第30課
聖霊の賜物
目的
聖霊の賜物を通してもたらされる偉大な祝福について理解する。
導入
教会に加わる前に,時として聖霊がわたしたちに
ロレンゾ・スノー大管長は次のように勧告している。「わたしたちは
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写真ページ30-a「聖霊の賜物とは,常に聖霊を
伴侶 とする権利である」を見る。
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聖霊はどうして友人のような存在なのであろうか。ヨハネ14:16,17,26;16:13を読む。
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伴侶または友として聖霊が必要なのはなぜか。(黒板に答えを書く。)
2ニーファイ32:5を読む。
リグランド・リチャーズ長老は次のように述べている。「わたしは子供や孫たちにこの世のいかなる交わりよりも聖霊との交わりを享受させたいと思う。なぜなら,聖霊のささやきに耳を傾けるなら,聖霊はあらゆる真理へと彼らを導き,天父のもとに帰れるように見守ってくださるからである。」(Conference Report,1966年4月,112;Improvement Era,1966年6月,540)
聖霊はこのようにすばらしい伴侶であられるから,友または伴侶として聖霊と交わるためには,自分にできるすべてのことを行うべきである。
常に聖霊とともにいる
常に聖霊とともにいるためにできることは多くある。一つの方法は,ふさわしい状態で聖餐にあずかることである。聖餐にあずかる度に,主の戒めを守ることを約束する。わたしたちが約束を守れば,「いつも御子の御霊を受けられる」と主は約束された(教義と聖約20:77参照)。
聖霊とともにいるためのほかの方法は,わたしたちの肉体を道徳的に清く保つことである。主はわたしたちの体を神の宮にたとえ,汚してはならないと告げられた(1コリント3:16-17参照)。聖霊は清くない宮にはお住すまいになれない。したがって,体を清く保ち,清い思いや言葉遣い,服装,行動をし,あらゆる種類の悪から遠ざかることが大切である。メルビン・J・バラード長老は「聖霊はわたしが知るかぎり最も鋭敏な霊であられる」と語っている(Priesthood Study Course: Deacons Quorum,1967—68年,70)。聖霊は非常に鋭敏な御方であるから,わたしたちが重要でない物事にとらわれて,聖霊を傷つけてしまうことがある。
聖霊と常にともにいるには,周囲の人々と仲良く生活しなければならない。キリストはニーファイ人に向かって,争いの心は悪魔から来ると語っておられる(3ニーファイ11:29参照)。聖霊は一致と調和のない所にはお住まいになれない。したがって,妻と口論したり,兄弟や姉妹とけんかをするとわたしたちやわたしたちの家庭から聖霊を遠ざけることになる。
例えば,預言者ジョセフ・スミスはすべての人に対して正しい思いを抱かないかぎり,主から霊感を受けることができなかった。ある朝,ジョセフは妻のエマがしたことに腹を立てていた。ジョセフは『モルモン書』を翻訳しようとしたが,まったく進まなかった。そこでジョセフは森へ行って祈り,帰って来てエマに
わたしたちは預言者ジョセフ・スミスと同じように切実に聖霊を必要としている。与えられた責任,特に家族を導くために聖霊の助けが必要である。したがって,過ちを犯した子供を正すときでも,感情に任せるようなことはせず,聖霊の導きを求めるべきである(教義と聖約121:43参照)。
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聖霊を友とするうえで妨げになることは何か。聖霊との交わりを保つにはどうすればよいか。(黒板を二つの欄に分けて,答えを書く。)
ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は次のように述べている。「神の戒めに心から進んで従っていない人……のもとには聖霊はとどまりたまわない。聖霊の御霊は,このような人の内には入ることができない。
この偉大な賜物は,
聖霊はどのようにして人を助けられるか
聖霊を自分の伴侶とする願いを忠実さによって表すならば,わたしたちが幸福でよりよい生活を送れるように,聖霊は以下の方法で助けてくださるのである。
より善い人問になれるように助ける
聖霊は「徳,親切,慈しみ,優しさ,思いやりの心,慈愛を呼び覚まされる。」(パーリー・P・プラット,Key to the Science of Theology, 4th ed.1877年,102)
行うべきことを示す
聖霊は重要な決定を下すときに助けてくださる。
教会で成長できるように助ける
フランクリン・D・リチャーズ長老は,聖霊が彼をどのように導かれたかについて次のように述べている。「わたしには,静かな細い声,すなわち御霊のささやきを聞いた経験がある。あなたたち兄弟姉妹に助言を与えたとき,人を神権の職に聖任したとき,人を教会の役職に任命したとき,病気の人に祝福を与えたとき,教会員にも教会外の人にもわたしの
警告する
聖霊は危険や誘惑に対する警告をお与えになることがある。フランクリン・D・リチャーズ長老は若い父親の経験について述べている。「ある晩彼は,『起きて,階下に降りなさい』というはっきりした声を聞いて,目を覚ました。その警告に従って,1階の台所へ行ってみると,壁が火に包まれていた。彼は急いで家族を起こすと,消防署へ電話し,家族とともに消火活動に努めた。こうして,消防車が来る前に火を消すことができたのである。
この父親は,この警告が聖霊による守護の現れであったことを少しも疑わなかった。これは,御霊を受けるにふさわしい生活を送っている人々が受けることのできる守りなのである。」(『聖徒の道』1974年3月号,132)
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割り当てておいた生徒に,誘惑や危険に対する警告を聖霊から受けたときの経験を話させる。
慰めを与える
聖霊の一つの役割は,苦しみや悲しみのときに慰めを与えることである。そのような状態のときに,聖霊は平安と理解力が得られるよう助けてくださる。フランクリン・D・リチャーズ長老は次のように述べている。「わたしは二人のすばらしい婦人に会う機会があった。二人は親しい友人同士であり,ともに悲惨な飛行機事故で夫を亡くしたばかりであった。わたしが二人に会ったとき,二人はひどく絶望し,力を落としていただろうか。いや,まったくそんなことはなかった。わたしは,これまで見たことのない勇気と強さを目にしたのである。二人はともに,御霊の慰めをはっきりと感じることができたこと,……そして,常に教会に固くつき,主の戒めを守って生活するなら,自分たちや家族のことも含め何もかもうまくいくという確信を得たこと,などを証してくれた。」(『聖徒の道』1974年3月号,132)
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割り当てておいた生徒に次の引用文を読ませる。
ヒーバー・J・グラント大管長は,彼の家族が聖霊から知恵と慰めを受けたことについて次のように述べている。
「妻が死ぬ1時間ほど前に,わたしは病室に子供たちを呼んで,母親が危篤であり別れを告げるように言った。すると12歳になる娘がわたしに言った。『パパ,ママが死ぬのは嫌。6か月の間……わたしはパパと一緒に病院に来たわ。……ママが苦しんでいても,パパが祝福してあげると,痛みがなくなって静かに寝ついたわ。お願い,ママの頭に手を置いて,病気を治してあげて。』
わたしは小さな娘に,人間はいつか死ななければならないこと,母親の死ぬ時が来たと心に感じていることを話した。そして娘とほかの子供たちは病室から出て行った。
それから,わたしは(すでに意識を失っている)妻のベッドの傍らにひざまずいて祈った。生と死,喜びと悲しみ,繁栄と逆境いずれにも主の手があるのを認めていることをわたしは主に告げた。わたしは妻が永遠にわたってわたしとともにいることを知っており,その知識を与えてくださったことに感謝した。……しかし,わたしは自分に妻の死んでいく姿を見据える力がなく,また子供たちに母親の死を信仰によって受け入れさせる力もないことを主に話した。……わたしは,母親が死ななければならないのは主の御心であるということを娘に理解させてくださるよう持てる力を振り絞って主に願い求めた。
間もなく妻は息を引き取った。わたしは子供たちを病室に呼び入れた。5歳半か6歳になる息子のヒーバーは激しく泣きじゃくっていた。すると12歳の娘は弟を抱いて言った。『泣いてはだめ,泣いてはだめよ,ヒーバー。さっきこの部屋の外にいたときに,主の声が聞こえたの。そして「あなたのお母さんの死は,主の御心なのです」と言ったのよ。』……
神はわたしの祈りを聞き,それにこたえてくださった。末日聖徒は逆境にあるときに,ほかの人には得られない慰めと祝福とを受けるのである。」(Gospel Standards, comp. G. Homer Durham,1941年,361)
真理を証する
福音に対する証は聖霊を通して与えられる。同様に,聖霊の力によって指導者が語っているということを告げるのも聖霊である。ヘンリー・D・モイル長老は次のように教えている。「わたしたちは聖霊の導きを受けているときにのみ,話者が聖霊により語っていることが分かる。したがって,教会員は指導者と同じように自らの信仰に熱心に取り組む必要がある。」(“Revelation: Yesterday and Today,” Improvement Era,1962年6月,407)
教会員が義のうちに願い求めるならば,聖霊の恵みを実際に得ることができる。
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前もって割り当てておいた生徒に,聖霊がともにおられたとことを感じた経験を話してもらう。
まとめ
聖霊の賜物は,教会の会員として確認された人に授けられる偉大な祝福である。わたしたちが聖霊とともにいるのにふさわしく生活するならば,聖霊は地上における使命を完全に果たせるように助けてくださる。聖霊はわたしたちを導き,守り,慰め,そのほか生活のあらゆる方面で助けを与えてくださるのである。
チャレンジ
毎日の生活の中で聖霊とともにいることができるように努める。常に聖霊とともにいるためには,どのような面で自分を改善する必要があるかを認識するために,次のように自問する。
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わたしはすべての戒めを守ろうとしているか。
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定期的に祈っているか。
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救い主への愛をどのように表しているか。
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隣人への愛をどのように表しているか。
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思いと行いを清く保っているか。
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聖霊の賜物も含めて主の祝福に感謝しているか。
参照聖句
使徒5:32(聖霊は従順な者に降られる)
1ニーファイ10:17-19(聖霊からの知識と力はキリストを信じる信仰を通してもたらされる)
2ニーファイ31:13(聖霊を受けるには,それに先立つ信仰,悔い改め,バプテスマが必要である)
モーセ6:61(聖霊の力と恵み)
教師の準備
レッスンの前に以下のことを行う。
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『福音の原則』第21章「聖霊の賜物」を読む。
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各自の聖典を持参するように生徒を促す。
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黒板とチョークが用意できなければ,大きな紙に提案されているリストを書く。
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レッスンの中で引用文や聖句を読む割り当てを生徒に与える。