2000–2009
救助に向かう
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救助に向かう

「兄弟の皆さん、この世は皆さんの助けを必要としています。足もとを支え、手をしっかり握り、精神を励まし、心に霊感を与え、人を救わなければなりません。」

今晩わたしは皆さんにお話しするという、圧倒されるような、かつ謙遜けんそんな思いを抱かせる責任を受けました。愛する兄弟の皆さん、皆さんは神の神権を持ち、このカンファレンスセンターと世界各地に集まっておられます。

皆さんの中には、恐らく執事に聖任されたばかりの方もいれば、神聖な召しを長年にわたり患実に果たしてこられた大祭司の方もいらっしゃることでしょう。ここにおられる方々は皆、自らの義務をさらに学ぼうとして集まっておられます。兄弟の皆さん、この世は皆さんの助けを必要としています。足もとを支え、手をしっかり握り、精神を励まし、心に霊感を与え、人を救わなければなりません。永遠の祝福が待っています。見物人になるのでなく、神権奉仕というステージに立つ特権が与えられるのです。

ウィルフォード・ウッドラフ大管長は次のように宣言しています。「神権のすべての組織には、力がある。執事は自分の有する神権を通して力を持つ。教師も同じである。彼らは主に祈る力を持ち、その祈りは聞かれ、こたえられる。預言者の持つ力と同じである。… … この神権によって人々は自分たちに与えられた儀式にあずかり、罪を赦ゆるされ、贖あがなわれる。この目的のために、神権が現され、わたしたちの頭に結び固められたのである。」1

かつて、わたしはアロン神権を受け執事に聖任されたばかりの兄弟からお便りを頂きました。こう書かれていました。「今日きょう、わたしは初めて聖餐せいさんのパスをします。もう待ち切れません。これがほんとうに神聖な儀式であることを知っていますので、心を込めて行うつもりです。教会についてはっきりとした証あかしがあります。すぐに伝道に出たいと思っています。」

今晩皆さんに、わたしあてに以前届いた1通の手紙をご紹介します。手紙を書いたご主人は、奉仕し、義務を果たすという神権者の道からだいぶそれていました。この手紙には、わたしたちの非常に多くの兄弟たちが願う事柄が、典型的に示されています。次のように書かれていました。

「愛するモンソン副管長

わたしは以前、非常に多くのものを得ていましたが、今得ているものはほとんどありません。今のわたしは不幸で、何もかも失敗しているように思えます。福音はわたしの生活からなくなってしまいましたが、わたしの心からは決して離れていません。モンソン副管長に祈っていただきたいのです。

わたしたちのように教会から離れてしまい、行方知れずとなった末日聖徒をどうぞ忘れないでください。教会に戻る方法は知っています。でも時々、わたしに道を示し、励まし、恐れを取り去って証を述べてくれる人が必要だと思うこともあるのです。」

わたしはこの手紙を読みながら、世界有数の美術館の一つ、イギリス、ロンドンのビクトリア・アンド・アルバート美術館を訪れたときの経験を思い出しました。そこには、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・夕一ナーが1831年に描いた代表作が、すばらしい額縁に収めて展示されていました。その絵画には、重々しく立ち込めた黒雲と荒れ狂う海の猛威が描かれ、危険と死の前触れを表していました。座礁した船の明かりが遠くを照らし、前景には大型の救命艇が、押し寄せる荒波に高く揺れていました。嵐あらしにさらわれそうな中、救命艇の男たちは全力で櫓ろをこいでいます。岸辺では、夫人と二人の子どもが雨にぬれ、風に打たれながら立ち、心配そうに海を見詰めていました。わたしは心の中で、この絵画のタイトルを自分なりに短くまとめ、「救助に向かう」と名付けました。

人生の困難の中には危険が潜んでいます。そして人は、海にさまよう船のように、自分が窮地に陥り、破滅の危機に瀕ひんしていると知ります。家庭、家族の団らんを後に残し、そのような人々の救助に向かう人はだれでしょうか。ジョン・テーラー大管長はこのように警告しています。「もし自分の召しを尊んで大いなるものとしないならば、務めを果たしていれば救えたかもしれない人について、あなたは神から責任を問われるであろう。」2

兄弟の皆さん、わたしたちの責務は達成不可能なものではありません。わたしたちは主の用向きを受けているので、それによって主の助けを受ける資格があります。しかしわたしたちは努力しなければなりません。「シェナンドア」の舞台では、人々を鼓舞する次のようなせりふがあります。「やろうと努力しなければ、行動はない。行動しないのなら、なぜここにいるのか。」

主は人々を教え導いておられたとき、ガリラヤで漁師たちを召し、網を捨てて御自分に従うよう求め、こう明言されました。「あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」3そして主はそのとおりに実現されました。今晩、主はわたしたち一人一人に「来たりて隊に入れ」と呼びかけておられます。4 主は戦略を立て、次のように訓戒しておられます。

「それゆえ、今や人は皆、自分の義務を学び、任命されている職務をまったく勤勉に遂行するようにしなさい。」5

わたしは「義務」という高潔な言葉か好きで、大切にしています。ここで皆さんとともに、ヤコブの手紙に記されている、胸の高鳴るような次の言葉を聞きたいと思います。「御言みことばを行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。」6

わたしたちの世代が親しんだ古い歌があります。「願えはかなう」という題名です。でもこれは真実ではありません。たた願うだけではかなえられません。主はわたしたちが考え、行動し、労力を費やし、証あかしを述べ、献身することを期待しておられます。残念なことに、神権者の道から遠ざかり、あまり活発でなくなった人々がいます。彼らが永遠の命に至る道に帰れるように助けようではありませんか。教会の活力と発展の土台となる強力なメルキセデク神権の基礎を築こうではありませんか。それはすべての国で、 すべての家族、すべての家庭、すべての定員会を強める支柱となるのです。

兄弟たち、わたしたちは担当する人々に手を差し伸べ、彼らが主の食卓に着いて、主の御言葉みことばを味わい、主の御霊みたまとの交わりを楽しみ、「もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族」になれるように助けることができます。7

時は過ぎても、人の生活を変える贖あがない主の力は変わっていません。わたしたちの生活も、わたしたちが働きかけている人々の生活も、主により変えることができるのです。主は死んだラサロに言われたように、今日こんにちも「出てきなさい」と呼びかけておられます。8 疑いから来る絶望や、罪の悲しみ、不信仰による死から出て来なさい。新しい命に出て来なさい。出て来なさい。

わたしたちが奉仕している人々で、わたしたちの働きを通して主の御手みてに触れたと感じても、自分の生活に生じた変化をどういうわけか説明できない人かいます。彼らの胸には、忠実に仕え、謙遜に歩み、さらに救い主に近つきたいという願いがあるのです。霊の目をもって、永遠の約束を一目見ることができるなら、かつてイエスがお癒いやしになった盲人のように、彼らも同じことを言うでしょう。「ただ一つのことだけ知っています。わたしは盲人であったが、今は見えるということです。」9

これらの奇跡はどのように説明できるでしょうか。長い間眠っていた霊性が、なぜ、また高まるのでしょう。詩人は死を表して、「神の御手が触れると彼は眠った」10 と言いました。わたしはこの新しい誕生を表して、「神の御手か触れると彼らは目覚めた」と申し上げます。

人の態度、習慣、行動の変化を説明する根本的理由か二つあります。第1は、「自分の永遠の可能性を知り、達成する決意をしたから」というものです。優れた可能性に手が届くことを知れば、人は、並でいることにそう長くは耐えられません。

第2は、「救い主の訓戒に従う人が、自分自身のように隣人を愛し、隣人の夢かかない念願が実現できるように助けてくれるから」というものです。

これまでこのような変化を促進してきた力、そして、これからも続く力は愛です。

正しい決意を抱けるように導いてくれる真理の原則がもう一つあります。それは、「人は変われる」ということです。それを教えてくれたある刑務所長の言葉を思い出します。囚人を更生させようとするダフィ所長の努力を知ったある批判者がこう言いました。「ひょうの斑点はんてんを変えようとしても無駄だということを知らないのですか。」

タフィ所長は答えました。「わたしが相手をしているのは、ひょうではありません。人間です。人間は毎日変わるんですよ。」

何年も前のことですか、わたしはオンタリオ州トロントのカナタ伝道部を管理するために出かける前に、シェリーという名の男性と友達になりました。彼は同じワードに住んでいて、奥さんと子どもたちは福音を受け人れていましたが、彼自身は拒んでいました。シェリーは若いころ、町いちばんの荒っぽい男として知られていました。まるでホクサーでした。リングの中よりも外で戦う方が多かったようです。シェリーの態度を少しでも変えられればと、努力してはみましたか、うまくいきませんでした。何も期待できないかのように思いました。そのうち、シェリーとその家族はワートから転出してしまいました。

カナダから戻ったわたしは十二使徒に召され、その後、シェリーから電話を受けました。彼は言いました。「ソルトレーク神殿で、妻とわたしと家族の結び固めをしていただけませんか。」

わたしは躊躇ちゅうちょして答えました。「でもシェリー、まずバプテスマを受けて会員になる必要があるよ。」

彼は笑って答えました。「あなたがカナダにいる間に済ませましたよ。わたしのホームティーチャーは、通学路の監視員をしているので、平日に毎朝会って、福音の話をしたんです。」

結び固めが執行され、家族は一つに結ばれ、喜びがもたらされました。

エーブラハム・リンカーンは、ホームティーチャーに当てはまる助言を残しています「人の信頼を勝ち得たければ、まず自分がその人の親友であると確信させなさい。」11

友は毎月、義務的な訪問以上のことをします。自分の成績よりも人助けに関心を持ちます。友は親切で、愛を示し、耳を傾け、手を差し伸べます。

どのワードにも、人の外側の殻を破り、心に到達できる特別な技術や才能を持つ兄弟がいます。わたしの副監督としてともに働いた、レニモンド・L・イーガンもそのような人でした。彼は様々な家族の父親と友達になり、その人が教会に活発になるように助けることが大好きでした。その結果として、愛らしい妻や大切な子どもたちも活発になりました。このすばらしい出来事は、イーガン兄弟がこの世を去る直前まで、何度も起こりました。

人を高め人に什えるための方法は、ほかにもあります。ある日、わたしはつきあいの長い、退職した経営者と話していました。わたしは彼に尋ねました。「エド、教会では何の責任を受けているのですか。」彼は答えました。「ワードで最高の責任です。わたしの責任は、仕事に就いていない男性が定職に就けるよう助けることです。今年わたしは、失業していた12人の兄弟に仕事の世話をしました。わたしの生涯でこんなに幸せを感じたことはありません。」彼は小柄な人なので、親しみを込めて「リトルエド」と呼ばれていましたが、目を潤ませ、声を震わせながら語るその日の彼はとても大きく見えました。彼は助けが必要な人々に愛を示しました。彼は人間の尊厳を回復しました。自分ではなすすべのない人々のために道を開いたのです。

わたしは、手を差し伸べ高める力を持つ人々は、人々への奉仕のために生涯をかけたウォルター・ストーバー兄弟と同じ原則を会得しているのだと確信しています。ストーバー兄弟の葬儀で、義理の息子が次のような追悼の言葉を述べました。「父は出会うすべての人の顔にキリストの面影を見る才能があり、そのような心で一人一人に接していました。」ストーバー兄弟の優しい援助と、出会うすべての人を天へと近づける才能は、語り継がれることでしょう。彼を導く光は、主の次の御言葉でした。「これらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。」12

兄弟の皆さん、御霊の言葉を習得してください。それは学者によって書かれた教科書から学べるものではありませんし、読んだり暗記したりして習得するものでもありません。御霊の言葉は、神を知って神聖な戒めに従いたいと心の底から願い求める人に与えられるものです。この言葉に精通した入は、様々な障害を打ち破り、問題を克服して、人の心に触れることができるようになります。

そのような知識や希望、理解があれば、危険にさらされ試練に遭うとき、思い悩む心や悲しむ心に慰めがもたらされます。絶望の影は希望の光で一掃され、悲しみは喜びに変わり、人生の雑踏の中で感じる途方に暮れた思いは、天父がわたしたち一人一人を覚えていてくださるという確かな知識によって薄れていきます。

最後に、ターナーの絵に話を戻します。とても現実的な意味で、嵐すさぶ海で座礁した船に取り残された人々は多くの若い男性、あるいはもっと年齢を重ねた男性たちとよく似ています。彼らは、救命艇を出すという神権の責任を受けたわたしたちの救助を待っています。彼らの心は、しきりに助けを求めています。母親と父親は息子のために祈っています。妻と子どもたちは、父親とそのほかの人々が救助されるよう、天に懇願しています。

今宵こよい、神権を持つわたしたち全員が自らの責任を感じ取り、一つとなってわたしたちの先導者すなわち主イエス・キリストと主の預言者、ゴードン・B・ヒンクレー大管長に従えるよう祈ります。救助に向かうために。

イエス・キリストの御名みなにより、アーメン。