2010–2019
真に善良で偽りのない人

真に善良で偽りのない人

イエス・キリストの福音のよきおとずれにより,わたしたちの心の望みが変化し,動機が磨かれ高められます。

残念なことですが,わたしの人生で,肩書や権威を得ることが動機となった時期がありました。始まりはほんの単純な思いでした。専任宣教師になる準備をしていたときに,伝道中の兄がゾーンリーダーになりました。兄について多くの良いことを聞いていたわたしは,自分についても同じように言ってもらいたいと思ってしまいした。兄と同じような地位が欲しいと願い,祈りさえしたかもしれません。

幸いなことに,わたしは伝道中に大きな教訓を学びました。前回の総大会で,その教訓を思い出しました。

去年の10月,ディーター・F・ウークトドルフ管長はこう語りました。「これまでの生涯で,わたしは,この世において非常に有能で知的な何人もの男女と知り合う機会がありました。若いときにわたしは,教養があり,洗練され,成功を収め,世の称賛を得た人々に感動したものです。しかし年を重ねるにつれて,真に善良で偽りのない,すばらしい,祝福された人々にもっと大きな感銘を覚えている自分に気づくようになりました。」1

モルモン書に登場するわたしの英雄は,まさしく,真に善良で偽りのない,すばらしい,祝福された人を表している例です。シブロンは息子アルマの息子の一人でした。父親の後に記録保管者および神の預言者となったヒラマンや,父親から勧告を受ける必要があった宣教師として知られるコリアントンという兄弟の方がわたしたちにはなじみ深いでしょう。アルマはヒラマンのために77節記し(アルマ36-37章参照),コリアントンのために91節書き記しましたが(アルマ39-42章参照),真ん中の息子であるシブロンには,15節しか記していません(アルマ38章参照)。それでも,この15節につづられた言葉は力強く,教訓となるものです。

「わが子よ,あなたが確固としており,神に忠実であるので,わたしはあなたによって大きな喜びを得られると確信している。あなたは若いときから主なる神に頼り始めたので,これからも神の戒めを守り続けるようにしてもらいたい。最後まで堪え忍ぶ者は幸いだからである。

わが子よ,わたしはあなたに言う。あなたは……民の中にあって忠実で,勤勉で,忍耐強く,寛容であったので,わたしはあなたによってすでに大きな喜びを得た。」(アルマ38:2-3

アルマはシブロン語りかけただけでなく,シブロンについてコリアントンにこう語っています。「あなたは自分の兄弟が神の戒めを守るのに確固としており,忠実であり,勤勉であったのを見なかったか。見よ,彼はあなたのために良い模範を示さなかったか。」(アルマ39:12

シブロンは父親を喜ばせたいと願い,称賛や地位,権力,誉れ,権威のためではなく,それが正しいからという理由で正しいことを行った息子だったようです。ヒラマンは弟のこの性質を知っていて,尊敬していたに違いありません。父親から受け取った神聖な記録をシブロンに託したからです。確かにヒラマンはシブロンを信頼していました。それは,シブロンが「正しい人であって,神の前をまっすぐに歩んでいた。そして,絶えず善を行い,主なる神の戒めを守るように努めた」からでした(アルマ63:2)。いかにもシブロンらしいと思うのですが,シブロンについては,彼が神聖な記録を受け取ってからそれをヒラマンの息子であるヒラマンに渡すときまでの記録にあまり刻まれていません(アルマ63:11参照)。

シブロンは真に善良で偽りのない人でした。神と同胞を愛し,そのために自分の時間と才能と労力を犠牲にして,人を助け,高めました(アルマ48:17-1949:30参照)。スペンサー・W・キンボール大管長の次の言葉は,シブロンの人柄をよく表しています。「優れた女性,また男性というものは,権力を手にすることではなく,人々に仕えたいという望みをいつも持っているものです。」3

あらゆる方法で称賛,地位,権力,誉れ,権威を追い求める世の中にあって,真に善良で偽りのない,すばらしい,祝福された人々をわたしはたたえます。彼らは神と隣人への愛を動機に行動する人たちであり,「権力を手にすることではなく,人々に仕えたいという望みをいつも持っている」すばらしい女性,男性です。

今日,地位と権力を得ることでしか,人生に満足な意味を見いだせないと信じさせようとする人たちがいます。しかし幸いなことに,この考えに左右されない人が大勢います。真に善良で偽りのない人になることに人生の意味を見いだす人たちです。わたしはこのような人たちがあらゆる職業やさまざまな宗教の中にいるのを見てきました。また,真に改心したキリストの弟子の中に,非常に多くいることを知りました。4

毎週,世界中のワードや支部で,求められる以上の働きで召しを果たしてくださっている人たちに敬意を表します。しかし,召しは一時的なものです。もっと感銘を受けるのは,正式な召しがなくても,絶えず人に仕え,人を高める方法を見つける多くの人たちです。ある兄弟は教会に早く来て椅子を並べ,集会後も残って礼拝堂を整えます。ある姉妹は,ワードにいる目の不自由な姉妹のそばに座りますが,それは歓迎するためだけでなく,大きな声で賛美歌を歌うためでもあります。そうすればその姉妹に歌詞が聞こえて,一緒に歌えるからです。ワードや支部の中をよく見れば,皆さんもそのような模範を見つけることができます。誰がいつ,どのような助けを必要としているのかが分かる会員は必ずいます。

真に善良で偽りのない聖徒について,わたしが最初に学んだのは,おそらくわたしが若い宣教師だったときだと思います。あるエリアで面識のない長老と組むことになりました。彼が一度も指導的責任を受けたことがなく,韓国に来てからかなりたっているにもかかわらず韓国語の習得に苦労していることを他の宣教師から聞いていました。しかし,この長老について知るうちに,わたしの知る中で最も従順で,忠実な宣教師の一人であることを発見しました。勉強の時間になると勉強し,伝道する時間には伝道していました。時間どおりにアパートを出,時間どおりに帰って来ました。韓国語の習得は彼にとって特に難しかったにもかかわらず,熱心に勉強しました。

この宣教師について聞いた話が真実ではないと知ったわたしは,彼が成功していないと思われていることを不当に感じました。この長老について知ったことを伝道部中に伝えたいと思いました。そこで,誤解を正したいという気持ちを伝道部会長に伝えると,会長は,「天の御父はこの若者が成功している宣教師であることを御存じですし,わたしも知っています」と答えました。さらにこう付け加えました。「そして今,あなたも知っています。それ以外に知ることが必要な人がいるでしょうか。」この賢明な伝道部会長は,奉仕で大切なことが何か,しかもそれは称賛や地位,権力,誉れ,権威ではないことを教えてくれたのです。肩書きにこだわりすぎていた若い宣教師にとって,これは偉大な教訓でした。

この教訓を胸に,わたしは自分の人生を振り返りました。すると,そのときは立派な肩書きや地位のない男女によって影響を受けたことが幾度もあったことに気づきました。シブロンのような人が,高校2年生のときのセミナリー教師でした。この善良な男性がセミナリーを教えたのはわずか2,3年でしたが,彼はわたしの心を開いてくれて,わたしにとってそれが証を得るきっかけとなりました。学校〔訳注―アメリカのある地域ではセミナリーを学校の敷地内で受講できる〕で格別に人気のある教師というわけではありませんでしたが,いつもよく準備していて,力強い,永続する影響を残しました。教えを受けてから40年の間に彼に会ったのは数えるほどですが,そのうちの1回は,わたしの父の葬儀に来てくれたときでした。その行動は確かに,肩書きや権力に促されたものではありませんでした。

この献身的な教師や,彼のように真に善良で偽りのない多くの人たちをたたえます。日曜日にクラスを教えるだけでなく,家族との朝食に生徒を招待して教え,影響を与える日曜学校の教師を称賛します。ワードの若い男性と若い女性のスポーツ活動,文化活動に参加する青少年の指導者をたたえます。近所の人たちに励ましの言葉を書く男性や,クリスマスカードをただ送るだけでなく,訪問が必要な家族や友人に直接手渡しする女性をたたえます。アルツハイマーでつらい思いをしている近所の人とその奥さんが必要としていた気分転換ができるよう,定期的にドライブに連れて行く兄弟をたたえます。

こうした行為は,称賛や誉れのためではありません。これらの男性,女性は,肩書きや権威を得られるかもしれないという動機で行動していません。彼らはキリストの弟子であり,絶えず善を行い,シブロンのように,天の御父に喜んでもらおうとしているのです。

召しを解任されたり,地位や肩書きに就かせてもらえなかったと感じたりして,奉仕することや,教会に来ることさえやめてしまう人の話を聞くと悲しくなります。いつかそのような人たちが,若い宣教師だったわたしが学んだ教訓を学べるようにと願っています。すなわち,たいていの場合,一番大切な奉仕は神しか御存じではない,という教訓です。「自分」や「自分のため」を求めるあまり,「神」や「神のため」に努めることを忘れていないでしょうか。

「あなたが言うような人になるには,随分と時間がかかります」という人もいるでしょう。しかし,イエス・キリストの福音のよきおとずれにより,わたしたちの心の望みが変化し,動機が磨かれ高められます。バプテスマを受けて神の真の羊の群れに入ると,わたしたちは新たな者になる道を歩み始めます(2コリント5:17モーサヤ27:26参照)。聖餐を受けてバプテスマの聖約を新たにするたびに,この最終目標に一歩近づくのです。5この聖約を守って堪え忍ぶなら,悲しむ者とともに悲しみ,慰めの要る者を慰めるための力を得ます(モーサヤ18:9参照)。この聖約によってわたしたちは恵みを頂いて,神に仕えることができるようになります。心を尽くして神を愛し,自分のように隣人を愛せよという戒めを守ることができるようになるのです。6この聖約によって,わたしたちの助けを必要としている人々を助けられるよう,神とキリストはわたしたちを助けてくださいます(モーサヤ4:16参照。11-15節も参照)。

わたしが人生で心から望むことはただ,地上と天の父を喜ばせ,もっとシブロンのようになることです。7

わたしはシブロンのような人々がいることを天の御父に感謝します。彼らの模範はわたしに,そしてわたしたち全てに希望を与えてくれます。そのような人々の生活は,愛にあふれる天の御父と,思いやりのある心優しい救い主がおられる証となります。彼らのような人々になるために努力をすることを固く約束するとともに,彼らの証にわたしの証を付け加えます。イエス・キリストの御名により,アーメン。