩いて行く途中,アドバイザーはこう言いました。

「トム,君は教師定員会の会長だね。」わたしはそんなことは言われなくても分かっています。すると彼は続けてこう言ったのです。「ボブに教会へ戻ってもらうためにどんなことをするつもりだい。定員会の会員なんだけど。」

わたしは,「今週の定員会集会には連れて来ます」と答えました。

やがて彼は,特別な巣に手を伸ばし,片目のハトを取り出して渡してくれました。

「もう2,3日巣の中で飼ってみてから,また試してみるといい。」わたしは言われたとおりにしてみましたが,またいなくなってしまいました。そして同じことが繰り返されました。「来てごらん,戻っているかどうか調べてみよう。」ハト小屋に行く途中で,彼が言いました。「おめでとう。ボブを神権会に連れて来たね。じゃ今度は,君とボブで,ビルを呼び戻すために,どんなことをしたらいいだろうか。」

「来週,二人で彼を連れて来ます」と答えました。

その後このような経験が何度も繰り返されたのです。わたしは大人になって初めて,アドバイザーのハロルドが特別なハトをプレゼントしてくれたほんとうの意味をはっきりと知ることができました。ハロルドはそのハトが必ずハロルドのハト小屋に戻って来ることを知っていたのです。このような霊感を受けた方法によりハロルドは,2週間ごとに教師定員会の会長と理想的な神権個人面接を行ったのです。わたしが今日こんにちあるのも,あの片目のハトのおかげです。そして,それ以上に,あの定員会アドバイザーに感謝しています。ハロルドの辛抱強い方法のおかげで,将来待ち受ける責任に対して備えることができたのです。

父親,祖父である皆さん,わたしたちには大切な息子や孫を導くという非常に大きな責任があります。彼らはわたしたちの助けを必要としています。わたしたちの励ましと模範を必要としています。「青少年に多くの批評家は要らない。必要なのは,彼らが従うべきもっと多くの手本である」という賢明な言葉があります。

次に,教会への出席や,何であれ教会の活動への参加が習慣,あるいは生活の一部になっていない人たちについて話しましょう。これら長老見込み会員の数は増えています。それは,アロン神権定員会に属する少年たちが,アロン神権者の時代にいなくなっていくためであり,また,バプテスマを受けた成人男性がその後,長老に聖任されるために必要とされる集会や活動への参加がなかったり, 信仰を保ち続けることができなかったりするためです。

わたしは,そのような人たちの心や思いについても考えますが,彼らの優しい妻や成長期にある子供たちを思って悲しくもなります。この男性たちは助けと励ましの言葉を待っています。愛にあふれ,相手を高め,強めたいとの望みにあふれた,真理に関する個人的な心からの証を待っています。

友人のシェリーもその一人でした。シェリーの妻と子供たちはすばらしい会員でしたが,シェリー自身にバプテスマを受けて神権者となり,その祝福を味わってもらおうとする努力は,どれも悲しいほどうまくいきませんでした。

しかしあるとき,シェリーの母親が亡くなりました。悲しみのあまり,シェリーは遺体を安置する部屋のそばの別室に引きこもってしまいました。彼が独りで死を悼み,悲しみの涙を流すのを人に見られずに済むよう,わたしたちは彼の部屋に式場の様子を映せるように準備しました。

説教台へ向かう前に彼の部屋に立ち寄り,お悔やみの言葉をかけると,彼はわたしを抱締めました。わたしは彼の心の琴線に何かが触れたのだと悟りました。

時が流れ,シェリーは家族とともに町の別の地区へ引っ越して行きました。わたしはカナダ伝道部を管理する召しを受け,家族とともにカナダのトロントで3年間を過ごしました。

還後十二使徒に召されたわたしに,シェリーから電話がかかってきました。「監督,ソルトレーク神殿で妻と子供とわたしを結び固めてくださいませんか。」

わたしはためらいながら答えました。「でもシェリー,まずバプテスマを受けて教会の会員にならなくては。」

笑って言いました。「ああ,それはもう,監督がカナダにいる間に済ませました。あなたを驚かせようと思ったんです。実は,ホームティーチャーがいつも訪ねて来てくれて,教会の真理を教えてくれたんです。彼は通学路の安全指導員で,毎日朝と午後,登下校中の子供たちが道路を渡るのを助けていました。わたしは彼から手伝うように頼まれました。彼は,子供たちの集団が途切れる度に,教会についてもっと教えてくれました。」

わたしはこの奇跡をこの目で見,心の底から喜びを感じる特権を得ました。結び固めが執行され,家族が一つとなりました。その後間もなくして,シェリーは亡くなり,彼の葬儀で話をする特権にあずかりました。ひつぎの中で神殿の衣服を身に着けて横たわるわたしの友,シェリーの姿を,いつまでも覚えていることでしょう。そのとき自分が涙を流したことを喜んで認めます。それは感謝の涙でした。いなくなった者が見つかったのですから。

主の御手みてを感じた人は,自分の生活に生じた変化をなぜか説明することができません。そこにあるのは,もっと善良な生活をし,忠実に仕え,謙遜に歩み,さらに救い主に似た者となりたいという望みです。霊の目を授けられて永遠の約束をかいま見た人は,イエスに目を癒いやしていただいた人が口にしたことを繰り返します。「ただ一つのことだけ知っています。わたしは盲人であったが,今は見えるということです。」7

これらの奇跡をどう説明すればよいのでしょうか。長い間眠っていた人が突然いきいきとするのはなぜでしょうか。詩人は死を表して,「神の御手が触れると彼は眠った」8 と言いました。わたしはこの新しい誕生を表して,「神の御手が触れると彼らは目覚めた」と申し上げます。

態度や習慣,行動の変化を引き起こす基本的な要素理由が大きく分けて二つあります。

第1に,永遠の可能性を見せられると,人はその可能性を実現しようと決心します。優秀に手が届くならば,平凡に長く甘んじてはいられないのです。

第2に,救い主の助言に従い,隣人を自分自身のように愛する男性,女性,そしてもちろん若者の存在です。彼らは隣人の夢がかない,大望が実現されるよう手伝っているのです。

こうした一連の働きの中で力となるのが愛の原則です。

時が流れても,人の生活を変える贖あがない主の力は決して変わりません。死んだラザロに言ったように,主はわたしたちにも「出てきなさい」9 と呼びかけておられます。わたしはこれに付け加えます。「疑いという袋小路から出て来なさい。罪の悲しみから出て来なさい。不信心という行き止まりから出て来なさい。新しい命に出て来なさい。」

わたしたちが出て行き,イエスの歩かれた道に添って歩くとき,イエスが与えてくださった証を忘れないようにしましょう。

「見よ,わたしはイエス・キリストであり,世に来ると預言者たちが証した者である。……わたしは世の光であり命である。」10「わたしは最初であり,最後である。わたしは生きている者であり,殺された者である。わたしは父に対するあなたがたの弁護者である。」11

定員会の会員がいます。また,定員会の会員になるべき人たちがいて,彼らはわたしたちの助けを求めています。「飢えた羊は目を上げても,えさをもらえない」12とジョン・ミルトンはその詩「リシダス」に書きました。主御自身も預言者エゼキエルに言われました。「わざわいなるかな……イスラエルの牧者。……あなたがたは……群れを養わない。」13

神権者である兄弟の皆さん,これはわたしたちの義務です。しかし,この義務は達成不可能なことではないということを覚え,決して忘れないようにしましょう。神権の召しを尊んで大いなるものとするところでは,どこでも奇跡を見ることができます。信仰が疑いに取って代わり,無私の奉仕が利己心を取り去るとき,神の力により御自身の目的が果たされます。わたしたちは主の用向きを受けています。主の助けを受ける資格があるのです。しかし,努力しなければなりません。「シェナンドー」という劇の中に心を鼓舞するせりふがあります。「やってみないことには何もできない。何もできないというなら,何でここにいるのだろう?」

皆さん,御言葉みことばを聞くだけでなく,行う者となりましょう。14 主の預言者,ゴードン・B・ヒンクレー大管長の模範に従いましょう。

昔,救い主に従った人々のように,主の招きにこたえましょう。主は招いておられます。「わたしについてきなさい。あなたがたを,人間をとる漁師にしてあげよう。」15わたしたちにそれができますように。イエス・キリストの御名みなによりお祈りします。アーメン。