第23章
聖 餐
キリストにより始められた聖餐
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聖餐の象徴は,イエス・キリストの
贖 罪 について何を教えているでしょうか。
救い主はわたしたちが尊い
聖餐は救い主の贖いを思い起こさせる聖なる神権の儀式です。聖餐の儀式の中で,わたしたちはパンと水をともに受けます。この儀式は,人類のために犠牲としてささげられた救い主の肉と血を記念して行われます。聖餐を受けることにより,天の御父と交わした神聖な聖約を新たにするのです。
十字架にかけられる少し前に,イエス・キリストは使徒たちを2階の部屋に集められました。イエスは御自分が間もなく十字架の上で亡くなることを御存じでした。死ぬ前に愛する弟子たちとお会いになるのは,これが最後でした。イエスは,弟子たちがイエスをいつも覚え,強く忠実であるように願っておられました。
弟子たちに御自分のことを覚えさせるために,主は聖餐を始められました。まずイエスはパンを裂いて祝福し,次のように言われました。「取って食べなさい。これはあなたがたのために贖いとして与えるわたしの体を記念するものである。」ジョセフ・スミス訳マタイ26:22)次に,主はぶどう酒の杯を取り,祝福し,使徒たちに与えて飲むように言われました。「これは,罪の
復活後,救い主はアメリカ大陸を訪れ,そこでニーファイ人に同じ儀式をお教えになりました(3ニーファイ18:1-11;20:1-9参照)。末日に教会が回復されると,イエスはその民に主を記念する聖餐を受けるように再び命じて言われました。「教会員は,主イエスの記念としてパンとぶどう酒を受けるために,しばしば集まることが必要である。」(教義と聖約20:75)
聖餐の執行方法
聖文には聖餐を執行する方法が明確に記されています。教会員は,礼拝し,聖餐を受けるために安息日ごとに集まります(教義と聖約20:75参照)。聖餐は,必要な神権の権能を持つ神権者により執行されます。祭司あるいはメルキゼデク神権者がパンを裂き,ひざまずいて祝福します(教義と聖約20:76参照)。執事あるいはほかの神権者が聖餐のパンを会衆に配ります。その後,祭司かメルキゼデク神権者が水を祝福し,同じようにして会員に配ります。聖餐を初めて教えられたとき,イエスは弟子たちにぶどう酒をお与えになりましたが,末日の啓示の中で主は,主の記念として行われるかぎり聖餐として何を食べ,何を飲もうとも差し支えないと言われました(教義と聖約27:2-3参照)。
イエスはパンと水を祝福する聖餐の祈りの正確な言葉を啓示されました。わたしたちはこの美しい祈りの言葉に注意深く耳を傾け,主と交わす約束,また主から受ける約束を理解するように努めるべきです。パンを祝福するためにささげる祈りの言葉は次のとおりです。
「永遠の父なる神よ,わたしたちは御子イエス・キリストの
水を祝福するためにささげる祈りの言葉は次のとおりです。
「永遠の父なる神よ,わたしたちは御子イエス・キリストの御名によってあなたに願い求めます。このぶどう酒〔水〕を頂くすべての人々が,この人々のために流された御子の血の記念にこれを頂けるように,また,いつも御子を覚えていることを,永遠の父なる神よ,あなたに証明して,御子の御霊を受けられるように,このぶどう酒〔水〕を祝福し,聖めてください。アーメン。」(教義と聖約20:79)
聖餐の儀式はごく簡素に,また
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聖餐の祈りを注意深く見直し,一つ一つの言葉の意味について考えてみてください。
聖餐を通して新たにする聖約
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聖餐の間,わたしたちはどのような聖約を新たにするでしょうか。聖約を守るとき,主はどのような祝福を約束しておられるでしょうか。
聖餐を受ける度に,主との聖約を新たにします。聖約とは,主とその子供たちの間で交わされる神聖な約束です。わたしたちが主と交わす聖約は聖餐の祈りの中で明確に述べられています。この聖約が何であり,どのような意味があるかを知ることは重要です。
わたしたちはイエス・キリストの名を喜んで受けることを聖約します。つまり,キリストとキリストの教会に属する会員であることを喜んで表明します。主と
さらに,イエス・キリストをいつも覚えることを聖約します。思いや感情,行いのすべてが,イエスとその使命から影響を受けるでしょう。
わたしたちは主の戒めを守ることを約束します。
わたしたちはバプテスマを受けるときに以上の義務を負います(教義と聖約20:37;モーサヤ18:6-10参照)。こうして,聖餐を受けるとき,バプテスマのときに交わした聖約を新たにするのです。イエスは聖餐を受けるときの規範を定められました(3ニーファイ18:1-12参照)。そして,わたしたちが罪を悔い改め,主の名を信じてこの規範に従うときに,罪の赦しを受けると言われました(ジョセフ・スミス訳マタイ26:24参照)。
主は,わたしたちが聖約を守れば,主の御霊は常にわたしたちとともにあると約束しておられます。御霊に導かれる人は,永遠の命を得るために必要な知識,信仰,力,義を受けるでしょう。
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一週間を通してこれらの約束を心に留めるにはどうすればよいでしょうか。
聖餐を受けるときの態度
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聖餐を受けるための個人の準備として,どのようなことができるでしょうか。救い主の贖罪を心に留めるようにするには,聖餐の間どのようなことについて考えればよいでしょうか。
聖餐を受ける前に,自らを霊的に整えなければなりません。主はだれもふさわしくないままで聖餐にあずかってはならないと強調しておられます。これは,聖餐を受ける前に罪を悔い改める必要があるという意味です。聖文には次のように記されています。「だれかが過ちを犯したならば,和解するまで彼に聖餐を受けさせないようにしなさい。」(教義と聖約46:4)主はニーファイ人の十二弟子に次のように指示されました。「わたしの肉と血を分け与えるとき,だれであってもふさわしくないままでわたしの肉と血にあずかることを,承知のうえで許してはならないということである。ふさわしくないままでわたしの肉を食べ,血を飲む者は,そうすることで自分に罰の定めを招くからである。」(3ニーファイ18:28-29)
聖餐式の間,心の中からあらゆる俗的な思いを捨て去り,敬虔な祈りの気持ちを抱かなければなりません。救い主の贖罪を思い起こし,感謝すべきです。また,生活を省みて改善点を探し,戒めを守る決意を新たにしなければなりません。
聖餐を受ける前に完全である必要はありませんが,心に悔い改めの精神がなければなりません。聖餐を受けるときの態度により,何を得るかが左右されます。清い心で聖餐を受けるならば,わたしたちは主の約束された祝福を得ます。
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ふさわしい状態で聖餐を取ると,どうして霊的な力が増し加えられると思いますか。
参照聖句
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1コリント11:27-29(ふさわしい状態で聖餐を受ける)
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ヨハネ4:5-14(イエスは生ける水である)
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ヨハネ6:30-35(イエスは命のパンである)