第20章
バプテスマ
バプテスマを受けるようにという戒め
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なぜわたしたちはバプテスマを受けなければならないのでしょう。
イエスの時代と同じように,現在も,学び従わなければならない福音の原則と儀式があります。福音の原則とは真の信条または教えのことであり,儀式とは儀礼または式典のことです。福音の最初の二つの原則は,主イエス・キリストを信じる信仰と悔い改めです。またバプテスマは福音の第一の儀式です。主は使徒たちに次のような指示を与えられました。「それゆえに,あなたがたは行って,すべての国民を弟子として,父と子と聖霊との名によって,彼らにバプテスマを施し,あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。」(マタイ28:19-20)
罪を赦 されるためにバプテスマを受けなければならない
イエス・キリストを信じる信仰を持ち,悔い改めてバプテスマを受けるときに,罪はイエス・キリストの
聖文には,バプテスマのヨハネが「
イエス・キリスト教会の会員となるためにバプテスマを受けなければならない
「神の前にへりくだって,バプテスマを受けたいと願い,……自分のすべての罪を心から悔い改めた……人は皆,バプテスマによってキリストの教会に受け入れられる。」(教義と聖約20:37)
聖霊の賜 物 を受けるにはバプテスマを受けなければならない
主は次のように言われました。「あなたがわたしに心を向け,……あなたのすべての背き〔罪〕を悔い改め,まことに水の中で……独り子……の名によって……バプテスマを受けるならば,あなたは聖霊の賜物を受けるであろう。」(モーセ6:52)
従順さを表明するためにバプテスマを受けなければならない
イエス・キリストは罪のない御方でありながらバプテスマを受けられました。イエスは御自分のバプテスマが「すべての正しいことを成就する」ために必要であると言われました(マタイ3:15)。預言者ニーファイは,主が次のように告げられたと説明しています。「『わたしに従い,わたしが行うのを見たそのことを,あなたがたも行いなさい。』……神の前に決して偽善と
日の栄えの王国に入るためにバプテスマを受けなければならない
イエスは言われました。「わたしを信じてバプテスマを受ける者……神の王国を受け継ぐのはこれらの者である。また,わたしを信じないでバプテスマを受けない者は,だれでも罰の定めを受ける。」(3ニーファイ11:33-34)バプテスマは日の栄えの王国に入るための門です(2ニーファイ31:17-18参照)。
バプテスマの正しい方式
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どのようにバプテスマを受けるべきでしょうか。
バプテスマの正しい方式は一つしかありません。イエスが預言者ジョセフ・スミスに啓示されたところによれば,バプテスマを施す正しい神権の権能を授けられている人が,「バプテスマのために出頭した人とともに水の中に降りて行き,……彼または彼女を水中に沈め,そして再び水から出て来なければならない。」(教義と聖約20:73-74)バプテスマでは水に沈めることが必要です。使徒パウロは,水に沈められて再び水から上がることが死と埋葬,復活を象徴すると教えています。バプテスマを受けた後,わたしたちは新しい生活を始めるのです。パウロは次のように語っています。
「それとも,あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは,彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。
すなわち,わたしたちは,その死にあずかるバプテスマによって,彼と共に葬られたのである。それは,キリストが父の栄光によって,死人の中からよみがえらされたように,わたしたちもまた,新しいいのちに生きるためである。
もしわたしたちが,彼に結びついてその死の
正しい権能を持つ人により水に沈められるバプテスマこそ,唯一の正当なバプテスマです。
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バプテスマを施す権能はなぜ大切なのでしょうか。
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水に沈めるバプテスマは救い主が葬られ復活されたこととどのような点で似ているでしょうか。
責任を負う年齢でのバプテスマ
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だれがバプテスマを受けるべきでしょうか。
8歳に達し,行動に責任を負う〔責任能力のある〕すべての人は,バプテスマを受ける必要があります。ある教会では幼い子供にバプテスマが必要であると説いていますが,これは救い主の教えと一致しません。イエスは
預言者モルモンは,幼い子供にバプテスマを施すことは神をあざける行為である,なぜなら幼い子供は罪を犯す能力がないからである,と語りました。同様に,善悪をわきまえる知的能力のない人にバプテスマは不要です(モロナイ8:9-22参照)。
それ以外のすべての人はバプテスマを受けなければなりません。わたしたちはバプテスマの儀式を受け,そのときに交わす聖約を忠実に守り通さなければなりません。
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幼児もバプテスマを受ける必要があると信じている友人に対し,どのように言えばよいでしょうか。
バプテスマのときに交わす聖約
聖文にはバプテスマについて多くのことが記されています。そういった聖文の一つで預言者アルマは,信仰と悔い改めはバプテスマに備えるステップであり,バプテスマを受けるときに主と聖約を交わすと教えました。わたしたちはある事柄を行うと約束し,神はその報いとして祝福を約束してくださるのです。
アルマの説明によれば,わたしたちは神の民と呼ばれたいと望み,進んで助け合い,いたわり合い,いつでも,どのようなことについても,どのような所にいても神の証人にならなければなりません。これらのことを行い,バプテスマを受けるならば,神は罪を赦してくださいます。アルマは,福音に関する彼の教えを信じる人々に次のように述べています。
「見よ,ここにモルモンの泉がある。……あなたがたは神の羊の群れに入って,神の民と呼ばれたいと……望んでいる。……あなたがたが心からこれを望んでいるのであれば,主からますます豊かに
アルマは,わたしたちがバプテスマを受けるときに主と次のような聖約を交わすと教えています。
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神の羊の群れに入る。
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互いに重荷を負い合う。
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いつでも,どのような所にいても神の証人になる。
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神に仕え,神の戒めを守る。
わたしたちがバプテスマを受けてその聖約を守るとき,主は次のことを約束してくださいます。
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罪を赦す(使徒2:38;教義と聖約49:13参照)。
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ますます豊かに御霊を注ぐ(モーサヤ18:10参照)。
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日々聖霊の導きと助けを与える(使徒2:38;教義と聖約20:77)。
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第一の復活にあずからせる(モーサヤ18:9参照)。
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永遠の命を与える(モーサヤ18:9参照)。
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「互いに重荷を負い合う」「いつでも,どのような所にいても神の証人になる」とはどういう意味だと思いますか。
バプテスマは新たな門出である
バプテスマとともに新たな人生が始まります。そのためバプテスマは再生とも呼ばれます。人は水と霊とから生まれなければ神の国に入ることはできないと,イエスは言われました(ヨハネ3:3-5参照)。この原則はアダムにもはっきりと告げられました。
「あなたがたは水と血と,わたしが造った霊とによってこの世に生まれ,ちりから生けるものとなったので,まことにあなたがたは,水と御霊によって再び天の王国に生まれ,血によって,すなわちわたしの独り子の血によって清くされなければならない。」(モーセ6:59)
使徒パウロは,バプテスマを受けた後に新たな人生を始めなければならないと語りました。「わたしたちは,……バプテスマによって,彼と共に葬られたのである。……わたしたちもまた,新しいいのちに生きるためである。」(ローマ6:4)バプテスマがもたらす大きな祝福の一つは,バプテスマが永遠の目標に向かう新たな門出となることです。
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あなたのバプテスマはどのように門出となりましたか。
参照聖句
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2ニーファイ31:4-7(バプテスマの目的と必要性)
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3ニーファイ11:21-27;教義と聖約20:72-74(バプテスマを施す方法)
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使徒2:38-39(罪の赦しのために受けるバプテスマ)
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モロナイ8:8-12;教義と聖約20:71-72(幼い子供にバプテスマは不要である;悔い改める者すべてにバプテスマが必要である)
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アルマ7:14-16(バプテスマは清めであり,永遠の命の聖約へ入ることである)