2010–2019
神の家族の集合
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神の家族の集合

父なる神は,御自分の子供たちが家族とともに,また栄光のうちに帰還することを望んでおられます。

愛する兄弟姉妹の皆さん,総大会のこの部会の始まりに当たり,皆さんとともに集える機会をうれしく思います。皆さんを心から歓迎します。

末日聖徒にとって,総大会はいつも集合の時となってきました。教会は成長し,物理的に1か所に集まることができなくなって久しいですが,主は皆さんがどこにいても総大会の祝福にあずかる方法をもたらしてくださいました。この大きなカンファレンスセンターに聖徒が集合する姿を見るのは感動的ですが,この壇上に立つわたしたちがいつも心の目に思い描いているのは,この大会を視聴するために世界中でともに集っている何百万という人々です。皆さんの多くは家族とともに集っているでしょう。友人や教会の仲間たちと集っている人もいるでしょう。

皆さんがどこで,どのような方法でわたしの声を聞いていようと,このことを知っていてください。この場でともにいなくとも,霊的にはともにいることを,わたしたちは感じているのです。皆さんが,わたしたちとの一体感,また信じる者がイエス・キリストの御名によって集うときに生じる,霊的な力を感じてほしいと願っています。

わたしは今日,別の集合について話すよう促されています。この集合は,総大会のように,6か月に1度だけ起こるようなものではありません。そうではなく,教会が回復された初期の時代から続く集合であり,近年その集合は速められています。わたしが話しているのは,神の家族の集合のことです。

この集合について説明するには,わたしたちが生まれる前のこと,聖書で言う「はじめ」の前から始めるのがよいでしょう(創世1:1)。そのときわたしたちは,天の御父の霊の子供として,御父とともに住んでいました。かつてこの地上に生を受けたすべての人に当てはまることです。

「兄弟」「姉妹」という呼び名は,わたしたちにとって,単なる親しみを込めたあいさつや愛称ではありません。それは,神が文字どおり,全人類の御父であられ,わたしたち一人一人が御父の永遠の家族の一員であるという,永遠の真理を表すものなのです。御父は完全な父親の愛をもってわたしたちを愛しておられ,わたしたちが成長し,前進し,御自身のようになることを望んでおられます。御父は一つの計画を定められました。わたしたちが地上で家族のもとに来て,いつか御父のもとに戻り,御父のように生きる備えとなる経験を得られるようにです。

この計画の中心となる要素は,イエス・キリストが御自身を犠牲としてささげ,わたしたちを罪と死から救ってくださるという約束でした。計画におけるわたしたちの務めは,福音の律法と儀式に従うことにより,救い主の犠牲を受け入れることです。皆さんとわたしはこの計画を受け入れました。実際,それは御父のみもとを離れ,御父との経験を忘れてしまうことを意味していましたが,それでもわたしたちはこの計画を喜んだのです。

しかし,わたしたちは真っ暗闇の中を,地上へと送られたわけではありません。わたしたちにはそれぞれ,「キリストの光」と呼ばれる神の光の一部が与えられており,それは善と悪,正しいことと間違ったこととを区別する助けとなります。だからこそ,御父の計画に関する知識がほとんど,あるいはまったくない人でも,ある行為は正しく道徳的であり,ある行為はそうではないと心に感じることができるのです。

善悪に対する感覚は,子供を育てるときは特に,鋭くなるように思われます。ほとんどの親が,自分の子供たちに道徳を教えるという,本能的な願いを持っています。これは天の御父の計画における奇跡の一端です。御父は御自分の子供たちが,天にある家族の永遠の規範に倣い,地上に来ることを望んでおられます。家族は永遠の王国における基本的な組織単位であり,御父は,地上においても家族が基本単位となるよう意図されています。地上の家族は完全ではありませんが,神の子供たちをこの世界に歓迎する最善の機会を与えてくれます。地上で唯一,わたしたちが天で感じた愛にもっとも近い愛,すなわち両親の愛によって迎えるのです。家族はまた,わたしたちを神のみもとへ導くのに最も優れた,道徳や真の原則を守り,伝える最善の方法でもあります。

神の計画についての完全な理解と,救い主の贖いの力を日々の生活で余すところなく受けるために必要な,神権の儀式と聖約をこの世で受けるのは,ごく少数の神の子供たちだけです。善い両親に恵まれ,与えられた光に従って忠実に生活していても,イエス・キリストとその贖いについて耳にしたり,主の御名によってバプテスマを受ける機会がまったくない人もいます。これは過去の世界の歴史を通じて,数え切れないほど多くの兄弟姉妹について言えることです。

これを不公平だと考える人がいるかもしれません。彼らは,これこそ救いの計画や,救いに明確な条件など存在しない証拠だと見なすかもしれません。公正で,愛にあふれる神が,それほど少数の子供たちにしか与えられない計画など立てるはずがないと思うのでしょう。また,どの子供を救うか,どの子供に福音を知らせるか,神は前もって決められたに違いない,福音を聞かなかった人は単に「選ばれ」なかっただけだと結論づける人もいるかもしれません。

しかし,預言者ジョセフ・スミスを通して回復された真理によって,神の計画がはるかに愛にあふれ,公平なものだということを,皆さんもわたしも知っています。天の御父は,御自分の家族を集め,祝福することを切に願っておられます。神は,全員が集められることを選ぶわけではないと御存じですが,その計画ではどの子供にも,神の招きを受け入れるか,拒むかの機会が与えられています。そして,この計画の中心は家族なのです。

何世紀も前のこと,預言者マラキは,来るべき時代に神がエリヤを遣わし,「父の心をその子供たちに向けさせ,子供たちの心をその父に向けさせる」と告げました(マラキ4:6)。

この預言はきわめて重要であり,救い主は復活後,アメリカ大陸を訪れたときにこの聖句を引用されました(3ニーファイ25:5-6参照)。天使モロナイが預言者ジョセフ・スミスを訪れた際にも,エリヤ,心,父,子供に関するこの預言を引用しました(ジョセフ・スミス—歴史1:36-39参照)。

今日は4月1日です。2日後の4月3日は,マラキの預言が成就された日からちょうど181年になります。その日,エリヤは実際に現れ,ジョセフ・スミスに家族を永遠に結び固める神権の力を授けました(教義と聖約110:13-16参照)。

その日以来,家族歴史探求への関心は急速に高まっています。単なる好奇心を超えて自分の先祖に引き付けられている人々は,かつてないほどの勢いで増えています。その関心事を支援する系図関連の図書館,協会,科学技術が全世界で生まれています。インターネットの力により交流が深まり,かつてないほど速く徹底的に,家族で協力して家族歴史探求を行えるようになってきています。

こうしたすべてのことが起こっているのはなぜでしょうか。ほかに適切な言い回しがないので,わたしたちはそれを「エリヤの霊」,また「預言の成就」とも呼んでいます。エリヤは確かに来たことを証します。子供たち,すなわち皆さんとわたしの心は,その先祖に向けられています。皆さんが先祖に対して感じる愛情は,その預言の成就の一部です。その愛情は自分が何者であるかという認識に深く根ざしていますが,受け継がれたDNA以上のつながりを感じさせてくれます。

例えば,自分の家族歴史について学ぶようにという促しに従うとき,皆さんは遠い親戚と,自分の顔の特徴,書物への興味,あるいは歌の才能に共通点を見つけることがあるでしょう。これは非常に興味深く,洞察に満ちた発見となり得ます。しかし,皆さんがそこで止まったとしたら,何かが足りないことに気づくでしょう。なぜなら神の家族を集め,一つとするには,単なる温かい気持ち以上のものが求められるからです。神権の儀式に関連して交わす,神聖な聖約が必要なのです。

皆さんの先祖の多くは,そのような儀式を受けていません。しかし,神の計らいにより,皆さんには方法が備えられました。神は皆さんが愛によって自分の先祖に心を引かれ,その先祖を見つけるために必要な科学技術に恵まれることを御存じでした。また,儀式を執行できる聖なる神殿が,歴史上かつてないほど利用しやすい時代に皆さんが生を受けることも御存じでした。そして,皆さんが先祖のためにこの業を成し遂げるうえで信頼できる人物であることも御存じでした。

もちろん,わたしたちは皆,ほかにも関心を払い,時間を割くべき,差し迫った重要な責任を多く抱えています。主がわたしたちに行うよう期待しておられることの一部は,自らの能力を超えたものであると,だれもが自認しています。幸いにも,主はわたしたち一人一人が,家族歴史を含むすべての奉仕を行うときに,自信と満足を得る方法を備えておられます。わたしたちは,「主が命じられることには,それを成し遂げられるように主によって道が備えられており,それでなくては」救い主は何の命令も下されないという信仰によって,主から求められたことを行う力を得るのです(1ニーファイ3:7)。

経験により,わたしはこれが真実であることを知っています。何年も前,大学生だったころ,わたしは世界でも大手の,あるパソコン会社に勤務する一人の男性に会いました。まだパソコンが普及し始めたばかりのこと,たまたまその男性が会社から派遣され,末日聖徒イエス・キリスト教会にパソコンを売りに来たのです。

わたしの見るかぎり,このセールスマンは宗教を信じていませんでした。しかし,彼は驚き,信じられないといった様子でこう言ったのです。「この教会の会員は『系図』と呼ばれるものを調べ,亡くなった人々の名前を探し,先祖を特定しようとしていました。人々は,その多くが女性でしたが,整理棚の間を行き来し,小さなカードの中から情報を探していました。」わたしの記憶が正しければ,少しでも早く走れるようにと,姉妹たちはテニスシューズを履いていたと,彼は言いました。男性はこう続けました。「彼らが処理しようとしている膨大な作業を目にしたとき,わたしはコンピューターが発明された理由を発見したことに気づきました。」

この男性の言ったことは,ある意味で正しかったのです。パソコンは,家族歴史活動の将来に欠かせない道具となりました。ただ,彼が売っていたパソコンではなかったというだけです。霊感を受けた教会指導者は,彼のパソコンを買わないことにしました。教会は当時,まだ想像すらされていなかった科学技術を待つ必要があったのです。しかし,そのときから何年もたって分かったことがあります。最良の科学技術ですら,教会指導者が受けるような,天からの啓示に取って代わることはできないということです。これは霊にかかわる業であり,主が聖なる御霊を通してこの業を導いておられるのです。

つい数週間前,わたしは,一人の相談員がそばに,もう一人の相談員が電話越しにいる状態で,家族歴史に取り組んでいました。目の前のパソコン画面上には,わたし個人の力では解決できない問題がありました。驚くべき科学技術により,二人の名前が見つかりました。神殿の儀式を待っている可能性のある人たちの名前です。困ったことに名前が異なってはいましたが,二人が同一人物であると思う理由がありました。わたしの課題は,何が真実であるかを見極めることでした。

わたしが相談員たちに判断を任せようとすると,彼らは「いいえ,自分で決断する必要があります」と言いました。わたしが真実を見いだすことを心から確信していたのです。このパソコンに機能と情報は備わっていたものの,画面上でそれらの名前を見つめ,入手できる情報を評価し,ほかの調査方法を探求し,静かに祈り,何が真実であるかを見いだす祝福は,わたしに託されていました。祈ったとき,何をすべきかがはっきりと分かりました。これまでほかの状況で,問題を解決するため天の助けに頼る必要があったときと同じでした。

神が,御自分の家族を集める業に役立つ,どのような驚異的発明を生み出すよう人々に霊感を与えられるのか,わたしたちには分かりません。しかし,どのような驚くべき発明がもたらされても,その発明を利用するには,皆さんやわたしのような人に働きかける御霊が必要となります。これは驚くまでもないことです。結局のところ,この亡くなった人々は神の愛する息子,娘なのです。彼らが御父のみもとへ戻る機会にあずかるために必要なあらゆる霊感を,御父は与えてくださいます。

ここ数年,教会の青少年は霊感あふれる方法でエリヤの霊にこたえてきました。多くの青少年が限定神殿推薦状を持ち,頻繁に用いるようになりました。神殿のバプテスマ室はかつてないほど忙しくなりました。神殿に参入する若い人の増加に伴い,スケジュール調整をしなければならなくなった神殿もあるくらいです。

かつて,青少年が自分の先祖の名前を神殿に持って来るのはまれで,喜ばしい異例の出来事でした。現在では,それも珍しくなくなり,多くの場合,そのような先祖を見つけるのは若い人々になっています。

加えて,家族歴史探求や神殿の業を行うために時間をささげることで,救いの計画に対する証が深められたことに気づく青少年が多くいます。青少年の生活において御霊の影響力が増し加えられ,サタンの影響は弱められるのです。自分の家族,そして主イエス・キリストをより近く感じられるようにもなります。また,この業は死者だけでなく,わたしたちすべてを救うものだということを,青少年たちは理解しました(教義と聖約128:18参照)。

青少年はしっかりとビジョンを理解しました。今度は親が追いつく番です。青少年の働きのおかげで,現在,霊界にはバプテスマを受け入れた多くの人々がいます。そして,大人だけがこの地上の神殿において行うことのできる,ほかの儀式を待っているのです。天の御父の家族を集める業は,青少年のためだけでも,祖父母のためだけでもありません。すべての人のための業なのです。わたしたちは皆,集める人です。

これは,使徒パウロが「時の満ちるに及んで」と述べたとおり,わたしたちの世代の業です。神は「天にあるもの地にあるものを,ことごとく,キリストにあって一つに帰せしめようとされ」るのです(エペソ 1:10)。この計画は神の愛する御子,イエス・キリストの贖いの業によって,現実のものとなりました。イエスのおかげで,わたしたちの家族は「以前は遠く離れていたが……キリストの血によって近いものとなったので〔す〕。キリストはわたしたちの平和であって,二つのものを一つにし,敵意という隔ての中垣を取り除」かれました(エペソ 2:13-14)。皆さんも,わたしと同様,先祖の写真を見て愛が深まるの経験したとき,家族が近づくのを感じたことがあるでしょう。神殿において,カードに記された名前が単なる名前以上のものに思えたとき,家族とのつながりを感じたことでしょう。その人物があなたのことを知り,あなたの愛を感じていることに,気づかずにはいられなかったことでしょう。

父なる神は,御自分の子供たちが家族とともに,また栄光のうちに帰還するよう望んでおられることを証します。救い主は生きておられます。主がこの業を指示し,祝福を与え,またわたしたちを見守り,導いておられます。主は御父の家族を集める皆さんの忠実な奉仕に感謝しておられます。皆さんが求め,必要とする霊感に満ちた助けが与えられることを約束します。イエス・キリストの御名により,アーメン。