第27課
イエス・キリストを信じる信仰
目的
イエス・キリストへの信仰を強める。
導入
-
写真ページ27-a「イエス・キリストを信じる信仰は福音の第一の原則である」を見せ,レッスンの間中掲示しておく。
イエス・キリストを信じる信仰は福音の第一の原則である。イエス・キリストを信じるならば,キリストに信頼を置き,キリストとその教えを受け入れる。使徒パウロは次のように書いている。「わたしたちは,見えるものによらないで,信仰によって歩いているのである。」(2コリント5:7)すなわち信仰とは,目に見えないものあるいは耳に聞こえないものが確かに存在し,真実であるという霊的な証明である。例えば,キリストがわたしたちの罪のために苦しんで死なれたことを実際に目にすることはできないが,わたしたちは信仰を通してそれを知る。アルマはこのように語った。「信仰とは物事を完全に知ることではない。したがって,もし信仰があれば,あなたがたはまだ見ていない真実のことを待ち望むのである。」(アルマ32:21)
イエス・キリストを信じる信仰
キリストへの信仰のゆえに,人は犠牲を払い,困難な責任を果たすこともする。例えば,アブラハムが進んで息子を犠牲にささげ,エノクが身を変えられ,ノアが洪水から救われたのも,彼らに信仰があったからである(ヘブル11章参照)。このほかたくさんの奇跡がイエス・キリストを信じる信仰によってなされた。「奇跡が行われるのは信仰によるからである。」(モロナイ7:37)
また信仰があれば,困難や苦難,試練などに耐えることができる。例えば,ヨブが大きな苦しみに耐えられたのはキリストを信じていたからである。主がヨブを強められたのである。なぜなら,主は御自身に頼る者を知り,助けの手を差し伸べられるからである(ナホム1:7参照)。
ヨブが受けた苦しみはわたしたちの多くが経験する以上のものであったが,ヨブは決して
ヨブの物語から,信仰は
-
わたしたちの生活の中で生じる問題にどのようなものがあるだろうか。問題を持つ人を裁いてはならないのはなぜか。
キリストヘの信仰を強める
わたしたちは信仰を強めるために常に努力しなければならない。そうするときに,主の近くにいる喜びを感じ,主の祝福を受ける。アルマはキリストへの信仰を養うことを木を植え,育て,実を収穫することにたとえている。
-
写真ページ27-b「信仰は一粒の種をまくことに始まる」を見る。
信仰をはぐくむ第一歩は,種をまくことにたとえられる。アルマは次のように述べている。「わたしの言葉を試し,ごくわずかな信仰でも働かせようとするならば,たとえ信じようとする望みを持つだけでもよい。……その望みを育ててゆけ。……種を〔心の中に〕植えるように……。」(アルマ32:27-28参照)
-
心の中に信仰の種をまくにはどうすればよいか。
神の言葉を聞いたり読んだりして,信じたいという望みを起こすのは,信仰への歩みを始めるきっかけの一つとして,よくあることである。見聞きしたことを実際に試してみるならば,すなわち教えられた原則に従って生活し信じる努力をするならば,心の中にその教えが真実であることを感じ始める(ヨハネ7:16-17参照)。
-
写真ページ27-c「植物が光と空気と水を必要とするように,信仰も絶えず栄養を与える必要がある」を見る。
第2段階も植物の世話と似ている。植物が生長するために光と空気,水が必要であるように,信仰を育てるにも栄養が必要である。
イエス・キリストへの信仰をはぐくみ,あるいは大きくするためにはどうすればよいだろうか。
信仰をはぐくむには,聖文を読んで深く考え,断食と祈りを行い,主に仕え,教会の指導者を支持し,神の戒めを守る必要がある。水がなければ植物が枯れるように,行いのない信仰も死ぬ。わたしたちは義を行って,絶えず信仰を養わなければならない(ヤコブの手紙2:14-26参照)。
-
写真ページ27-d「信仰の実は平安,喜び,そして永遠の命である」を見る。
信仰をはぐくむために勤勉に努めるならば,植物の世話から実りが得られるように,すばらしい祝福を享受できる。
-
イエス・キリストを信じる信仰がもたらす実または祝福とは何か。
信仰がもたらすもの
-
「一切の善いものを固く守る」(モロナイ7:28)
-
将来への不安はなく,平安と幸福を享受する。
-
祈りの答えを受ける。
-
神がわたしたちの重荷を軽くしてくださる(マタイ11:28-29参照)。
-
悔い改めるときに罪が
赦 される。 -
神権の権能を行使する。
-
聖霊を受ける(モロナイ7:32参照)。
-
生活の中で奇跡を行う。(2ニーファイ26:13参照)
-
復活の後,天の御父のもとに帰ってともに住む。
『聖書』の中に12年間重病を患っていた婦人について記されている。彼女は医者にかかるために全財産を費やしたが,病気は治らなかった。ある日,イエスが彼女の住む村にやって来られた。彼女はイエスのうわさを聞いており,衣に触れさえすれば治していただけると信じていた。そこで,彼女は信仰を行いに表し,そばを通り過ぎようとされた救い主に触れた。救い主の衣に触ると病気はたちまち
この話の女性は,行動に移すことでキリストへの信仰をはぐくんだ。そして衣に触れ,病が癒されるという信仰の恵みを受けたのである。
-
病人を祝福したり,祝福されるときに,イエス・キリストを信じる信仰を行使することが大切なのはなぜか。
-
割り当てておいた生徒に,次の話をまとめるか読ませる。
ランドール・エルズワースは,グアテマラの地震で重傷を負いながら偉大な信仰を表した宣教師である。彼は地震が起きたときに建物の中にいたので,崩れた建物の下敷きになった。ある中央幹部は彼の経験を次のように語っている。
「〔彼は〕恐らく12時間ほど,下敷きになったままであった。気がついたときには腰から下は完全にまひし,腎臓の機能も停止していた。もう二度と歩ける望みはなかった。……
彼は飛行機で……メリーランドヘ送られ……そこの病院でテレビのレポーターからインタビューを受けた。レポーターが『医師は,あなたは二度と歩けないと言っていますが,お気持ちはどうですか,エルズワース長老』と尋ねると,彼はこう答えた。『わたしは歩けるようになります。わたしには,グアテマラで伝道するようにという預言者からの召しが与えられています。ですから,わたしはグアテマラに戻って,その召しを全うします。』……
彼は医師の指示に従って2度,機能回復の訓練を受けた。そして信仰を働かせ,さらに神権者による祝福を受けた。その結果奇跡的に回復した。これには担当医や専門医たちも驚くばかりであった。そして彼はついに自分の足で立てるようになり,さらに,松葉
帰任したグアテマラでは,彼は両手に杖を持って歩き,時間表どおりに伝道した。〔ある日伝道部長は〕彼の様子を見て,こう言った。『エルズワース長老,あなたに信仰があるのなら,そんな杖は捨てて,自分で歩いたらどうだろう。』……彼はその場で杖を捨てたが,以来二度と杖を使うことはなかった。」(マリオン・G・ロムニー「主を信頼しなさい」『聖徒の道』1978年2月号,62-63ページ参照)
-
割り当てておいた定員会の会員に,改宗談または危険や試練に直面し信仰によって生きなければならなかったときの経験を話させる。
まとめ
信仰を強めるには,絶えず養わなければならない。信仰はいつどこにあっても必要な
チャレンジ
-
病人への癒しの祝福など神権の儀式を遂行するように頼まれたときに,イエス・キリストヘの信仰を行使する。
-
個人的な問題に信仰の原則を適用する。
参照聖句
マルコ6:5-6(信仰なくして奇跡は行われない)
ヘブル11章(信仰の力について)
1ペテロ1:3-9(救いは信仰によりもたらされる)
エノス1:4-8,15(信仰により罪が赦される)
エテル12:12-21(信仰の力の例)
教師の準備
レッスンの前に以下のことを行う。
-
『福音の原則』第18章「イエス・キリストを信じる信仰」を読む。
-
ヘブル11章を研究する。
-
レッスンの中で引用文や聖句を読む割り当てを生徒に与える。