2000–2009
宝を探して
2003年4月


宝を探して

過去から学び,将来に備え,今を生きてください。

わたしは子供のころ,ロバート・ルイス・スティーブンソンの『宝島』を読むのが好きでした。また冒険映画も見ました。そういう映画の筋書は,引き裂かれたぼろぼろの地図の切れ端を何人かがそれぞれ1枚ずつ持っていて,もし全部の切れ端が見つかり,合わされば,埋められた宝への道を示す地図になるというものでした。

毎日午後になるとラジオの15分番組を聴いていたことを思い出します。それは「理想のアメリカ少年,ジャック・アームストロング」という番組でした。「全米一おいしい朝食,『ウィーティー』をお試しになりましたか」というコマーシャルソングで番組は始まりました。そしてラジオからなぞめいた声でメッセージが聞こえてくるのです。「それではジャックとべティーと一緒に,宝が隠されている象の墓場に続く,秘密の入り口に近づきましょう。でも待って。この先には危険が待ち構えています。」

わたしはこの番組に釘付けになっていました。わたしは隠された貴重な象牙の宝を探しに行く人になりきっていたのです。

時も場所も変わりますが,救い主も宝について語っていらっしゃいます。主は山上の垂訓でこう宣言されました。

「あなたがたは自分のために,虫が食い,さびがつき,また,盗人らが押し入って盗み出すような地上に,宝をたくわえてはならない。

むしろ自分のため,虫も食わず,さびもつかず,また,盗人らが押し入って盗み出すこともない天に,宝をたくわえなさい。

あなたの宝のある所には,心もあるからである。」1

約束された報いは象牙や金銀の宝ではありません。広大な土地や株券でもありません。主はすべての人が手に入れることのできる富について語られたのです。すなわち,地上の言葉では言い表せないほどの喜び,そして来世における永遠の幸福についてです。

今日わたしは皆さんが永遠の幸福に導かれるように,宝の地図の切れ端を3枚差し上げることにしました。それは,

1.過去から学ぶ。

2.将来に備える。

3.今を生きる,です。

地図の切れ端について一つ一つ考えてみましょう。

まず,「過去から学ぶ」についてです。

わたしたち一人一人には受け継いでいるものがあります。それが開拓者の先祖からであろうと,改宗者からであろうと,人生を方向づける手助けをしてくれた人からであろうとかまいません。この受け継ぎは犠す牲や信仰によって築かれた基礎を据えてくれます。わたしたちにはそのような堅固で安定した土台の上にさらなる受け継ぎを築いていく特権と責任があります。

1974年の『ニュー・エラ』(“New Era”)には,カレン・ノーレンの著したベンジャミン・ランダートの物語が紹介されました。1888年,15歳のベンジャミンはバイオリンの名手でした。ユタ州北部の農場に母親と7人のきょうだいと住んでいたベンジャミンにとって時折難しかったのは,思うほどバイオリンを弾く時間が取れないことでした。バイオリンを弾きたいという衝動が強かったため,母親は,ベンジャミンが農場での仕事を終えるまでバイオリンを弾けないように,ケースに入れて鍵をかけてしまうこともありました。

1892年の終わりころにベンジャミンは,ソルトレークへ行って準州オーケストラと共演するためのオーディションを受けてみないか,と誘いを受けました。彼にとって,これは夢の実現でした。数週間練習し,祈った彼は,1893年3月,待ちに待ったオーディションを受けるためにソルトレークへ行きました。指揮者のディーン氏はベンジャミンの演奏を聞くと,彼はデンバー以西では最も優秀なバイオリン奏者であると言いました。そして,ベンジャミンは秋のリハーサルに備えてデンバーに引っ越すように言われ,自活するに十分で,なおかつ家に仕送りができるほどの給料が支払われることも知らされました。

しかし良い知らせを受けて1週間後,監督はベンジャミンを監督室に呼び,オーケストラに入るのを2,3年延期できないものかと尋ねました。そしてお金を稼ぐ前に,主に借りを返さなくてはならないと言いました。そして,伝道の召しを受けるように告げたのです。

オーケストラに入る機会をあきらめるのは,ベンジャミンには耐え切れないことのように思えました。しかし同時にどう決心すべきか分かっていました。そして伝道に出るためのお金を集めることができたら,伝道の召しを受けます,と監督に伝えました。

ベンジャミンが母親にその召しについて話すと,母親は大喜びでした。母親が言うには,ベンジャミンの父親は生前いつも伝道に行きたいと言っていたのに,とうとうその機会が来る前に亡くなったのだそうです。けれども,伝道資金の話になると,母親の顔は曇りました。ベンジャミンは母親に,もうこれ以上,家の土地を売ってはいけないと言いました。しばらく母親はベンジャミンの顔をまじまじと眺め,言いました。「ベンジャミン,お金を得る方法が一つあるわ。この家には,おまえの伝道資金になるくらいのものが一つあるのよ。おまえのバイオリンを売りなさい。」

10日後の1893年3月23日,ベンジャミンは日記にこう記しています。「朝起きて.バイオリンをケースから出した。一日中,大好きな曲を弾いた。夕方になり,薄暗くなって,楽譜が見えなくなるまで弾き続けた。それからバイオリンをケースに戻した。もう十分だろう。明日,わたしは〔伝道へ〕行く。」

45年後の1938年6月23日,ベンジャミンは日記にこう記しています。「これまでの人生で最も大きな決断を下したのは,わたしが心から愛するものを,それ以上に愛する神のために,あきらめたことだ。その点で,神はわたしのことを決してお忘れにはならないだろう。」2

過去から学んでください。

2番目は,「将来に備える」ということです。わたしたちは目まぐるしく変化する世界に生きています。技術革新は生活をほとんどすべての点で変えてしまいました。このような大変動とも言える進歩に対処せざるを得ないのです。わたしたちの先祖は,世界がこのように進歩することなど夢にも思いませんでした。

主の約束を覚えておきましょう。「備えていれば恐れることは」3ありません。恐れは進歩の強力な敵です。

準備と計画が必要です。準備と計画をするならば,人生を無駄に過ごすことはありません。目標がないところにほんとうの成功はあ.りません。わたしがこれまでに聞いた中で,成功の定義として最もふさわしいものをご紹介します。「成功とは,立派な理想の実現に向かって着実に前進し続けることである。」次のように言った人もいます。「目標を持たずにいることの弊害は,フットボールの試合にたとえると,フィールド内を前や後ろに必死に走り回った挙げ句,結局ゴールにたどり着けないようなものだ。」

何年も前,夢のような歌が流行しました。このような歌詞です。「願っていればかなえられる。だからな願い続けよう。ほら,心配事も消えていく。4わたしは今ここで,はっきり申し上げますが,人生で出遭う苦難に対処したければ,願いだけではなく,周到な準備が必要なのです。準備は骨の折れるものですが,進歩するには絶対に欠かせないものです。

未来へのわたしたちの旅路は,永遠の世界につながる平坦な大通りではないのです。むしろ,路上には幾つもの分岐点や曲がり角があるでしょうし,予期せぬ段差も当然あるはずです。ですから毎日,愛にあふれ,わたしたち一人一人の人生での成功を望んでおられる天の御父に祈らなければならないのです。

将来に備えてください。

3番目は,「今を生きる」です。

時々,わたしたちはあまりに多くの時間を将来のことを考えながら過ごしてしまうことがあります。過去の思い出に浸ったり,将来を待ち焦がれたりするのは心地よいことかもしれませんが,もっと大切なのは,今を生きることです。今日という日は,二度とない機会であり,逃してはならないのです。

メレディス・ウィルソンのミュージカル劇「ザ・ミュージック・マン」(The Music Man)に登場するハロルド・ヒル教授は,こう警告しています。「明日のことばかり考えていると,気づいたときには,空っぽの昨日ばかりがたまっていた,ということになりますよ。」

今何かしておかなければ,明日になって今日のことを思い出そうとしても,思い出すことがありません。今を精いっぱい生きるには,いちばん大切なことをするに限ります。いちばん大切なことを,ぐずぐず後回しにしないようにしましょう。

最近,ある男性の話を読みました。この男性は,奥さんが亡くなるとすぐに,奥さんのたんすの引き出しを開け,9年前にアメリカ東部に行ったときに奥さんが買った洋服を見つけました。奥さんはそれに一度も袖を通さず,特別な時のために取っておいたのです。けれども,亡くなってしまっては,その機会は二度と訪れないのです。

夫はそのことを友人の女性に話しました。そしてこう言ったのです。「特別な時のために何かを取っておくなんて,しちゃだめだよ。人生に特別じゃない日なんてないんだから。」

その友人は後に,この言葉が人生を変えたと言いました。この言葉のおかげで,彼女は大事なことを後回しにしなくなったのです。彼女はこう言っています。「今では,もっと多くの時間を家族と過ごすようになりました。毎日クリスタルのグラスを使っています。スーパーに行くのだって,着たいと思えば新品の洋服で行きますよ。『またいつか』とか『そのうちに』という言葉は,わたしの辞書から消えつつあります。親戚や親友と電話で話すのが普通になっています。昔の友人に電話して,口げんかの仲直りをしました。いつも家族に,どれだけ愛しているか伝えています。生活に笑顔や喜びをもたらすものは,後回しにしないようにしています。そして毎朝,今日はきっと特別な日になると自分に言うのです。毎日,毎時間,毎分が,特別なのです。」

この考え方を具現化したある話が,何年も前にアーサー・ゴードンによって大衆誌に掲載されました。アーサー・ゴードンは次のように記しています。

「わたしが13歳,弟が10歳のころ,父はわたしたちをサーカスに連れて行ってくれると約束しました。しかし昼どきになって電話が入り,急な仕事のために町まで行く必要が生じたのです。わたしたちは,サーカスに行けなくなったときのために,心の準備をしました。けれども父は電話越しにこう言ったのです。『町へは行きません。待っていただきましょう。』

父がテーブルに戻って来たとき,母はこう言ってほほえみかけました。『サーカスはまたやって来るでしょう?』

父はこう言いました。『ああ,でもこの子たちの少年期は二度は来ないからね。』」5

七十人第一定員会のモンテイ・J・ブラフ長老は,子供のころにユタ州ランドルフの家で夏を過ごしたときの経験について話してくれました。ブラフ長老は弟のマソクスと一緒に,裏庭の大木に小屋を作ることにしたのです。二人は,今までにない最高の小屋を作る計画を立てました。そして近隣をくまなく探して,小屋に必要な材料を集め,木の上に運びました。そこは2本の大きな枝が伸びる,小屋作りには絶好の場所でした。作業は大変でしたが,出来上がりが待ち遠しくてたまりませんでした。出来上がった小屋を思い浮かべることで,完成への意欲がとてつもなくかき立てられました。

二人は夏の間ずっと小屋作りに励み,新学期が始まる直前の秋には完成しました。ブラフ長老は,やっとの思いで完成した小屋を見たときの喜びと満足感を決して忘れないだろうと語りました。二人は木の上の小屋に腰かけ,辺りを少し見回して木から降りました。そして二度と小屋には戻りませんでした。小屋は上出来でしたが,二人は1日もたたないうちに小屋への関心をなくしてしまったのです。言葉を変えれば,計画し,集め,作業すること,それらは完成されたものよりも長続きする満足感と喜びを二人にもたらしたのです。

ブラフ長老と弟のマックスがしたように,日々の生活の中で,人生を楽しみましょう。人生の旅に喜びを見いだすのです。

古い格言にある「今日できることを明日に引き延ばしてはならない」という言葉は,家族や友人に,愛や感情を,言葉や行いで伝えるときにさらに重要になってきます。作家のハリエノト・ビーチャー・ストウはこう言いました。「墓に向けられた哀絶の涙には,伝えられなかった言葉や,やり残した行いが込められている。」6

機会を永遠に逸してしまうことの悲しさを,ある詩人はこうつづっています。一部を引用したいと思います。

「果てしないこの大きな町にも,

角を曲がったすぐそこに友達がいる。

日は週ぎ,月は走り去る。

効らぬ局に1年が週ぎる。

旧友の顔を一度も児ぬまま。

人生は恐ろしぐ速く,

矢のように週ぎていく。

そして明日が来て,

またその日が週ぎていく。

二人を隔でる溝はますます広がる。

由がり角のすぐそばなのに,

まるで遠くの人のようだ。

そこへ1通の電報が舞い込んだ。

『ジム死す』と。

これが二人の最後に得たもの。

曲がり角の向こうのあの友達は,

もう二度と戻っで来ない。」7

1年余り前のことですが,何年も会っていない愛する友人を訪問しようと決心しました。これ以上先送りにしたくなかったのです。友人の住むカリフォルニアに何度も足を運ぼうとしましたが,訪問できずにいました。

ボブ・ビガーズとわたしは,サンディエゴにある合衆国海軍訓練センターの総務課に勤務していたときに知り合いました。第二次世界大戦も終わりに近づいていたころです。知り合った当初から意気投合し,ボブは結婚する前にソルトレークを訪れてくれました。1946年にわたしが海軍を除隊して以来,わたしたちは手紙のやり取りをしてきました。毎年クリスマスには,妻のフランシスとともに,ボブと奥さんのグレースにカードを送ってきました。

そしてついに,2002年1月初旬,カリフォルニア州ウィッティアーのステーク大会に訪問する予定を立てました。ビガーズ夫妻が住んでいる所です。わたしは,もう80歳になる友人のボブに電話し,妻のフランシスとともに夫妻に会うことにしました。昔のことを語り合うのです。

すばらしい時間を過ごしました。55年前に海軍にいたときの写真を持って行き,共通の知人の近況について知っている限りのことを伝え合いました。ボブは教会員ではありませんが,サンディエゴ駐在中にともに集った聖餐会について覚えていました。

フランシスとともにボブとグレースに別れを告げてから,わたしはたとえようのない平安と喜びを感じ.ました。何年も愛し続けてきた遠方の友人にもう一度会うために,やっと努力することができたのです。

いつの日か,わたしたちは生涯を閉じる時を迎えます。最も重要なことを先送りしないようにしましょう。

今を生きてください。

皆さんにとっての宝の地図はこれでそろいました。それは,週去から学び,将来に備え,今を生きることです。

冒頭にお伝えしたように,主である救い主はこのように言われています。

「あなたがたは自分のために,虫が食い,さびがつき,また,盗人らが押し入って盗み出すような地上に,宝をたくわえてはならない。

むしろ自分のため,虫も食わず,さびもつかず,また,盗人らが押し入って盗み出すこともない天に,宝をたくわえなさい。

あなたの宝のある所には,心もあるからである。」8

兄弟姉妹の皆さん,心の底からわたしの証を述べます。神はわたしたちの御父です。御子は救い主であり,贖い主です。わたしたちは現代の預言者,ゴードン・B・ヒンクレー大管長によって導かれています。イエス・キリストの御名によって,アーメン。

  1. マタイ6:19-21

  2. Benjamin: Son of the Right Hand,“ New Era,1974年5月号,34-37参照

  3. 教義と聖約38:30

  4. “Wishing Will Make It So,”作詞:B・G・デシルバ

  5. A Touch of Wonder1974年),77-78

  6. ゴートン・カラス,ユージン・アーリック編, The Harper Book of Quotations,1988年),173で引用

  7. チャールズ・八ンソン・タウン,”Around the Corner, “Poems That Live Forever. ヘイゼル・フェルマン編(1965年),128で引用

  8. マタイ6:19-21

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