2010–2019
確固とした女性たち

確固とした女性たち

確固とした女性たちとは,救い主イエス・キリストに心を向け,主の贖いの犠牲の約束に望みを抱く弟子です。

愛する姉妹の皆さん,皆さんを心から愛しています。大管長会の呼びかけと「わたしが旅人であったときに」の取り組みに,愛をもって熱心にこたえてくださり,ありがとうございます。続けて祈り,御霊のささやきに耳を傾け,受けた促しに従って行動してください。

地元を訪れても,世界中を巡る中でも,「わたしのことを覚えていますか」と聞かれることは珍しくありません。申し訳ないほど不完全なわたしは,名前を思い出せないことも往々にしてあります。それでも,天の御父の貴い息子娘たちに出会うとき,御父がわたしに感じさせてくださる心からの愛は,覚えています。

最近,刑務所にいる愛すべき女性たちを訪れる機会がありました。心から別れの言葉を告げると,一人の愛する女性がこう懇願したのです。「バートン姉妹,どうか,わたしたちのことを忘れないでください。」わたしが皆さんに話すとき,忘れないでほしいと望むこの女性やそのほかの人たちに,自分は忘れられていないと感じてもらえることを願います。

救い主の時代の確固とした女性たち—救い主イエス・キリストに心を向ける

あらゆる時代に生きた姉妹たちは,わたしたちも目指すところの,忠実な弟子のあるべき姿を示してきました。「新約聖書には,有名無名を問わず,〔確固とした〕女性がイエス・キリスト〔とその贖い〕に対して信仰を働かせ,主の教えを学び,その教えに従って生活し,主の御業,奇跡,尊厳について証したという記述があります。これらの女性は救いの業において模範的な弟子となり,重要な証人となりました。」1

ルカによる福音書に登場する,このような女性の話について考えてみましょう。まず,救い主が教導の業を果たされているときのことです。

「イエスは,神の国の福音を説きまた伝えながら,町々村々を巡回し続けられたが,十二弟子もお供をした。

また……数名の婦人たち,すなわち,……マグダラと呼ばれるマリヤ……ヨハンナ,スザンナ,そのほか多くの婦人たちも一緒にいて……一行に奉仕した。」2

次に,復活の後について書かれています。

数人の女が,……朝早く墓に行きますと,

イエスのからだが見当らないので,帰ってきましたが,そのとき御使が現れて,『イエスは生きておられる』と告げたと申すのです。」3

わたしは,一見目立たない「数名の婦人たち」,「数人の女」(訳注—英文で使われている“certain women”には「確固とした女性たち」の意味もある。)という表現を以前に幾度となく読み過ごしてきましたが,最近,より深く考えるにつれ,この言葉が目に飛び込んでくるようになりました。忠実な「確固とした女性たち」の話に関連して「確固とした」という言葉の意味について考えてみると,この女性たちは,「確信のある」「疑いのない」「自信のある」「堅固な」「断固とした」「毅然とした」「信頼できる」女性と呼べることに気づいたのです。4

これらの力強い形容詞について考えていると,救い主について,疑いなく,自信に満ち,堅固で毅然とした証を述べた,新約聖書に登場する二人の「確固とした女性たち」のことを思い出しました。わたしたちのように不完全な女性ではありましたが,その証は人々を鼓舞するものでした。

救い主について自らが悟ったことを見に来るよう人々に呼びかけた,井戸端の名もない女性のことを覚えていますか。この女性は,問いを投げかけながら確固とした証をしました。「もしかしたら,この人がキリストかも知れません。」5その証と招きが非常に力強かったため,「多くの……人〔が〕……イエスを信じ」ました。6

主の愛する弟子,友であったマルタは,兄弟のラザロが死んだ後,こう言いました。「主よ,もしあなたがここにいて下さったなら,わたしの兄弟は死ななかったでしょう。」この言葉には,深い感情が込められていたはずです。こう続けたとき,彼女には確信があったでしょうか。「しかし,あなたがどんなことをお願いになっても,神はかなえて下さることを,わたしは今でも存じています。」マルタはさらに証します。「信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト,神の御子であると信じております。」7

この二人の姉妹から,「確固とした女性たち」は救い主イエス・キリストに心を向け,その贖いの犠牲の約束に望みを抱く弟子であることが分かります。

回復の時代の聖約を守る確固とした女性たち—進んで犠牲を払う

かつて「確固とした女性たち」は,イエスの教えについて証し,実践する際に犠牲を払いました。福音が回復された初期の時代の「確固とした女性たち」も,同じでした。ドラシラ・ヘンドリックスとその家族は,新しい改宗者として,ミズーリ州クレイ郡の聖徒が迫害された時期に大変な苦難を受けた人々の中に数えられます。夫はクルックト川の戦いにおける負傷で,生涯まひが残りました。彼女は夫の介護をしながら家族を養わざるを得なかったのです。

「特に悲惨なときには家族の食料が底を尽きましたが,彼女は『踏みとどまりなさい,主が与えてくださるのだから』と告げる声を耳にしたのを思い出しました。」

息子がモルモン大隊の隊員となる必要に迫られた当初,ドラシラが抵抗し,葛藤しながら天の御父に祈ると,「『最高の栄光を受けたいとは思わないのですか』という声が聞こえたように感じました。当然のことながら『受けたいです』と答えると,その声は,『では,どうして最大の犠牲を払わずにそれを得ようと考えるのですか』と問うたのです。」8

この「確固とした女性」から,聖約を守る弟子となるには進んで犠牲を払う必要のあることが分かります。

現代の確固とした女性たち—主の再臨を覚え,賛美するために備える

これまで,救い主の時代と福音が回復された初期の時代における「確固とした女性たち」のことを話してきました。では,この現代に生きる「確固とした女性たち」の,弟子としての模範と証についてはどうでしょうか。

最近わたしは割り当てを受けてアジアに行き,多くの「確固とした女性たち」に会って鼓舞されました。とりわけ感銘を受けたのは,インドやマレーシア,インドネシアの第1世代の会員です。福音に従った生活が,家族や国の文化と相いれない場合が多いために,時には大きな犠牲を払い,家庭で福音の文化を実践しようと努力しているのです。香港や台湾で出会った,数世代にわたる会員である「確固とした女性たち」は,救い主に心を向け続け,聖約を守るために進んで犠牲を払うことによって,家族や教会員,地域社会に祝福をもたらしています。同じように,「確固とした女性たち」は世界中の教会にいます。

数十年にわたりわたしの人生に祝福を与えてくれた,ある「確固とした女性」は,体を衰弱させる「封入体筋炎」という進行性の難病と,15年もの間闘っています。車いす生活を余儀なくされてはいますが,感謝することを忘れず,自分にできることを書き出した「できることリスト」をいつも更新するように努力しています。息ができる,飲み込める,祈ることができる,救い主の愛を感じられるといったことです。彼女はほぼ毎日,キリストを中心にした確固とした証を家族や友人に述べています。

最近,ジェニーという女性の話を聞きました。彼女は帰還宣教師ですが,伝道中に両親が離婚しました。帰還するのが「死ぬほど怖かった」と語っています。しかし,イタリアでの伝道を終え,アメリカへの帰国前に伝道本部へ立ち寄ったときのことです。「確固とした女性」である伝道部会長の夫人は,ただ彼女の髪をブラシでとかし,優しく慰めてくれたのです。

数年後,ジェニーがワードの扶助協会会長に召されたときには,ステークの扶助協会会長,イエス・キリストの弟子であるテリーという「確固とした女性」が,ジェニーの人生に祝福を注いでくれました。当時,ジェニーは博士論文に取り組んでいるさなかでした。テリーは指導者としてジェニーの良き助言者であっただけでなく,ジェニーが白血病という恐ろしい診断を受けたときにも,10時間もの間,病院でともに座っていてくれました。テリーは病院に行ってジェニーを車に乗せ,外来診察に連れて行ってくれました。ジェニーは「何度か車の中で吐いたと思う」と打ち明けています。

このような病気にもかかわらず,ジェニーはワード扶助協会会長として雄々しく奉仕しました。極度に体調が優れないときでさえ,ベッドから電話をかけ,携帯メールや電子メールを送り,会いに来るよう姉妹たちを招きました。カードや手紙を人々に送り,遠くから姉妹たちに愛を伝えました。ワードの歴史に載せるために会長会の写真が欲しいと言われたときには,帽子をかぶった写真を提供しました。「確固とした女性」であったジェニーは,自分を含め,人々と重荷を負い合うようすべての人を招いたのです。

「確固とした女性」として,ジェニーはこう証しています。「ほかの人だけでなく,自分自身を救うために,わたしたちは地上にいます。救いは,イエス・キリストとともに働くことによって,すなわち,キリストの恵みと贖罪,教会の女性たちに抱いておられる愛を理解することによってもたらされます。だれかの髪をブラシでとかす,霊感に満ち,分かりやすく,啓示をもたらすような希望と恵みのメッセージを書き送る,姉妹たちに仕える機会を提供するなど,ささやかなことを通してもたらされるものなのです。」9

姉妹の皆さん,心が乱れ,懐疑的になり,落胆し,罪に陥り,悲しみ,圧倒されるようなときには,井戸のほとりの確固とした女性のように,生ける水を飲みなさいという主の招きを受け入れようではありませんか。自身の確固とした証を述べ,ほかの人々も同じく行えるよう招くのです。「もしかしたら,この人がキリストかもしれません。」

兄弟の死に際し,マルタも感じたことでしょうが,人生が不公平に思えるとき,すなわち孤独や不妊,愛する者の死を経験するとき,結婚や子育ての機会が得られないとき,家庭崩壊や重いうつ状態に陥るとき,心身の病気にかかり,ストレスや不安,依存症,経済的な困難に息が詰まりそうなとき,そのほかありとあらゆる悩みに苦しむとき,マルタを思い出してください。彼女と同じように確固とした証を述べられますように。「しかし,……わたしは……存じています。……あなたが……キリスト,神の御子であると信じております。」

貴き救い主が十字架上で耐え難いほどの苦しみを受けるさなか,主を見捨てることを拒んだ多くの女性たち,その数時間後,主の栄えある復活の確固とした証人となる特権にあずかった,「確固とした女性たち」のことを,忘れることがありませんように。祈りと聖文研究を通して主に近くありましょう。聖餐式で,毎週主の贖いの犠牲の神聖な象徴に備え,それにあずかりましょう。また助けを必要とする人々に奉仕することによって,聖約を守りましょう。こうしてわたしたちは主に近づくのです。そうするときに,わたしたちは,主が再び来られるとき,その栄えある再臨を賛美する,「確固とした女性」,イエス・キリストの弟子の一人となるのかもしれません。

姉妹の皆さん,わたしは愛にあふれる天の両親と救い主イエス・キリストについて,また主がわたしたちのために無限の贖罪を成してくださったことについて証します。預言者ジョセフ・スミスは回復の預言者として予任されていました。モルモン書が真実であり,神の力によって翻訳されたことを知っています。わたしたちは今日祝福され,トーマス・S・モンソン大管長という生ける預言者を与えられています。これらの真理を,わたしは確固として証します。イエス・キリストの御名により,アーメン。

注:2017年4月1日,バートン姉妹は中央扶助協会会長から解任されました。