1832年5月6日,預言者ジョセフ・スミスとシドニー・リグドン,ニューエル・K・ホイットニービショップは,駅馬車でオハイオへの帰途に就きました。ところが,インディアナ州グリーンビルの近くまで来ると,馬がおびえるようになったのです。乗客の中には,命の危険を感じて駅馬車から飛び降りる人もいました。ジョセフは無事に飛び降りましたが,ニューエルは飛び降りるときに片方の足が車輪に絡まり,足を数か所骨折してしまいました。シドニーはそのまま旅を続けてカートランドに帰り,この事故の知らせを伝えましたが,ジョセフはニューエルとともにグリーンビルに残りました。ニューエルは重傷で,数週間起き上がりることができませんでした。(See Manuscript History of the Church, vol. A-1, p. 215–16, josephsmithpapers.org.)
グリーンビル滞在中,預言者ジョセフ・スミスは何らかの方法で毒を盛られた可能性があります。ある晩,激しく嘔吐したために顎が外れてしまったのです。ジョセフは両手で自分の顎を元に戻すと,寝ているニューエル・K・ホイットニービショップのもとに駆けつけました。ニューエルが神権の祝福を授けると,ジョセフは直ちに癒されました。(『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』240参照)ジョセフ・スミスの歴史には,次のような感謝の言葉が記載されています。「この切羽詰まったときに天の御父が介入してくださったことを,イエス・キリストの御名により感謝する。」(Manuscript History of the Church, vol. A-1, p. 215, josephsmithpapers.org; capitalization standardized)
「森の中を歩いた後,わたしは部屋に行って彼に話した。『朝出発することに同意してくれれば,約6.4キロの道を馬車で川まで行き,そこで待機している渡し船で川をさっと渡ります。向こう岸に着いたら,馬を見つけて船着き場まで行きましょう。船着き場には船があるはずですから,それに乗れば10時前には川を上って順調に帰ることができます。』ホイットニー兄弟は勇気を出し,行くことを承諾してくれた。わたしたちは翌朝出発したが,すべてわたしが言ったように事は運んだ。」 (Manuscript History of the Church, vol. A-1, p. 215, josephsmithpapers.org; spelling, capitalization, and punctuation standardized)
預言者ジョセフ・スミスは,「翻訳」という言葉の従来の意味での聖書の「翻訳」をしたのではありません。ジョセフは,原文を英語に翻訳するために古代言語を学ぶことはしませんでした。むしろ,ジョセフ・スミス訳は,「『欽定訳聖書』の改訂あるいは翻訳」なのです(『聖句ガイド』「ジョセフ・スミス訳(JS)」の項,scriptures.churchofjesuschrist.org)。改定とは幾つかの異なる種類の変更を表していると考えられ,預言者ジョセフ・スミスによって「原文を回復したもの」や「聖書自体の中にある矛盾を調和させ〔た〕もの」,ジョセフ・スミスの「霊感による注釈」 が含まれます(「福音のテーマ」「アブラハム書の翻訳と史実性」 の項,topics.churchofjesuschrist.org。Robert J.Matthews, “A Plainer Translation”: Joseph Smith’s Translation of the Bible: A History and Commentary [1985], 253も参照)。
日が暮れると何人かの兄弟がやって来て,王国のことについてわたしたちは話を交わしました。彼に頼まれて祈ると,わたしは祈りの中で異言を語ったのです。祈りを終えてわたしたちが立ち上がると,兄弟たちが彼の周りに集まり,わたしに降った異言の賜物について彼に意見を求めました。これは純粋なアダムの言語だと,彼は答えていました。ブリガム兄弟がこの賜物を持っていることをジョセフが非難すると思ったと言う人たちがいましたが,ジョセフは言いました。『非難しません。これは神から来ています。時が来ればブリガム・ヤング兄弟はこの教会を管理するでしょう。』わたしは席を外していたため,この会話の後半部分は聞いていません。」(“History of Brigham Young,” Millennial Star, July 1863, 439)