2000–2009
独り子について証する
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独り子について証あかしする

「二一ファイの民の聖典に関し、霊的な証を得ることにより、救い主が生きておられることについて常に確信が得られることでしょう。」

わたしたち七十人は、今日きょう5つの七十人定員会に支持された兄弟の皆さんを心から歓迎いたします。

兄弟姉妹の皆さん、わたしたちは恵まれて、病気やそのほか人類を脅かすものに対する進歩を、日々聞くことができる時代に生きています。寿命の長い健康な生活への障害を克服するうえで人類が成し遂げている事柄は、とどまることを知りません。奇跡の連続に慣れてしまっている人がほとんどでしょう。

しかしそれに伴い、魂を無残にも破壊するものの猛攻撃にも直面しています。それはポルノグラフィー、不法な薬物の使用、伴侶はんりょや子どもへの虐待などです。世の問題に対する斬新ざんしんな答えとして宣言される偽りの哲学が蔓延まんえんしています。

主が今日こんにちのために明らかにされた幅広いコミュニケーションの手段は、邪悪な目的にも大いに利用されています。出版物、テレビ、ビテオ、そして今やインターネソトが家庭内でわたしたちを汚し、生活を破滅させます。昔、家庭は一般的に、この世からの平和な避け所でした。その平和を取り戻すために、強い警戒が必要です。

しかし、楽観する大きな理由もあります。悲しみと絶望をもたらし、永遠の命の喜びを得られないようにする邪悪な要素に対して、わたしたちは無防備なままさらされているわけではありません。

「イエスは彼らに言われた、『わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。』」(ヨハネ6:35)「天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない。

わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしか与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である。」(ヨハネ6:50-51)

イエスこそ、人の心が求める確信への答えなのです。そしてわたしたち個人の罪と悲しみへの答えなのです。

問題を常に暴力で解決しようとする世にあって、また、心が常に邪悪で満ちた人の多い世にあって、主はわたしたちの擁護者であられます。どの民にも増してわたしたちは、未来に対し、熱意をもって楽観的に待ち望むべきです。わたしたちには、導きと慰め、そして未来への希望をもたらす主の御言葉みことばかあります。未来には豊かな光、清さ、善が待ち受けています。やがては暴力か消え、確かに子羊はライオンとともに横たわるようになるでしょう。

主はもちろんわたしたちの時代を御存じでした。そして罪が招く荒廃的な結果も知っておられました。そして主の民のために守りを与えると預言されました。

主はエノクに対し、邪悪と報復の時代である末日について語られました。

「地が安息を得る日が来る。しかし、その日の前に、天は暗くなり、暗黒の幕が地を覆うであろう。天が震え、地も震えるであろう。そして、ひどい艱難かんなんが人の子らの中にあるが、わたしは自分の民を守ろう。

また、わたしは天から義を下そう。また、地から真理を出して、わたしの独り子と、死者の中からの独り子の復活と、またすへての人の復活について証あかししよう。そして、わたしは義と真理が洪水のことくに地を満たすようにし、わたしが備える場所、すなわち聖なる都に地の四方からわたしの選民を集めよう。」(モーセ7.61-62)

「地から真理を出して」と主が語られたことにお気づきでしょうか。それは何のためでしょうか。「独り子……について証」するためです。

モルモン書はわたしたちの時代のために編さんされ、翻訳されました。預言されたとおり、この時代の民を祝福し、導くために地から出されました。主が悪事による混乱が非常に深刻になると御存じであった時代のために出されたのです。

モロナイは父やほかの人々の偉業を完結するに当たり、一つの約束をしました。それは現在何か国語にも翻訳され広く知れ渡っています。しかしその約束は新鮮に受け止められることがほとんどなくなっているようです。わたしたちは日曜学校、セミナリー、家庭の夕べでその約束について学び、宣教師として暗記します。今日わたしがその約束を読みますので、この言葉に初めて触れるつもりで聞いていただきたいと思います。約束の結果について考えてみてください。

「また、この記録を受けるとき、これが真実かどうかキリストの名によって永遠の父なる神に問うように、あなたがたに勧めたい。もしキリストを信じながら、誠心誠意問うならば、神はこれが真実であることを、聖霊の力によってあなたがたに明らかにしてくださる。」(モロナイ10:4)

これは、永遠の御父がわたしたちに真理を明らかにされる、すなわち永遠の行く末に関する個人的な啓示を与えてくださるという約束を表しています。

モルモン書は、ユダヤ人と異邦入に、イエスがキリストであり、永遠の神であり、すべての国民に御自身を現されることを確信させるためにもたらされました。

神の啓示を軽んじないでください。この驚くべき約束を軽んじてはなりません。この約束がわたしにだけではなく、何十万人どころか無数の人にまで成就していることを、わたしは厳かに証します。

モロナイの約束が成就し、モルモン書がまことに神の御言葉であるという確かな知識が与えられるとき、イエスがキリストであり、世の贖あがない主、救い主であられるという証も得られるでしょう。得られなかったという例は、わたしの知るかぎり存在しません。さらに、この原則は決して侵害されないと信じています。ニーファイの民の聖典に関し、霊的な証を得ることにより、救い主が生きておられることについて常に確信が得られることでしょう。

聖霊による証により、ジョセフ・スミスが1820年の春の朝、御父と御子にまみえたと語ったのは真実であったと確かに知ることでしょう。

イエス・キリストが生きておられ、わたしたちの贖い主、救い主であられると知ることは、いかなる代価を払っても手に入れる価値のあるものです。これは、わたしたちの人生におけるモロナイの約束の成就です。

その後、研究と祈りを通して、主は復活によりわたしたちに命をお与えになったと知ることができるでしょう。そしてわたしたちの理解を超えた、来世でのすばらしい命を約束されたことを知るようになります。福音の原則と儀式に忠実になることを通してのみ、この証が得られることを理解しなければなりません。

モルモン書を読んでください。「誠心誠意」で、読み始めてください。御言葉についてよく考えてください。しばしば区切りをつけて、天父に「これが真実かどうか」尋ねてください。また読み始め、よく考え、そして尋ねてください。読むのは容易なことではありません。つまずくこともあるかもしれませんが、継続して読み進めてください。

偏見や先入観を捨てて、天父に近づいてください。永遠の源より来る影響を受けられるよう、心を開いておいてください。霊感あふれる宝が多く皆さんに明かされるでしょう。そして思いと心で、イエス・キリストが生ける御父の生ける御子であられるという確信を得ることかできるでしょう。その確信を得ると、ジョセフ・スミスが回復の預言者であると知り、今日地上に使徒と預言者が存在することも知るでしょう。そしてコードン・B・ヒンクレー大管長が当教会の大管長であるのと同様、現代の世の中に対する預言者であることも確かに知ることでしょう。

現在、当教会について学んでいる皆さんに以上のことを約束します。そして会員でありながらも、御業みわざに対する熱意を失い、そのためこんとんとした世にあって混乱のさなかにある方々にも、同様に約束します。さらに罪と信仰のない生活のために永遠の事柄に対して絶望している方々にも、以上のことを約束します。

この神聖な証を得ると、わたしたちの主への愛は限りなく増し、主について知りたいという望みか強まります。ベニヤミン王の主に対する次の預言の言葉を読むと、わたしたちは悲しみを覚えます。

「見よ、この御方は数々の試練に耐え、肉体の苦痛や飢え、渇き、疲労に耐えられるが、それは、人にとっては死ぬ以外に耐えようのないものである。見よ、御自分の民の悪事と忌まわしい行いのためにこの御方が受けられる苦しみは非常に激しく、あらゆる毛穴から血が流れ出るほどだからである。

そしてこの御方は、イエス・キリスト、神の御子、天地の父、時の初めからの万物の創造主と呼はれ〔る。〕」(モーサヤ3:7-8)

主がわたしたちのために犠牲を払われたことに対し、わたしたちの心は感謝であふれるようになるでしょう。この個人の啓示の教義は新しいものではありません。永遠の原則はこれまでも教えられてきました。

「イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、『人々は人の子をだれと言っているか。』

彼らは言った、『ある人々はハプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります。』

そこでイエスは彼らに言われた、『それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか。』

シモン・ペテロが答えて言った、『あなたこそ、生ける神の子キリストです。』

すると、イエスは彼にむかって言われた、『バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしに父である。』」(マタイ16:13-17)

この神聖な証を得ると、皆さんは主の御手みてが多くの事柄に置かれているのを知るでしょう。

「見よ、すべてのものにはそれに似たものがある。すべてのものは、現世にかかわるものも霊にかかわるものも、わたしのことを証するために創造され、造られている。すなわち、上の天にあるもの、地の上にあるもの、地の中にあるもの、地の下にあるもの、上のものも下のものも、すべてのものがわたしのことを証するのである。」(モーセ6:63)

主の生涯に思いをはせるときに、人きな喜びを見いだします。そしてすぐにすべてのものか主を証していることに気づくでしょう。さらに、 試練のさなかにあっても、最後にはすべてが良しとされると知り、平安を得ることかできます。また困難に直面しても、平静を保てることでしょう。この平静さは、こんとんのさなかにあろうと、人生で見いだせるものです。

それが証の力です。イエスかキリストであり、贖い主であり、御父に対するわたしたちの弁護者であり、また肉における御父の独り子であり、まさに世の救い主であられるという証の力なのです。

わたしは主について証します。主か生を受けて、後に世を去り、復活体として墓より出られたことを証します。また主かわたしたちに復活と喜びの永遠の命の約束を与えてくださったことを証します。永遠の命は律法への従順と、生ける預言者を通して今日再び明かされた福音の儀式を通して成就します。

イエス・キリストの御名みなにより、アーメン。