2000–2009
聖約を確固として守る
脚注

Hide Footnotes

テーマ

聖約を確固として守る

キリストを確固として信じるということには,聖約を守ることが含まれます。……これを行うとき……霊は高められ、心は愛で満たされます。

つい半年前にこの召しを受けてつ以勅た・は愛す・姉妹の皆さんに,深い,神からの愛を感じています。世界中の若い女性の皆さんに知っていただきたいのは,皆さんが愛されているということです。わたしだけでなく,皆さんのご両親や指導者も,そして,とりわけ天の御父も皆さんを愛していらっしゃいます。

この愛を感じるのが難しいときもあります。すべてにおいて成功しているように見える,一人の若い女性がいました。彼女は選挙で生徒会の役員に選ばれ,聖歌隊のオーディションに合格し,高校のダンスパーティーでいちばん美しい女の子に選ばれました。そんな彼女が,ある日学校から帰り,ベッドに泣き崩れているのを見て,母親が訳を聞いてみると,彼女は不意にこう言ったそうです。「わたしは自分がだめな人間に思えるの。だれもわたしのことなんて好きじゃないわ。何の才能もないし,授業にはついていけないし,それに,わたしは醜いんだもの。」彼女がそのような不安や孤独感,至らなさを感じているとは,だれも思いも寄らなかったでしょう。でも,ほとんどの10代の若者は,時にこのように感じるものです。

さらにはっきりと目に見える苦難を受けている若人もいます。例えば,わたしの知っている,ある若い女性の母親は,末期癌がん患者です。両親が離婚した若い女性もいます。週末,友達全員が飲みに出かけている問,たった独りで家に残る若い女性もいます。事故で障害が残った若い女性もいます。父親が軍務に就いている若い女性もいます。道をそれた兄弟を心配する,心優しい姉妹もいます。

このような多種多様な,途方もない問題を抱える若人の助けとなるのは何でしょうか。今晩の大会の中心でもある,今年のミューチャルのテーマは,その答えを与えてくれます。「あなたがたはこれからもキリストを確固として信じ,完全な希望の輝きを持ち,神とすべての人を愛して力強く進まなければならない。」(2ニーファイ31:20)わたしはこの聖句が大好きです。わたしたちが人生のチャレンジにどのように立ち向かえばよいかを教えてくれます。希望と愛を胸に進むとき,希望と愛を感じることもできるのです。

キリストを確固として信じるということには,聖約を守ることが含まれます。毎週,みなわたしたちは「御子の御名みなを受け」「いつも御子を覚え」「御子が与えてくださった戒めを守る」というバプテスマの聖約を新たにします(教義と聖約20.77)。これらを行うとき,わたしたちはキリストを確固として信じることができ,霊は高められ,心は愛で満たされます。つまり,聖約を守るとき,希望と愛を感じるのです。

わたしの友人,ここではリンジーと呼ぶことにしますが,彼女は希望を必要としていました。彼女は御霊みたまや愛とは程遠い家庭に住んでいました。友人は乱れた生活をしており,若い女性の指導者たちは,彼女を心底助けようとはしていませんでした。しかし彼女は心の奥底で,たとえ困難な状況にあっても,主は自分を愛してくださっていると感じました。いつも主を覚えることに集中しました。友達が悪いことをしていても,彼女はそれに加わらないようにしました。生活の中で主の御霊を感じたいと思った彼女は,自分の部屋で天の御父に祈るようになりました。善い人になりたい,主の戒めを守りたいという願いが彼女の心の中にわいてきました。知識もあまりなく,友達や家族からの助けもない中にあっても,彼女はバプテスマの聖約を守ろうと努力しました。正しいことを続けていきたいという希望を感じました。そして,天の御父の愛を感じました。

わたしたちを「たなごころに……彫り刻ん」でくださった主は,わたしたちを忘れることはないと約束されました(イザヤ49:16)。そして,主を心に刻み込んだわたしたちも,主を忘れないと約束したのです。

初期の聖徒たちは,ミズーリにおける苦難の中でこれを学びました。主は聖徒たちに,次のように勧告されました。「忍耐強く主を待ち望みなさい。あなたがたの祈りは……主の耳に達して…いるからである。… …

それゆえ,主は,祈りはかなえられるという不変の聖約をもって,あなたがたに約束を与える。また,あなたがたを苦しめたすべてのことは,あなたがたの益のために…働く…。」(教義と聖約98:2-3)。この約束は彼らの苦難を取り除きはしませんでしたが,彼らを慰め,将来への希望を与えてくれました。

同じように,アブラハムも神の約束を固く信じて,確固として進みました。わたしは,息子イサクを犠牲としてささげるためにモリヤ山へと歩いたアブラハムについて読む度に,その胸中を思い,胸が締め付けられます。わたしたちは聖書からその結果を知っていますが,彼自身はその試練の先に何が待っているかを知せんでした。先に何が待っているかを知らないまま、歩んだのです。それでも、彼の心は堅固でした。主が自分を祝福してくだるという約束を信じていきていました。いかに張り詰めた思いを抱いていたとしても,キリストを確固として信じながら進むのを躊躇ちゅうちょすることはありませんでした。

ミズーリの聖徒たちのように,リンジーはどんなひどい状況にあっても,主は自分をお見捨てにならないと知っていました。主の愛は堅固なものでした。「あなたがたを苦しめたすべてのことは,あなたがたの益のために働く」という,主の愛の「不変の聖約」(教義と聖約98:3)に慰めを得ていました。アブラハムと同様,彼女の道は険しいものでしたが,それでも,前進し続けました。そんな中で,彼女は助けを見いだしました。一人の特別な教会の指導者が彼女を愛し,導いてくれたのです。彼女はさらに天の御父に近づき,そして,ある若者と出会いました。彼は彼女を愛し,福音をよく教えてくれました。やがて二人は結婚しました。

彼女が昔から待ち望んできた多くの祝福が,ついに彼女に注がれました。家庭に御霊を招き,その中で義にかなった子供たちを育てることが自分にもできると知りました。以前は孤独で,見過ごしにされていた彼女が,今は愛に包まれています。これは,忍耐強く主を待ち望みながら前進を続けたからこそ起こったことで応キリストを確固として信じることによってリンジーに希望がもたらされたように,人生のチャレンジにあって,もがき苦しむわたしたちにも,同じことが起こるのです。今晩聖歌隊が歌う賛美歌の歌詞は,わたしたちに,主のみもとに来るようにと励ましを与えてくれます。

「何が起ころうとも,

どのような脅威に責められようとも,

主はわたしの砦とりでである。

敵からの避け所なのである。

意気消沈した者よ,主に来きたれ。

罪を犯し,目がぐらんだ者よ,

疲れ果て,休息を求める者よ,

主に来れ。主に来れ。」(“Come Unto Him”『賛美歌』〔英文〕114番)

聖約を守ることによって,歩み続ける希望を与えられるだけでなく,わたしたちの心も変えられます。主はエレミヤ書でこう教えておられます。「……わたしが……立てる契約はこれである。……わたしは,わたしの律法を彼らのうちに置き,その心にしるす。」(エレミヤ31:33)聖約はわたしたちの心を広げ,「神とすべての人〔への〕愛」を感じさせてくれます(2ニーファイ31:20)。わたしたちが聖約を守るとき,希望と愛を感じるということを忘れないでください。

イエスは山上の垂訓の中で,愛,赦ゆるし,哀れみといった徳をお教えになりました。主の弟子として主の御名と特質を身に受けるようにと教えられました。これによって,わたしたちの心が変えられ,ほかの人々との関係はより良いものとなります。マービン・J・アシュトン長老はこう言いました。「わたしたちが心からイエス・キリストの教えに帰依きえし,イエスに従おうと心に決めるなら,すばらしいことが起こります。すなわち,わたしたちの心が同胞はらからの幸福に向けられ,人に接するときには忍耐と親切,寛容さが増〔す〕のです。」(「舌は鋭い剣となる」『聖徒の道』1992年7月号,22)

皆さんが家庭で家族に接するとき,今以上にキリストを確固として信じていただきたいと思います。主の御名と特質を身に受けると約束するということは,もっと穏やかな言葉で話し,もっと親切に振る舞い,兄弟姉妹に対してもっと思いやりを持ち,両親に対してもっと感謝を表し,彼らを助けることを意味しています。

昔,家族旅行に出かけたとき,息子がこの模範を示してくれました。長旅の後,ようやく目的地である美しいお城に到着しましたが,下の娘が疲れて機嫌が悪くなりました。はるばる来たというのに,車を降りてお城まで短いハイキングをするのは嫌だと言張るのです。家族はみんないらいらしていました。でも,14歳の息子は,優しく妹を背負い,お城まで連れて行ってくれたのです。ぴりぴりした雰囲気は和らぎました。彼の静かな愛の行いは,お城の情景にも増して,わたしたちの思い出の中に今も生きています。

家族に対して,良い態度で接するというのは,時に最も難しいことと言えます。たゆまずに「進む」努力が求められます。でも,皆さんが聖約を守るとき,永遠に結ばれている人々をさらに深く愛することを学びます。その後に,その愛の輪をほかの人々にも広げていくことができるのです。

昔,短期間でしたが,わたしたち家族はブラジルに住んでいました。帰国する2週間前のことですが,わたしたちは交通事故に遭いました。聖餐せいさん会の後,土砂降りの雨の中を家に帰る途中,近所の交差点に入りました。止まっていた車の陰から急に別の車が飛び出してきて,わたしたちの車の横にぶつかってきたのです。幸い,どちらもけが人はありませんでしたが,車は両方ともひどくへこんでいました。夫のジョンが相手と話すために車から出て行くとき,わたしは,自分たちは悪くないのだからと,彼に言い続けました。間もなく彼は車に戻って来ると,ゆっくりとわたしたちの住んでいた小さな家に向かいました。タイヤが回る度に,金属のこすれる音がしました。相手の車も後ろからついて来ました。ジョンはただ,「後で説明するよ」と言っただけでした。

家に着くと,ジョンは非常用のお金を入れている封筒を持って来て,相手に,車の修理代として渡しました。彼らはうれしそうに帰って行きました。わたしは驚きました。それから,ジョンが家族全員を集め,申し訳なさそうに事の次第を説明してくれました。「この事故がうちのせいじゃなかったのは分かっているよ。でも,相手の家族と話し合っていたとき,自分は1時聞前,天のお父様のように行動すると,主に聖約したのだということしか頭に浮かんでこなかったんだ。もし主がわたしの立場にいたら,相手の家族に同情し,彼らを助けるためにあらゆることをされただろうと思ったんだよ。」何と模範的な夫であり父親でしょう!彼は自分の交わした聖約を覚えていました。キリストのような愛をもって行動することによって,彼は人々の心を和らげたのです。

わたしは皆さんに証あかしします。日々聖約を思い起こすとき,希望と愛を感じます。キリストを確固として信じることによって,心に完全な希望の輝きと,神とすべての人への愛がもたらされます。

「天のお父様は何を

望んでおられるでしょうか。

聖文には何と書いであるでしょうか。

信仰と希望を持ち,

イエスのように生きなさい。

人を助けなさい。」("He Sent His Son", Children's Songbook,34-35)

わたしたち一人一人がキリストのみもとに来て希望を頂き,主の愛の模範に倣ならうことができますように,イエス・キリストの御名によって,アーメン。