2010–2019
教会の友人や求道者の皆さんへ

教会の友人や求道者の皆さんへ

啓示を受けるために必要な努力をして,謙遜になり,聖文を読み,祈り,悔い改めるなら,天は開き,イエスがキリストであることを知ることができます。

1988年9月16日金曜の午後,アルゼンチンのブエノスアイレスにあるビセンテ・ロペスワードの集会所で,わたしはバプテスマを受け,末日聖徒イエス・キリスト教会の会員になりました。その日,とても仲の良い友人であるアリン・スパンナウスがバプテスマを施してくれました。わたしはうれしくて,心も軽く,学ぶ意欲にあふれていました。

今日は,わたしがバプテスマに至るまでの道で学んだ教訓について分かち合いたいと思います。これを聞いているまだ教会の会員でない方々のお役に立てればと願っています。皆さんも,わたしのときと同じように,心に御霊を感じられるようにと祈っています。

1.宣教師に会う

切実な問題や必要,疑問に悩まされてはいない人が,宣教師に会ってレッスンを受けることに興味を示すのはなぜでしょうか。わたしの場合,レニーという女性に対する愛が理由でした。彼女を好きになり,彼女と結婚したかったのです。彼女はわたしの知っているほとんどの若い女性たちとは違っていましたし,異なった標準を持っていました。しかし,わたしが彼女に夢中になり求婚すると,彼女の答えは「いいえ」でした。

困惑しました。自分はそんなに悪くない相手だと思っていました。わたしはハンサムで,24歳で,大卒で良い仕事に就いていたからです。彼女は,永遠の家族を築くために自分を神殿に連れて行ってくれる男性としか結婚しないという目標を話し,わたしの申し出を断りました。彼女とそれで終わりたくはなかったので,宣教師の話を聞くことに同意しました。これは宣教師と会う正当な動機でしょうか。わたしにとってはそうでした。

宣教師に初めて会ったとき,彼らの話すことがほとんど理解できませんでした。正直に言うと,それほど注意を払っていなかったかもしれません。新しい宗教に対して心を閉ざしていました。ただ彼らが間違っていることを証明して,とにかくレニーがわたしと結婚するように説得する時間が欲しかったのです。

今現在,わたしの子供たちは伝道中か,伝道をすでに終えているため,このような若い男性や女性が,イエス・キリストの福音を教えるために払う犠牲を理解しています。今は,わたしを教えてくれたすばらしい宣教師たち,リチャードソン長老,ファレル長老,ハイランド長老の言葉にもっと注意を払うべきだったと思っています。

ですから,この最初の教訓から,教会の友人や求道者の皆さんに言えることは,次のようなことです。宣教師と会ったら,真剣に向き合ってください。彼らは人生の大切な数年を,あなたのためにささげているのです。

2.教会に行く

わたしが初めて教会の集会に出席したとき,理解できない多くの言葉を耳にしました。ビーハイブってだれのことだろう?アロン神権や扶助協会って何だろう?

もし皆さんが初めて教会の集会に出席して,理解できないことに戸惑ったとしても,心配しないでください。わたしもさっぱり分かりませんでした。けれども,感じた印象や,初めて経験する平安や喜びの気持ちはまだ覚えています。そのときは分かりませんでしたが,聖霊がわたしの耳と心に「これは正しい」とささやいていたのです。

この教訓をまとめましょう。戸惑っても心配しないでください。感じた気持ちを覚えておいてください。それは神から来るものです。

3.モルモン書を読む

何度か宣教師と会った後も,わたしに進歩はほとんど見られませんでした。わたしは,福音が真実であるという確信を受けていないように感じていました。

ある日,レニーにこう聞かれました。「モルモン書を読んでる?」

「いいや」と答えました。わたしは宣教師の話を聞いていました。それだけでは不十分なのでしょうか。

レニーは目に涙をためて,モルモン書が真実であることを知っているとわたしに話し,それが真実かどうかを知りたいのなら,そのための唯一の方法はそれを読み,尋ねることだと説明してくれました。

モルモン書を読み,心で深く考え,これが真実かどうか,これが真の教会かどうか,「キリストの名によって,永遠の父なる神に……キリストを信じながら,誠心誠意問う」(モロナイ10:4)のです。

3つ目の教訓をまとめましょう。この記録,すなわちモルモン書を受けるとき,これを読み,これが真実かどうか神に問うように勧められたなら,とにかくそうしてみてください。

4.悔い改め

お話ししたい最後の経験は,悔い改めについてです。宣教師のレッスンをすべて終えても,わたしはまだ,自分の生活を変える必要があるとは思っていませんでした。カトラー長老は,スペイン語は片言でしたが,若く確信に満ちた宣教師で,ある日こう言ったのです。「ホアキン,一緒にアルマ書第42章を読みましょう。読むときに,あなたの名前を入れて読みますよ。」

くだらないと思いましたが,カトラー長老が頼むので,1節を読みました。「さて,わが子〔ホアキン〕よ,今あなたの心を悩ましている,あなたの理解できないことがほかにも多少あることを,わたしは知っている。」何と言うことでしょう!モルモン書がわたしに語りかけていました。

それからわたしたちは2節を読みました。「さて見よ,わが子〔ホアキン〕よ,このことをあなたに説明しよう。」そしてアダムの堕落が説明されていました。

続いて4節,「このことから分かるように,〔ホアキン〕が悔い改めることを許された期間があった。」

わたしたちはゆっくりと,一節ずつ,最後の3節のところまで読み続けました。するとわたしは,強い力に心を打たれました。モルモン書が直接わたしに語りかけるので,わたしは読みながら泣き出してしまいました。「さて,わが子〔ホアキン〕よ,あなたはこれからはもう,これらのことに思い悩まされることなく,ただ自分の罪にだけ心を悩まし,その悩みによって悔い改めに導かれるようにしてもらいたい。」(29節

必要な努力をせずに,啓示を受けることだけを期待していたことに気づいたのです。それまで神に真剣に語りかけたことはなく,目に見えないだれかに話しかけるなんて愚かなことだと思っていました。自分の俗世的な考えで,それが愚かなことのように思えても,謙遜になり,求められていることを行う必要がありました。

その日,わたしは御霊に心を開き,悔い改めたいと望み,バプテスマを受けたいと願いました。その瞬間まで,わたしは悔い改めに対して,罪や悪事にしか結びつかない,どこかネガティブなイメージを抱いていましたが,突然異なる視点,すなわち成長と幸せへと続く道を開くポジティブなものであるという視点で捉えることができたのです。

カトラー長老は,今日この場に集っていますが,わたしの目を開いてくれたことに感謝したいと思います。それ以来,わたしが生活の中で下してきたすべての決断は,あの瞬間の影響を受けてきました。それは,謙遜になり,赦しを祈り求め,イエス・キリストの贖いがわたしの人生の一部となったあの瞬間です。

最後の教訓をまとめるとこうなります。悔い改めを経験してください。変わりたいという望み以上に,皆さんを主イエス・キリストに近づけてくれるものはありません。

愛する教会の友人や求道者の皆さん,今日この話に耳を傾けているのであれば,大いなる喜びを得るまでもう少しです。ほんとうにあと少しなのです。

熱意を込めて,心の底から皆さんにお勧めします。行って,バプテスマを受けてください。人生で最高の経験となるでしょう。皆さんの人生だけでなく,子供たちや孫たちの人生をも変えることになるのです。

主はわたしに家族を恵んでくださいました。レニーと結婚し,4人のすばらしい子供たちに恵まれました。わたしはバプテスマを受けたので,昔の預言者リーハイのように,神の愛である命の木の実を取って食べるよう勧めることができます(1ニーファイ8:1511:25参照)。キリストのもとに来るよう彼らを助けることができるのです。

どうぞ,わたしの経験について考え,(1)宣教師と真剣に向き合い,(2)教会に行って,霊的な気持ちを覚え,(3)モルモン書を読み,それが真実かどうか主に尋ね,(4)悔い改めを経験しバプテスマを受けてください。

啓示を受けるために必要な努力をして,謙遜になり,聖文を読み,祈り,悔い改めるなら,天は開き,わたしが知っているように皆さんも,イエスがキリストであり,主がわたしと皆さんの救い主であることを知ることができると証します。イエス・キリストの御名により,アーメン。