2000–2009
「荒野にさまよう一つの羊」
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「荒野あれのにさまよう一つの羊」

非難に暮れた両親は,不従順な子供たちを,義にかなった、勤勉に,祈りの気持ちで教えてきました。わたしたちは皆さんに申し上げますが,良い羊飼いが彼らを見守ってくださいます。

愛する兄弟,姉妹,友人の皆さん,わたしの今朝のメッセージが,心を痛めている両親に希望と慰めを与えるものとなればと願っています。義の中で子供を育てるために愛と献身をもって最善を尽くしてきたのに,子供が反抗したり,悪と破滅の道に従って迷い出てしまったりしたために,失望している両親に向けてお話しします。皆さんの感じている深い悲しみについて考えると,わたしはエレミヤの言葉を思い出します。「声がラマで聞える。ラケルがその子らのために嘆くのである。……彼女はその子らのことで慰められるのを願わない。」主はこれに対してありがたい保証を与えられました。「あなたは泣く声をとどめ……よ。あなたのわざに報いがある。彼らは敵の地から帰ってくる……。」1

わたしが初めに証あかししなければならないのは,この教会の両親に対する主の言葉が,教義と聖約の第68章に,注目すべき指示としてこう記されていることです。「さらにまた,シオンにおいて,または組織されているそのいずれかのステークにおいて,子供を持つ両親がいて,八歳のときに,悔い改め,生ける神の子キリストを信じる信仰,およびバプテスマと按手あんしゅによる聖霊の賜物たまものの教義を理解するように彼らを教えなければ,罪はそめ両親の頭こうべにある。」2両親は「その子供たちに祈ることと,主の前をまっすぐに歩むことも教えなければならない」3と指示されています。わたしは父親として,祖父として,曽祖父そうそふとして,これを主の言葉として受け入れています。そして,イエス・キリストの僕しもべとして,両親の皆さんに,できるだけ忠実にこの勧告に従うようお勧めします。

善い親とはどのような人でしょうか。模範と勧告によって子供たちに「祈ることと,主の前をまっすぐに歩むこと」4を教えるために,優しく,祈りをもって,熱心に努めてきた人々です。たとえ不従順な子供や世俗的な子供がいたとしても,これは真実です。子供たちはそれぞれ異なる霊と個性を持ってこの世にやって来ます。中には「どのような環境の下であろうと,どのような両親のもとに生まれてこようとも,反抗する……子供がいるのではないでしょうか。……両親がどうあろうと,両親の生活に祝福と喜びをもたらす子供もいると思います。」5成功する両親は,それぞれの家族が抱える事情の中で最善を尽くすために犠牲を払い,苫労している人々です。

子供に対する親の愛の深さは,計り知れません。それはほかのどんな間柄にもない深い愛です。自分の命さえいといません。子供に対する親の愛は絶えることなく,心痛や落胆を乗り越えて続いていくものです。すべての親は,子供が賢明な決断を下すように望み,祈っています。従川頁で信頼できる子供は,その親にとこしえの誇りと満足を得させます。

しかし,忠実で愛にあふれた親に教えられてきた子供が反抗したり,迷い出たりしたら,どうなるでしょうか。希望はあダるのでしょうか。道をそれた子供を持つ親の深い悲しみは,ほとんど癒いやされることがありません。ダビデ王の三男アブサロムは,兄の一人を殺害し,父親に対する反乱を指揮しました。アブサロムはヨアブに殺されました。アブサロムの死の知らせを聞いたとき,ダビデ王は泣いて悲しみを表しました。「わが子アブサロムよ。わが子,わが子アブサロムよ。ああ,わたしが代って死ねばよかったのに。アブサロム,わが子よ,わが子よ。」6

この父親の愛は,放蕩ほうとう息子のたとえの中にも表現されています。放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した息子が家に帰って来たとき,父親は肥えた子牛をほふり,放蕩息子が帰って来たことを祝いました。そして,憤慨ふんがいしている忠実な息子に言いました。「このあなたの弟は,死んでいたのに生き返り,いなくなっていたのに見つかったのだから,喜び祝うのはあたりまえである。」7

わたしはオーソン・F・ホイットこ一長老の慰めに満ちた次の言葉を信じ,受け入れています。

「預言者ジョセブ・スミスは次のように宣言しましたが,この宣言により,これ以上ないほどの慰めに満ちた教義を説いています。忠実な両親が受けた永遠の結び固めと,真理の大義における雄々しい奉仕に対して授けられた神の約束は,当人のみならず,子孫をも救う力があります。中には迷い出る羊がいるかもしれませんが,良い羊飼いの目は彼らに注がれています。囲いに連れ戻そうと差し伸べられている神の御手みてに,遅かれ早かれ,彼らは気づくでしょう。現世か来世のいずれかで,戻って来るでしょう。正義に対する負債は支払わなければなりません。自分の犯した罪のために苦しみ,つらいいばらの道を歩むことになるかもしれません。しかし,そのつらい道を通って,罪を悔い改めた放蕩息子のように,最終的には愛と赦ゆるしに満ちた父親の心と家へ戻るのであれば,つらい経験も無駄にはならないでしょう。軽率で反抗的な子供のために祈り,信仰をもって見守ってください。神の救いを見届けるまで,希望と信頼を捨てないでください。」8

この声明にある原則は,しばしば見過ごしにされますが,迷い出た彼らは完全に悔い改め,「自分の犯した罪のために苦しみ」,「正義に対する負債を支払わなければな〔らない〕」ということです。わたしは「現世は人が神にお会いする用意をする時期である」9ことを知っています。反抗的な子供がこの世で悔い改めることがなければ,結び固めのきずなは,彼らが悔い改めを達成できるように助ける力となり得ないのでしょうか。教義と聖約の中で,わたしたちはこう言われています。「悔い改める死者は,神の宮の儀式に従うことによって贖あがなわれるであろう。

彼らは自分の背きの代価を支払い,洗われて清くなった後,その行いに応じて報いを受けるであろう。彼らは救いを受け継ぐ者だからである。」10

御存じのように,放蕩息子は自分の財産を浪費し,すべて使い果たしたときに父親の家へ戻って来ました。そこで家族には迎え入れられましたが,財産は失いました。11憐あわれれみは正義の要求を奪うことはないので,忠実な両親の結び固めの力は,キリストの蹟いに,本人の悔い改めという条件が満たされたときのみ,道をそれた子供たちに及びます。悔い改めた反抗的な子供は,救いとそれに伴うすべての祝福を享受しますが,昇栄はそれ以上のことです。昇栄を受けるふさわしさを完全に得る必要があります。だれか昇栄するかという質問は,主の憐れみにゆだねなければなりません。

どんなに反抗的で邪悪な罪を犯した人であろうとでも,「悔い改めの力が及ぼない」12ほど重大な罪を犯してしまった,という人はほとんどいません。裁きもまた,主にゆだねるべきものです。主はこう言われました。「主なるわたしは,わたしが赦そうと思う者を赦す。しかし,あなたがたには,すべての人を赦すことが求められる。」13

義にかなった両親の結び固めのきずなが子供との問でいかに持ちこたえるのか,恐らく,この世において完全に理解することはできないでしょう。わたしたちが知らない多くの助けが差し伸べられることによって,それが可能となるのかもしれません。14わたしは,愛する先祖の影響力が幕のかなたからわたしたちに及ぶように,強い家族の力が存在すると信じています。

ハワード・W・ハンター大管長は,このように述べています。「悔い改めは魂が天の家にいたときの状態に戻ろうとする働きであり,両親の途切れることのない細心の心遣いは,神の変わることのない赦しを表す,この世で最上のひな型である。」家族は,救い主がその使命を通じて確立しようとされたものの,最も手近な類型ではないでしょうか。15

人は自分の両親から子育てについて多くのことを学びます。父親に対するわたしの愛は,父が親切で忍耐強く,理解を示してくれたときに大いに深まりました。わたしが家族の車を壊したとき,父は優しく赦してくれました。しかし,息子であるわたしたちは,もしほんとうのことを隠したり,何度も続けて規則を破ったり,特に母に無作法な振る舞いをしたりするなら,厳しい罰を覚悟しなければなりませんでした。父が亡くなってほぼ半世紀になりますが,わたしは今でも,賢明で愛のある助言を求めて父のところへ行けないことを寂しく思います。父の助言に時々疑問を抱いたことがあるのは認めますが,父からの愛に疑いを感じたことは一度もありません。わたしは決して父を失望させようとは思いませんでした。

両親としてできる最善のことを行うために大切な要素は,愛をもってしっかりとしたしつけをすることです。もしわたしたちが子供をしつけなければ,わたしたちや子供たちが好まない方法で,社会がそれを行うかもしれません。子供へのしつけの一つは,働くことを教えることです。ゴードン・B・ヒンクレー大管長はこう言いました。「最も偉大な価値観の一つは正直に働くという徳にあります。知識は労働を伴わなければ無益であり,労働を伴うときに天才の資質となるのです。」16

全地に広がるサタンのわなは増え続け,このために子育てはますます難しくなっています。したがって親は,自ら最善を尽くすとともに,教会の組織や活動が提供できる援助を取り入れる必要があります。もし親が一時的であれ不品行のために道を外れるならば,子供たちはその模範に従っても問題ないと感じるかもしれません。

親子関係には,お話しなければならないもう一つの面があります。親から遠ざかっている子供の皆さんにお願いします。たとえ親がこれまで,本来示すべき模範を示してくれなかったとしても,親に歩み寄ってください。親に批判的な人は,モロナイの賢明な勧告を思い起こすとよいでしょう。「不完全なところがあるからということで,わたしを非難してはならない。わたしの父をも,不完全なところがあるからということで非難してはならないし,父よりも前に書き記してきた人々も,非難してはならない。むしろこれまでのわたしたちよりも,あなたがたがもっと賢くなれるようにと,わたしたちの不完全なところをあなたがたに明らかにしてくださった神に,感謝しなさい。」17

モロナイは1823年に若き預言者ジョセブ・スミスを訪れたとき,エリヤの使命に関する次の聖句を引用しました。「彼は先祖に与えられた約束を子孫の心に植え,子孫の心はその先祖に向かうであろう。」18わたしは,すべての子供たちが最終的に父親と母親に心を向けるように願っています。

わたしが若いころに知っていたすばらしい夫婦には反抗的な息子がいて,家族から離れて生活していました。しかし,何年か後に家族と和解し,子供たちの中で最も優しく両親を気遣う息子になりました。人は年を取るにつれて,幕のかなたにいる親や祖父母からの引き寄せる力が強くなっていきます。彼らが夢の中に現れてくれるとき,それは甘美な経験です。

子供たちが反抗したり,親の教えと愛から迷い出たりしたという理由で,誠実で忠実な両親が裁かれるとしたら,これほど不公平で冷酷なことはありません。慰めと満足を得させてくれる子供や孫を持つ夫婦は幸いです。わたしたちが思いやらなければならないのは,不従順な子供のためにもがき苦しんでいる,義にかなったふさわしい両親です。友人の一人が,よくこう言いました。「子供の問題をまだ経験したことがなければ,ほんの少し待ちなさい。」自分の子供がある環境でどのように行動するか,確信をもって言える人はいません。わたしの賢明な義理の母は,ほかの子供たちの間違った行いを見るとき,こう言ったものです。「わたしが話している最中にしていないからという理由で,自分の子供ならそれをしなかったとは決して言えないわ。」不従順で反抗的な子供のために両親が嘆き悲しんでいるとき,わたしたちは同情心を示さなければなりません。「最初に石を投げつける」ようなことをしてはなりません。19

ある匿名とくめいの教会員は,いちばん下の弟が両親に与えた絶え間ない心痛について書いています。弟は薬物に手を出しました。そして自分を抑え正そうとするあらゆる努力に反発しました。人を欺き,けんか腰でした。家出したこの息子は,放蕩息子とは違って,自分の意志で帰っては来ませんでした。その代わりに,警察に捕らえられ,自分の行為の結果に直面させられたのです。両親は2年間,ビルが薬物から完全に立ち直るための治療プログラムを支えました。当時を振り返って,ビルの姉は次のように述べています。「両親は並外れたすばらしい人だと思います。ビルに対する愛が揺らぐことは一度もありませんでした。けれども両親は,ビルが自分自身にしたことや家族の生活に与えた影響には賛成せず,嫌悪感さえ抱いていました。しかし,両親は献身的に働いて,家族があらゆる面でビルを助け,彼が困難な時期を乗り越えてより堅固な地に立てるようにしました。両親は迷い出た一人を愛することによって,キリストの福音をより深く,より細部に至るまで,より広く実践したのです。」20

もし自分の子供が従川頁で,主の道に関する教えを尊重するなら,高ぶらずに,謙虚に感謝するようにしましょう。悲嘆に暮れた両親は,不従順な子供たちを,義にかなって,勤勉に,祈りの気持ちで教えてきました。わたしたちは皆さんに申し上げますが,良い羊飼いが彼らを見守ってくださいます。神は皆さんの深い悲しみを知って,理解しておられます。希望があります。エレミヤの言葉から慰めを得てください。「あなたのわざに報いがあ」り,子供たちは「敵の地から帰ってくる」のです。21イエス・キリストの御名みなによって証し,祈ります。アーメン。