2010–2019
不信仰ではなく,信仰深くなる
2019年10月総大会


不信仰ではなく,信仰深くなる

わたしたちはこの世とのつながりを断ち,天とつながる時間を日々意識して取らなければなりません。

少し前のことですが,わたしは起きてから聖文研究の準備をしました。スマートフォンを手に取り,ベッド脇の椅子に座り,福音ライブラリーのアプリを開くつもりでした。電話のロックを解除し,勉強を始めようとしたとき,夜中に着信した6通の携帯メールと電子メールの通知が目に入ったので,「メールを急いでチェックして,その後すぐに聖文を読もう」と思いました。ところが2時間たってもまだ,携帯メールや電子メール,ニュース記事,ソーシャルメディアの投稿を読んでいました。時間に気づいて,慌ててその日の準備を急いだのです。その朝,聖文研究の機会を逃し,結果として,望んでいた霊的な養いを得ることができませんでした。

霊的な養い

同じような経験をしたことがありますか。現代のテクノロジーは,わたしたちに様々な方法で祝福を与えてくれます。友人や家族,情報,世界中で今起きている出来事のニュースにわたしたちをつないでくれますが,最も大切なつながりである,天とのつながりからわしたちをそらすこともあります。

わたしたちの預言者ラッセル・M・ネルソン大管長の言葉を繰り返します。「わたしたちは複雑で争いの激化する世に住んでいます。ソーシャルメディアに常にさらされ,24時間やむことのないニュースの嵐が容赦なく襲いかかります。真理を攻撃する無数の声や人の哲学をふるいにかけたいと思うなら,啓示を受けられるようにならなければなりません。」

ネルソン大管長は続けてこう警告しています。「導き,指示し,慰める,変わることのない聖霊の影響力がなければ,これから先,霊的に生き残ることはできなくなるでしょう。」1

何年か前,ボイド・K・パッカー会長は,シカの群れが大雪のために通常の生息地の外で立往生してしまい,餓死する恐れに直面したことについて話しました。シカを救おうと,善意ある何人かが,その地域一帯にトラックいっぱいの干し草を下ろしました。通常シカは干し草を食べませんが,少なくとも一冬生き延びることを願ってしたことでした。悲しいことに,シカのほとんどが死んでしまいました。シカは干し草を食べたのですが,養いとはならず,胃の中がいっぱいの状態でも餓死したのです。2

この情報時代に押し寄せて来るメッセージの多くは,シカに与える干し草のようなもので,一日中食べても,霊的な養いにはなりません。

ほんとうの霊的な養いはどこにあるのでしょうか。ほとんどの場合,それはソーシャルメディアでは話題に上っていません。聖約の道を「押し進み」,「しっかり鉄の棒につかまり」,そして命の木の実を食べる3ときに,それを見つけるのです。これはつまり,わたしたちがこの世とのつながりを断ち,天とつながる時間を日々意識して取らなければならないことを意味しています。

リーハイは夢の中で,実を食べた人が,世の高慢を表す大きく広々とした建物の影響のために,その実を捨てるのを見ました。4末日聖徒の家庭で育てられた若い人々が,正しい教会の集会やクラスのすべてに出席し,神殿の儀式にさえも参加するのに,その後「禁じられた道に踏み込んで姿が見えなくなってしま〔う〕」こともあり得ます。5なぜそうなるのでしょうか。多くの場合,霊的なことを形だけしていても,真に改心していなかったからです。食べ物はありましたが,養いがなかったのです。

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青少年の活動

対照的に,聡明で,強く,信仰深い若い末日聖徒である多くの人にわたしは会いました。皆さんは神の息子娘で,神が皆さんに託しておられる業があることを知っています。皆さんは「心と,勢力と,思いと,力を尽くして」神を愛します。6聖約を守り,人々に仕えることは,家庭から始まります。信仰を行使し,悔い改め,日々改善することで,永続する喜びがもたらされます。皆さんは救い主に真に従う者として,神殿の祝福やそのほかの機会に備えています。そして再臨のために世を備える助けをし,キリストのみもとに来るようにすべての人々を招き,主の贖いの祝福を享受しています。皆さんは天とつながっているのです。

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青少年の神殿参入

確かにチャレンジにも直面します。それはどの時代でも同じです。わたしたちの生きているこの時代,わたしたちは不信仰ではなく,信仰深くある必要があります。主はわたしたちの問題を御存じで,ネルソン大管長の指導を通して,それらに対処できるようわたしたちを備えておられることを証します。家庭を中心とした教会がサポートするという,預言者の最近の呼びかけは,7この霊的に栄養不良な時代に,さらに栄えて生き残る助けとなるよう計画されたことをわたしは信じています。

家庭を中心とする

家庭を中心とした教会にするとは,どのような意味でしょうか。家庭は世界中で大きく異なっています。何世代も信仰を維持してきた家族に属している人もいれば,家族の中で教会員は自分だけかもしれません。結婚していたり,独身であったり,家庭に子供がいたりいなかったりするかもしれません。

皆さんの状況にかかわらず,家庭を,福音を学び,福音に従って生活する中心とすることができます。それはひとえに,皆さんの改心と霊的な成長に自分が責任を負うことを意味しています。それは,ネルソン大管長の「各家族が自分の家庭を信仰の聖所に変える」8という勧告に従うことを意味します。

敵対する者は,霊的な養いは必要ではないとか,もっと狡猾に,それは後でも大丈夫,と説得しようとするでしょう。サタンは注意をそらせる達人であり,引き延ばしの創案者です。サタンは緊急と思えることに皆さんの注意を向けさせるでしょうが,実際は,それほど重要なものではないのです。サタンは,皆さんが非常に「多くのことに……思いわずら〔い〕」,「無くてはならぬもの」を顧みないようにさせるでしょう。9

わたしは,絶え間ない霊的な養い,愛ある関係,健全なレクリエーション活動のある家庭で家族を育てた「善い両親」10にどれほど感謝していることでしょうか。青少年のときに両親から受けた教えは,非常に役に立っています。親の皆さん,子供との間に強い関係を築いてください。彼らは,もっと少ない時間ではなく,もっと多くのあなたの時間を必要としています。

教会がサポートする

皆さんがそうするとき,教会は皆さんをサポートするためにあります。教会での経験は,家庭で得られる霊的な養いを強めることができます。今年,教会からのこの種のサポートを,日曜学校と初等協会で見てきました。アロン神権と若い女性の集会でもそれをもっと目にすることでしょう。1月から,それらの集会のため,教科課程が多少調整されるでしょう。引き続き福音のテーマに焦点が当てられますが,それらのテーマは『わたしに従ってきなさい—個人と家族用』に沿ったものとなるでしょう。これは小さな変更ですが,青少年の霊的な養いに大きな効果をもたらすことになります。

教会はほかにどのようなサポートを与えてくれるのでしょうか。教会でわたしたちは聖餐を受けます。それは救い主に対するわたしたちの決意を毎週新たにする助けとなります。そして教会で,わたしたちは同じ聖約を交わした信者の人々とともに集まります。イエス・キリストの弟子である同胞と築く愛ある関係は,わたしたちの,家庭を中心とする弟子としての務めに力強いサポートになり得ます。

わたしが14歳のとき,新しい地域に家族で引っ越しました。皆さんにとって,これはひどい悲劇のようには見えないかもしれませんが,わたしにとっては,当時は悲惨なことでした。それは自分が知らない人に囲まれ,ワードの若い男性の中で自分だけ違う学校に通うことを意味していました。14歳の頭で,「両親はどうしてこんなことをするのだろうか」と思いました。人生を台なしにされたかのように感じたのです。

しかし,若い男性の活動を通して,定員会のほかの会員と関係を築くことができ,彼らはわたしの友達になりました。さらに,ビショップリックと,アロン神権アドバイサーたちも,わたしの生活に特別な関心を持ち始めてくれました。彼らはわたしのスポーツ行事に来てくれて,わたしが今でも取っておいてある,励ましのメモを書いてくれました。彼らはわたしが大学に行き,伝道に出たときもわたしと連絡を取り続けてくれました。そのうちの一人は,わたしが帰還したとき,空港まで出迎えてくれました。わたしは,これらのすばらしい兄弟たちとその愛と高い期待の組み合わせに永遠に感謝しています。彼らはわたしを天の方向に導いてくれ,人生が明るく,幸福で,喜びあふれるものになりました。

親や指導者は,青少年が聖約の道を歩むときに独りではないことが分かるよう,どのように助けられるでしょうか。個人的な関係を築くことに加えて,FSYカンファレンスや青少年キャンプから,週ごとの定員会やクラス活動に至るまで,大小の集まりに青少年を招きます。強くあろうとしている人々とともに集うことから来る力を,決して過小評価しないでください。ビショップや指導者の皆さん,ワードの子供たちや青少年を養うことに焦点を当ててください。彼らは,もっと少ない時間ではなく,もっと多くのあなたの時間を必要としています。

皆さんが指導者,隣人,定員会の会員,または単に同胞である聖徒であっても,若い人の人生に触れる機会があるのなら,天とつながることができるように助けてあげてください。あなたの影響力はまさに,若い人が必要としている「教会のサポート」かもしれないのです。

兄弟姉妹の皆さん,イエス・キリストがこの教会の頭であられることを証します。主はわたしたちの指導者に霊感を与え,この末の日に生き残って栄えるために必要な霊的な養いへと導いておられます。その霊的な養いは,わたしたちが不信仰ではなく,信仰深くなるための助けとなります。イエス・キリストの御名により,アーメン。