2010–2019
個人の生活で啓示と霊感を受ける方法
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個人の生活で啓示と霊感を受ける方法

主はなぜ,主に祈り,尋ねるよう望んでおられるのでしょうか。なぜなら,それこそが啓示を受ける方法だからです。

この説教壇に立ってメッセージを伝える人はだれでも,世界中の会員たちから強さと支えを感じます。わたしは幕の向こう側の愛する妻からの支えにも感謝しています。ありがとう,ジェニーン。

聖霊は,現世の旅路の指針となる欠くことのできない大切な情報をわたしたちに伝えてくださいます。それが簡潔明瞭かつ不可欠な情報であるならば,啓示と呼ぶに値します。それがふさわしい目的に一歩ずつ導いてくれる一連の促しである場合は,この説教の中ではそれを霊感と呼ぶことにします。

啓示の事例として,スペンサー・W・キンボール大管長が,教会のすべてのふさわしい男性に神権を授けることに関して,長い間主に尋ねた後に受けた導きが挙げられるでしょう。当時,神権はごく一部の男性しか受けていませんでした。

啓示のもう一つの事例は,ジョセフ・Fスミス大管長に与えられた次の導きです。「わたしたちは天の使者や天にいる人々の目の前で動き,存在しているとわたしは信じています。彼らから離れているのではありません。……わたしたちと先に霊界へ行った……親族や先祖との間には密接な関係があります。彼らを忘れることも,彼らへの愛が消えることもなく,彼らはいつもわたしたちの心と記憶の中にいます。このように,わたしたちは彼らと断ち切ることのできないきずなで結ばれています。……死すべき弱いわたしたちでさえそうであるならば……この世を去った忠実な人々は……わたしたちが彼らを見ている以上にわたしたちを見ていて,わたしたちが彼らを知っている以上にわたしたちを知っていることでしょう。……わたしたちは彼らの目の前で生活しています。彼らはわたしたちを見,わたしたちの福利を願い,かつてなかったほどわたしたちを愛しています。なぜなら彼らは今,わたしたちを取り巻く危険を見ているからです。……わたしたちに対する彼らの愛,幸福を願う思いは,わたしたちが自分たちに対して抱くそのような思いよりも大きいに違いないのです。」1

わたしたちは幕の向こうにいるよく知り愛する人々との関係を深めることができます。正しいことを続けて行おうと決心し努力することによって,それは可能となります。別離は一時的であり,神殿で交わした聖約は永遠であると認めることによって,わたしたちは愛する故人との関係を強めることができます。神殿の聖約を首尾一貫して守るときに,永遠にわたる約束の実現が聖約に含まれていることを確信できます。

わたしの人生で非常にはっきりと啓示を受けた例は,ジェニーン・ワトキンスに神殿で自分と結び固められてほしいと伝えるよう強く促されたことです。

一人一人が学ぶ必要のある偉大な教えの一つは,尋ねることです。主はなぜ,主に祈り,尋ねるよう望んでおられるのでしょうか。なぜなら,それこそが啓示を受ける方法だからです。

わたしは非常に難しい問題に直面すると,次のようにして,なすべきことを知ろうとします。断食し,役に立つ聖句を見つけて理解できるようにと祈ります。このプロセスを繰り返します。まず聖句を少し読みます。その節の意味を深く考え,霊感を求めて祈ります。それから,主がわたしに望んでおられることをすべて把握したかどうか知るために,深く考え祈ります。多くの場合,受ける印象が多いほど,教義の理解も深まります。このパターンは聖文から学ぶ良い方法だと分かりました。

啓示を受けるための実用的な原則があります。まず,怒りや傷ついた気持ちを抱え込み,防衛的になってしまうと,聖霊は遠ざかります。そのような感情をなくさなければ,啓示を受ける可能性は低いままです。

もう一つの原則は,ユーモアに注意することです。騒々しく,不適切な笑いは御霊を傷つけます。健全なユーモアは啓示を招きますが,高笑いは違います。ユーモアは生活の緊張をほぐしてくれます。

もう一つ,大げさでやかましい話し方も啓示を妨げます。注意深く静かに話すなら,啓示を受けやすくなります。

一方,霊的な交信は,健康的な生活習慣によって改善されます。運動,適度の睡眠,良い食習慣は,啓示を受け理解する能力を高めてくれます。わたしたちは定められた寿命を生きます。しかし,注意深く,適切に選択することによって,その寿命の中で行う奉仕の質と自分自身の幸福感を上げることができます。

日々の活動が御霊に耳を傾けるのを妨げないようにすることは大切です。

啓示は夢の中でも与えられます。そのときには,わずかに睡眠から覚醒への移行が起こります。夢は,覚めてから即座に記録しようと努めれば詳しく記録できますが,そうしなければすぐに忘れます。睡眠中に霊的な交信をする場合,通常,その経験全体に対して神聖な気持ちを抱きます。主はわたしたちが心から尊敬する人を使って,夢の中で真理をお教えになります。わたしたちがその人を信頼し,勧告に耳を傾けるからです。聖霊を通してお教えになるのは,ほかならぬ主です。しかし,わたしたちが愛し尊敬する人を通して教えることによって,主はその夢を理解しやすく,心に触れやすいものにしてくださるのです。

主は御心のままに,わたしたちの記憶をよみがえらせることがおできになります。だからといって御霊の印象を記録する決意を緩めてはなりません。霊感を入念に記録することで,神との交信を神聖に扱っていることを神に示すことができます。記録することによって,啓示を思い起こす力が強められます。御霊の導きの記録は,なくしたり人に見られたりしないように保護するべきです。

常に真理に従っているなら,なすべきことを教える霊感の扉が開き,必要なときには神の力によって人の能力が高められることを,聖文は雄弁に物語っています。聖文にはまた,助けが必要なときに主が困難や疑い,克服し難い試練を乗り越える力をどのように与えてくださるかが描かれています。そのような例について思い巡らすとき,それらの経験は真実であるという静かな確信が,聖なる御霊を通して得られるでしょう。自分にも同じような助けが得られることが分かるようになるでしょう。

自分の経験ではどうしてよいか分からない事柄に出合ったときに,どう対処するべきか心得ている人をわたしは何人も見てきました。彼らは主を信頼し,差し迫って必要な解決策を主が示してくださることを知っていました。

主は宣言されました。「あなたがたは高い所から教えを受けなければならない。自らを聖めなさい。そうすれば,あなたがたは力を授けられて,わたしが語ったように与えることができるであろう。」2自らを聖めるという言葉は分かりにくいかもしれません。リー大管長はかつて,この言葉は「わたしの戒めを守りなさい」という表現で言い換えることができるとわたしに教えてくれました。そのように解釈すると,この勧告は分かりやすくなるでしょう3

主から霊感を受けるには,身も心も清く,清い動機を持っていなければならないのです。そのような人は,なすべきことを教える主の霊感と,必要な場合は,霊感を実行する神聖な力を授かることができます。

霊性をはぐくみ,発揮するためには,義にかなった環境にその種を植える必要があります。傲慢,おごり,うぬぼれは,霊的な実を結ばない石地のようなものです。

謙遜さは肥沃な土地のように,霊性をはぐくみ,なすべきことを教える霊感の実を結びます。謙遜さは,義務を果たすために神の力を使う条件です。称賛されたい,認められたいという動機で動いている人に,御霊から学ぶことはできません。傲慢な人,感情に任せて決断する人は,霊感を受けることも,御霊から力強く導かれることもありません。

自分のことだけを考えるときよりも,人に奉仕するときに霊感を受けやすくなります。人を助けているときに,主はわたしたちの益となる導きを与えてくださるのです。

天の御父がわたしたちを地上に置かれたのは,失敗させるためでなく,輝かしい成功を収めさせるためです。だからこそ,祈りの答えを認識するのが時折非常に難しいのです。時折,わたしたちは愚かにも自分の経験と力に頼って人生に立ち向かおうとします。祈りと神からの霊感によってなすべきことを知ろうとする方がはるかに賢明です。従順であれば確かに,求めるときに霊感された目的を達成するための神の力を受けることができるのです。

多くの人と同様に,オリバー・カウドリも主からすでに受けていた祈りの答えに気づきませんでした。彼とわたしたちの目が開くように,ジョセフ・スミスを通じて次の啓示が与えられました。

「あなたが行ってきたことのために,あなたは幸いである。あなたはわたしに尋ね,そして見よ,尋ねる度に,わたしの御霊からの教えを受けてきたからである。そうでなかったならば,現在あなたがいる所に来ることはなかったであろう。

見よ,あなたがわたしに尋ねたので,わたしがあなたの思いを照らしたことを,あなたは知っている。そして今,あなたが真理の御霊に照らされたことを知るように,わたしはこれらのことをあなたに告げるのである。」4

神が祈りにこたえてくださらないと感じたら,この聖句を深く考えてください。それから,神がすでに祈りにこたえておられる証拠を自分の生活の中で注意深く探してください。

ある気持ちや促しが神からのものであるかどうかを知る二つの指標は,心の平安と静かな温かい気持ちが生じるかどうかです。わたしが話した原則に従うならば,皆さんは人生の重大な時に啓示を識別できるように備えられるでしょう。

神の導きに従うにつれて,現世と永遠の世でさらに幸福になり,それに加えて,さらに進歩を遂げ,奉仕する力も増すでしょう。それがどのように起こるのかわたしには完全には分かりませんが,導きを受けるからといって選択の自由が取り去られるわけではありません。皆さんは思いのままに決定を下すことができます。しかし覚えておいてください。正しいことを行う性質は思いと心に平安をもたらします。

間違った選択をしたとしても,悔い改めを通して修正することができます。その条件がすべて満たされたとき,救い主イエス・キリストの贖いは,過ちに対する正義の要求からわたしたちを解放してくれます。驚くほど簡潔で,何よりすばらしいことです。義にかなった生活を続けると,なすべきことを知るよう常に促されるようになります。時として,取るべき行動に気づいたために非常な努力と信仰が必要になることがあります。それでも皆さんは,生活の中で神聖な導きを受ける条件を満たすときに,すなわち,主の戒めに従い,神の幸福の計画に信頼を置き,その計画に反するいかなることも回避するようになるときに,自分のなすべきことを知るように促されるのです。

天の御父との交信は,ささいなことではありません。それは神聖な特権であり,永遠不変の原則に基づいています。わたしたちは,信仰と従順に応じて,また選択の自由を適切に使うことの報いとして天の御父から助けを受けます。

個人の啓示と霊感を受ける原則を理解し,活用することができるように主が皆さんを導いてくださいますよう,イエス・キリストの御名によって祈ります,アーメン。

  1. ジョセフ・F・スミス,Conference Report, 1916年4月,2–3 。 Gospel Doctrine,第5版(1939年) 430-431も参照

  2. 教義と聖約43:16

  3. 『歴代大管長の教え――ハロルド・B・リー』34

  4. 教義と聖約6:14-15