2000–2009
求めよ。そうすれば。与えられるであろう
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求めよ,そうすれば、与えられるであろう

イエス・キリストに近づくために信仰を行使し,全力を傾けていると,キリストが実際にどのような御方なのかをもっとよく理解できるようになります。

愛する兄弟姉妹の皆さん、わたしの心にある思いと証あかしを皆さんにお伝えするに当たって、主の御霊みたまの導きのままにお話しできるよう祈っています。

非常に説得力があり深遠な,救い主からの勧めと約束は,「求めよ,そうすれば,与えられるであろう」1という簡潔な言葉で表されています。

求めるとは,その過程に祈りや嘆願が含まれますが,祈りや嘆願以上に奥深いものです。1度で終わる事柄ではなく,長い行程が必要です。わたしはよくこの過程を,大自然を横断する旅にたとえます。最終的にどこへ行こうとしているのかは分かっていますが,目的地を目指して歩き続ける一日一日の中に,様々な体験やほんとうの意味の学習があるのです。

神にかかわる事柄を求めるなら,神の御前みまえにへりくだり,求めているものは神の恵みによって与えられるということを心に留めなければなりません。また,愛にあふれる天の御父から,光と理解を直接授けられるように,思いや祈り、言仰,望を集中しなければなりません,つまり、全精力を傾ける必要があるのです。

神からの答えを求める過程について説明すると簡単に聞こえますが,実際は個人的な努力が必要です。わたしたちはまず,神に一心に願い求める事柄について心の中でよく思い計り,熟考するようにと言われています。2深く思い巡らすことにより,物事が明確になり,霊感が与えられます。次に,謙虚な祈りを通して,考えや望みを天の御父に素直に打ち明けるようみなにと言われています。キリストの御名みなによって求めるなら,また求めるものが正しいならば,そして「キリストを信じながら,誠心誠意問うならば」,神が「聖霊の力によって」それが真実であることを明らかにしてくださると約束されています。わたしたちは聖霊の力によって,「すべてのことの真理を知る」ことができるからです。3

ところで,わたしたちは何を求めるべきでしょうか。

わたしたちは聖文から,「熱心に最善の賜物たまものを求め」るべきであり4,知恵と理解を求め,「すべての必要なもの」5を用意すべきであると教えられています。また,人々に奉仕するために自分自身のことは忘れ6,「徳高いこと,好ましいこと,あるいは誉れあることや称賛に値すること」7を尋ね求めるよう命じられています。

同時に,この世の清くないものを求めることのないようにとも警告されています。8 ゴードン・B・ヒンクレー大管長はこのように述べています。「この世には邪悪がはびこり,人々をそそのかしています。兄弟姉妹,そのようなものを遠ざけてください。取り除いてください。恐ろしい病気と同じように避けてください。それは皆さんを滅ぼす毒です。遠ざけてください。」9 アモス書にはこのように記されています。「善を求めよ,悪を求めるな。そうすればあなたがたは生きることができる。またあなたがたが言うように,万軍の神,主はあなたがたと共におられる。」10

わたしたちが,何にも増してまず第一に求めるものは,「神の国と神の義」11です。わたしたちは「唯一の,まことの神……と,〔神〕がつかわされたイエス・キリストとを知ること」12を求めます。

「求めよ。そうすれば,与えられるであろう」という招きの最も個人的なものは,救い主の次の言葉に表れています。「わたしに近づきなさい。そうすれば,わたしはあなたがたに近づこう。熱心にわたしを求めなさい。そうすれば,あなたがたはわたしを見いだすであろう。」13

では,救い主を見いだすとは,どのような意味でしょうか。

イエス・キリストに近づくために信仰を行使し,全力を傾けていると,キリストが実際にどのような御方なのかをもっとよく理解できるようになります。キリストを熱心に求めるときに,キリストのたぐいない愛,完全な生涯と模範大いなる贖あがないの犠牲から得られる祝福について,深く揺るぎない証を得ることができます。キリストに近づいて行くと,まことの意味でキリストを見いだし,キリストが地球の創造主であり,人類の蹟い主であり,御父の独り子であり,王の王であり,平和の君であられることを実感するようになるのです。

深く求めれば求めるほど,旧約時代の偉大なエホバとして,また新約時代の聖なるメシヤとして,キリストが果たされた役割の真の価値が理解できるようになります。また,救いと昇栄に関するキリストの永遠のメッセージがさらに深く理解できるようになります。主が今でも,従って来るよう招いておられることや,主の教えが確かであり,過去のいつの時代にも応用できたように,現在にも応用できるということが見いだせます。ゲッセマネとカルバリで起きた出来事の価値をいっそう深く理解できるようになります。キリストは不当に罪を着せられ,刑罰を言い渡されましたが,御自分の命を進んで差し出し,自らの預言の成就として3日目によみがえられました。このかけがえのない贈り物はすべての人に不死を,そして従順で忠実な人には永遠の命をもたらすのです。

主のメッセージが過去も現在も,あらゆる地に住むあらゆる人に向けられたものであることが理解できるようになると,わたしたちは主が古代アメリカ大陸の民を訪れられたという聖文の記録を,大いなる喜びをもって受け入れるようになります。世の救い主,贖い主であるメシヤの使命について証する第2の書,すなわちもっ一つの証の書であるモルモン書の出現に歓喜の声を上げるようになるのです。モルモン書を調べ,モルモン書について祈ることによって,ほかのどの書物にも増して神に近づくことができると分かるようになります。14

主を見いだすことを願い求めるなら,主御自身が天の御父とともに少年預言者ジョセフ・スミスを訪れて待望の「時満ちる神権時代」の幕を開かれた15ということについて,証を受けることができます。主を求めるなら,主が御自身の教会,すなわち末日聖徒イエス・キリスト教会を地上に回復されたことや,人が再び主のみもとに戻り主とともに住むために必要な儀式を施す力と権能を,御自身の教会に授けられたことが分かるようになります。

主を求めるなら,主が生ける預言者ゴードン・B・ヒンクレー大管長を通して御自身の教会を引き続き導いておられること,主の教会の組織が「キリストご自身」を「隅のかしら石」16とし,使徒と預言者という土台の上に建てられていることを見いだすことができます。

主を熱心に求めるなら,主がわたしたちを愛しておられることを感じ,わたしたちの祈りに対して答えを与えてくださることをいっそう明確に理解できるようになります。主の御霊によって「知恵と,知識の大いなる宝,すなわち隠された宝さえ」17見いだし,主の戒めと指示に従って生活したいという望みが増すのです。

主を求めるなら,主が「世の光であり命であられる」18ことを見いだします。兄弟姉妹の皆さん,わたしたちは主を求めるとき,まことに主を見いだし,主が約束しておられる心の平安を味わいます。わたしはこのことをイエス・キリストの御名によって証します。アーメン。