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聖霊


聖霊

聖霊は神会の第三の御方です。霊の御方であり,骨肉の体は持っておられません(教義と聖約130:22参照)。聖霊はしばしばたま,聖なる御霊,神の御霊,主の御霊,あるいは慰め主と呼ばれます。

聖霊の役割

聖霊は天の御父,イエス・キリストと完全に一致して働き,人が義にかなった生活を送り,福音の祝福を受けられるように幾つかの役割を果たされます。

聖霊は「御父と御子についてあかしをされ」ます(2ニーファイ31:18)。また,「すべてのことの真理」を明らかにし,お教えになります(モロナイ10:5)。聖霊の力によらずに天の御父とイエス・キリストについての確かな証を得ることはできません。聖霊から人の霊に伝えられる情報は,肉体的な感覚を通して得られるいかなる情報よりもはるかに深い確信をもたらします。

人が永遠の命に至る道にとどまろうと努力するときに,聖霊は「あなたがたがなすべきことをすべてあなたがたに示され」ます(2ニーファイ32:1-5参照)。人が決定を下すときに聖霊は人を導き,肉体的,霊的な危険から守ることがおできになります。

聖霊を通して,人は自分と自分の愛し仕える人に恵みをもたらすたまたまものを受けることができます(教義と聖約46:9-11参照)。

聖霊は慰め主です(ヨハネ14:26)。愛にあふれる親の優しい声が泣く子をなだめるように,たまのささやきは恐れを静め,心をさいなむ人生の不安を解消し,悲しむときに慰めを与えてくれます。聖霊は人の心を「希望と完全な愛」で満たし,「平和をもたらす事柄をあなたに教え」てくださいます(モロナイ8:26教義と聖約36:2)。

悔い改め,バプテスマと確認の儀式を受け,聖約を続けて守るときに,人は聖霊の力を通してきよめられます(モーサヤ5:1-63ニーファイ27:20モーセ6:64-68参照)。

聖霊は約束の聖なるたまです(エペソ1:13教義と聖約132:7,18-19,26参照)。この力によって聖霊は,施された神権の儀式と交わされた聖約が神に承認されるように結び固めてくださいます。あなたが忠実であるかぎり,この承認は効力があります。

聖霊のたまもの

真理を真心から求める人はだれでも,イエス・キリストとその福音に人々を導く聖霊の影響力を感じることができます。しかし,聖霊を通して授けられる満ちみちる祝福を受けることができるのは,聖霊のたまものを受け,常にふさわしい生活をする人だけです。

末日聖徒イエス・キリスト教会に入るためのバプテスマを受けた後に,一人またはそれ以上のメルキゼデク神権者がその人の頭に手を置き,聖なる神権の儀式の中で,その人を教会の会員に確認します。確認と呼ばれるこの儀式の一部として,聖霊のたまものが授けられます。

聖霊のたまものは聖霊の影響力とは異なります。人はバプテスマを受ける前に,聖霊の影響力を感じることがあります。この影響力を通して,真理に関するあかしを得ることができるのです。しかし,聖霊の賜物を授けられた人は,戒めを守っているかぎり,神会の御一方である聖霊を常にはんりょとする権利を有します。

聖霊のたまものを十分に享受することには,啓示と慰めを受けること,たまの賜物を用いて人に奉仕し,祝福をもたらすこと,罪からきよめられ,日の栄えの王国に昇栄するふさわしさを得ることが含まれます。これらの祝福を受けられるかどうかはその人のふさわしさに懸かっています。またこれらの祝福はその人に備えができたときに少しずつ与えられるものです。人がその生活を神の御心みこころに調和させるにつれて,徐々にではありますが豊かに聖霊を受けるようになります。預言者ジョセフ・スミスは神の王国の奥義について「神を愛し,神の前に自らを清くする者に神が授けてくださる聖なる御霊の力によってのみ,目にし,理解することのできるもの」と宣言しています(教義と聖約76:114-116参照)。

「主のたまは清くない宮にはとどまらない」ということを忘れないでください(ヒラマン4:24)。たとえ聖霊のたまものを受けたとしても,御霊がとどまるのはその人が戒めを守っているときだけです。神への冒瀆ぼうとく,道徳的に清くないこと,不従順,反抗,あるいはそのほかの罪によって聖霊を汚すならば,聖霊は退いてしまわれます。いつも清くあってください。常に聖霊をはんりょとするふさわしさを維持できるように,日々の生活を善なるもので満たしてください。