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ルカ12-17章;ヨハネ11章


「ルカ12-17章;ヨハネ11章」聖文ヘルプ:新約聖書(2024年)

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ルカ12-17章ヨハネ11章

イエスは現世での務めの終わり近くに,ガリラヤからエルサレムに向かって旅をされました。迷い出た羊,なくした銀貨,放蕩息子など,多くのたとえをお教えになり,偽善と貪欲について警告し,御自分の再臨に用心して備える必要があることを強調されました。また,すべての人は悔い改めなければ滅びるとお教えになりました。主は安息日に癒され,救われる人々について説明されました。そして御自分の死と復活について預言し,エルサレムを嘆かれました。また,弟子となるための条件を教えられました。イエスは10人の重い皮膚病にかかった人を癒し,ラザロを死からよみがえらせることで,死に打ち勝つ力を示されました。

リソース

注:末日聖徒イエス・キリスト教会が発信したものではない情報源が引用されている場合,その情報源や著者が教会によって承認されている,あるいは教会の公式見解を表していることを意味するものではありません。

背景と文脈

ルカ12:35-40

再臨に備えて「腰に帯を締め〔る〕」とはどういう意味か

聖書の時代,男性は長い衣を着ていました。仕事をするときはチュニック(ローブ)の裾を帯(ベルト)に挟み込んで,足を自由に動かせるようにします。これが「腰に帯を締め……なさい」という言葉の意味するところです。これは「行動を起こす準備ができていることを示す」象徴です。このたとえで,腰に帯を締め,明かりをともすことは,主の再臨を待ち望み,備えることを意味します。

ルカ13:6-9

いちじくの木のたとえには,どのような意味があるのだろうか

すべての人は悔い改める必要があり,さもなければ滅びるとお教えになった後,救い主は実を結ばないいちじくの木についてのたとえを話されました。ユダヤ人にとって,いちじくの木は,神の聖約の民であるイスラエルのよく知られた象徴でした。

このたとえでは,「ある人」は神を表します。果樹園は世界を,「園丁」は救い主を表します。救い主はこのたとえを話された後,イスラエルが機会のあるうちに義をもたらしていないことを続けて強調されました。

ルカ13:18-19

からし種のたとえには,どのような意味があるのだろうか

マタイ13:31-32。からし種とは何だろうか」参照

ルカ13:20-21

パン種のたとえには,どのような意味があるのだろうか

マタイ13:3-9,18-33,43-50。集めるたとえからどのようなことが学べるだろうか」参照

ルカ13:23-30

「狭い戸口」とは何か

英語の欽定訳聖書で “strait gate” (「狭い戸口」)と訳されているギリシャ語は,“narrow door”(細い扉)と訳すこともできます。この「狭い戸口」は,弟子となるために求められる厳しい条件を象徴しています。ほかの聖句では,天の王国に入るためには不可欠な儀式を受け,聖約を尊ばなければならないと教えるのに,狭い門や細い道のたとえが用いられています。D・トッド・クリストファーソン長老は次のように述べています。「例えて言うならば,この門は非常に狭いために,一度に一人しか入れないのです。一人一人が神と個別に約束を交わし,その代わりに神から名前で呼ばれ,個人的な聖約を受けます。人はこの世においても永遠の世においても,この聖約に完全に頼ることができます。」

ルカ14:7-11

祝宴の間,客をもてなす習慣にはどのようなものがあったのか

「エルサレムへ向かう途中,救い主は『あるパリサイ派のかしらの家』で安息日に食事をするという招待に応じられました(ルカ14:1)。滞在中,主はほかの客たちが『上座を選んでいる』(ルカ14:7),つまり名誉ある場所を選んでいることに気づかれました。習慣では,最も重要な招待客がテーブルの上座に最も近い席に座りました。救い主はこの状況を利用して,謙遜と昇栄の関係について永遠の原則を伝える『譬』をお教えになりました(ルカ14:7)。」

ルカ14:26

「捨て〔る〕」という言葉は何を意味するのか

ルカ14:26の文脈で,「捨て〔る〕」に当たる “hate”と英訳されているギリシャ語は,あるものをほかより重視しないことを意味します。救い主は「あなたの父と母を敬え」という戒めを取り消されたわけではありません。むしろ,主は優先順位についてお教えになったのです。弟子にとって,イエス・キリストへの献身は,家族への献身に優先するものでなくてはなりません。

ルカ14:34-35

「塩もききめがなくなったら」とはどういう意味だろうか

マタイ5:13。『地の塩』になるとはどのような意味だろうか」参照

ルカ15:4

聖書の時代,羊飼いは羊の世話をどのようにしていただろうか

聖書の時代,羊飼いはよくある仕事でした。羊飼いは羊を食物と水のある場所に導き,はぐれないようにし,危険から守りました。この文化では,羊飼いは「献身的で,勤勉で,思いやりのある指導者であり,羊の群れを養い,守り,導く者でした。群れを一つにまとめることは,この使命を達成するために不可欠でした。」

羊飼いは聖書の時代にはごく一般的であったため,霊的な真理を教えるのに適切で理解しやすい比喩となりました。羊飼いは,指導者や,神にさえたとえられました。神とは,御自身の羊,つまり神の聖約の民を見守る御方です。

ヨハネ10:1–18イエス・キリストの時代の羊飼いはどのような人たちであったか」参照

ルカ15:8

銀貨1枚の価値はどのくらいであったか

「このたとえの銀貨は,ドラクマと呼ばれるギリシャの硬貨です。〔それ〕はどちらかというと少額通貨でしたが,貧しい人にとっては2日分の食費を賄うことができる金額でした。日雇い労働者の日給はおよそ1ドラクマでしたが,女性の収入は1日の労働でその半分以下であったと思われます。」

ルカ15:11-32

放蕩という言葉にはどのような意味があるか

ルカの記録には名称が記されていませんが,このたとえは放蕩息子のたとえとして知られています。放蕩という言葉は,無駄遣い,無謀なぜいたくを意味します。

ルカ15:12

相続に関するユダヤの律法はどのようなものであったか

救い主の時代の習慣によると,息子が相続財産を受け取るのは父親の死後のみでした。父親が亡くなる前に息子が相続を要求するのは,「きわめて異例のこと」であったと思われます。

ルカ15:14-19

息子が「本心に立ちかえっ〔た〕」とはどういう意味か

ロバート・D・ヘイルズ長老は次のように教えています。「救い主によれば,『彼は本心に立ち返っ〔た〕』〔ルカ15:17〕のです。自分が何者かを思い起こし,逃してきたものに気づいた息子は,父の家で存分に得られる恩恵を願い求め始めたのでした。」放蕩息子は目を覚まし,自らの背きのためにひどい状況に陥っていたことに気づいたのです。

ルカ16:19-31

金持ちとラザロのたとえから霊界について何を学ぶことができるか

金持ちとラザロのたとえは,「アブラハムのふところ」と「黄泉」という死後の霊界における二つの異なる状況に言及しています。こうした状態は,「パラダイス」と「獄」とも呼ばれます。このたとえでアブラハムのふところと獄との隔たりは,霊のパラダイスと霊の獄にいる人々の隔たりを表します。

溝で隔てられた霊の獄とパラダイスの図

ジョセフ・F・スミス大管長に与えられた啓示を通して,救い主が十字架上で亡くなってから復活するまでの間に,霊界で教え導かれたことが分かります。主は霊のパラダイスから送られる使者を組織し,霊の獄にいる人々に福音を宣べ伝える権限をお授けになりました。獄にいる霊たちに福音を宣べ伝える業は今日も続いています。

霊の獄とパラダイス,その間にかかる橋の図

「もし〔霊の獄にいる霊が〕,福音と,神殿で行われる身代わりの儀式を受け入れるならば,霊の獄から出てパラダイスに住むことができます。」

ルカ17:5-10

なぜわたしたちは「ふつつかな僕」なのか

「ふつつかな(unprofitable)僕という概念をよりよく理解するには,profit(利益)という言葉に焦点を当てなければなりません。利益とは,個人資産,地位,または利得の増加を意味します。それが,わたしたちはふつつかな僕であるという概念の核心です。」このたとえでは,僕は義務をどれほどよく果たしたとしても,まだ主人に借りがあります。同様に,わたしたちが神の前で義務を果たすとき神はわたしたちを祝福してくださり,なおわたしたちは神に恩を受けているのです。「神は,その知識,力,影響力,属性において完全であられます。神は万物の神です。わたしたちのだれかに,あるいはわたしたち全員が一緒になって,神に利益(つまり資産,地位,利得の増加)をもたらすことを何かできるでしょうか。」

ルカ17:20-21

「神の国は,実にあなたがたのただ中にある」とはどういう意味か

新約聖書の多くの翻訳では,「神の国は,実にあなたがたのただ中にある」という言葉は,「神の国は,実にあなたがたのにある」とされています。ジョセフ・スミス訳ではこの語句が「神の王国はすでにあなたがたのもとに来ている」と変更されています。どちらの表現も,当時イエス・キリストが神の王国,すなわち教会を設立されたという真理を指しています。その同じ王国が,わたしたちの時代に再び築かれました。

ヨハネ11:17,39

イエスがラザロを死からよみがえらせるのを4日目まで待たれたことには,どのような意味があったのか

救い主がお生まれになる前に,神の預言者が人々を死からよみがえらせた例がありました。しかしそれらの例では,死者がよみがえったのは死の直後でした。ユダヤ人の間で一般的に信じられていたのは,亡くなった人の霊は3日間体の近くにとどまり,死は4日目に確定するというものでした。4日目に救い主がラザロを癒されたことは,死に打ち勝つ絶対的な力が主にあることを示しました。

さらに学ぶ

イエス・キリストのたとえからの教訓

メディア

ビデオ

「ラザロ,死からよみがえる」(7:48)

7:49

「イエスいなくなった羊のたとえを教える」(2:15)

2:16

「放蕩息子」(5:40)

5:41

“Gird Up Your Loins〔腰に帯を締め〕”(0:47)

0:47

画像

いちじくの木の枝
なくした銀貨を探す女性

The Lost Drachma,ジェームズ・ティソ画

息子に向かって走る父親
階段の下に座っている,ぼろをまとったラザロ

Lazarus at the Rich Man’s Door,ジェームズ・ティソ画