「マタイ27章;マルコ15章;ヨハネ19章」聖文ヘルプ:新約聖書
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マタイ27章;マルコ15章;ルカ23章;ヨハネ19章
イエス・キリストが捕らえられた後,ローマ人はイエスを鞭打ち,あざけり,たたきました。ピラトはイエスを無罪としましたが,群衆はイエスを十字架につけるように叫びました。ピラトは圧力に屈し,救い主に十字架へのはりつけを宣告しました。イエス・キリストは,ゴルゴタで二人の強盗の間に挟まれるようにして十字架につけられました。十字架にかけられている間,イエスは天の御父に兵士たちを赦してくださるよう祈り,使徒ヨハネには御自分の母親の世話をするように頼まれました。最後にイエスは,御自分の霊を御父の御手に委ねて亡くなられました。アリマタヤのヨセフとニコデモは,救い主の体を墓に納めました。
リソース
背景と文脈
ローマ総督のピラトについて,どのようなことが分かっているだろうか
「ヨハネ18:29。ピラトはだれか。」および「ヨハネ18:29-36。なぜユダヤ人の指導者たちはイエスをピラトの前に連れてきたのだろうか。」を参照してください。
イエス・キリストの試練と十字架の刑が起こる間に,どのような預言が成就しただろうか
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預言 |
預言の成就 |
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イザヤ53:7。「彼はしえたげられ,苦しめられたけれども,口を開かなかった。」 |
マタイ27:14。「イエスは何を言われても,ひと言もお答えにならなかった。」 |
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イザヤ53:5。「彼はみずから懲しめをうけて,われわれに平安を与え,その打たれた傷によって,われわれはいやされたのだ。」 1ニーファイ19:9。「それで彼らはこの御方を鞭打つが,この御方はそれに耐えられる。」 |
マタイ27:26。ローマ兵は「イエスをむち打った」。 |
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イザヤ50:6。「恥とつばきとを避けるために,顔をかくさなかった。」 1ニーファイ19:9。「彼らはこの御方につばきを吐きかけるが,この御方はそれにも耐えられる。」 |
マタイ27:30。「イエスにつばきをかけ」 |
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詩篇69:21。「彼らはわたしの食物に毒を入れ,わたしのかわいた時に酢を飲ませました。」 |
マタイ27:34。「彼らはにがみをまぜたぶどう酒を飲ませようとした。」 |
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詩篇22:16。「わたしの手と足を刺し貫いた。」 1ニーファイ19:10。イエスは「身をゆだねて,……上げられ,……十字架につけられ〔た〕。」 |
マタイ27:35。「彼らはイエスを十字架につけ〔た〕」 |
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詩篇22:18。「彼らは互にわたしの衣服を分け,わたしの着物をくじ引にする。」 |
マタイ27:35。ローマ兵は「くじを引いて,その着物を分け〔た〕。」 |
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イザヤ53:9,12。「その墓は悪しき者と共に設けられ,……とがある者と共に数えられた」 |
マタイ27:38。「ふたりの強盗がイエスと一緒に,……十字架につけられた。」 |
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詩篇22:7-8。「すべてわたしを見る者は,わたしをあざ笑い,……言う,『彼は主に身をゆだねた,主に彼を助けさせよ。」 |
マタイ27:41,43。「祭司長たちも……嘲弄して言った,『……彼は神にたよっているが,……今,救ってもらうがよい。』」 |
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詩篇22:1。「わが神,わが神,なにゆえわたしを捨てられるのですか。」 |
マタイ27:46。「わが神,わが神,どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」 |
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詩篇34:20。「主は彼の骨をことごとく守られる。その一つだに折られることはない。」(出エジプト12:46も参照。) |
ヨハネ19:33。「しかし,彼らがイエスのところにきた時,イエスはもう死んでおられたのを見て,その足を折ることはしなかった。」 |
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ゼカリヤ12:10。「彼らはその刺した者を見る」 |
ヨハネ19:34。「しかし,ひとりの兵卒がやりでそのわきを突きさ〔した〕」 |
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イザヤ53:9。「その墓は……死に際して裕福な者と共に設けられた。〔訳注―英語から訳出〕」 |
マタイ27:57,59-60。「アリマタヤの金持〔の人が〕,……〔イエスの体を〕きれいな亜麻布に包み,……彼の新しい墓に納め〔た〕。」 |
バラバが釈放されたことで,モーセの律法はどのように成就しただろうか
(マルコ15:7-11;ルカ23:18-25;ヨハネ18:39-40と比較。)
古代ギリシャ語版のマタイ27:16-17によると,バラバの名前はイエスでした。バラバという名前の文字どおりの意味は,「父の息子」です。 怒った群衆は,ほんとうに御父の息子であられるイエス・キリストよりも,イエス・バラバを選びました。バラバの釈放は,贖罪の日に行われた贖罪のやぎの儀式を成就するものでした。モーセの律法によると,贖罪の日に大祭司は2頭のやぎを選びました。1匹のやぎは身代わりのやぎとなって生きたまま荒れ野に放されました。もう1匹のやぎは主への罪祭として殺されました。 バラバは,身代わりのやぎの役割を果たしました。贖い主は,すべての人々の罪を贖うために命をささげる第二のやぎの役割を果たされました。
十字架の刑についてどのようなことを知っているか
(マルコ15:22-37;ルカ23:26-46;ヨハネ19:17-30と比較。)
はりつけによる処刑は,政治的反逆を含む様々な犯罪に対する罰でした。古代ユダヤの歴史家ヨセフスは,十字架の刑を「最も惨めな死」と呼びました。 「十字架につけられる人は通常,自分の十字架を処刑場まで担がされた。」 その人はしばしば服を脱がされました。 その後,死刑執行人は犠牲者をロープやくぎ,あるいはその両方で十字架につけました。 くぎによる傷は耐え難い痛みを引き起こしましたが,これが人を死に至らさせるわけではありません。通常,十字架上で死に至る人の死因は,「飢え,ショック,渇き,感染,疲労,寒さの組み合わせ」でした。 死ぬ前に2~3日苦しむこともありました。
ピラトはなぜ手を洗ったのだろうか
ピラトは,イエス・キリストがかけられた罪状について無罪であることを認めました。 ピラトの妻でさえ,イエス・キリストに罪がないことについてピラトに警告していました。 罪のない人に有罪を宣告する責任から逃れるため,ピラトは手を洗いました。モーセの律法にも同様の慣習がありました。 このため,ピラトが手を洗ったとき,彼はユダヤ人指導者たちがすぐに理解できる方法で自分の無実を主張していたのかもしれません。 しかし,ピラトは手を洗っても責任を逃れることはできませんでした。ジェフリー・R・ホランド会長はこう述べています。「洗ったばかりのピラトの手は,これ以上ないほどの汚れにまみれていたことでしょう。」
救い主の死に責任があるのはだれか
イエス・キリストの十字架へのはりつけは,少数のユダヤ人指導者たちがローマ当局と協力して行いました。 救い主の現世における務めの間,多くのユダヤ人がイエス・キリストを信じていたことを覚えておくことが大切です。
鞭打ちとは何だったのだろうか
鞭打ちは,はりつけの前に人を弱らせることを目的とした,ローマで行われていた刑でした。 鞭は革のひもでできており,小さな金属片や骨が固定されていました。 死刑囚は柱に縛り付けられると,繰り返し鞭打たれました。 通常,1回目の鞭打ちで皮膚が裂けます。鞭打ちを繰り返すと,骨格筋が断裂します。これにはひどい痛みと失血が伴いました。「犠牲者が倒れるか死ぬ寸前の状態にまで衰弱させることだった。またこれには一般的に罵倒や嘲笑が伴った。」
ローマ兵はどのようにイエス・キリストをあざけっただろうか
(マルコ15:17-18;ヨハネ19:2-3と比較。)
ローマ兵は王族の象徴を用いて,ユダヤ人の王としてのイエス・キリストをあざ笑いました。マルコ,ヨハネ,およびジョセフ・スミス訳にある記述によると,彼らは主に着るようにと紫色の衣を与えました。 紫色は高貴さを象徴しています。いばらでできた冠を編んで,イエスの頭に被らせました。また主の右手に,笏に見立てた棒である葦を握らせました。
ピラトが十字架に掲げた称号のどのような点が重要だったか
(ヨハネ19:19と比較。)
十字架上の被告人の頭上に札を置くというのが当時の習わしでした。札には,彼らの罪状が書かれていました。十字架上のイエスの上に置かれた札には,ギリシャ語,ラテン語,ヘブライ語で「ユダヤ人の王,ナザレのイエス」と書かれました。 通りすがりの人々は皆,この公の文言を読み,「ユダヤ人の王」であられるイエスが十字架につけられたことを知ることができました。 祭司長たちはピラトに,「『ユダヤ人の王』と書かずに,『この人はユダヤ人の王と自称していた』と書いてほしい」と言いました。 この文言の違いは,ユダヤ人の王であると主張していたものの,イエスはユダヤ人の王ではないという彼らの信念を示しています。ピラトは,札の文言を変えてほしいという彼らの要求を無視しました。
暗闇が地を覆ったのは何時だったか
イエスが十字架にくぎで打ち付けられたのは「朝の九時ごろ」でした。マタイは,昼の12時から,救い主が亡くなられた午後3時まで「地上の全面が暗くなっ〔た〕」と記録しています。
イエスはなぜ見捨てられたと感じられたのだろうか
ジェフリー・R・ホランド会長は次のように教えました。
「御子の至高の犠牲は,それが自発的であればあるほど,また孤独であればあるほど完全なものになるという理由から,御父は短い間,御父の霊がもたらす安らぎと,御父御自身の存在による支えをイエスから取り去られたのです。……無限にして永遠の贖罪を成し遂げるために,イエスは肉体だけでなく霊が死ぬということがどのようなものかを実感し,神の霊が退き,独り残されてこれ以上ないほどの悲惨極まる,絶望的な孤独を感じることがどのようなことかを御自身で理解される必要がありました。
しかし,イエスは堪え忍び,使命を果たし続けられました。極限の苦悩の中にあっても,御自身に備わる至善によって勝利への信仰を持ち続けられたのです。……イエスがただ御独りでそのような長く孤独な道を歩まれたおかげで,わたしたちはそうする必要がないということです。」
神殿の幕が裂けることには,どのような意味があるか
至聖所は,古代の神殿における最も神聖な部屋であり,幕によって分けられていました。この部屋は神の臨在を象徴していました。年に一度,贖罪の日に,大祭司は神殿の幕を通り抜けて至聖所に入りました。大祭司はイスラエルの全会衆の罪を贖うために罪祭の血を祭壇に注ぎました。
イエス・キリストの死に際して神殿の幕が「真二つに裂け」たとき,それは救い主の贖罪が成し遂げられたことの劇的な象徴でした。使徒パウロは,裂けた幕が至聖所に象徴的に入ることを可能にしたのと同様に,イエス・キリストの裂けた肉体が御父のみもとに入る道をわたしたちのために開くと教えました。
イエス・キリストの前に復活した人はいたのか
マタイ27章の復活に関する聖句がなぜ本文中のその場所に配置されているのかは不明です。53節では,復活した人々がエルサレムに現れたのは,「〔キリストの〕復活後」であったことが明確になっています。 ほかの聖句も,イエス・キリストが最初に復活された御方であることを確認しています。 モルモン書の預言者アビナダイは,救い主の復活のときに復活した人々は,預言者と神の戒めを守った人々だったと教えました。
イエスが王としてピラトの前に立たされたことについて,どのような点が重要だったか
(ルカ23:1-3と比較。)
「マタイ26:59-68。神を冒涜した罪の何が重要だったのか。」を参照してください。
ヘロデ・アンティパスとは何者か
ヘロデ・アンティパスは,ベツレヘムの幼子を殺害するように命令したヘロデ大王の息子でした。 ヘロデ・アンティパスは,彼の兄弟ピリポの妻と不義の結婚をしました。バプテスマのヨハネはこの結婚について聞くと,それを不法であると言いました。 ヘロデはバプテスマのヨハネを死に追いやった人物です。イエスは以前,ヘロデの欺きの性格を表してヘロデを「あのきつね」と呼びました。ジェームズ・E・タルメージ長老は,「わたしたちの知るかぎり,ヘロデはさらに,キリストと相対して話したけれども,一言もキリストの声を聞かなかった唯一の者として名高い」と述べました。
生木と枯木にはどのような意味があるか
生木は,イエス・キリストの現世における務めの時を表しています。一方,枯木は,救い主の死後の時代を表しています。「枯木はどうされることであろう。」の句にジョセフ・スミス訳は次の洞察を加えています。「これは,イスラエルの散乱と,異教徒つまり異邦人の荒廃を意味する。」 この聖句は,イエスが彼らの中におられたときでさえ,ユダヤ人の抑圧者たちがそのような邪悪な行いをすることができたなら,イエスが去った後,彼らはもっと悪いことをするであろうことを示唆しています。
イエスは御父にだれを赦すよう願い求められたか
ジョセフ・スミス訳では,救い主が御自分を十字架につけたローマ兵たちを赦すよう御父に求められたことが明らかにされています。
その強盗はイエスとともにパラダイスに行ったのか
預言者ジョセフ・スミスは,その強盗が霊のパラダイスにいるだろうという意味ではなく,主とともに霊界にいるであろうことを主は意味しておられたことを明らかにしました。 現代の啓示から,死んだ者は皆,死後の霊界に入ることが分かります。バプテスマを受けた義人はパラダイスで暮らしますが,悪人と救い主の福音を受け入れていない人は霊の獄で暮らします。 霊の獄にとらわれている人々もイエス・キリストの福音を教えられ,罪を悔い改め,神殿で行う業を通して身代わりの儀式を受ける機会があります。 彼らが福音を受け入れるならば,霊の獄を出てパラダイスに住むことができます。
「すべてが終った」という救い主の宣言には,どのような意味があるか
ロバート・D・ヘイルズ長老は次のように教えています。「創世の前から十字架上で最期を遂げる瞬間まで,救い主は御父の業に携わっておられました。主は地上に送られた目的であった業を成し遂げられました。ですから,十字架上で『「すべてが終った」と言われ』〔ヨハネ19:30〕,『声高く叫んで……「父よ,わたしの霊をみ手にゆだねます」〔と〕言ってついに息を引きとられた』〔ルカ23:46〕とき,だれに向かって語っておられたのかは明らかです。主は天の御父に向かって祈っておられたのです。」 ジョセフ・スミス訳〔英語版〕にはこう追記されています。「イエスはもう一度大声で叫んで,『父よ,終わりました。あなたの御心が行われました』と言って,息をひきとられた。」 この宣言は,イエス・キリストが自ら進んで命をささげられたことを示しています。
さらに学ぶ
十字架
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ジェフリー・R・ホランド「十字架につけられて」『リアホナ』2022年11月号,77
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ジェフリー・R・ホランド「だれも主とともにいなかった」『リアホナ』2009年5月号,86
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ゴードン・B・ヒンクレー「わたしたちの信仰の象徴」『リアホナ』2005年4月号,3
救い主の犠牲
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ダリン・H・オークス「救い主はわたしたちのために何をしてくださったのでしょうか」『リアホナ』2021年5月号,75
メディア
ビデオ
「救い主は鞭打たれ,十字架につけられる」(4:48)
「イエスは墓に置かれる」(3:31)
画像
「十字架の刑」ハリー・アンダーソン画
「十字架の刑」ルイーズ・パーカー画