「〔1837年6月上旬〕,……わたしが……〔カートランド神殿の〕……聖餐台の上の壇上に座っているときに,預言者ジョセフがわたしの所にやってきて,次のようにささやきました。『ヒーバー兄弟,主の御霊が次のようにわたしに告げました。わたしの僕であるヒーバーがイギリスに行き,わたしの福音を宣べ伝え,その国に救いの扉を開くようにしなさい』。」(Heber C.Kimball, in Orson F.Whitney, Life of Heber C.Kimball [1888], 116; punctuation standardized)
「そのような重要な職と使命に召されるという考えは,わたしにはほぼ耐え切れないものでした。わたしは自分は弱くふさわしくないと感じ,その任務の重さにほぼ沈みかけていました……。そして,次のように叫ばずにはいられませんでした。『おお主よ,わたしは「舌がどもる」者であり,そのような業にはまったく適していません。キリスト教国家の中で,〔学識,〕知識と信心深さでとても名高いその地に,わたしはどうやって赴いて宣べ伝えることができるでしょうか。』」(Journal of Heber C.Kimball, ed.R. B. Thompson [1840], 10; punctuation standardized)
……わたしは,神が真理を宣べ伝えるうえでわたしを助けてくださること,語るべき言葉を与えてくださること,そして,必要なときに助けてくださることを信じ,一生懸命に神を信頼しようと努めました。」(Journal of Heber C.Kimball, ed. R. B. Thompson [1840], 15)
「わたしは特に考えずに,ドアが半開きになっていたので,〔キンボール〕家に入りました。家に入ったとき,わたしは目に飛び込んできた光景に釘付けになりました。わたしは邪魔になると思い,席をはずそうとしましたが,その光景に目を奪われました。〔ヒーバーは〕……自分が留守の間,妻と幼い子供たちに必要なものを主が与えてくださるように(嘆願し,神に)心からの祈りをささげていました。それから,ヒーバーは,妻と子供たち一人一人の頭に手を置き,父親としての祝福を与え,自分が遠く離れた地で福音を宣べ伝えることに携わっている間,彼らが神の計らいと守りを受けられるように託しました。これを行っている間,家族は泣かないようにこらえようとしていましたが,ヒーバーの声は家族のすすり泣く声にほとんど掻き消されていました。ヒーバーは時々言葉を詰まらせました。その間,大粒の涙が彼の頬をつたって流れていました。……わたしは感情をあらわにしない人間ではありませんでしたので,わたしも泣きました。そして,彼らと一緒に泣きました。同時に,わたしはこのような場面に遭遇できた特権に感謝しました。わたしは,いかなるものもこの男を,とても愛おしい妻と子供たちから引き離すことはできないが,神への義務と愛,そして神の大義への忠誠心からこれを行っていると思いました。」(Robert B.Thompson, in Journal of Heber C.Kimball, ed. R. B. Thompson [1840], v–vi; spelling and punctuation standardized)
……しかしながら,彼の会衆はフィールディング牧師の取ったような行動は取らず,しばらくの間わたしたちが来ることを祈り続け,……彼らは福音を受け入れられるように大いに備えられていたのです。……公衆の前で説教する場所がなくなったため,わたしたちは個人の家々で説教を始めました。多くの家で説教ができるようになりました。」(Journal of Heber C.Kimball, ed. R. B. Thompson [1840], 17, 18; punctuation standardized)
「夜明けごろ,ラッセル兄弟が……わたしたち〔ヒーバー・C・キンボールとオーソン・ハイド〕に起きて自分のために祈って欲しいと頼みました。彼は……悪霊に悩まされていたからです。……わたしたちはすぐさま起きて,彼の頭に手を置き,主が御自分の僕を憐れんでくださり,悪魔を叱責してくださるよう祈りました。このように行っているとき,わたしは何か目に見えない力から来る大きな力に打たれ,気を失って床に倒れました。……〔わたしたちの心に示現が開かれ,わたしたちは〕悪霊たちがわたしたちに対して怒り,歯ぎしりをしているのがはっきりと見えました。……わたしはひどく汗をかき,着ている物はまるで川の中から助け出されたようにびしょ濡れになっていました。……〔この経験〕により,わたしはサタンの力〔および〕サタンが神の僕に対して恨みを抱いていることを学ぶとともに,目に見えない世界があることついて幾らか理解できました。しかしながら,その日,主はわたしたちを霊の敵の怒りから救い出してくださり,大いに祝福してくださいました。そして,わたしは9人にバプテスマをするという喜びにあずかりました。」(Journal of Heber C.Kimball, ed. R. B. Thompson [1840], 19; spelling and punctuation standardized)
それからジョセフは,サタンと遭遇した数多くの経験から,幾つか自身の経験を話し,次のように言いました。『人が主に近づけば近づくほど,サタンは主の目的が成就するのを妨げるために,より強力な力を現わそうとします。』」(Orson F.Whitney, Life of Heber C.Kimball [1888], 145–46)