2000–2009
不確かで困難な時代に支えとなる信仰の力
2003年4月


不確かで困難な時代に支えとなる信仰の力

神を信じる信仰と,神が聖なる御霊によって導いてくださると信じる信仰は,ますます大変な世の申にあって皆さんを支えてくれることでしょう。

不確かで困難な時代に,確かさ不を必要としない人がいるでしょうか。自信にあふれていて,人生に安定感を与えてくれる力をまったく必要としない人がいるでしょうか。人がこの世にいる根本的な目的は,成長し,何かを達成することです。したがって,そうした面で進歩する機会となる,試練の時がなければなりません。もし重要な決定をすべて親がするとしたら,一体子供は自立した大人に成長できるでしょうか。天の御父の場合も同じです。御父の幸福の計画が立てられたのは,意欲をかき立てるような目標を得,時には困難をも経験するためです。その中できわめて重要な決定をすることで,この試しの生涯で成長し,進歩し,成功を収めるのです。1 ありがたいことに、御父は完全な愛をもって、人が強さと能力を身に付けながら問題を解決する道を備えてくだだいました。これから不確かで困難な時代に支えとなる信仰の力についてお話しします。

神がわたしたに信仰を行使する能力を与えてくださったのは人生で平安と喜び、目的を見だせるようになるためです。しかし,信仰の力を用いるには,信仰の基礎がなければなりません。最も堅固な基礎とは,天の御父が人に注がれる愛を信じる信仰であり,幸福の計画を信じる信仰です。そして,イエス・キリストは約束をすべて果たす能力と意思をお持ちであると信じる信仰です。

ある人々は,信仰を理解しておらず,したがって十分に活用していません。またある人は,宗教には,あるいは確固たる信仰によってしか受けられない教えや導きには,合理的な根拠がないと感じています。しかしながら,信仰は幻や魔法ではありません。そうではなく,信仰とは永遠の原則に基づく力なのです。皆さんは,信仰を行使しようと努力したけれども,少しも助けにならなかったと感じていますか。もしそうならば,たぶん信仰の基礎となっている原則を理解もせず従ってもいないように思われます。一つの実例を挙げて説明しましょう。

何年も前ですが,原子を作っている粒子の特性を調べたことがあります。このとき使った実験用の原子炉は,その中心にある穴から高エネルギー粒子が流れてくるものでした。粒子は実験用に仕切った小さな空間に送って測定します。高エネルギー粒子は目に見えませんが,人体に危害を及ぼさないように注意深く取り扱わなければなりません。ある日,実験していると用務員の男性が部屋に入って来ました。そして,嫌悪感をあらわにしながらこう言ったのです。「ここにいるのはみんなうそつきだ。何か偉そうなことをやっているように見せかけているだけだ。だまされやしないそ。分かっているんだ。目に見えない,聞こえない,味もにおいも分からない,触れもしないものなんか,この世には存在しないのさ。」その態度には,五感では知り得ない大切なものがあることを学ぼうとする姿勢はまったく感じられませんでした。もしこの男性が進んで心を開き,素粒子があることを突き止める方法を理解していたら,その存在を確かめられたでしょう。同じように,信仰が実在することを決して疑ってはいけません。信仰を使うために神が定められた原則に従えば,信仰の実を集められることでしょう。

その原則は次のとおりです。

●神を信頼する。どんなに難しい状況でも,必要なときには神が喜んで助けてくださることを信頼する。

●神の戒めに従って生活し,信頼に足る人物であることを神に示す。

●御霊の静かな促しに敏感になる。

●御霊の促しに,勇気をもってこたえる。

●成長のためにあなたが苦しむのを神がよしとされ,懸命に成長しようとしながらも長期にわたって答えが少しずつしか与えられないときには,忍耐し分別をわきまえる。

行動を起こさせるような信仰は,主を真正面から信頼し,主が喜んで自分の必要にこたえてくださると心から信頼することから生まれます。「主を信頼する者たちを,主が……祝福し,栄えさせられる」からです。2このたゆみない信仰の行使によって,自信は増し,信仰の力を使う能力が増すのです。

モロナイが教えた次の原則を応用することによって,もっと効果的に信仰を使えるようになります。「信仰とは待ち望んでいながらまだ見ていないものである……。あなだがたは,自分が見ていないからということで疑ってはならない。…が翼こからでなければ,証は得られないからである。」3ですから,信仰を試す度に,つまり何らかの印象に従ってふさわしい行動をする度に,御霊による確認の証を受けるのです。そしてこうした気持ちは信仰を強めてくれます。この経験を繰り返すにつれて,信仰はさらに強くなります。主は皆さんの必要を御存じです。正直に誠心誠意問うならば,何を行うべきか主が教えてくださり,信仰に基づいて行動する能力が増してくるのです。絶えず信仰を働かせるなら,信仰は皆さんの人生で,活気に満た強力な力,精神を高め霊感を与える力になります。自分の理解の限界点へ向かい,やがて明瞭に理解できない不確かな場所に歩いて行くとき,信仰を行使するなら,ほかの方法では得られない答えに導かれるでしょう。わたしはそれが真実であると知っています。そのことを証します。

非常に強い信仰を働かせたとしても,神が望みに応じてすぐに報いてくださるとは限りません。むしろ神は,永遠の計画の中で皆さんにとって最もふさわしい方法でおこたえになるのです。神が皆さんをどれだけ愛しておられるかは,死すべき状態にある問は完全に理解することはできません。ほんとうのところ,もし神の計画をすべて知っていたとしたら,皆さんはその計画に反することを決して願い求めはしないでしょう。たとえ感情に動かされても,そうしないことでしょう。真実の信仰を持っていれば,人は理解力と強さを得て,たとえ天の御父の御心が自分の考えと違っていても受け入れることができるのです。神の御心を平案と確信をもって受け入れることができるのは神の無限の知恵が人の能力を起越していると堅く信じているからです。人の能力でできるのは,神が少しずつ明らかにされる計画をその都度完全に把握することだけです。

信仰はただボタンを押せば答えが返ってくる,というものではありません。主はこう宣言されました。「すべてわたしの愛している者を,わたしはしかったり,懲らしめたりする。だから,熱心になって悔い改めなさい」4 ブリガム・ヤングはこう述べています。「神は神の民あるいわ個人のふさわしさが厳しい試練によって証明されないうちは、並外れて祝福を決しておお授けにはならない5。個人人的なことですが,これまで幾つかの重要な決定を下すときに,力を使い果たし,激しい苦痛を味わい,もがき苦しんだことがあります。そのような苦しみの後に」確信できる答えを得ました。しかし,こうしたつらい経験は人を向上させるものです。神の助けを得ても切り抜けられないような試練を神が人にお与えになることは決してないと知っていれば,心が慰められます。

神は皆さんの信仰を恥て,人格を形成されます。人格とは皆さんの今まさになろうとしている姿を映し出すものです。しっかりした道徳的な人格は,人生の試練と試しの中で常に正しい選択をした結果生まれるもので』。信仰を働かせれば,そうした正しい選択ができるように導かれます。はっきり言えば鮪いと思いこそ,人格を決め,将来を決めるものなのです。だからこそ,何かを選択するときには,主の霊感を受ける必要があるのでりほかの人々が義にかなった選択ができるように励ましてくれることもありますが,そのような人々にさえ決断をゆだねてはなりません。主の教えと一致した選択が喜んでできるように,深く考え,祈り,信仰を行使する必要があります。このような選択は,自分が信じる事柄に信頼を置くときに行うことができます。またその信仰に従一正しいと確認されるのです。人格的な成長を弱めるのではなく、正しい選択を行うために,最低限必要な導きが与えられるのです。そうした導きは,天の御父と救い主に対する信頼を強固なものにしてくれます。

信仰が築く人格的な強さは,緊急な必要に迫られたときに役に立ちます。このような入格は,大きな困難や誘惑に遭うその瞬聞に培われるものではありません。そのような瞬間は,すでに培った信仰を用いなければならない瞬間なのです。人格とは,原則や教義,従順という糸を根気よく紡いでできる織物のようなものです。ヤコブの手紙にこうあります。「信仰がためされることによって,忍耐が生み出されるからである。だから,なんら欠点のない,完全な,でき上がった人となるように,その忍耐力を十分に働かせるがよい。」6 人格の基礎は高潔さです。ふさわしい人格を持つと,御霊の導きに従順にこたえる能力が高まります。義にかなった人格こそ目指すべきものです。それは,所有物や知識,あるいはこの世のいかなる成功よりもずっと大切なものです。義にかなった人格を備えていれば,信頼に値する人になります。義にかなった人格は霊的な強さの基盤となるのです。それは,試練と試しの時にあって,困難できわめて重要な決定を正しく下せるように助けてくれます。圧倒されそうに思える場合でも,力を与えてくれます。わたしは証します。サタンもそのほかいかなる力も,あなたの人格が成長していくのを弱めたり,完全に破壊したりすることはできません。自分自身の不従順による以外には、人格の成長を女げるものはないのです。

父なる神の計画は驚嘆すべきものです。信仰を行使するなら人格は築かれます。人格が強められれば,信仰を行使する能力は増します。こうして,さらなる確信をもって人生の試練を乗り越えていくことができるのです。そして人格を強めるこの好循環はとどまることを知らず,人格が強まれば強まるほど,信仰を力強く行使していく能力も増していくのです。

「支払った分だけしか手に入らない」という格言は,霊的な報いにも当てはまります。従順,イエス・キリストを信じる信仰,学んだ真理を地道に実践することにおいて,自分が支払った分だけしか手に入れることはできないのです。皆さんが手に入れようとしているのは,人格を築き,能力を高めることです。地上での目的を立派に成し遂げたという事実,つまり,試しを受けて成長したという事実です。

何が起こっても,世の中がどんなに混乱しても,いつでも支えとなる力強い信仰を持つことができます。それは決して変わることのないものです。天の御父の完全な愛は,決して変わることはありません。神の福音の計画は人生に意味をもたらし,幸せを約束します。御父の計画は,単に人がこの地上で決断を下す能力があるということを示すためだけにあるのではありません。それだけではなく,信仰に励まされ,従順になることによって正しい決定を下し,その結果として成長するためにあるのです。

自分にはどうすることもできない将来の災難や不確実な事柄に,心を悩ませるのはなぜでしょうか。人格が義にかなっていれば,こうしたものに少しも苦しまなくてよい可能性が増すのです。困難や試しに実際に遭うときは,皆さんの信仰によって解決に導かれるでしょう。心に安らぎがあること,困った問題に遭遇しても答えを見いだせると確信できること,究極的な喜びに満たされること,これらは天の御父と御子イエス・キリストに対する信頼にかかっています。最後には,正義が勝利を収めるのです。神の戒めに忠実に従うなら,正義は今すぐにでも祝福をもたらします。忘れないでください、永続する平安と慰めは、手の届くところにあるのです。天の御父が皆さんを愛しておられることは,たとえどんな状況にあったとしても,試練や不安,苦難の風がどんなに強く吹き荒れていたとしても,紛れもない事実なのです。この事実は決して変わりません。このような助けを得られるかどうかは,御父への信仰の強さと,御父が確かに喜んで祝福してくださるということに対する信仰の強さにかかっているのです。

わたしは証します。神を信じる信仰と,神が聖なる御霊によって導いてくださると信じる信仰は,ますます大変な世の中にあって皆さんを支えてくれることでしょう。また,今お話しした原則を応用するならば,不確かで困難な時代にあって,力強い支えとなる信仰を得ることができるようになるでしょう。

皆さんの周りにいる大勢の人は,混乱し,人生の難しい問題の答えを探し求めています。どうかそのような人々に,真理に関する証と信仰の力に関する証を伝えてください。また,今この騒然とした時代にあって,神を信じる信仰と,末日聖徒イエス・キリスト教会に完全に回復された神の教えから,生活に祝福を得られるのだということを,周りの人々が理解できるように助けてください。彼らの生活を祝福してくださる主の力について証してください。今申し上げたことを今すぐ実行してください。主が助けてくださることでしょう。皆さんの信仰が皆さんを導き,支えてくれるでしょう。わたしはそのことを知っています。イエス・キリストの御名によって,アーメン。

  1. 黙示3:19参照

  2. ヒラマン12:1。箴言3:5-6も参照

  3. エテル12:6,強調付加

  4. 黙示3:19

  5. Discourses of Brigham Young,ジョン・A・ウイッツォー選(1954年),338

  6. ヤコブの手紙1:3-4