2000–2009
「私の証人」
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「わたしの証人」

「福音を伝えるのが難しいと感じている人がいます。実は多くの人がそのように感じています。教会か新たに制作した『パス・アロング・カード』は、人々に教会の基本的な信条の一部と、福音を学ぶ方法を知らせるための、親しみやすく簡単な方法です。」

復活されたイエスは地上での教導の業を終えるに当たり、使徒や彼らに従う人々に、最も重要な責務をお与えになりました。

「それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し〔なさい。〕」1

「あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう。」2

常に親切で礼儀正しく振る舞うことを心に留めて、わたしたちは、「いつでも、……どのような所にいても」3イエス・キリストの証人となり、キリストがわたしたちに加わるように招いてくださった偉大な大義を、それぞれが独自の方法で人々に宣言する責任があります。

皆さんは、すでに御自分が思っていらっしゃるよりもすばらしい宣教師であり、宣教師として今以上に成長する力を内に秘めています。この働きをこのまま専任宣教師に任せ、彼らに1日に12時間、熱心に働いてもらうことも可能ですが、わたしたちがこの働きから得られるすばらしい喜びにあずからない手はないのです。わたしたちにも、証あかしを分かち合うすばらしい機会に浴する資格が与えられており、幸いにもそれはどの教会員にも用意されているのです。

事実、現代の格言として、次のようなものがあります。それは、地元の会員が宣教師とともにバランスの取れた働きを行い、愛に満ちた力添えと霊的な支援を行わなければ、いかなる伝道部も宣教師も最終的な成功に至ることはできない、というものです。今日きょう、皆さんが、ノートの代わりに石版にメモを取っておられたとしたら、わたしはこの言葉をしっかりと刻むように申し上げたことでしょう。後になって消すことには決してならない言葉だからです。求道者が初めて教会に来られるときのきっかけは様々ですが、実際にバプテスマを受け、教会にしっかりと定着する人々は、教会に友人や知人がいる場合が圧倒的に多いのです。

ちょうど2年前、ゴードン・B・ヒンクレー大管長が教会の衛星放送を通じ、次のように話しました。

「わたしは皆さんたち宣教師のことが心にかかっています。皆さんは伝道活動を一人で行って、立派に成し遂げることはできません。ほかの人々の助けが必要です。その助ける力は会員一人一人が持っています。… …

さて兄弟姉妹の皆さん、わたしたちは伝道活動を宣教師だけに行わせることも、手伝うこともできます。もし、宣教師だけに行わせるとすれば、彼らは来る日も来る日もドアをノックすることになります。そしてわずかな収穫しか得ることができないでしょう。あるいは、教会員としてわたしたちは、求道者を見つけ、教えることについて宣教師を助けることができます。… …

兄弟姉妹の皆さん、ワード、ステーク、地方部、支部において、主の軍勢になってください。この業に対する熱意を抱き、あらゆる国民、部族、国語の民、民族に福音を伝えるという途方もなく大きな責務を担う宣教師を助けたいという強い望みを持ってください。」4

この中で、わたしは「主の軍勢」、「この業に対する熱意を抱〔く〕」、そして「宣教師を助けたいという強い望み」という言葉が好きです。この求めにこたえるために、わたしたちにできる事柄を幾つか挙げたいと思います。皆さんがすでに行っていらっしゃる事柄がたくさんあることでしょう。

何よりもまず、わたしたちは福音に添って生活することができます。わたしたちが世に送ることのできる伝道のメッセージの中で、愛にあふれ幸福な末日聖徒が生活の中で示す模範ほど力強いメッセージはありません。患実な教会員の礼儀や振る舞い、笑顔や優しさは、伝道用のパンフレットやビデオテープでは伝えることのできないぬくもりや関心を伝えます。人は、何かを知っているから教会に入るのではありません。何かを感じ、霊的に何かを理解し、霊的に何かを求めているから教会に入るのです。先ほど述べた証の霊や幸福の霊をわたしたちが放射するなら、それらはほかの人々の心に浸透します。主はアルマとモーサヤの息子たちにこう語られました。「〔行って〕……あなたがたはわたしにあって彼らに良い模範を示せるように〔し〕なさい。そうすれば、わたしはあなたがたをわたしの手に使われる者として多くの人を救おう……。」5

最近、香港ホンコンから帰還した若い姉妹宣教師から、伝道中の経験を聞く機会がありました。彼女と同僚は、求道者に「神を信じていますか」と尋ねました。すると、求道者はこう答えたそうです。「皆さんの教会に行っているある女性にお会いし、その方の生活を見るまでは、信じていませんでした。」何と模範的な伝道でしょう。すべての会員は宣教師になるように求められていますが、それは、まるですべての会員が会員であるように求められているようなもので、とても簡単なことなのです。皆さんが福音に添った生活を送っていらっしゃることに感謝いたします。

宣教師のために祈ってくださっていることについても感謝いたします。すべての入が宣教師のために祈ってくださっています。今後もすっとそうしてくださるようにお願いします。宣教師と会っている方々(または、会う必要のあるん々)のためにも、同じ精神で祈るべきです。かつてゼラヘムラの地で、会員たちは、まだ神の教会に加わっていない人々のために「断食し、熱烈に祈るように命じられ」6ました。わたしたちも同しようにすることができます。

また、日々伝道の経験かできるよう祈ることもできます。神の導きによって、福音を探し求めている人の心が備えられ、皆さんが得たいと願っている伝道の機会が与えられるように祈ってください。「地上〔には〕見いだす場所を知らないということだけで真理を得られずにいる多くの人がい」ます。7彼らか皆さんを見いだせるよう祈り求めてください。そして皆さんは彼らを見過ごすことのないように注意を向けてください。なせなら、皆さんの周囲には毎口の生活の中で飢えを感じている人か非常に大勢いるからです。彼らはパンに飢えているのでも、水に渇いているのでもなく、主の御言葉を聞くことに飢えているのです。8

主がそのような人を皆さんの目の届く所に連れて来られたら、気楽に話してくださるようにお願いします。どんな話題でもいいのです。必すうまくいきます。福音のメソセージを暗記しておく必要などありません。皆さんの信仰や幸福な表情は、正直な人々の心を十分引きつけます。おばあさんが孫たちについて話すときの様子を御覧になったことがありますか。わたしの言いたいことがお分かりいただけると思います。話に夢中になって、孫の写真を見せることさえ忘れてしまうくらいです。福音とは自然ににじみ出て来るものであり、自分の内に隠しておくことなどできないものなのです。

しかし恐らく、話すよりもはるかに大切なのは聞くことでしょう。これらの人々はハプテスマの統計のためにいるのではありません。彼らは神の子どもであり、わたしたちの兄弟姉妹であり、福音を必要としている人々なのです。誠実に接してください。心から手を差し伸べてください。この友人たちに、彼らが最も関心を持っていることについて尋ねてください。彼らか最も大切にしているものについて尋ねてください。それから、耳を傾けてください。適切であれは、恐れていることや切に望んでいること、生活の中で欠けていると感じているものについて尋ねてもよいかもしれません。お約束します。彼らの話を聞くうちに、皆さんが証を伝えたり、もっと分かち合ったりすることのできる福音の真理が、常に、浮き彫りになることでしょう。以前、ラノセル・M・ネルソン長老が、医師の質問の仕方の基本的なルールについて教えてくれました。「まず患者にどこか痛むか尋ねます。患者は、医師が正確な診断に基づいて治療を行うための、最良のガイドなのです。」わたしたちが愛をもって耳を傾けるなら、何を言うべきか悩む必要はありません。御霊、そして友人自らが、語るべき言葉を教えてくれることでしょう。

福音を伝えるのが難しいと感じている人がいます。実は多くの人がそのように感じています。教.会か新たに制作した『パス・アロング・カード』は、人々に教会の基本的な信条の一部と、福音を学ぶ方法を知らせるための、親しみやすく簡単な方法です。これは、例えばわたしにとっては、人々にモルモン書を渡す方法としては、今までに見たこともないほど簡単なものです。何しろ、旅をするときにモルモン書をリュックサックいっぱいに詰め込んで持ち歩く必要がなくなるのですから。

さて、少しだけテンポを上げて話したいと思います。わたしたちのもっと多くが、熟年に達したときに宣教師として働けるように、備えをすることができます。プロボにある宣教師訓練センターに掲げてあるポスターの、熟年夫婦のセリフのように「もう少し歩幅を広けましょう。」わたしは、6つの伝道部を訪問する長旅から戻って来たばかりです。数週問の訪問中、どの地においても、最も効果的で卓越した指導力を発揮し、19歳、あるいは21歳の宣教師にはとても期待できないような精神的安定、成熟度、経験を持つ年配の夫婦宣教師の姿を目にしました。これらの夫婦宣教帥の中には、かつての伝道部長や神殿長とその夫人たちもいましたが、どの夫婦宣教師も、まったく不慣れな地で、静かに、無私の精神で2度目、3度目、または4度目の伝道を行っていました。彼ら一人一人を見て、わたしは深く心を打たれました。

先日、アイダホ州アシュトンに住むジョン・ヘス長老夫妻と昼食を共にする機会がありました。「わたしたちはただの年を取ったじゃがいも農夫にすぎません」とジョンは語りますが、ロシア・モスクワ伝道部のベラルーシ共和国が求めていたのは、まさにそのような人でした。長年にわたり、ベラルーシ政府の農地でとれるじゃがいもの量は、1ヘクタール50袋が最高でした。1ヘクタールにつき22袋の種をまくことを考えると、この収穫量は実に乏しいものでした。ベラルーシの人々は助けを必要としていました。

ヘス兄弟は、政府の農地からわずか3フィート(約90センチ)しか離れていない場所に土地を求め、腕をまくり、ベラルーシの農家が使っているのと同じ種と道具と肥料を使って働きました。収穫の時期を迎え、ヘス夫妻は収穫作業を始めました。手が足りないので助けを頼みました。結局、近所中の人に収穫の手伝いを頼むことになりました。雨量も土壌もほかの農地と同じでした。しかしアイダホで培った勤勉さと経験と祈りのおかげで、ヘス夫妻の土地は、1ヘクタール550袋という途方もない量を産出し、この国の最高記録を11倍も上回りました。当初、だれもこの数字を信じませんでした。秘密集団が暗躍したのではないか、あるいは魔法の薬でも使ったのではないか、と怪しんだ人もいました。しかしどれも間違った憶測でした。ヘス兄弟は次のように語りました。「わたしたちは奇跡を必要としていました。ですから、奇跡を願い求めたのです。」それから1年と少したった今、その地域で、若い宣教師による伝道活動が非常に成功しています。それは、とりもなおさず、アイダホ出身の「年老いたじゃがいも農夫」が教会の召しにこたえたからなのです。

ヘス兄弟姉妹の経験に比べれば、大半の夫婦宣教師は、ワードや支部で指導者としての経験を生かしながら、ごく普通に奉仕していると言えるでしょう。しかし、大切な点は、この業にはあらゆる種類の必要が存在し、どのような年齢であっても、どのような状況にあっても、奉仕の召しにこたえるという確固とした宣教師の伝統が存在するということです。最近、わたしはある伝道部の部長から、彼の伝道部で働いたある若い姉妹宣教師のことについて聞きました。彼女は忠実に働き、成功を収め、もうすぐ任期を終えようとしていました。ある日彼女は部長に、自分は直ちに帰還しなければならないと涙ながらに伝えたのです。訳を尋ねると、家族の経済状態が悪化して彼女に仕送りをすることができなくなった、ということでした。彼女の家族は持ち家を人に貸し、毎月の家賃収入を彼女の伝道費用に充てていたのです。そのため、彼らは住まいを倉庫の中に移し、水は近所の家の外にある蛇口とホースを使い、お手洗いが必要なときは近くのガソリンスタンドに行っていました。最近父親を亡くしたこの家族は、この姉妹宣教師を心から誇りに思っていました。自立心の強いこの家族は、この状況の変化について、ほとんどの友人に知らせることなく、また、事実上すべての教会指導者にも知らせずに何とかやってきたのでした。

この状況が明らかになると、この家族は直ちに元の家に戻れることになりました。家族の経済上の問題を解決する長期計画が実施され、姉妹宣教師の残りの任期を賄う資金がすぐに確保されました。それを知ると、この忠実で熱心な姉妹宣教師の涙は乾き、恐れは静まりました。彼女は見事な成功を収めて任期を終え、先日すばらしい若い男性と神殿で結び固められました。

今日のように祝福された時代に、わたしたちはこの宣教師の家族が払ったような厳しい犠牲を求めたりはしません。しかし、わたしたちの世代は、伝道活動という大義に忠実に仕えるために、実際に非常に多くの犠牲をささげた先人たちの恩恵を受けているのです。次の世代にその伝統を受け継いでいくために、わたしたちは、一人一人、もう少し努力することができます。

使徒ヨハネは、さらに多くの人々を神のみもとに導くというただ一つの目的のために、普通の寿命よりも長く地上に生き長らえることができるかどうか主に尋ねました。主はその願いにこたえ、それは「さらに大いなる業」であり、「速やかに」主のみもとに来るよりもさらに尊い「望み」であると語られました。9

すべての預言者や使徒と同様に、預言者ジョセフ・スミスは、ヨハネが求めたことの深い意味を理解していました。ジョセフはこう述べています。「これまで述べられてきたすべてのことの中で、〔わたしたちのなすべき〕最も偉大で最も重要な義務は福音を宣べ伝えることです。」10 わたしは、この福音とそれを具現化してくださったイエス・キリストについて証します。わたしは「人の値が神の目に大いなるものであること」を証します。11 そして、神の御子の贖あがないにより人々が救われることが神の業、神の栄光のまさに本質であることを証します。12 この業を遂行するに当たり、わたしは、エレミヤとともに次のように証します。現代のイスラエルに対して宣教師が行っているこの、最後の偉大な宣言は、最終的には、古代の民が紅海を渡ったことよりも偉大な奇跡になることでしょう。13この奇跡のメッセージをわたしたちが勇敢に、熱意をもって分かち合うことができるよう、イエス・キリストの聖なる御名みなによってお祈りいたします。アーメン。