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第17課:聖文から教える


第17課

聖文から教える

目的

教会で教える際に聖文から教えるべきことを理解する。

導入

  • 写真ページ17-a「聖文から教えるには,聖文を学ばなければならない」,17-b「福音を教えるには,聖文からの知識が必要である」を見る。

J・ルーベン・クラーク・ジュニア副管長は教会の教師たちにかつて次のように語った。「あなたの重要な……使命は,……主イエス・キリストの福音を教えることにある。……この終わりの時に主の民を導くために神が召された人々の言葉と教会の標準聖典とを権威ある源として用いて教えるのである。」(The Charted Course of the Church in Education1938年,9)

聖文に通じ,聖文を用いて教えることが,わたしたちに利用し得る最高の教授法である。

聖文から教えることの重要性

主は聖文を学んで教えることの大切さを明らかにされた。ニーファイ人を訪れた主は次のように言われた。「まことにわたしは,これらのこと〔聖文〕を熱心に調べるようにという戒めを,あなたがたに与える。」(3ニーファイ23:1)聖文を研究しなければならないのは,それがイエス・キリストについて教えているからである。また,「これらは真実であり,確かであって,これらの中にある預言と約束はすべて成就するからである。」(教義と聖約1:371ニーファイ19:23も参照)

  • 教義と聖約68:2-4を読む。今日,標準聖典以外にどのような聖文があるだろうか。それらの聖文は何で読むことができるだろうか。(『聖徒の道』など)

聖文を効果的に教える

リーハイの家族が約束の地に着いたとき,ニーファイは兄たちに理解できる方法で聖文を教えた。彼はこのように言った。「すべての聖文を自分たちに当てはめて,それが自分たちの利益となり,知識となるようにするためであった。」(1ニーファイ19:23)聖文を効果的に教えようとするならば,それを現代の人々に当てはめるのは大変重要なことである。預言者ジョセフ・スミスは次のように教えている。「聖文を調べなさい。預言者の言葉を調べ,それらのうちあなたにかかわりのあるものを学びなさい。」(Teachings of the Prophet Joseph Smith『預言者ジョセフ・スミスの教え』12)優れた教師は過去の出来事が現代にどのように当てはまるかを示しながら,聖文と現在の状況を対比させることがしばしばある。

  • 写真ページ17-c「ニーファイとリーハイがリアホナを見つける」を見る。

スペンサー・W・キンボール大管長は『モルモン書』から次の物語を引用して話をした。

「父親が天幕の入り口のすぐ前である品を見つけ,興奮した様子でみんなを呼び集めた,その声を聞いたニーファイの立場にあなた自身を置いていただきたい。それは丸い球であり,……『純良な真鍮しんちゅう』でできた『入念な造りの』品で,彼らはそのようなものを見たのは初めてであった(1ニーファイ16:10)。

……この珍しい細工の球の働きを注意深く見るならば,それが『信仰と熱意と注意力に応じて』働き,進むべき方向が示されることに気づくであろう(1ニーファイ16:28)。……もっとよく調べてみると,言葉が『読みやすく』球に書き記されていて,……主の道が説き明かされていることが〔分かる〕。〔その指示は主の御心みこころに従って,家族の信仰と熱意に応じて書き替えられた(1ニーファイ16:29)。〕

……球すなわち羅針盤を意味すると解釈されているリアホナは,リーハイが荒れ野を旅するときにその道を示すために,特に主によって備えられたものである。あなたはこのような球を持ちたくはないだろうか。過ちの中にあるとき,あるいは誤った道にいるときにいつもそれに気づくように,正しい道を示し,メッセージを記してくれる球を。

若い兄弟たち,皆さんは全員それを持っている。主はすべての少年,すべての人に,誤った道へ入るときにそれを告げてくれる『良心』というものを与えられた。耳を傾けるならば,いつでも聞くことができるのである。しかし言うまでもなく,そのささやきを聞くことがあまりにも習慣化して無視するようになるならば,やがて聞こえなくなることだろう。

皆さんは自分自身の内に,羅針盤のような,リアホナのような何かがあることを認識しているに違いない。すべての子供にはそれが与えられているのである。……自らの内にあるリアホナを無視するならば,ついにはそのささやきを得られなくなることだろう。しかしわたしたち一人一人は正しく導いてくれる〔リアホナ〕を持っているということを心に留めるならば,すなわち自分のリアホナ,良心とも言われるリアホナの指示に聞き従うならば,船は誤った航路に迷い込むことは……ないであろう。」(「わたしたちのリアホナ」『聖徒の道』1977年2月号,109-111)

  • キンボール大管長は,今日も活用できる真理を教えるために聖文をどのように用いただろうか。

聖文を理解すれば,その中で教えられている原則を自分の生活の状況に応用できる。次の話は,聖文を用いて父親が子供に教えた例である。

「人をさばくな。自分がさばかれないためである」

ララとトッドは,道路に自転車を放置しないように何度も注意されていた。ある日父親が家に帰ると,道路に二人の自転車が置いてあった。そこで父親はまずトッドのところへ行って尋ねた。「トッド,ララの自転車が道路に置いてあるのを見つけたけれど,どうしたらいいかな。」

「お父さんが言っていたように,友達との外出を1週間禁止すればいいよ」とトッドは答えた。

それから父親はララのところへ行って尋ねた。「トッドの自転車が道に置いてあるのを見つけたけれど,どうすればいいかな。」

「もう1度チャンスをあげて。この次はきっと忘れないわ」とララは答えた。

父親は二人を呼んでマタイ7:1-2を読ませた。

二人が読み終えると父親は言った。「トッド,君は1週間友達と外出してはいけない。ララ,今すぐに行って自転車を動かすならば,今回は注意するだけにしよう。」

「働き人がその報いを得るのは当然である」

ロンは父親と約束をして,10ドルで家中の窓をふくことになった。弟のリックは,やはり10ドルで台所の壁を塗る約束をした。ロンは窓をふくのに半日かかり,リックは壁を塗るのに2日かかった。父親が二人に10ドルずつ渡すと,リックは自分の方が長い時間働いたから余計にもらうはずだと言って抗議した。それに答えて,父親はマタイ20:1-15を読んだ。

父親はリックに次のように言って話を結んだ。「わたしは約束を守ったのだから,自分のお金をもらって行きなさい。怒ってはいけない。」

聖文から教えるための準備

ハロルド・B・リー大管長は次のように述べている。「わたしたちは人々に,聖文に答えを探せと教えなくてはならない。……しかし残念なことに,わたしたちのうちの多くは聖文を読んでいない。聖文に何が書いてあるかを知らないので,聖文自体の中に見つかるはずの事柄をあれこれ推測するのである。わたしはそこに,わたしたちにとって現在最大の危険の一つが存在すると考える。」(「聖文の中から答えを見つけなさい」『聖徒の道』1973年12月号,529)

聖文の勉強を強要される人はいない。もし望むならば,聖文を学び研究できない言い訳としてたくさんのつまらぬ理由を挙げることもできる。だからこそ,聖文を学ぶ決意をして毎日の学習計画を立て実行するのである。そうすれば,聖文,ニュース,スポーツ雑誌のいずれを読むか選択に迫られても,聖文を選択するであろう。

  • 聖文を読んで味わい,教える能力を得るには,計画だけでなく,準備と祈りが必要である。

  • モロナイ10:3を読む。聖文を読むことについてモロナイは何と言っているか。

聖文を読むときには,心の中で深く考えなければならない。マリオン・G・ロムニー副管長は次のように述べている。「わたしは聖文を読んでいて……『深く考える』という言葉に心を動かされた。……『深く考える』ことは,思うに,祈りの一つの形である。少なくとも,多くの場合に主の御霊に近づく方法となる。」(「神権の召しを尊んで大いなるものとすること」『聖徒の道』1973年12月号,570)

モロナイ10:4にはこう記されている。すなわち,聖文について深く考えた(読んだ聖句を心の中でよく思い計った)後に「真実かどうか」を天の御父に問うならば,「神はこれが真実であることを,聖霊の力によって〔わたしたち〕に明らかにしてくださる。」

まとめ

聖文を効果的に教えるには,それを毎日読んで準備しなければならない。読んだことについて考え,感じ取り,誠心誠意で祈るのである。そして,御霊を通して学び理解したことを実践するのである。そうすれば,力と確信をもって聖文を教えることができる。

チャレンジ

  1. 毎日聖文を読み,自分にとって重要な部分に印を付ける。その聖文を,どのように「自分たちに当てはめ」ることができるか考える。

  2. 家庭の夕べや夕食の席など全員が集まる場で,家族の必要に合った物語を聖文から引用し,それをそれぞれの生活に当てはめながら教える。

参照聖句

レッスンの前に以下のことを行う。

2ニーファイ4:15-16(聖文を喜びとするニーファイ)

教義と聖約11:21-22(教える前に学ぶ)

教義と聖約42:12-15(聖文から教える)

教師の準備

レッスンの前に以下のことを行う。

  1. 『福音の原則』第10章「聖文」を読む。

  2. 各自の聖典を持参するように生徒を促す。

  3. レッスンの中で引用文や聖句を読む割り当てを生徒に与える。

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聖文を学ぶ

17-a 聖文から教えるには,聖文を学ばなければならない

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聖文からの知識

17-b 福音を教えるには,聖文からの知識が必要である

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ニーファイとリーハイがリアホナを見つける

17-c ニーファイとリーハイがリアホナを見つける