奉献された生活についての熟考
    脚注

    奉献された生活についての熟考

    この世の生涯における真の成功は,自分の生涯,つまり時間と選択を神の目的のために奉献することからもたらされます。

    少年時代に,1964年ニューヨーク万博を訪れました。わたしが大好きだったのは,ソルトレーク神殿のの印象的なレプリカのある末日聖徒の教会のパビリオンでした。そこで初めて『幸福の探求』(Man’s Search for Happiness)という映画を見たのです。リチャード・L・エバンズ長老の語りで,救いの計画について描いたその映画に,わたしや多くの訪問者は深く感動しました。その中でエバンズ長老が次のように言います。

    「人生には二つの貴重なが与えられています。一つは時間です。もう一つは選択の自由,与えられた時間で望むものを買う自由です。与えられた時間でスリルを買うことも,卑しい望みを買うことも可能です。欲望を買うこともできるでしょう。… …

    選択の自由はあなたのものです。でも,特価品はありません。そのようなものには永遠の満足などないからです。

    あなたの暮らすこの世の時間は,どの瞬間を取っても,その使い方についていつの日か報告が求められます。信仰をもって歩み,悪ではなく善を,単なる娯楽ではなく永続する幸福を選ぶことができることを証明するのは,この世をおいてほかにありません。そして,あなたの永遠の報いはあなたがどう選ぶかにかかっているのです。

    神の預言者はこう言っています。『人が存在するのは喜びを得るためである。』喜びとは,満ち足りた生活,奉仕にささげた生活,家庭にあって愛と調和にささげた生活であり,正直に努力することや,イエス・キリストの福音の求めと戒めを受け入れることで結ぶ実のことです。

    こうしたものの中にのみ真の幸福が存在するのであり,そのような幸福は,照明や音楽が消え,群衆が去っても消えることはないのです。」

    つまり,この世の生涯は,創造主が下さった時間と選択の自由を管理するためにあるのです。管理をするという言葉は,主の奉献の律法を思い出させます(例として,教義と聖約 42:32,53参照)。それは財政的な側面もありますが,それ以上に,この世の生涯で日の栄えの律法を適用することなのです(教義と聖約 105:5参照)。奉献とは,聖なる目的にささげるために,何かを神聖なものとして聖別することです。この世の生涯における真の成功は,自分の生涯,つまり時間と選択を神の目的のために奉献することからもたらされます(ヨハネ 17:1,4;教義と聖約 19:19参照)。そうするときに,神がわたしたちを最高の高みにまで上げることが可能になるのです。

    皆さんとともに,奉献された生活を構成する5つの要素について考えてみましょう。清さ,労働,肉体を尊ぶこと,奉仕,高潔の5つです。

    救い主が模範を示されたように,奉献された生活とは清い生活です。イエスは罪のない生涯を送られた唯一の御方ですが,イエスのみもとに来て,そのくびきを負う人々は,主のように罪も汚れもない人物に変えていただくよう主の恵みを求める資格があります。主は深い愛の心でわたしたちを次のように励ましておられます。「地の果てに至るすべての者よ,悔い改めて,わたしのもとに来て,わたしの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば,あなたがたは聖霊を受けてめられ,終わりの日にわたしの前に染みのない状態で立てるであろう。」(3ニーファイ27:20)

    つまり,奉献とは悔い改めです。強情さ,反抗心,正当化を捨て,代わりに,服従する心,自分を正したいという望み,主の要求をすべて受け入れる心を持つ必要があります。これが,ベニヤミン王の言った,生まれながらの人を捨て,聖なるの勧めに従い,「主なるキリストのにより聖徒」となる(モーサヤ 3:19)という意味なのです。そのような人には,聖なる御霊がいつまでもともにおられると約束されており,その約束は,悔い改めた心で主の晩餐のを取る度に,覚えられ,更新されるのです(教義と聖約 20:77,79参照)。

    その過程について,かつてB・H・ロバーツ長老は次のように説明しました。「神の光と知恵と力の中を歩む人は,それらと接することによって,最終的に神の光と知恵と力を自分のものにします。つまり,そうした輝かしい光の束を神聖な鎖に織り込み,自分を神に永遠に結びつけ,また神を自分に結びつけるのです。それがメシヤの言われた『あなたがわたしのうちにおられ,わたしがあなたのうちにいるように』というなぞめいた言葉の意味するところなのです。これは人が到達できる最高のことです。」2

    奉献された生活とは,労働の生活です。イエスは,生涯の早い時期から,御父の業に携わられました(ルカ 2:48-49参照)。神御自身は,人の不死不滅と永遠の命をもたらす業によって栄光をお受けになります(モーセ 1:39参照)。わたしたちが神の業に参加したいと願うのは当然のことですが,それと同時に,正直な労働は皆神の業だということを認識する必要があります。トーマス・カーライルはこう述べました。「真の労働は皆神聖である。あらゆる真の労働には,それがほんの手仕事だとしても,何か神聖なものがある。労働のすそ野は大地に広がり,その頂点は天にまで及ぶ。」3

    神はこの世の生涯を,常に努力しなければならないように造られました。預言者ジョセフ・スミスの飾らない言葉を思い出します。「わたしたちは……絶え間なく働くことで不自由のない生活をすることができた。」(ジョセフ・スミス―歴史 1:55)労働は,生活を支え,豊かにします。この死すべき世にあって,失意や悲劇を乗り越える力です。懸命に働いて得られる達成感は,自尊心になります。労働により人格が築かれ,磨かれ,美が創造されます。労働はや神に奉仕する手段です。奉献された生活は労働にあふれ,繰り返しも多く,目立つことも感謝されることもないかもしれませんが,そのような労働には常に,成長,秩序,支えとなること,高めること,仕えること,志を抱くことが伴います。

    労働をたたえたところで,娯楽についても前向きな言葉を述べておきましょう。正直な労働の後の休息が快いように,健全な娯楽は労働の友であり,忠実な仲間です。音楽,文学,芸術,ダンス,演劇,運動,これらは皆,人生を豊かにし,人生をさらに奉献するための娯楽となります。それと同時に,言うまでもなく,の娯楽と呼ばれるものの大半は,粗野で,品がなく,暴力的で,退屈で,時間を浪費させるものです。皮肉なことに,健全な娯楽を見つけるために骨が折れることもあるのです。娯楽が美徳から悪徳に変わるとき,娯楽は奉献された生活を破壊するものとなります。「あなたがたは悪いものを神から出たと思わないように,……気をつけなさい。」(モロナイ7:14)

    奉献された生活は,神の姿に創造された自分の肉体という比類ない賜物を大切にします。この死すべき世を経験する最大の目的は,それぞれの霊が肉体を受け,その肉の幕屋をまとって道徳的な選択の自由をうまく行使できるようになることにあります。肉体はまた昇栄に不可欠なものです。昇栄は,わたしたちの愛する復活した主がそうであられるように,肉体と霊が完全な形で結合してもたらされるものだからです。この堕落した世界にあっては,痛ましいほど短命の人もいます。肉体の奇形や,欠損,あるいはほとんど命を維持できない肉体もあります。それでも,この世の生涯はどの霊にとっても十分に長く,どの肉体も復活にふさわしいのです。

    肉体は進化が偶然に生み出した結果以外の何物でもないと考える人は,自分の肉体であるいは肉体に何をしようと,神に対してもだれに対しても責任を感じません。しかしながら,前世,現世,来世というもっと広遠な永遠の流れが存在することにを持っているわたしたちは,神が最高傑作として創造してくださったこの肉体について,神に対する義務があることを認めなければなりません。パウロの言葉を紹介しましょう。

    「あなたがたは知らないのか。自分のからだは,神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって,あなたがたは,もはや自分自身のものではないのである。

    あなたがたは,代価を払って買いとられたのだ。それだから,自分のからだをもって,神の栄光をあらわしなさい。」(1コリント 6:19-20 )

    これらの真理と,前回の4月の総大会のトーマス・S・モンソン大管長の指導を念頭に置けば,わたしたちは,入れ墨で肉体を損なったり,薬物で痛めたり,私通やなどの不道徳な行為で汚したりすることは決してしないでしょう。4 わたしたちの肉体は自分の霊の器なので,最善を尽くして大切に扱う必要があります。肉体の力を,奉仕をし,キリストの業を進めるために奉献するのです。パウロはこう言いました。「兄弟たちよ。そういうわけで,神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを,神に喜ばれる,生きた,聖なる供え物としてささげなさい。」(ローマ 12:1)

    イエスは奉献された生活とは奉仕の生活であることを自らお示しになりました。贖罪の苦しみの数時間前,主は謙遜に弟子たちの足を洗い,こう言われました。

    「主であり,また教師であるわたしが,あなたがたの足を洗ったからには,あなたがたもまた,に足を洗い合うべきである。

    わたしがあなたがたにしたとおりに,あなたがたもするように,わたしは手本を示したのだ。

    よくよくあなたがたに言っておく。はその主人にまさるものではなく,つかわされた者はつかわした者にまさるものではない。」(ヨハネ 13:14-16 )

    静かに思いやり深く善を行う人々は,奉献の模範です。この時代に,トーマス・S・モンソン大管長ほど,この特性を日々の生活の中で完全に実践している人はいません。大管長は,自分が手を差し伸べられる人が必要としていることを知るために,御霊のどんな小さなささやきも識別できる聞く耳を養ってきました。たいていは神の愛と気遣いを示す簡単な行為によってですが,トーマス・モンソンはいつも,いつもそのささやきにこたえています。

    わたしの祖父母であるアレクサンダー・デウット・クリストファーソンとルイズ・ビッカリーの生涯にも奉献の模範が見られます。祖父は力自慢で,電気バリカンがなかった時代に羊の毛を刈ることを得意としていました。祖父は自分の腕前についてこう言っていました。「1日に287頭を刈ったよ。もしもっといれば300頭以上刈れただろうね。」1919年には1万2,000頭以上を刈り,およそ2,000ドル稼ぎました。それを基に,農場を拡張し,家を改築する予定でした。しかし,南部諸州伝道部で奉仕する召しが中央幹部から伝えられて,祖母ルイズの全面的な支持を受けて,その召しを受け入れました。そして祖父は,わたしの父となる長男を身ごもっていた祖母と3人の娘を残し,羊の毛を刈って得たお金を残して旅立ちます。2年後,喜び勇んで帰還した祖父はこう言いました。「あの蓄えのおかげで2年間やり通せた。しかも,29ドルも残っていたよ。」

    奉献された生活は高潔な生活です。それは「結婚の誓いを完全な誠意をもって尊ぶ」5 夫婦の中に見られます。また,優先順位の第1位を,結婚生活を豊かにし,子供たちの肉体と霊の幸福を確保することに置いている父親と母親の模範に見られます。正直な生活を送る人々に見られるのです。

    何年も前に知り合ったある二つの家族は,当時,共同で所有していた会社を解散しようとしていました。代表を務める二人の男性は,友であり,同じキリスト教会に通う信者同士でもあって,何年も前に共同で会社を設立したのです。二人は,仕事上のパートナーとしては良好な関係にあったのですが,年を取り,次の世代が経営に参加するようになると,対立が生じてきました。最終的に,資産を分割して,それぞれの道を進むのが最善だという結論になりました。ところが,片方の創業者と弁護士が策を練りました。解散に当たり,相手方とその息子たちを出し抜いて,かなりの資産を有利に確保したのです。双方が集まった会合で,息子の一人がこの不公平な扱いに不満を述べ,相手方の名誉とクリスチャンの信条に訴えてこう言いました。「これが正しいやり方でないことは御存じでしょう。どうしてこんなふうに人を,ましてや同じ教会の兄弟を,だませるのですか。」相手方の弁護士はこう言い返しました。「大人になってくださいよ。いつまで世間知らずなことを言っているのですか。」

    高潔さは世間知らずではありません。世間知らずとは,人は神に対する責任はないと考えることです。救い主はこう宣言されました。「父は,わたしが十字架に上げられるようにと,わたしを遣わされた。……わたしは人々によって上げられたが,そのように人々は,父によって上げられてわたしの前に立ち,自分の行いが善いか悪いかによって,行いを裁かれるのである。」(3ニーファイ 27:14)奉献された生活を送る人は,人をだましません。むしろ,もう片方の頬を出し,下着を求める人には上着をも差し出すのです(マタイ 5:39-40参照)。救い主から最も厳しくされたのは偽善者です。偽善はひどく破壊的で,自分自身はおろか,その行いを見たり聞いたりする人,特に子供たちを滅ぼします。偽善は信仰を破壊します。反対に信仰の種が育つ豊かな土壌は称賛に値します。

    奉献された生活は美しいものです。その強さと静かさとは,まるで「良い土地で清らかな流れのほとりに植えられた,多くの貴い実を結ぶ実り豊かな木」です(教義と聖約 97:9)。奉献された男女がほかの人,特に身近な親しい人に与える影響は,実に奥深いものです。すでに世を去った多くの人,周囲にいる人々の奉献の模範が,わたしたちの幸福の土台を築く助けになってきました。同じように,将来の世代も,皆さんの奉献された生活から勇気を得,皆さんが残した真に重要なものすべてに恩義を感じるでしょう。わたしたちが神の息子娘として,自らを奉献できますように,また「御子が御自身を現されるときに,わたしたちはありのままのの御子にまみえるので,御子に似た者となれるように,またわたしたちがこの希望を持てるように」(モロナイ7:48。1ヨハネ3:2も参照)イエス・キリストの御名により祈ります。アーメン。

    1. Man’s Search for Happiness (パンフレット,1969年),4–5

    2. B・ H・ロバーツ, “Brigham Young: A Character Sketch,” Improvement Era, 1903年6月号, 574

    3. トーマス・カーライルPast and Present(1843年),251

    4. トーマス・S・モンソン「備えは祝福をもたらす」『リアホナ』2010年5月号,64-67参照

    5. 「家族――世界への宣言」『リアホナ』2004年10月号,49