「扶助協会に向けた話の中で,当時十二使徒定員会会長であったジョセフ・フィールディング・スミス大管長は,次のように述べています。『姉妹たちには神権が与えられておらず,神権が姉妹たちに授けられていないとはいえ,主が姉妹たちに権能を与えておられないという意味ではありません。……わたしたちの救いに関連があって絶対に必要な特定の事柄を教会内で行うために,男性あるいは,姉妹に与えられている権能があります。 姉妹たちが主の宮で行う業などがそれです。彼女たちには幾つかの大いなるすばらしい事柄を行う権能が与えられています。それは主にとって神聖であり,神権を持っている男性によって与えられる祝福と同様に完全に拘束力を持っています。』〔Joseph Fielding Smith, ‘Relief Society—an Aid to the Priesthood,’ Relief Society Magazine, Jan. 1959, 4〕
その重要な話の中で,スミス大管長は,女性に権能が与えられていると繰り返し語っています。女性たちにこう言っています。『皆さんは権能をもって語ることができます。 主が皆さんに権能を与えられたからです。』またこうも言っています。 扶助協会には『たくさんの事柄を行う力と権能が与えられています。姉妹たちが行う業は神の権能によって行われます。』もちろん,神殿でも,あるいはワードや支部でも,女性や男性によって行われる教会の業は,神権の鍵を持っている人々の指示の下に行われます。 扶助協会について語りながら,スミス大管長は次のように説明しています。こうして『〔主は〕この偉大な組織をお与えになりました。 それにより,ワードのビショップの指示の下で奉仕する力を受け……人々の霊的および物質的必要に心を配るためです。』〔Joseph Fielding Smith, “Relief Society—an Aid to the Priesthood,” 4, 5〕
「神殿でわたしたちはエンダウメントを受けます。エンダウメントとは,文字どおりには,賜物という意味です。この賜物を受けるときに,わたしたちは,その意味と,神聖な聖約を守ることの重要性を理解する必要があります。それぞれの神殿儀式は,『受ければそれで済むという儀式ではなく,厳粛な聖約を交わす行為です。』〔Gordon B.Hinckley, Teachings of Gordon B.Hinckley(1997), 638〕
神殿のエンダウメントは啓示によって与えられました。したがって,よく祈り,誠実な心をもって求めるときに,啓示によって最もよく理解できます〔モロナイ10:4-5参照〕。ブリガム・ヤング大管長は,次のように語っています。『あなたにとってエンダウメントとは,主の宮において必要なすべての儀式を受けることであり,あなたがこの世を去った後,……御父のもとに帰り,……永遠の昇栄を得られるようにするものです。』〔Discourses of Brigham Young, sel. John A.Widtsoe (1941), 416〕……
1844年6月に亡くなるまでの2年間,預言者ジョセフ・スミスは神殿の儀式を「何十人もの男女に施し,人々は1845年12月のノーブー神殿の完成を待ちながら,神殿の儀式のためにしばしばともに集まって祈り,神殿の儀式に参加しました。」(「福音のテーマ」「神権,神殿および女性についてのジョセフ・スミスの教え」の項,topics.churchofjesuschrist.org)エマ・スミスは,1843年9月28日に神殿のエンダウメントを受けました。エンダウメントを受けた最初の女性であり,その後ほかの姉妹たちが同じ儀式を受ける助けをしました(see The First Fifty Years of Relief Society, ed.Jill Mulvay Derr and others [2016], xxviii, 9–10)。