2010–2019
選択の自由を保ち,信教の自由を守る

選択の自由を保ち,信教の自由を守る

選択の自由を忠実に用いるには信教の自由が不可欠……です。

今日は復活祭の日曜日,すなわち救い主イエス・キリストが全人類のために行ってくださった贖罪と復活をたたえて,感謝をもって記念する日です。わたしたちは,信教の自由と集会の自由,言論の自由,そして神から与えられた選択の自由という権利に感謝しつつ,主を礼拝します。

預言者たちが預言してきたように,わたしたちが生きるこの末日には,わたしたちが何者で何を信じているのかについて混乱している人が大勢います。ある人々は「そしる者,……善を好まない者」1であり,別の人々は「悪を呼んで善といい,善を呼んで悪といい,暗きを光とし,光を暗しとし〔ています。〕」2

周りの人々がわたしたちの信条にどう反応するかを選ぶときに,忘れてはならないのは,道徳的な選択の自由は神が御自分のあらゆる子供のために備えられた計画に欠かせない要素であるということです。前世で開かれた天上の会議で提示されたこの永遠の計画には,選択の自由が含まれていました。3

その大会議で,サタンとして知られるルシフェルは,自らの選択の自由を用いて神の計画に反対しました。神は次のように述べておられます。「サタンはわたしに背いて,主なる神であるわたしが与えた,人の選択の自由を損なおうとしたので,……わたしは……彼を投げ落とさせた。」4

神はこう続けておられます。「また,彼は天の衆群の三分の一を,彼らの選択の自由によってわたしから背き去らせた。」5

その結果,天の御父の計画を拒み,ルシフェルに従うことを選んだ御父の霊の子供たちは,神聖な行く末を失いました。

イエス・キリストは御自身の選択の自由を用いてこう言われました。

「わたしがここにいます。わたしをお遣わしください。」6

「父よ,あなたの御心が行われ,栄光はとこしえにあなたのものでありますように〔。〕」7

イエスは,天の御父の計画を支持するために選択の自由を行使しました。そして,御父によって認められ,わたしたちの救い主として任命され,全人類のために贖いの犠牲を払うように予任されました。同様に,わたしたちも選択の自由を行使し,戒めを守ることにより,自分が何者であるかを完全に理解し,天の御父が備えておられる全ての祝福を受けられるようになります。その中には,肉体を得て,進歩し,喜びを経験し,家族を持ち,永遠の命を受け継ぐことが含まれています。

戒めを守るためには,絶えず変化する個人の思いつきによってキリストの導きからそれないように,教会の公式の教義を知る必要があります。

わたしたちが今祝福を享受しているのは,前世で救い主に従うことを選んだからです。この話を聞いたり読んだりしている皆さんに申し上げます。皆さんが誰であろうと,どのような過去を持っていようと,覚えておいてください。もう一度前世と同じ選択をして主に従うのに遅すぎるということはありません。

イエス・キリストとその贖罪を信じる信仰を持ち,罪を悔い改め,バプテスマを受けることにより,わたしたちは天から聖霊の賜物を受けることができます。この賜物は,知識と理解をもたらし,学んで証を得るための導きと強さ,力,罪を克服するための清め,艱難の中で忠実であるための慰めと励ましを与えてくれます。このたぐいまれな御霊の祝福は,わたしたちの自由と,善を行う力を増し加えてくれます。「主の霊のあるところには,自由がある」からです。8

この終わりの時に霊的に自由に生きるうえで理解しておくべきなのは,選択の自由を忠実に用いるには信教の自由が不可欠であるということです。わたしたちはサタンがこの自由を与えまいとしていることを承知しています。サタンは天で道徳的な選択の自由を損なおうと試み,今は地上で信教の自由を損ない,反対し,混乱を広めようと躍起になっています。信教の自由とは何か,またそれが霊的な生活とまさにわたしたちの救いになぜ不可欠かについて混乱させようとしています。

わたしたちには末日聖徒として頼り,守るべき信教の自由の4つの隅石があります。

第1の隅石は,信じる自由です。いかなる人も,神について信じていることのために個人や政府から批判や迫害や攻撃を受けるべきではありません。それは非常に個人的で、非常に大切な事柄です。信教の自由に関するわたしたちの信条について,教会の初期の時代に,次のように宣言されています。

「良心の自由な行使……を各個人に保証する法律を制定し,かつ固く守らないかぎり,いかなる政府も平和に存立することはできない。…

……文官は犯罪を阻止すべきであるが,決して人の良心を支配すべきではない。……〔また,〕決して心の自由を抑圧すべきではない。」9

以来,この基本的な信条の自由は,国連の世界人権宣言や,その他国内外の人権関連文書の中で認められてきました。10

信教の自由の第2の隅石は,自分の信仰や信条を人に伝える自由です。主はこのように命じておられます。「家に座している時も」「〔福音〕を子供たちに教え〔なさい〕」。11また,弟子たちにもこう語っておられます。「全世界に出て行って,すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。」12両親,専任宣教師,会員宣教師として,わたしたちは,主の教義を家族や全世界に教えるために,信教の自由に頼っています。

信教の自由の第3の隅石は,宗教団体や教会を結成する自由と,他の人々と争うことなく礼拝する自由です。信仰箇条第11条にはこう宣言されています。「わたしたちは,自分の良心の命じるとおりに全能の神を礼拝する特権があると主張し,また全ての人に同じ特権を認める。彼らがどのように,どこで,何を礼拝しようと,わたしたちはそれを妨げない。」国際人権関連文書や多くの国の憲法はこの原則を支持しています。

信教の自由の第4の隅石は,信仰に生きる自由,つまり家庭や礼拝所だけでなく公の場でも信仰を行使する自由です。主は,ひそかに祈るだけでなく,13出て行って「〔わたしたち〕の光を人々の前に輝かし,そして,人々が〔わたしたち〕のよいおこないを見て,天にいます〔わたしたち〕の父をあがめるように〔なる〕」14ように命じておられます。

公の場で宗教を持ち出すと気分を害する人々がいます。自分の観点や行動を許容するよう社会に強く求めているその人々が,自分の観点や行動を許容してもらいたいと同じように願う信仰を持つ人々をなかなか許容できないことはよくあります。さまざまな宗教観に対する敬意は全般的に急速に薄れており,信仰心を持つ人々や団体に対する社会的,政治的不寛容が蔓延しつつあります。

世の標準に屈し,信教の自由を放棄し,選択の自由を曲げるようにと迫る圧力が高まる中,モルモン書がわたしたちの責任についてどのように教えているかをよく考えてみてください。アルマ書には,アムリサイという「非常に狡猾」で「邪悪な男」が,民の王となって「教会の権利と特権を民から奪〔おうとした〕」と記されています。「これは教会の人々にとって……憂慮すべきこと」でした。15人々はモーサヤ王から,正しいと感じていることについて声を上げるよう教わっていました。16そこで,彼らは「国の至る所で各々思いのままに,アムリサイに味方する者と反対する者が分かれて集まり,そこには,ひどい論争……が見られ」ました。17

このような話し合いの中で,教会員とそうでない人々はともに集まり,思いを一つにし,聖霊の影響を受けました。「そして,民の声はアムリサイに反対であったので,彼は民を治める王になれ」ませんでした。18

イエス・キリストの弟子として,わたしたちには志を同じくする信仰心のある人々と手を取り合って,正しいことのために声を上げる責任があります。教会員は,教会を代表して話していると主張したり,ほのめかしたりするべきではありませんが,一市民の立場から,「各々思いのままに」19確信と愛をもって自分の証を述べるよう勧められています。

預言者ジョセフ・スミスはこう述べています。

「わたしは自分が長老派,バプテスト,あるいは他の宗派の善良な人の権利を守るためにも〔モルモンに対するのと〕同じように命を差し出す用意ができていることを,天の前にあえて宣言します。末日聖徒の権利を踏みにじる考え方は,ローマカトリックや,あるいは信者が少なく,自分たちを守る力を持たない宗派の権利をも踏みにじるものです。

わたしの心を鼓舞するのは,自由を愛する思いです。すなわち全人類が民事上と宗教上の自由を得ることです。」20

兄弟姉妹,わたしたちにはこれらの神聖な自由と権利をわたしたち自身と子孫のために守る責任があります。では,わたしたちに何ができるでしょうか。

第1に,情報を得ることができます。信教の自由に影響を与える可能性のある地域社会の問題に注意を向けましょう。

第2に,個々の立場で,同じように信教の自由に関心を寄せる人々と手を取り合って,信教の自由を守るために一緒に働きましょう。

第3に,言葉と行いにおいて,自分の信条の模範となる生活を送ってください。宗教について語るよりも,その教えに沿って生活する方がはるかに重要です。

救い主の再臨は近づいています。この大義にあって遅れを取らないようにしましょう。司令官モロナイを思い出してください。モロナイが掲げた自由の旗にはこう書かれていました。「我々の神と宗教,自由,平和,妻子のために」。21民の反応を忘れないようにしましょう。彼らは選択の自由を用いて,「走ってやって来て」,行動するという聖約を交わしました。22

愛する兄弟姉妹の皆さん,歩くのではなく、走りましょう!選択の自由の祝福を受けられるように走りましょう。そのために,聖霊に従い,神の御心を行うために神から授けられた自由を行使しましょう。

この特別な復活祭の日に、イエス・キリストが御自身の選択の自由を用いて,御父の御心を行われたことを特別に証します。

救い主について,わたしたちは次のように歌います。「尊き血流し,命捨てて」。23主がそうしてくださったおかげで,わたしたちは主の贖罪の力と祝福を通して「自由と永遠の命を選ぶ」計り知れないほど貴い機会を得ています。24わたしたちが今日も,そして常に,自ら主に従うことを選ぶことができますように,イエス・キリストの聖なる御名により祈ります,アーメン。